№557 わが故郷の点描
このブログで自分の生れ故郷を紹介するのは初めてだ。街中を歩きながら、写真を撮り歩いてみた。
私の生れ故郷“秋田県亀田”は、2万石の城下町だった。今でこそ3000人前後の人口だが。殿様は岩城氏といい、徳川時代の幕藩政策で福島県いわき市から秋田に転封されたという。城下町だっただけに、この町には神社・仏閣が多い。
こんな小さな町でも、お寺さんは12軒を数える。今ではどこの寺も経営が成り立たなく、苦労しているらしいが。うちの檀家寺の和尚さんが言うには、130軒の檀家があるが、今では無縁仏がその3分の2とのことだ。さらに、神社も私の家の周りだけでも3社ほど数えられる。
自宅から4~5分のところにあるのが「熊野神社」だ。この神社の石段は、冬になると格好のスキーの遊び場だった。ただ鳥居があるだけに、鳥居を避ける技術は必要だったが。また、夏にはこの社に勉強道具を持ち込み、昼寝がてら宿題をした場所でもある。夏の第2週の土日の祭典で出る神楽も懐かしい。
この神社のすぐ下を衣川が流れている。この川も水遊びによく利用した。その
当時、学校にはプールなどなくて、ここが泳ぎを教えてくれる場でもある。この川にはアユ・ハヤ・カジカ・ナマズなど魚も豊富だった。
自宅からこんもり茂った山が見える。この山には天神様が祀ってある。7月下旬になると、「刻参り」という小中学生のお祭りがあった。灯篭に皆それぞれ好きな絵と字を描き、それに灯を入れ、「ときまいり~~、ときまいり~~」とそれぞれ叫びながら、天神様にお参りをする行事だ。この神社への登り坂が急なのを今でも思い出す。
自宅の裏には殿様が住んでいた館があった。この藩は2万石で、城などもてな
かったらしいのだが、今では立派な“観光城”ができている。その後ろにある館は“佐藤八十八美術館”になっている。
この城がある裏山は、偵察用の砦があったらしい。“高城山”は、子供のころの格好の遊び場でもあった。わが友Hirato君の話では、子供のころこの砦付近に古銭拾いに行ったものだという。今では立派な建物が建ち、ワイン工場としてワインの醸造をしているようだ。
城のすぐ裏手にあるのが「天鷺神社」だ。学校のグランドのすぐわきに位置し
ている。この神社は秋祭りで有名だ。お祭りには、町内会で踊りを奉納していた。また、境内には土俵があり、奉納相撲があった。ウチの兄貴が、その相撲で勝ち進んでいくのを頼もしく思っていたのが、今でも記憶に鮮明に残っている。
この隣には今では小学校が建っているのだが、私のころはグランドだった。ここで野球の練習に精を出していた。私たちが小学校に通っているころは1学年120名もいたが、少子化と過疎化の影響で、今では1学年5~6人とのことだ。寂しい話だ。
以前町長を務めていたMaekawaさんという方がものすごく積極的な人物であ
り、政治力もあったので、この町の過疎化対策に熱心だった。それが観光城になり、ワイン工場に結実し、さらには「天鷺遊園」という子供の遊び場も建設した。それらは、今や閑古鳥が鳴いている。姉の話では、「元町長が、今の職員には創意工夫がないからあんな惨状になったんだ」と嘆いていたらしい。
私の実家の前の家は、造り酒屋だった。いまでは酒造りはしていないものの、広大な敷地はそのまま残っている。この酒屋の倉庫も格好の遊び場だった。いつか、悪戯をしてここに働く“若勢”に酒樽の中に押し込められたこともあった。
自宅の前には、姉が丹精を込めた植物が植えられている。アジサイ、カサブランカ、ブナなどである。特に盆栽のブナの木は自慢の一つらしい。






















































































中ほどに、「アメ横焼き」という屋台があった。1個200円とあるが、美味しいのだろうか。




























































































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