カテゴリー「会合」の29件の記事

2013年6月16日 (日)

№1998 高校の同窓会に出席

 毎年6月の第3土曜日に、虎ノ門の霞が関ビルで開かれている高校同窓会総会『東京雄水会』に出席してきた。いつからだろうか、サラリーマン時代は一切付き合いのなかった同窓会との付き合いが、だんだん深くなっている。

 同窓会のゴルフコンペ【雄球会】の事務局長も務めているし、俳句の同好会【東雄句会】の同人にもなっている。幽霊会員ではあるが、囲碁の会のメンバーにも名前を連ねている。こんなはずじゃんかったという思いもあるが、いずれ私は付き合いが良いのだ。

2013_0615_113127p6150003  この『東京雄水会』は、わが同期のRokuちゃんが昨年から会長を務めるようになった。同期としては、どうしても彼を盛りたてる必要がある。この日も13名の同期メンバーが顔を出していた。こうやって集まってみると、これはこれで楽しいものだ。

 数えてみたら、この日の総会参加者130名弱のうち、私が知っている人は3分の一を数える。矢張り、顔を合わせるとヤーヤーという感じで、出席していても心地良い。私より7年も後輩のMasaru君は、「シンさんのおかげで、ゴルフのコンペに参加するようになった。この同窓会に参加してみると、この総会で顔見知りがたくさんでき、出席に張り合いが出来た」と喜んでいた。

 私も、何十年か前にこの同窓会に参加したことがあるのだが、知り合いがいなくて参加を取りやめてしまったという経緯もあった。大先輩から後輩まで一堂に会して、肩を組んで高校校歌を歌うのもまた良い。

2013_0615_134446p6150014  最近、同期の連中が、私のブログを熱心に読んでくれているようだ。久し振りにお会いしたEikoさんが、「先日のアホウドリの記事を読んだが、良かったね」と褒めてくれた。そうか、そうか、読んでくれたんだ。そしたら、隣にいたTakeちゃんが呆れたように、「お前は、あんなに忙しそうにしているのに、いつブログなど書く暇があるのだ」といっていた。

 Reikoさんもココログブログをやっているが、ほとんど新たな記事をアップしていない。「パソコンの画面に向かいあうと、頭がフリーズしてしまい、文章が出てこない」と嘆いていた。よくも、毎日あのような長文を書き続けられるもの、とこれも呆れ顔だ。

2013_0615_144854p6150020  2年前に、この会場で私を無理やり俳句の会に引っ張り込んだSofuさんも顔を見せていた。シックな和服姿だった。「あなたと一緒に撮ると、ブログにアップされるからいやだ」と逃げ回っていたが、どうしてもとカメラに収まった。無理やり俳句の会に連れ込んだ罰だ。

 この同窓会に出席してみると、様々なタレントとも知り合う。映画【沈まぬ太陽】の映画監督若松さんもわが同窓会の後輩だ。この日も参加していた。ジャズミュージシャンの小林陽一さんが、会場でドラム演奏をしていた。

2013_0615_142313p6150017  そして、この日知り合ったのは若いジャズシンガーだ。私よりも40歳近く若い神馬美代子さんという方だった。会場の舞台でジャズを歌っていて、あまりにも上手なので声をかけた。

 いつもは、池袋のジャズバーで歌っているのだそうだ。ぜひ、次回の公演日を教えてくれとお願いした。案内があったら、仲間を誘って応援に行きたい。

 わが高校は、いわばスポーツ校だ。たえず感心があるのは、今年甲子園に出場できるかどうかだ。校長先生がきていたので捕まえ、「昨年は甲子園に応援に行った。母校の校旗が高々と揚がるのを見て感激した。今年も甲子園に応援に行けるかな」と聞いてみた。「もちろんそのつもりだ」と答えていたが、果たしてどうなのだろうか。

 この日は、こういう面白い申し出もあった。Kamoちゃんが、今年の4月から市が運営する長寿大学に入学したのだそうだ。彼は、私のブログの愛読者でもある。「その大学で、園芸部に入部した。今年の秋に、園芸部で大根を植えることにしたんだ。大きくなった大根で沢庵を漬けるつもりだが、暖かいところはダメなので、那須で漬けさせてくれないか。指導もよろしく」というのだ。もちろん、大歓迎だ。

2013_0615_162550p6150032  総会終了後、これも恒例のことだが、近くの稲庭うどん屋に立ち寄り、盛大な二次会をした。もちろん、わが同期メンバーは全員集合していた。この店で食べたのは、秋田名物のジュンサイの酢の物と、ブリコハタハタだった。一人一匹とのことだったが、誰も手につけようとしないので、二匹目をいただいた。

【6月15日の歩行記録】

9,140歩、6.39㎞、1時間5分、365.6カロリー

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2013年4月11日 (木)

№1932 田舎の仲間と食事会

 同郷の出身者で構成するふるさと会がある。もう20年も前になるが、度々この会に出席し、埼玉支部会の幹事をやっていたこともある。その当時は、支部だけでハイキングや小旅行をしたり、バーベキューをやったりしていた。その中心にいたのがYamazakiさんだ。

 いろいろな行き違いから、その埼玉支部会は解散した。しかし、中心になって動いていた仲間では時々会って、食事会をやっている。久し振りにHoriiさんから電話があり、会うことにした。ただ、私のスケジュールが混んでいて、空いているのはこの日しかなかった。

 午後1時に大宮駅で会うことになった。参加者は、私を含めて6人だった。そうだね、こうやってお会いしたのは2年ぶりくらいかしら。食事をした会場は、これも飛び抜けて安い中華料理屋だ。

 お昼に会ったとはいえ、やはり私は生ビールを飲んだ。ただ、男性のYamazakiさん、Horiiさんは体の調子を考えてアルコールはやめているとのことだ。女性3人と私は生ビール、男性2人はウーロン茶で乾杯だ。私の一廻り上のYamazakiさんは一時体調を壊して入院していたとのことだったが、この日、会ってみるとすこぶる元気そうだった。よかった、よかった。

 奥さんも一緒に見えていたが、彼の偏屈振りは悩みの種と、いつもこぼしている。典型的な男性上位の家らしい。「女房にそうそう良い顔を見せられないヨ」と威張ってはいても、彼は奥さんの掌の内にあるのだろう。自宅ではほとんど笑顔を見せたこともない店主関白だったようだが、このところようやく笑うようになった、というのは奥さんの報告だ。

 Horiiさんも不調から、しばらく前にアルコールはやめたらしい。「サラリーマンの現役時代、一生分の酒を飲んだからね」と言っていた。それにしては、よくやめられたものだ。一緒に参加したKinukoさんは、夫の話をしていた。15年前に脳梗塞で倒れ、今でも体が不自由らしい。

 どうしてもこうやって集まると、健康の話題になるね。それと、共通の話題でもある田舎の話になった。「本当にウチの親父は仕事が嫌いで、母がものすごく苦労をしていた」と昔語りをしていたのは、Horiiさんだ。半農半漁の家だったようだが、魚捕りには行くが農業が大嫌いだったようで、その分お母さんがものすごく苦労した、と話していた。

 そういえば、あの当時、田舎では裕福な家なんてなかったのじゃないかしら。外見裕福そうに見えても、内情は火の車という話をよく耳にしたことがあった。

 それぞれ、奥さんとの出会いを語っていた。「シンさんはどうなのよ」と聞かれたので、私のブログに書いているよと言い、詳しくは話さなかった。ただ、1900以上の記事があるので、検索は大変だ。彼らも私のブログを読んでいるのでヒントを与えたい。

 【カテゴリー】の【自分史への序章】の欄で、2008年12月11日の『№328 ベートーベン生誕200年コンサート』とその次の記事で女房とのいきさつが読める。まあ、興味があるなら読んでみて下さいね。

 そう、秋田で小さいころにオーロラを見たという話が出た。グーグルで検索をしてみると、昭和32年7月に秋田で真っ赤なオーロラが観測されたとある。覚えている人が少ないのに驚いた。Kaoruさんも同級生に何度か話したようだが、知っている人が少なかったらしい。

 私も鮮明に覚えている。私の実家は山に囲まれているが、北の山が真っ赤に燃えているのだ。秋田市の方向だ。多分、秋田の市内が大火で燃えているのだろうと、大人たちは話していた。その赤がなかなか消えない。一体なんだろうか不思議に思っていたのだが、翌日の新聞でオーロラだったと分かり、秋田でもオーロラがみられたことに驚いた記憶がある。

 Kaoruさんも、そのことを知っている同志に会えたと喜んでいた。

 いずれ取り留めもなく3時間近く、飲みかつ食いながら駄弁った。さて精算となり驚いたのだが、あれだけ飲みかつ食ったのに一人がたった1000円だという。

2013_0410_154326p4100001 次回は、私の沢庵と梅干の試食会をやろうということになった。また、2年後にとはならないことを祈りたい。

【4月10日の歩行記録】

2355歩、1.64㎞、18分、77.6カロリー

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2013年3月31日 (日)

№1921 大いなる勘違い

 私は日常のスケジュールを手帳に書いて管理している。会合の案内やゴルフのスケジュールなど、いつも手帳をみて確認する。従って、手帳に間違った日にちを記入すると、トンデモナイことになる。

 昨日も、こういうことがあった。午後1時の会合に合わせて、急いで秋葉原に向かった。会場に着いたのは5分遅かった。遅刻だと思って急いでドアを開けたら、どうも雰囲気が違っている。ほとんど知り合いの人たちが、深刻そうに議論をしているではないか。アレ、別の会議室があるのかなと不思議に思った。

 仲間のRokuちゃんが顔を出した。この日は、東京同窓会の役員会だという。私の出席する会合はどうなっているのだろうか。再度案内書をよくみてみたら、何とこの日ではなく次の日だったのだ。何度も会場案内を見てきたのだが、日にちはてっきりこの日と決めてかかり、疑問も持たなかった。大きな勘違いだった。

 同窓会会長のRokuちゃんに、「ちょうど今日は一人ドタキャンがいる。皆さん、知っている仲間でもある。どう、この会合に加わらないか」と誘われた。丁重にお断りした。このような役員会に出席し、役員にでもなるようにと誘われるのを恐れたからだ。

2013_0330_151759p3300009 わざわざ東京まで出て、無駄足を踏んでしまった。そういえば、先日も手帳に書いたスケジュールが間違っていて、スケジュール調整に難儀したことがあった。本当にソソッカシイったらない。次の日もスケジュールがあったのだが、謝ってキャンセルしてもらった。

 せっかく東京に来たのだからと、銀座に出た。銀座に出ると必ず覗いてみるのが映画館【スネスウィッチ】だ。メジャーではない外国映画をやっている。ここで『ある海辺の詩人』という地味な映画を見てきた。ヴェネチィアが舞台の、ユーゴスラヴィアからの移民漁師と中国人ウェートレスのそこはかとない愛が語られていた。

2013_0330_152249p3300010 映画が終わったのが午後3時半だ。しばらく銀ブラをしたのだが、そうだ、ニュースでシネパトスという映画館の閉館が告げられていた。その現場を見に行ってみよう。その映画館は三原橋の地下に3館あるのだが、今日3月31日で閉館だそうだ。ウ~~ム、残念だ。

 私は、この映画館で何度か映画を見た。大半が三流映画だったような気がする。

2013_0330_152927p3300014 その後、4月2日に開館するという歌舞伎座を見に行った。多くの見物客で、玄関前が混雑していた。一度、新しくなった歌舞伎座で歌舞伎を見てみたいものだ。

 帰りに、生ビールを2杯飲み、帰ってきた。【大いに勘違いの一日】だった。

【3月30日の歩行記録】

9,590歩、6.66㎞、1時間13分、315.7カロリー

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2012年8月27日 (月)

№1,699 『フクシマの王子さま』刊行記念講演会

 那須で畑仕事をしていたら、Dさんから電話があり、「今度の日曜日に講演会があるから、出てくれないかな」と要請された。電話では趣旨はよく分からなかったが、Dさんのお誘いを無下にするわけにもいかず、出かけてきた。会場は、恵比寿ガーデンプレイスの4階だった。

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P8260009  参加して分かったのだが、椎根和(しいね・やまと)さんが『フクシマの王子さま』を刊行した記念の講演会だった。日曜日だったせいか、このビルは閑散としていた。私は直接は著者のことは知らなかったが、『popeye』や『日刊ゲンダイ』、『Hanako』などの編集長を歴任した方ということだ。

 この日の催しは、東日本大震災復興支援の特別講演とのことで、本書も福島に住む4歳の姪を主人公として書かれた童話のようだ。私も、この日初めて本書を手に取った。

 お話は1時間ばかりだったが、地球の歴史から始まって、マンモスの出現から衰退、人類の出現に至る壮大な話であった。しかし、1時間の時間にしては風呂敷を広げ過ぎたのだろう。一体何を言いたかったのか、残念ながら、私にはまとまりのつかなかったお話に思えた。

 この講演の終わった後に、懇親会を開くという。主催者の心づくしのお寿司やお菓子、飲み物などが用意された。

 どうしても、話題の中心になるのは昨今の領土問題だ。竹島と尖閣諸島はどうなるのか、関心はそこに行った。あの島をめぐって、まさか韓国や中国と戦争するわけにもいくまい。参加者同士、まあ、時間が経ったら落ち着くところに落ち着くのじゃないだろうか、と話し合った。

 20人ばかりの少人数の会だったが、これはこれで心地いい会ではあった。

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2012年8月12日 (日)

№1,684 「戦争」と「食べ物」の話をしよう

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P7020001  【「戦争」と「食べ物」の話をしよう】というトーク&ライブが新宿紀伊國屋南店のサザンシアターで開催され、いってきた。窪島誠一郎さんの『粗餐礼賛』(芸術新聞社)の出版を記念して行われた催しだ。

 私はこの本を読むまで、窪島さんのことは知らなかった。読んで思い出したのだが、窪島さんは水上勉の子として生まれたが、2歳の時に里子に出され、それきりになっていたと、一時、新聞を賑わしたことがあった。

 本書は貧しい食べ物のことを書いた本だが、おのずと彼の生い立ちの記にもなっている。この本に取り上げられた食材の一部を紹介すると、豆腐殻(おから)、コッペパン、鯨のカツ、カルメラ、卵かけご飯、煮凍り、葛湯、目刺し、焼海苔、残飯シチュー、白玉、おにぎり等58品にのぼる。この食材の話をしながら、自分の境遇を語る力作で、あっという間に読んでしまった。

 この日の催しは、『粗餐礼賛』出版を記念に、刊行記念の会だった。トーク&ライブに駆けつけてくれたのは、本人はもちろんだが、作家の澤地久枝さんとバイオリニスト天満敦子さんだ。

 開会に先立ち、天満敦子さんのバイオリン演奏があった。私は音楽についてはトント門外漢なのだが、天満さんは世界的に有名なバイオリニストなのだそうだ。彼女の演奏会は、たとえサントリーホールであろうが、常に満員だと話していた。音響設備の良いサザンシアターに、素晴らしいバイオリンの音が響いていた。

 演奏後、窪島・澤地・天満の鼎談という形でトークショーが始まった。窪島さんは古希を過ぎたのだそうだが、澤地久恵さんはその一世代上とのことだ。窪島さんの貧しい食卓の話が紹介されていたが、澤地さんが「私は満州からの帰還船で、その数倍の貧しさを味わったのよ」と話していた。天満さんはさらに何世代か下の年代らしく、「私、卵かけご飯と納豆が大好きなの」とテンポの違う話をして、会場の笑いを誘った。

 私は澤地久枝さんの作品が大好きで、ずいぶんたくさんの本を読んでいる。その澤地さんは、若い時に中央公論社の編集者をやっていた。この会場で紹介されたのだが、「私は編集者として水上勉さんを担当したことがあるが、ひどいオヤジだった。身の回りにあったことなかったことを、人の迷惑も考えずになんでも書きなぐっていた。人気作家として、飲み屋の女もはべらして得意絶頂だった。ただ、自分が捨てた子どものことを一言も書いていないって、あまりにもひどいんじゃないの」と、悲憤慷慨していた。

 この会場で初めて知ったのだが、窪島誠一郎さんは長野県上田市で【無言館】というギャラリーをやっているという。このギャラリーには、戦争で志半ばでお亡くなりになった美大生・画学生の絵や手紙などが展示されているらしい。窪島さんが手作り弁当で集めた作品なのだそうだ。

 この本を書くきっかけになった美大生の手紙に、亡くなる前に自分が食べたいもの、と列記していた65の食べ物に触発を受けたという。『ゾーニ、ボタモチ、テンプラ、ウナギ、支那料理、サンマ、アベ川、キントン、ツケ焼ドーナツ、スキ焼、羊カン、五月飴、シルコ、玉子焼、干柿、赤飯…』等々65品が並んでいるが、大変なご馳走というわけでもない。

 天満さんがよくこのギャラリーを訪れて、戦没学生に聞かせるかのように、祈りを込めてこの絵の前でバイオリン演奏をして帰るのだそうだ。

 久し振りにこのような催し物に参加したのだが、大変有意義な一日に、得をした気分で帰って来た。今度、一度上田の【無言館】を訪ねてみたい。

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2012年7月24日 (火)

№1,665 マロニエ会暑気払い

 私は、彩の国いきがい大学卒業生でつくる地域団体【まろにえ会】に所属しているのだが、飲み会にだけ参加するという非常に不良な会員である。別の地域団体の話を聞くと、出欠への締め付けがうるさくて、辞めた人もいるようだ。それに比して、この【まろにえ会】は寛大なものだ。久し振りに出席しても、何も言われないのが有り難い。

 この会と繋がっているのも、同期にOndaさんがいるからだ。何かあると声をかけてくれる。「マロニエ会の暑気払いがあるから参加しないか」と、いつものように声がかかった。私が会に出席するのはこんな時だけだから、喜んで参加することにした。

 午前中に活動報告会があった。いつものYokoちゃんには、「シンさんが顔を見せるのは飲み会の時だけだね」と強烈な一発を食わせられた。そうなのだから仕方がない。

P7230017  午前の会合が終わって、3㎞ほどある会場まではバスか車だ。私はこの会には自転車で行っているので、午前の会議の後、そのまま会場にいった。自転車で15分程だった。会場は清龍酒造内にある【清水亭】である。駒留の柵に、馬ではなく自転車を止めた。

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P7230024  今日の参加者は39名だそうだ。記念写真を撮って、いざ暑気払いの宴会だ。私はこの清水亭は何度か使っているが、この日は貸切だという。

 そして、初めて知ったのだが、ここには中二階があり、そこも貸し切っていた。私はこの中二階に席を取った。周りには同期の仲間が集まった。

P7230027  料理も懐石弁当で、なかなかのものだ。お昼に始まった会ではあったが、ここは酒蔵だけにお酒はふんだんに出た。最初ビールを飲んでいたのだが、この酒蔵で造っている日本酒の冷酒が出た。口当たりがよくって、クイクイいけた。燗酒も出たのだが、評判が良かったのは冷酒だ。

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P7230031  そのうち、余興に【アンダンテマロニエ】の演奏会があるという。この合奏団は今年の2月に結成され、あちこちでボランティアの演奏をしているという。Ondaさんに「お前も入らないか」と誘われたのだが、丁重にお断りをした。

 この合奏団の真ん中で、Yokoチャンがオカリナを吹いていたのが目立った。結構、みなさん楽しそうにやっているのが印象に残った。

P7230034  2階桟敷席から身を乗り出して、一緒に歌を歌っている者もいて、和やかな暑気払いだった。

 それにしても昼酒はよく効く。相当酔っぱらって自宅に帰り、昼寝をしたのだが、2時間余りも寝入ってしまった。

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2012年6月17日 (日)

№1,628 東京雄水会の集い

 年一回行われる高校の同窓会【東京雄水会】に参加してきた。会場は虎ノ門にある霞が関ビルの31階だった。

 私がこの同窓会に関わるようになったのは、会社を定年してからだから、もう6年ほどになる。60歳の還暦祝いの同期会が新宿であった。それ以来、同窓会にも参加するようになった。今では同窓会のゴルフコンペ、【雄球会ゴルフ】の幹事をやっている。

P6160006  初めのころは知っている方も少なく、参加しても詰まらなかった。しかし、こうやって連続で参加するようになると、だんだん知り合いも増えてくる。参加者百数十名の中で、数えてみたら約3分の一の方は何かで知り合い、お話もしている。先輩や後輩とあい交えて、郷里の話しをするのも楽しいものだ。

 今回、この同窓会の会長が交代することになった。新会長は、わが同期の仲間でもある六ちゃんだ。彼は人望もあり、こまごまと気遣いが出来、何よりも同窓会活動に熱心だ。前のWada会長も一生懸命やっていたが、同期の仲間が会長になるなら、われわれも張り切らざるをえない。

P6160007  総会で一連の報告を終え、毎年、母校出身のスポーツ選手の講演会が開かれる。今回招かれた方は成田光弘さんといい、昭和35年、母校が甲子園ベスト4になった時のキャプテンでキャッチャーだった方だった。母校には、今川敬三さんという伝説的なピッチャーがいた。成田さんの一年後輩だったようだが、彼の球を受けた方だ。

 今川さんは早稲田大学を卒業して、母校の監督をしばらくしていたが、残念ながら交通事故でお亡くなりになった。その事を含めてのお話だったが、非常に面白く聞けた。高校を卒業してからプロ野球でしばらく活躍したようだが、監督の西本幸雄さんとの交歓の話も良かった。

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 さて総会が終わり、会場を移して懇親会が始まった。同期ごとにテーブルが設営されている。今回総会に参加したわが同期は7名だった。会長を出す期としてはちょっと寂しい。ただ、今回来た仲間は、本当に親しく付き合わせていただいている。同窓会総会のほかに、暑気払い、忘年会等会合がしょっちゅうある。姐御的存在のChizuちゃんが「集まれ」と号令をかけると、逆らえる人は誰もいない。

P6160014P6160024_3  会場では、例のごとく応援歌の交換が行われていた。歌というのは不思議なもので、皆を結束させるのに絶大な効果を発揮する。特に、高校生の青春時代に野球スタンドで、応援のために高らかに歌った歌だ。この応援歌で、さらに懇親会場は盛り上がった。

P6160015  会場には、前日の号記事に書いた俳句先輩でもあるSenshuさんもお見えだった。一廻り上の先輩だ。俳句会では、あまり親しく言葉を交わすことがない。先輩からは、俳句会主宰のYamahiko先生について伺った。

 わが同期には、今回新たになった同窓会会長のほかに応援団長がいる。Takeちゃんだ。彼も気の良い仲間である。彼は、この同窓会のために学生服を手に入れたというのだ。今学生服を探してみても、なかなか手に入らないらしい。裏地がシルクのべら棒に高くついた学生服だったらしい。

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P6160021  早速その学生服を着、額には鉢巻を巻き、校歌の指揮を執った。本当は学生帽を被りたかったようだが、いくら探しても学帽は見つからなかったようだ。彼はゴルフ仲間でもあるが、最近はマラソンに熱中していて、42.195㎞を5時間くらいで走るのだそうだ。マラソン大会に時々ぶつかり、ゴルフ大会への参加が少なくなったのは残念だ。

 最後には会場の皆で肩を組み、校歌を声高らかにうたってお開きになった。

P6160028  わが飲兵衛仲間は、当然これで解散とはならない。近くの郷土のうどん屋に繰り出して、大々的に二次会挙行だ。この会での中心は、箱根駅伝を一年生から四年生まで四度にわたり走ったという後輩の名ランナーAndou君だ。

 二次会場の騒がしい中でも、彼の話はシーンとして聞き入っていた。

 さて、わが同期は会長と応援団長を出した期だけに、こんな人数ではいけない。もう一度結束を固め、会長を下支えしようと確認しあった。

 8月下旬に、大々的に暑気払いを兼ねた会長就任のお祝いの会をやるつもりだ。まあ、私が世話人を引き受けようではないか。最後に万歳三唱で、二次会もお開きとなった。

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 参加した皆さん、本当にお疲れさまでした。

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2012年6月10日 (日)

№1,621 亡き友の追悼会

 われわれの年代になると、いつ何がおこるかわからない。この3月にOgiさんから電話があり、「Kamoちゃんが亡くなったらしいよ」というのだ。初耳だった。彼とは同じ世代で、しかも長い付き合いがあり、良き飲み友だちだった。最近でこそ、年賀状だけのつきあいではあったが…。

 そういえば、今年は律儀に年賀状をいただいているそのKamoちゃんから年賀状がきていないのが、若干気になっていた。どうも、長患いをしていたらしく、この2月に亡くなったという。

 彼は、名古屋のKanehiroさんを中心に結成している【半友会】の有力メンバーだった。早速、何人かのメンバーに電話をしてみた。知っている方もいたが、大半のメンバーは彼の死を知らなかった。長い付き合いのメンバーが亡くなったのに、友だちが知らないのは残念なことだ。彼の追悼会も兼ねて、久し振りに集まろうよと話した。Kanehiroさんも名古屋から駆け付けてくれるという。

 こういうことに慣れてるMichiちゃんと私が幹事役を引き受けることにした。早速、メンバー20名に追悼会を兼ねた会合の案内状を出した。残念ながら、集まってきたのは12名だったが、これだけ来てくれたなら上々だ。

P6080001_2 来れない方でも、丁寧にも電話をくれる人があった。Kさんからは「この5~6年、難病で体が動かなくなった。早く治して会合に出たいので、これからも案内状はいただきたい」という趣旨の電話があった。早く良くなるように、と励ましてはおいた。

 会合の会場は、これも現役時代によく使っていた飯田橋駅前の【源平】だ。ここはMichiちゃんの島で、彼と飲む時にはよく使った。

 夕方5時半に集合をかけたのだが、10分前に会場に着いたら、大半の人はすでに席についていた。世話人の私が来るのを今か今かと待っていたようだ。そんなことを言わないで、飲んでいたらよかったのにと恐縮した。

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 全員が集合して、飲む前に亡きKamoちゃんの冥福を祈り黙祷を捧げた。ひととき、彼の話題に花が咲いた。亡き友を思う時、何より「歌がうまかったな」ということだ。この日の会合の出席者で、彼を歌の師匠にした方が何人もいた。

 ほとんどの方が現役を引退し、悠々自適の生活を送っているらしい。大先輩のTamotsuさんも、今年の3月に現役引退したと言っていた。ただ、有能な彼は社長に懇願され、やむをえなく週一回は会社に顔を出しているらしい。有難いことに、彼からは時々電話をいただき、わがブログに書かれた記事を話題にしてくれる。この秋、夫婦づれでベトナム旅行を楽しむつもりだ。

 家族の話、子どもの進路、孫の話題と同世代の仲間には共通の話題が多い。Kanehiroさんにも待望の孫が出来たらしい。「もう2歳になるが、ジジ・ジジとまとわりつかれて困っているんだ」と目を細めていた。

 いつ何が起きるかわからない、元気なうちに年一度くらいは顔を合わせようと口ぐちにいっていた。良いですよ、私が世話人を引き受け、また案内状を出す仕事をしましょうと話した。こういうことは苦にならない。

 この店に3時間もいただろうか、亡き友を偲んでカラオケに行こうという仲間と別れ、私は帰ってきた。

 

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2012年4月 9日 (月)

№1,559 田舎の仲間でお花見

 田舎の仲間が集まって、お花見会をした。今年の新年会の席で、「次は上野でお花見に集まろう」と約束をしたことを思い出し、急遽呼びかけた。急な呼びかけだったのにもかかわらず、8人の同級生が集まった。

 ただ、常連の顔が見えなかったのは残念だった。今風邪がはやっているのかな?3人が風邪でダウン、必ず顔を見せていたMakotoとKiyoshiは、田舎に出かける用事で参加できないとのことだった。Hirato君はお墓参りとのことだし、Kinちゃんは出勤だという。

 上野駅の公園口に午後1時の集合を掛けたが、この日は日曜日とも重なったせいか、今まで見たこともないようなものすごい人だ。しかし、世の中は便利になったもので、携帯電話があればどんな場合もはぐれることはない。

 ただ、さすがこの日の人出の中ではなかなか集まることも楽ではなかったね。結局、今日参加予定のYokoさんだけは連絡がつかなかった。30分待ったがお会いできずに、出発することにした。

Img_7585  とにもかくにも、上野公園は人の波で立錐の余地もない。桜並木に入ることもできないのだ。上野は諦めて、谷中墓地に向かった。私は谷中墓地で何度かお花見をしたことがあり、隠れた桜の名所だということを知っていた。

 国立博物館や芸大の前を通って谷中に行くのだが、谷中に向かう道々、興味深い小さなお店がたくさんあった。一体何を売っているのだろうか、一々覗いてみた。

Img_7589Img_7588Img_7592Img_7591_2  お煎餅屋さん、陶器のギャラリー、筆をつくる店などだ。珈琲店やプチレストランも多い。中には長い行列の店もあった。【愛玉子(オーギョーチイ)】と看板には書いてあるが、一体何の店だろうか。

Img_7595  天気がよかったのでブラブラ谷中まで歩いたが、ものの30分もかかっただろうか。着いてみて驚いたが、谷中の桜並木も人でいっぱいだった。今までこんなことはなかったな。

 墓地の入口の管理事務所で、有名人のお墓を記した案内の地図を無料で頂いた。この地図を見ながら、有名人のお墓を訪ねて、お花見をしよう。

Img_7598Img_7599Img_7601  入口のすぐ脇にあるのは【高橋お傳】の墓。その隣がオッペケペ節で有名な【川上音二郎】。ひっそりとして、意外と小さかったのは【長谷川一夫】の墓だ。ほかにもたくさんの有名人のお墓が見受けられた。仲間が、「ここの墓地はさぞかし高いだろうね」と嘆息していたが、ここは都立の墓地なのでそんな事もないのじゃないかな。

Img_7596  しかし、どこのお墓の前もシートを敷いたお花見客で一杯だ。お墓の前で酒飲みなんて不遜だという声も出たが、沖縄のお墓は広々としていて、一家総出でお祝いをやっているという。こうやって、年一度皆でお祝いしてくれているのだから、地下のご先祖さんもさぞかしや喜んでいるのではないだろうか。

Img_7605  中には、女の人に外国人の男一人が交じって酒盛りをやっているグループがあった。「私モテルでしょう、写真を撮ってヨ」というので、記念に一枚。ワインを飲んでいるようで、皆さん真っ赤な顔をしていた。私も仲間に加わりたいぐらいだった。

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Img_7607  それにしてもちょうど花盛り、墓地の桜は満開だった。墓地の桜並木の突き当たりに【天王寺】というお寺があった。このお寺の枝垂れ桜も見事なものだ。春爛漫、風もない晴天の下、ブラブラ歩くのは楽しいね。

Img_7608  ちょうど、この日はお釈迦様の誕生日【花まつり】だ。このお寺さんで、甘茶のサービスをしていた。私は初めて飲んだのだが、このお茶は本当に甘かった。お釈迦様に甘茶をかける恒例の行事も行われていた。

 仲間の一人は、お賽銭をあげて甘茶をかけていた。田舎では、4月8日は各お寺さんが催す恒例行事だったことを思い出した。ここでは、無料で花の種を配っていた。私は、朝顔の種とヒマワリの種をいただいてきた。

 帰りは日暮里駅前の中華料理屋で円卓を囲み、再会を祝しての乾杯をした。なかなか、こういうノンビリした花見も良いものだ。

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2011年12月25日 (日)

№1,452 スナック【扇】に感謝する会

Pc230022_2 私が常連として通っている唯一の店、板橋駅前にあるスナック【扇】が今年いっぱいで閉店するという。常連の仲間が集まって、ママに感謝する集いが催された。集合は午後3時だ。会場は、もちろん【扇】である。

 このお店は開店したのが1988年8月25日というから、あしかけ24年にわたり営業したことになる。ママの細腕一本で店を守り通してきたその努力に、本当に頭が下がる。苦しかったこと、悲しかったこと、この間いろいろあったことだろう。その苦難を、信州人の実直さ、やさしさ、明るさで見事乗り切ってきた。

Pc230026_2 常連にとって何より居心地が良かったのは、「一見さんお断り」で紹介なしでは、この店でお酒を飲むことが出来なかった。結果として、開店以来の長いお客さんが多かった。そういう私も、最初は入店を断られたことがあった。幸い、Ichiちゃんが一緒だったので、かろうじて入店することが出来たのだ。

 この日は、狭い店なのにもかかわらず20名以上の参加者だ。立ち見やエクストラシートまで用意されていた。世話人で、この会の司会進行をしたFurukawaの軽妙なお話で楽しくも、心のこもった会になった。

Pc230037_3Pc230053 参加者それぞれが、【扇】にかける思い、感謝の言葉を述べていたが、けしからん話をする者もいた。開店以来の常連Kijima君は、滔々と今年の有馬記念の予想を話した。そういう彼は、競馬は勝っているのだろうか。案の定、有馬記念の大穴の馬券を話していたが、過去の大穴狙いには勝った例はない。

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 24年間の営業中、常連でお亡くなりになった方もたくさんいる。私に最初にこのお店を紹介してくれたIchiちゃんも、亡くなってこの暮れでちょうど3年になる。この日お見えになったShizukoさんの旦那も、もう4年になったという。創業以来、ママの支えになっていたItoさんも、もう6年にもなるだろうか。その逝去者も、この日は皆の心の中で参加していた。

Pc230063 一通りの挨拶が終わると、恒例のカラオケ大会だ。いつもは一人一曲だが、この日は皆で合唱することになった。それでも、マイクの奪い合いだ。誰かが選んだ【信濃の国】は長いのでブーイングだったが、私が選んだ【さとうきび畑】はそれ以上長い曲で、途中で切られてしまった。

 この日の美人の参加者も、マイクを独り占めしようとする。しかし、こういう仲間は良いね。老いも若きも(もっとも若い人はいないが…)、マイクの前で心が一つになる。

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 こんなに良い仲間が集まっているのだから、この店が閉店した後にも定期的に集まろうよという呼びかけが、何人からもなされた。事実、このお店の会でボーリング大会、麻雀大会などもなされた。もちろん、年2回のゴルフコンペももう42回を数えた。ちなみに、この11月のコンペでは、ママが10アンダーのぶっちぎり優勝だった。

 Hozumiさんには、「この日の感謝会をきちんとブログで報告するように」と叱咤された。まあ、こんなもので良かったかな~~?

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