カテゴリー「シニア自然大学」の35件の記事

2013年12月20日 (金)

№2186 東京シニア自然大学の忘年会

 今週は【忘年会ウィーク】である。毎晩のように忘年会、とはいって飲み歩いている。それを見ている女房は「会社を辞めて、それだけお誘いがあるのは良いんじゃないの」と、皮肉まじりだろうけれど変に慰めていた。ほとんどは、私が企画しているんだけどね。

 【東京シニア自然大学】今年最後の授業の後は、忘年会をしようと提案したのも、例によって私である。この教室は、いま学生25名、事務方2名で運営されている。忘年会の提案に、事務方も含め24名の方が参加することになった。会場は20名で押さえていたのだが、急遽人数を増やすことにした。

 さすが新宿の駅前、飲み屋さんは星の数ほどある。2時間飲み放題で4000円の会場を探し当てた。授業は3時に終わるので、4時開始とした。7人いる女性には、バラバラに座ってもらうようにお願いした。

 この教室の女性はお互い仲が良く、先週も【女子会忘年会】を開催したという。なんでも青山のフランス料理屋で、「美味しかったわよ」と話していた。羨ましいことで、なんで誘ってくれなかったのと恨み言を言ったら、「女性だけだからダメ」と素気無かった。この日も、女性は全員参加だ。

Dsc00139  飲み放題ということで、参加者はどんどんお酒を頼んでいた。ビールはピッチャーで何杯飲んだかしらね。さらに赤ワイン、白ワインを空けている方もいた。席の後方では、日本酒がどんどん注文されている。私は一杯も飲まなかったのだが、日本酒党もいるようだ。残念ながらアルコールは一滴もダメ、という男の方も何人かいた。

Dsc00142  飲み物も入ったし食べ物も一応方がついたところで、それぞれの方に「今年の東京シニア自然大学の感想」、「来年への抱負」など一言づつ語っていただいた。最初に席を立ったのが“級長”のKondohさんだ。この学校に入って素晴らしい仲間に出会えた嬉しさを話していた。彼は、わがクラス有数の酒飲みでもある。最長老のWakiさんも、一年元気に通えた嬉しさを話していた。

 この席で最後に決めたのが、卒業時の【クラス文集】委員だ。有難いことに、男2人、女2人の委員があっという間に決まった。お正月明けの授業には、各自500字の文章を書いて持ち寄ることにもなった。

 予定の2時間はあっという間に経ってしまった。級長の手締めで、お開きになった。それでもまだ夕方の6時だ。事務局のKuniyasuさんが「俺の行きつけの店に行こう」と声をかけてくれた。新宿三丁目にあるという。もちろん私は参加したのだが、参加者が半数に上ったのは嬉しいことだった。女性も半数以上は参加だ。

Dsc00156  お店は、【新宿末広亭】のすぐ近くにある沖縄料理の店だった。久し振りに沖縄料理を食べるね。豆腐チャンプル、ミミガー、豚の角煮、海葡萄などどんどん出てきた。それにしても、一次会であれだけ食べたのに、皆さんよく腹に入るね。

Dsc00160  この店には舞台もあって、沖縄民謡の演奏があるという。この店のママと娘さんが演奏して歌ってくれた。沖縄の民謡は黙って聴くべきじゃなく、一緒に踊るべきだと私は立ち上がった。一緒に来た仲間や女性たちも踊りの輪に参加し、随分賑やかだった。

Dsc00162  Kuniyasuさんなど、お面をかぶり舞台に登ったりお店一杯に跳ねまわっていたのには、皆さん大笑いだった。ウ~~ム、新宿にもこういうお店があったのだ。二次会も含め、この日の忘年会は楽しかったね。これも、仲間あったればこそだ。

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2013年12月19日 (木)

№2185 ヤマネって知っている?

 この日の【東京シニア自然大学】の授業は、午前中が関西学院大学教授湊秋作先生の【ヤマネとともに】で、午後からの授業は山階鳥類研究所所長の林良博先生の【人と動物の関係論】だった。

 この学校では、今までも普段は絶対聞けないたくさんの高名な先生のお話が聞けたが、午後の授業の林良博先生もその一人じゃなかろうか。林先生は、東大農学部長を経て山階鳥類研究所所長、そして今は兼任で上野にある国立科学博物館の館長を務めているらしい。私はこの先生を初めて知ったのだが、いずれにしろ凄い先生だ。

Photo  そして、今日紹介したいのは湊秋作先生の【ヤマネとともに】のお話だ。この日の授業まで、私はヤマネという小動物の存在は知らなかった。ましてや、この動物を専門に研究している方がいるなんて、驚きだ。

 最初に自己紹介があったのだが、先生は、この日の授業のために関西から朝の新幹線できたという。そして、先生の経歴がまた面白い。大学を卒業して、和歌山の辺鄙な小学校で24年間教師をしていたようだ。その方が、今では大学教授だ。たまたま関西学院大学で理学研究者を求める空きがあって、それにうまく乗れたようだ。

Dsc00132  なぜ、ヤマネの研究にハマったかというと、彼が所属していた大学の学長下泉重吉先生が「ヤマネと環境教育の創始者」だったことに由来する。哲学を志していた湊先生が、その学長のもとに行き「ヤマネを研究したい」と申し出たことがはじめだと言っていた。今では、【ヤマネミュージアム館長】として活躍しているらしい。

 ヤマネは古い動物で、5000万年前の化石が見つかっているようだ。人類発生よりもよほど古い。全世界に26種が確認されているが、棲息の中心はヨーロッパなのに、なぜか日本にも棲息している。ヤマネは地面は歩かず、樹木がないと棲息できないようだが、日本とヨーロッパはかつて地続きで、しかも森が横たわっていたのではないかという。

 先生は、世界のヤマネを求めて全世界を旅したという。ヨーロッパヤマネは寝言を言うし、南イタリアのモリヤマネ、スロベニアのオオヤマネ、トルコとブルガリアに棲むローチヤマネ、その他アフリカヤマネ、サバクヤマネを探して全世界を歩いたようだ。

Dsc00133  ヤマネの生態はまた面白いもので、一年の大半は冬眠しているという。日本名は、【冬眠鼠】ともいわれる由縁である。普段体温は35度くらいだが、冬眠に入ると0.4度まで下がるという。さらに、冬眠中はおしっこもウンチもしないし、寝息もたてない仮死状態のようだ。きわめて省エネに出来ているのだそうだ。どうしてこのような状態で生きていられるのか、医療関係者の中で専門に研究している方もいるという。

  さて、日本ではヤマネはどう扱われているのか。日本列島最古参の哺乳類として【国の天然記念物】に指定されている。レッドデータの準危惧種だったのだが、最近環境省がその指定をはずしたと、先生は怒っていた。

 ヤマネは普段何を食べているのだろうか。花や花粉が大好きでよく食べる。さらにはアブラムシ・ガなどの虫を食べている。アケビも大好きという。

 いま奥山が開発され、ヤマネの棲息地が狭まってる。森がないと生きられないヤマネをどう守るのか。企業の協力を得て【ヤマネブリッジ】や【アニマル=パスウェイ】建設に力を注いでいるようだ。

 以前聞いた授業の【アホウドリの再生】に命をかける研究者といい【ヤマネの研究】など、日本にはいろいろな研究者がいるものと、講義を聞いていて嬉しくなってしまったね。

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2013年12月13日 (金)

№2179 フォルダの整理

Dsc00089  前号の続きのような話になるが、私は【東京シニア自然大学】の授業には、教室にモバイルパソコンを持ち込んで、テークノートしている。主には、ブログを書くための参考にするためだ。私は打ちこみ速度はそんなに早い方ではないが、それでも授業についていくだけの速度ではキィボードを打ちこめている。

 今年の4月に始まった授業だが、やってみると結構講義録が溜まった。私は整理が苦手で、いろいろな場所に講義録が散乱している。今までは、ブログを書くと用無しになるのだ。ただ、消去はしていない。こういうことをやっていると、便利な事もあるものだ。

 【東京シニア自然大学】は来年3月には卒業だ。今盛んに議論されているのは、①卒業に向かって何をするのか、②来年以降、【専科】を立ち上げるとしてどういう活動が可能なのか、③来年以降入学してくる方たちに何か提言があるのか、の話し合いが何度か行われている。

 いずれ、卒業に向けて記録集+卒業文集が必要だとは、一部の人たちのなかで意見一致している。

 記録集に向けて、資料は豊富だ。まずは、授業の概要を記したシラバスがある。さらに、受講生が講義の後に必ず提出する【ふりかえりシート】がある。事務局にHayashidaさんが、授業の都度写した写真も1500枚余りにのぼるという。その上で彼が言うには、「シンさんのブログから抜粋して文章を短くしたら、記録集としては充分だ」という。

 まあ、私のブログだけでなく講義ノートがあるから、それを読むと講義の様子が分かる。さらには、私も大量の写真を撮っている。ただ、写真もあちこちに散らばりっぱなしだ。

 意を決して、フォルダの整理に取り掛かった。講義録については、【名前の変更】で頭に日付をきちんと入れた。すると、フォルダでは日付順に並べ替えてくれる。数えてみると、21回の講義録が出来た。

 さらに写真の整理だ。【ピクチャ】のフォルダには、矢張り日付順に撮った写真が並んでいる。これを【新しいフォルダ】を作って、名前の変更をして移した。当然、頭には日付も入れた。4月15日に始まった【開校式】から最新の授業までのアルバムが出来た。

 これらをつけ合わせて編集すると、立派な記録集が出来るのではないか。問題は文集だ、受講生の皆さんが文章を書いてくれるかどうかだ。それは私の仕事ではないね。いずれ、週一回の授業で正月休みもある。ぐずぐずしていたら、すぐに日にちは経ってしまう。まあ、私が出来るお手伝いはしたいと思うのだが…。

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2013年12月12日 (木)

№2178 野鳥の神様

 毎週水曜日の『東京シニア自然大学』の授業を楽しみにしている。こういう定例会があるのが、生活の基本的な柱になっているのは良いね。先日もテレビを見ていたら、NHK「クローズアップ現代」で、大量のシニア世代の退職が話題になっていた。会社を辞めてみると、やることがない人が大量に社会に排出されている。

 自分で自分の道を早く見つけなければならないが、なかなか適合できずに迷っている人が多いようだ。そりゃそうだね、会社人間として何十年もやってきた人が、いったん会社を離れると、ポツンと独りぼっちになるのは目に見えている。自分で何かをしなければならないと思っても、選択肢はそんなに広くはない。

 そういう意味で、私は退職後の『県活パソコン講座』や、『彩の国いきがい大学』入学、そして今の『東京シニア自然大学』での活動と、きわめてアクティブに動いているのではと、自画自賛している。毎日が楽しいね。

Dsc00087  この日の『東京シニア自然大学』の授業は、久し振りに新宿のエコギャラリーに戻ってきた。新宿西口公園は、紅葉黄葉に彩られていた。特に銀杏の落葉を踏みしめて教室に通うのに、何かそこはかとない幸せを噛みしめて歩いた。

 落葉の真ん中では、何人かの方が犬の散歩を楽しんでいるようだった。大都会の真ん中の公園ってなかなか良いものだね。

 さて、この日の『東京シニア自然大学』の講義は、午前中は日本自然保護協会常勤理事の横山隆一先生の『自然保護の歴史』、午後は日本野鳥の会理事の安西英明先生の『日本野鳥の会の歴史』の講義だった。いずれも聞き応えのある授業だったが、今日は安西先生の講義を紹介したい。

Dsc00090  安西英明先生は、ラジオ番組『電話子ども相談室』や、NHKラジオ日曜朝5時33分からの『季節のいのち』で有名な野鳥博士だ。ちなみにインターネット検索をしてみると、安西先生のNHK番組『季節のいのち』が聴けるのにはちょっと驚いた(興味のある方は、下線をクリックしてみて下さい)。

 安西先生はこの学校でもメイン講師で、9月には東京港野鳥公園で「都心に息づく命の再発見」という授業があった。10月には井の頭公園での授業の予定だったが、台風で順延となった。

 ただ、この日の授業は纏まった話というよりも、野鳥についての蘊蓄を聞くことが主だった。【日本野鳥の会】は、昭和9年に中西悟堂が立ちあげた会で、いまの会長は柳生博さんだ。イヌワシにうるさい柳生さんとは、野鳥の蘊蓄の好敵手だという。

 それにしても、彼が野鳥の生態に詳しいのには脱帽だ。まあ、野鳥のガイドブックを作っているくらいだから、当たり前といえば当たり前だがね。生徒からの様々な質問には、たちどころに答えていた。

 例えば、ヒヨドリという野鳥がいる。日本野鳥の会発足の昭和初期には森の鳥として、一般に見かけることはなかったらしい。それが今ではどこでも見かけるし、生息範囲を北に伸ばしているという。何が原因なのかは分からないらしい。地球の温暖化という人もいるし、食べ物が豊富になったのが原因という人もいるようだ。

 私は、「最近雀が少なくなったように思うが、原因は何か」と質問した。彼が答えるには、本当のところ野鳥の実態はほとんどよく分かっていない。減ったという人もいるようだが、反対に増えたという人もいる。季節にもよるが、春は抱卵の時期にも当たっているので雀は増えるが、冬は減っていく。

 雀が増えているか減っているか、全国を実態調査しながら研究している方もいるようだ。その方の研究では、「都会では番いから子雀が1.3羽、田舎では3.5羽と、生まれる数に違いがあるようだ。何が原因かは分からない」と話していた。ちなみに、雀が生まれて成鳥になる確率は、約27%だという。ほとんどは他の鳥に食べられるか栄養不足で死んでいく。

 雀の質問に答える形で、20分程野鳥に関する様々な話が聴けた。私には『質問大賞』として、日本野鳥の会の機関誌をプレゼントされた。

 話を聞いていて、生物の自然の中で生きていく厳しさを知った思いだ。ちなみに、いま東京で増えている野鳥は隼だという。食べものとなる鳩が豊富なせいらしい。こういう話は、いつまで聞いていても面白いね。

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2013年12月 6日 (金)

№2172 目からウロコのBBQテクニック

 この日の【東京シニア自然大学】の授業は、川崎市黒川青少年野外活動センターでの授業だった。テーマは、『目からウロコのバーベキューテクニック』だ。この会場では、今年の5月22日、『キャンプの基礎知識』という授業が行われた。先生も、同じ野口透さんだ。

2013_1204_132410dsc00078  野口さんは、全国に50人しかいないバーベキューの上級インストラクターとのことだ。ヘ~~、バーベキューにもインストラクターなんて資格があるんだ、と驚いた。野口さん本人も驚いたようだが、これがなかなか奥が深いということが分かったという。

2013_1204_104723dsc00065  バーベキューをやるには三種の神器があるという。【チムニースターター】と【水鉄砲】、それに【火消し壺】だ。チムニースターターは、炭熾しにはなくてはならない道具だという。なるほど、使ってみると、新聞紙一枚で簡単に火が熾きた。那須で毎年バーベキューをやるのだが、火熾しが一番の難事だ。これは手に入れよう、Amiちゃんが泣かないで済むように。

 まずは、インストラクターの先生が見本を見せてくれるという。見知らぬ言葉がドンドン飛び出した。【ツーゾーンファイヤー】【スリーゾーンファイヤー】【ミシシッピーテスト】など初めて聞く言葉だ。なるほど、やってみると理にかなっていた。ここでは詳しくは述べない。

 さて、いよいよ肉と野菜の焼き方実習だ。肉を焼く時には、ストライブ(バーンストライブ)をきれいに作るという。さらに、厚い肉を焼く方法、椎茸の正しい焼き方などを教わった。なるほど、一々が理にかなっていた。

2013_1204_111353dsc00068  いよいよ3班に分かれて、班ごとにバーベキューをやった。チムニースターターで、30分ほどで火はカンカンに熾きていた。グリルは二つで、一つは鶏肉とスペアリブを焼いた。これには30分ほどかかるとのこと、蓋をしてしばらくほっておいた。

2013_1204_114428dsc00070  もう一つのグリルで、最初は牛肉を焼いた。下味として、塩と胡椒をたっぷりかけて包丁の背で叩いた。そして、豪快に焼く。先ほど習ったストライブをつけることは忘れない。さらに重要なのは、旨み成分の肉汁を逃がさないことだ。あまり焼き過ぎないことに注意したら、レア肉になってしまった。「これじゃ食べられないわ」と再度焼く人もいた。

 野菜を焼くのも、豪快なものだ。大きなピーマンはそのまま焼いていた。「ヘタとなかの種が甘みがあって良いのよ」とのことだ。さらに、長ネギも切らずに、一本のまま焼く。椎茸の重要なのは、汁を逃がさないことだそうだ。弱火で焼いていると、汁が湧きでてくる。それを逃がさないように食べるのが良いのだ。

2013_1204_124353dsc00073 2013_1204_130145dsc00075  ちょうどお昼時で、皆さんガツガツ食べた。きれいに食べ終わったら、【デザートバーベキュー】と【アフターバーベキュー】だという。デザートバーベキューは、グリルでフルーツを焼いた。バナナとパイナップルだ。これがとても美味しかった。さらにアフターバーベキューでは、マショマロ焼きだ。ビスケットにくるんで食べると、甘い香りがした。

2013_1204_131216dsc00077  そして、最後の模範は、丸々一羽の若鳥をビールでの蒸し焼きだ。炭酸が全体に行きわたり、これも美味しかった。この日は、本当に眼からウロコのバーベキューだった。

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2013年11月28日 (木)

№2164 東京シニア自然大学の卒業に向けて

 今年4月に入学した【東京シニア自然大学】だが、一年制なので来年3月には卒業だ。われわれ今回入学した仲間は第一期生で、卒業後どうするのかは手探り状態だ。ただ、卒業したからといって「はい、さようなら」とはならないことは確認している。

 そして、来年3月の卒業に向けてスケジュールが目白押しである。お正月明けには、有志でスキーに行く計画を立てている。2月はなるべく全員の参加で、卒業旅行に行こうよと話している。そして、3月の卒業式の後には、小笠原旅行が待っている。

 こういうイベントとは別に、卒業後には【専科】を立ち上げようと、学校側も画策してくれているようだ。昨日の授業終了後、有志が集まって第一回の相談会を開いた。これは、理事長の要請でもあるらしい。参加者は16名ほどだった。

 事務担当のHayashidaさんが纏めてくれていた。私もその後用事が詰まっていたので、言うことだけを言って、退席した。

 私が言ったのは、「シニア自然大学は東京のほかに、千葉・神奈川・埼玉にも展開している。残念なことに、お互いのコミュニケーションがない。25人しかいない東京だけでは、行動に制約がある。大きな輪になって、お互い刺激しあったらどうだろうか」との提案だ。

 さらに、関心領域別にグループ分けをし、日常はそのグループで一緒に行動する。私が一番関心を持ったのは、先日行われた授業で、【東京と保全地域】49ヶ所の保全活動だ。幸い、【緑のボランティア養成講座】もあるようなので、講座を受講し、『緑のボランティア指導者』の資格を取ってみたらいかがだろうか。

 一緒に農業をする人も募りたいと話したら、隣に座っていたKukikoさんが「私も一緒に農業をやりたい」と申し出ていた。

 いずれ、卒業してもこの仲間で一緒に活動しよう、という最低の確認は出来ている。まあ、この話し合いはあと何回か行われるし、12月の最終授業日には忘年会もある。そこでもいろいろと議論を尽くしたいと思う。

 それにしても、【東京シニア自然大学】に入学して、とっても良い仲間に巡り合えたことを喜びたい。

 

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2013年11月21日 (木)

№2157 東京都の【保全地域】を学ぶ

 雲一つない、絶好の晴天だった。こういう日の野外授業は楽しいね。

 【東京シニア自然大学】のこの日の授業は、武蔵五日市線の武蔵増戸駅前集合だった。昔、この近辺でキャンプを張ったことはあるが、電車で武蔵五日市線に乗るなどは初めてのことだ。それにしても不便だったね。何度乗り換えたことだろうか。浦和で乗り換え、南浦和で武蔵野線、西国分寺で中央線青梅行き、拝島で初めて五日市線にと4回も乗り換えた。

2013_1120_130519pb200015 この日の授業は、東京都が保全地域をどのように管理しているのかの授業と、管理地の里山を歩く実地体験だ。管理地は、横沢入里山保全地域という場所だ。武蔵増戸駅から歩いて20分ほどのところだった。

 この日の講師は、東京都環境局の職員二人の方だ。わざわざこの日の講義のために、新宿本庁から駆けつけてくれたという。有難い話だ。

 午前中は、東京都がなぜ保全地域を管理するようになったのかの経緯と、具体的に日常どんな作業をやっているのかの紹介だ。最初は屋根のある休憩所での講義だったが、寒くてかなわない。次の講師は、屋外の日のポカポカ照る野原でお話をしてくれた。こちらの方がよっぽど暖かかった。

2013_1120_134731pb200017 東京都には49地域、755haの保全地があるという。乱開発を免れるために都税で買ったもので、総額1000億円に上るらしい。多摩の森林、武蔵野の雑木林、緑地の保全、里山保全等で、ずいぶん緑が残されたらしい。ただ、とは言ってもまだまだこれからとは話していた。

 そして、この日の実地体験は、里山保全地域の横沢入里山保全地域を見て歩くことだ。実は、この地はある企業が住宅地開発として手に入れた土地だが、開発しきれなくて都に売り渡したという。こんな奥地を住宅地にするなど、素人目にも無理なことのように思われた。

2013_1120_123254pb200014 この地には大勢のボランティアが入り、以前から里山を守る活動をしていたようだ。そのボランティアの人たちの希望にもかなったのだ。夏は大量のゲンジボタルが出るらしく、小川には沢山のカワニナが生息していた。蛍の食料の貝だ。さらに、絶滅危惧種といわれる固有のホトケドジョウも棲んでいた。

 午前の講義が済んで、野原に腰をかけて昼食だ。この教室の女子は皆さん仲が良い。丸く囲んで、何やら楽しそうにお昼を食べていた。

2013_1120_133706pb200016 お昼からは、保全地域の山に分け入った。標高300mほどの山だったが、登りは矢張りきつい。総勢25名は、ハーハー息を弾ませて登った。登山道には、様々な動物の糞がある。面白いのは、タヌキは決めた場所にしか糞はしないという。イタチの糞もある。ところが、里山で一番問題の有害な動物は、アライグマだという。

2013_1120_144445pb200020_2 アライグマは極めて食欲の旺盛な動物で、何でも食べてしまう。特にこの地域で問題になっているのは、絶滅危惧種のヤマアカガエルやトウキョウサンショウウオなどが食い荒らされていることらしい。駆除のために檻を設置しているようだが、3年間でかかったのはわずか25匹だったと言っていた。「外来種アライグマの絶滅は無理としても、これ以上増えないような努力が必要」と話していた。

2013_1120_122506pb200011 里山は、ちょうど紅葉の真っ盛りだった。このような天気のいい日、授業とはいえ、山歩きはものすごく楽しかった。この日参加した方は、満足したのではなかったろうか。川のそばには、真っ赤なまゆみの実がなっていた。

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2013年11月15日 (金)

№2151 生田緑地で授業

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 この日の【東京シニア自然大学】の授業は、小田急線向ケ丘遊園駅下車で、生田緑地で行われた。私は、この生田緑地に行くのは初めてだ。それにしても、この大学に入学したおかげで、私が今まで行ったことのない様々なところに行ったものだ。

 ちなみに、スケジュール表で振り返ってみると、高尾山・飯能の里山・葛西臨海水族園・安藤百福センター・東京港野鳥公園・奥多摩の森林セラピー・葛西臨海公園の干潟・アファンの森、そしてこの日の生田緑地公園だ。それぞれ、思い出に残る場所になった。

2013_1113_101154pb130013 そして、この日の生田緑地公園での授業は、午前は【地球史の調べ方入門】、午後は【宇宙のなぞ・毎日の夜空が待ち遠しい】というテーマだ。

 【地球史の調べ方入門】の講師は、神奈川県立生命の星博物館古生物ボランティアの内野哲先生だ。生田緑地に広がる舛形山の地層を調べながら、地球がどのように成り立ってきたのかを考察するというものだ。そういう眼で地層の観察をしたことがない私にとって、新鮮な授業だった。

2013_1113_103144pb130017 舛形山は標高がわずか84mだが、様々な地層が重なっている。一番下の層が約30万年前の「飯室層」、次に「おし沼礫層」、その上に積もった地層が「多摩ローム層」、一番上の地層が「立川ローム層」だという。多摩ローム層は矢張り30万年前に箱根火山の爆発の灰だし、「立川ローム層」は富士山の降灰だそうだ。

 こういう眼で地層を観察したのは初めてだ。非常に面白かった。それにしても、内野先生は熱心だったね。12時の昼食時間が始まっても授業は終わらなかったし、午後の授業が終わった時も、補講として一時間近くも地球の歴史について教えてくれた。

 午後の【宇宙の謎】の授業は、生田緑地内にある「かわさき宙(そら)と緑の科学館」の学芸員国司真先生だ。主には彗星の話だ。彗星はなぜ発生するのかのガイダンスから始まり、ハレー彗星の話、今年の3月にみられたパンスターズ彗星、さらに、11月下旬から12月上旬にかけて見られるアイソン彗星の話までだ。

2013_1113_142058pb130022 アイソン彗星は放物線を描いていて、今回地球で見られると、再度永久に観察できないという。一時間ほどの授業の後、この科学館の屋上の【アストロテラス】で望遠鏡観察をした。ここには特殊望遠鏡が備えられており、昼でも金星や星を観察できた。

 さらに、もう一つの望遠鏡で太陽を観察した。別々の覗き眼鏡があり、一つは太陽黒点を、もう一つはプロミネンスの観察が出来た。今発生している小さな黒点は、それでも地球一個分の大きさだとの解説があった。

 この科学館にはプラネタリウムも備えられており、課外授業でそのプラネタリウムをみてきた。私は非常に環境に順応し、暗くなると眠くなる。隣の仲間が、「シンさん、いびきをかいていたぞ」と言っていた。

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2013年11月 7日 (木)

№2143 講義『宇宙の夢』

 この日の東京シニア自然大学の午後の講義は、JAXA名誉教授・的川泰宜先生の『宇宙の夢~ペンシルロケットから「はやぶさ」まで』というお話だった。この講義を何より楽しみにしていたのが、事務局のHayashidaさんだ。「先生の講義が聴けると思うと、ワクワクして夜も眠れない」と、大げさなことを言っていた。

 午後1時から3時までの授業だった。私は、普通は昼食後で眠くなるのだが、その話の面白さに夢中になって聴いてしまった。話は、日本のロケット開発の黎明期から、最新の【イプシロンロケット】の開発までだった。

2013_1106_133051pb060006 そういえば、「はやぶさ」の地球生還に興奮し、映画まで見たことを思い出す。ロケット開発の最前線にいた先生の話に、Hayashidaさんだけでなく、私も興奮して聴いた。

 日本のロケット開発の父というべき糸川英夫さんの話から始まった。糸川さんのそばにいなければ知らなかったようなエピソードがたくさん紹介された。糸川さんはどういう人だったのか。

 4歳でお父さんに連れられて、青山練兵場で初めて飛行機が飛ぶのをみて、糸川さんは「一生を飛行機に生きる決意をした」という。大学は航空学科に入学し、卒業して中島飛行機に入社した。そこで開発したのが「隼」、「鐘軌」という飛行機だ。戦後、GHQに日本の飛行機開発が禁止され、彼の関心はロケットに向かった。

 ロケットに向かう最大の動機は、「20分間で太平洋横断を果たしたい」というとてつもない夢だった。「糸川先生は、何かをやりたいと思ったら抑えられない好奇心の塊の人、それが初めてのことならなおさら闘争心が湧く冒険心の人だった。また、女性への関心が人一倍強く、男どもの前では怖い顔をしていても、女性の前では柔和な顔になった」と、すぐ近くで先生をみていなければ分からないようなエピソードも聞かせてくれた。

 ロケット開発も、当初日本のレーダー技術が未熟なので、上空に飛ばしても追跡できない。「それなら水平に飛ばしたらいいのじゃないの」と、誰にも思いつかない発想をする先生だった。日本で初めてロケットを打ち上げたのが、秋田県の道川海岸でだ。

 多分、私が小学校4~5年生の頃だ。道川海岸は、私の故郷の隣町だ。自宅から、ロケットの出す白煙をみて興奮したのを思い出す。多分、秋田県中が大騒ぎになったのだと思う。ロケットが大型化する中で、日本海での打ち上げが「李承晩ライン」に抵触することが分かり、太平洋に発射地を求めた。

 いろいろな地を糸川先生と探索して歩いたようだ。ある時、鹿児島県の山奥・内之浦の小高い山の上で立ちションベンをした先生が、「こここそロケット発射にふさわしい」と突然叫んだ。その当時、山の上のロケット発射台など、世界的な常識では考えられなかったらしい。これも、糸川先生に発想のユニークさの賜物だ、と話していた。

 先生が好んで書いた色紙に、【人生で最も大切なのは、逆行と友である】とある。立ちションベンをしたすぐそばに、糸川先生の銅像とともに、その言葉が彫られているという。糸川さんは、また、多様な才能を発揮した。チェロやバレーに取り組んだのも、その一つだった。

 【はやぶさ】開発の苦労話にも感銘を受けた。特に大変だったのが、内之浦から打ち上げる時の漁業交渉だったらしい。「5県の漁連とは膝を突き合わせ、夜通し酒を酌み交わして話し合った。おかげで、私は重度の糖尿病を患うことになってしまった」。

 それと、【はやぶさ】の帰還についてのエピソードも、的川先生からでなければ聴けない話だった。「4つのエンジンを積んでいたが、全部だめになってしまった。スタッフは地球帰還に絶望していたのだが、エンジンを開発した研究者とNECの技術者が、誰にも知られないエンジン細工をしていたのだ」そうだ。

 詳しくは分からないが、それぞれのエンジンにはプラスとマイナスがあり、それが作用してエンジンを燃焼しているようだ。ただ、4つのエンジンはお互いに独立していて、関連性がない。4つのエンジンがダメになった時、その開発者が「実は、内緒で互いのエンジンを繋ぐチップを埋め込んでいた」と白状したようだ。

2013_1106_144139pb060008 設計図にもないような細工は、普通は大問題になる話のようだが、これが幸いして、エンジンが復活したのだそうだ。先生が作詞した【はやぶさの歌】が教室で披露された。服部克久さんの作曲でオペラ歌手が歌っている歌で、「カラオケボックスでも聴けるので、ぜひ歌ってほしい」と話していた。

 的川先生のお話は、時にはユーモアを交え、遊び心いっぱいの開発談を、聴講者は熱心に聴いた。講義終了の3時になっても、先生の話は道半ばだ。結局は20分もオーバーする大講義だった。Hayashidaさんが興奮する訳が分かった。

2013_1106_152404pb060010 この日は【東京シニア自然大学】の受講者全員参加とのことで、先生を交えて記念写真を撮った。久し振りに授業参加のNorikoさんに声をかけた。そしたら、「欠席していても、この授業はシンさんのブログを読んでいるので、大丈夫。それより大根干しが終わってよかったね」と反対に慰められた。

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2013年10月31日 (木)

№2136 【アファンの森】を訪ねるバスハイク

 皆さん、【アファンの森】を知っているだろうか。実は、私も知らなかった。

 C・W・ニコルさんが、信州黒姫山の麓に開いた森である。【東京シニア自然大学】の課外授業として、バスで往復旅行をすることになった。参加は自由、とはいっても21名の方が参加した。ただ、新宿を出発したのだが、日帰り旅行には遠かった。

 朝、6時45分に新宿西口集合とのことだったが、私が最寄りの駅から乗った電車は始発電車だ。始発に乗るなんてめったにないことだが、結構混んでいるのには驚いたね。

Img_9584 バスは朝7時に新宿西口を出発した。そして黒姫の【アファンの森】についたのは午前11時を過ぎていた。なんと片道4時間のバス旅行だった。黒姫の麓はすでに紅葉が始まっていた。目の前に高くそびえている飯縄山も紅葉真っ盛りだ。ただ、黒姫山は雲に隠れて見えなかった。

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 バスを降りて、アファンセンターまでは歩いて10分程の距離にある。木造の偉容な建物だった。着くと同時に、スタッフからアファンの森についての説明がなされた。ここで初めて、【アファンの森】はどういうものか知った。

 C・W・ニコルさんはイギリスウェールズの出身だが、たまたま訪れた日本を気にいってこの国に定住しようと決めたのは1980年だ。四季折々展開する日本の自然に魅せられて、「こんな美しい国は、世界中探してもどこにもない」と感嘆したようだ。

Img_9589 棲みはじめて分かったのだが、その美しい国土の森が荒らされている。荒らしている張本人は、国であることに驚いた。何百年もたつ原生林をドンドン伐採し、木材を売って林野庁は生計を立てていた。伐採後に植えるのは杉とか桧だ。

 それまで豊かに暮らしていた森の動物は、食べ物に飢え、人里にあらわれて作物を荒らした。これは動物が悪いのではなく、行政の貧困の表れと、ニコルさんは様々な場所で訴えたらしい。そして、黒姫の麓に森を買い、再生事業に手をつけたのが1983年という。

 当初3ヘクタールの土地だったようだが、30年たち、規模は30ヘクタールへと10倍に伸びた。さらに、隣の国有林27ヘクタールも管理する契約を国と結んだという。相当広い土地のように思われたが、森林再生のためには、これでも猫の額の様なものだった。

 なぜ【アファンの森】かというに、ニコルさんの生まれたウェールズに、石炭のぼた山から森林再生を見事に果たした【アファン】という地があるらしい。それにちなんだという。そして、この【アファンの森】には北エリアと南エリアがあり、北エリアはすでに森林再生に成功した。ただ、南エリアはまだ手付かずの状態のようだ。

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Img_9595 この日は、実際に南エリアの藪刈り体験をしようという作業が待っていた。参加者で記念撮影をし、バスで南エリアに出かけた。その頃は、若干雨模様だった。皆さん、合羽に着替え、借りたノコギリと藪きりばさみを腰に据えて、いざ出発だ。

 スタッフから、再生された森とそうでない森の説明があった。再生されていない森は、木に絡まった蔦や蔓が光をさえぎっている。再生された森には、ブナなどの植林が進んでいた。

Img_9601 さて、われわれも藪刈り体験をしよう。女も男も一斉に作業に取り掛かった。アブラチャという雑木をドンドン切ってくれという。20人でとりかかった原野は、瞬く間に綺麗になった。ただ、われわれの作業は30~40分ほどで、切り拓いた場所はたかが知れている。

 もう少しやりたいという声も上がったが、時間的な制約があり諦めた。こういう作業なら2~3日やっても良いね、来年は卒業したらボランティアで来ようという人もいた。

Img_9606 帰りは、再生・整備された北エリアの説明を受けた。この森には多様な生物がいるという。特に、ニコルさんが大好きなクマが時々顔を出すらしい。さらには、フクロウやノウサギ、リス、テンなどの動物も見られるという。

 スタッフが作ったフクロウ用の大きな巣には、昨年も今年もフクロウが営巣した、と嬉しそうに語っていた。これも、巣を掛けてから営巣まで2~3年もかかったらしい。

Img_9608 この日も非常に楽しい授業だった。Tokikoさんなど、「シンさん、この自然をみて俳句を作って下さい」などと冷やかしていた。帰りも4時間かけて新宿まで帰ってきた。私は帰りのバスの中で、ここで買ったC・W・ニコル著『アファンの森』(アートデーズ社)を読んだ。

 ニコルさんのアファンの森にかける思いが伝わって、あっという間に読み終えた。そして、自然再生の道の遠いことを思った。

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