カテゴリー「街歩きの楽しみ」の23件の記事

2009年7月28日 (火)

№557 わが故郷の点描

 このブログで自分の生れ故郷を紹介するのは初めてだ。街中を歩きながら、写真を撮り歩いてみた。

 私の生れ故郷“秋田県亀田”は、2万石の城下町だった。今でこそ3000人前後の人口だが。殿様は岩城氏といい、徳川時代の幕藩政策で福島県いわき市から秋田に転封されたという。城下町だっただけに、この町には神社・仏閣が多い。

 こんな小さな町でも、お寺さんは12軒を数える。今ではどこの寺も経営が成り立たなく、苦労しているらしいが。うちの檀家寺の和尚さんが言うには、130軒の檀家があるが、今では無縁仏がその3分の2とのことだ。さらに、神社も私の家の周りだけでも3社ほど数えられる。

006 007  自宅から4~5分のところにあるのが「熊野神社」だ。この神社の石段は、冬になると格好のスキーの遊び場だった。ただ鳥居があるだけに、鳥居を避ける技術は必要だったが。また、夏にはこの社に勉強道具を持ち込み、昼寝がてら宿題をした場所でもある。夏の第2週の土日の祭典で出る神楽も懐かしい。

 この神社のすぐ下を衣川が流れている。この川も水遊びによく利用した。その003 当時、学校にはプールなどなくて、ここが泳ぎを教えてくれる場でもある。この川にはアユ・ハヤ・カジカ・ナマズなど魚も豊富だった。

001  自宅からこんもり茂った山が見える。この山には天神様が祀ってある。7月下旬になると、「刻参り」という小中学生のお祭りがあった。灯篭に皆それぞれ好きな絵と字を描き、それに灯を入れ、「ときまいり~~、ときまいり~~」とそれぞれ叫びながら、天神様にお参りをする行事だ。この神社への登り坂が急なのを今でも思い出す。

 自宅の裏には殿様が住んでいた館があった。この藩は2万石で、城などもてな029 012 かったらしいのだが、今では立派な“観光城”ができている。その後ろにある館は“佐藤八十八美術館”になっている。

022  この城がある裏山は、偵察用の砦があったらしい。“高城山”は、子供のころの格好の遊び場でもあった。わが友Hirato君の話では、子供のころこの砦付近に古銭拾いに行ったものだという。今では立派な建物が建ち、ワイン工場としてワインの醸造をしているようだ。

 城のすぐ裏手にあるのが「天鷺神社」だ。学校のグランドのすぐわきに位置し031 ている。この神社は秋祭りで有名だ。お祭りには、町内会で踊りを奉納していた。また、境内には土俵があり、奉納相撲があった。ウチの兄貴が、その相撲で勝ち進んでいくのを頼もしく思っていたのが、今でも記憶に鮮明に残っている。

030  この隣には今では小学校が建っているのだが、私のころはグランドだった。ここで野球の練習に精を出していた。私たちが小学校に通っているころは1学年120名もいたが、少子化と過疎化の影響で、今では1学年5~6人とのことだ。寂しい話だ。

 以前町長を務めていたMaekawaさんという方がものすごく積極的な人物であ025 り、政治力もあったので、この町の過疎化対策に熱心だった。それが観光城になり、ワイン工場に結実し、さらには「天鷺遊園」という子供の遊び場も建設した。それらは、今や閑古鳥が鳴いている。姉の話では、「元町長が、今の職員には創意工夫がないからあんな惨状になったんだ」と嘆いていたらしい。

020 005  私の実家の前の家は、造り酒屋だった。いまでは酒造りはしていないものの、広大な敷地はそのまま残っている。この酒屋の倉庫も格好の遊び場だった。いつか、悪戯をしてここに働く“若勢”に酒樽の中に押し込められたこともあった。

 自宅の前には、姉が丹精を込めた植物が植えられている。アジサイ、カサブランカ、ブナなどである。特に盆栽のブナの木は自慢の一つらしい。

033 017 019

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2009年7月10日 (金)

№539 原市の古代ハス

 先日行田の古代蓮を見物し、自宅の近くにも古代蓮を見るスポットがあるのに気がついた。「原市沼の古代蓮」である。昨年の秋に近くを散歩し、来年は花の見頃に訪れようと思っていた。

 朝5時30分ころに目覚めた。女房も起きて本を読んでいるようだった。「ハスを見に行くよ」と声を掛けたら、一緒に行くとのことだ。自宅から車で5分ばかりのところだ。

002  先日行田の蓮を見に行ったのは午後だったが、蓮の見頃は朝早いほどいいとのことだ。原市沼の蓮園に着いたのが午前6時過ぎだった。もう大勢の人が蓮見物にきていた。

 果たせるかな、ちょうど古代蓮は満開だった。管理しているボランティアに話を聞くと、今朝あたりが一年で最高の見頃とのことだった。久し振りにデジブックにしてみた。時間のある方はご覧いただきたい。

 この蓮園の管理をしているのは「原市沼を愛する会」という40人ほどの完全な006 ボランティア団体だ。1993年ころから蓮の管理、育成に力を注いできているとのことだ。蓮の花が咲くにはわずか2ヶ月ばかりだが、一年を通しての管理は並大抵でないという。

 この園にはその苦労を忍ばせる立て札が何本も立っている。そのうちの一本を紹介する。

027_2 はす池について

 このはす池は原市沼を愛する会というボランテア団体が年間を通じて管理し、10数年を経ており、古代はすを咲かせ皆様に楽しんでいただいています。

 土地は市の所有地を使用しておりますが運営は上尾市営ではありません。

 施設その他については種々御不満や不行届きな点もあるとは思いますが、事情をご賢察下され、御許し下さい。  原市沼を愛する会

 このボランテア団体の性格を表しているようで、微笑ましく読めた。

 この蓮池管理で何が大変といって、ザリガニ捕りだそうだ。1994年にはザリガニ被害で蓮が全滅したとのことだ。それ以来ザリガニとの戦いが続いている。以下ザリガニの年間捕獲数が書かれているが、

2000年は7,430匹、2001年は5,370匹、2002年は9,740匹、2003年は10,030匹、2005年は16,050匹、2006年は10,390匹、2007年は5,550匹、2008年は14,800匹だという。

 よくぞ数えたものだ。それだけザリガニに対する怨念も深いのかもしれない。さらにこういう立て札もあったので紹介したい。

012 柳川なべ

蓮の浄化作用の効果があったのか小魚がたくさんふえました。鯉、フナ、メダカ、クチボソ、エビ、タナゴ、ヨシノボリ、ドジョウ、タニシ、雷魚の子供、亀など見うけられます。

ザリガニも協力者の努力大奮闘で2万匹近くの多数を捕りました。又知り合いが鴨川でビンウケでドジョウ捕りをやりたいとのこと。ビンウケをつくりのは大変なので10ヶばかりやるよ。でも鴨川のドジョウは汚染が激しく臭くて食用にならないのではと言ったら、なに一週間も飼って汚いものを吐き出させれば大丈夫と、大きな期待をしてビンウケを持ち帰りました。

はす池の場合、松竹梅池の上流のビンウケ全部を上げれば20~30匹くらいは捕れます。酒としょう油で煮て卵を落とせばけっこう焼酎のサカナになると思います。自分でドジョウ捕りはいやだ、他人にやらせてそれをタダで貰いたい人は大勢おります。

 10枚ばかりの立て札を読んで歩くと、この池に愛情を注ぐボランテアの姿が微笑ましく思えてきた。女房は蓮の種をいただいてきて、庭の壷に入れていた。さて、花が咲くものだろうか

 早起きは三文の徳、というのはこの日のようなことを言うのだな。

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2009年7月 7日 (火)

№536 足袋蔵の街―行田を歩く

 朝、女房が「行田の古代蓮を見に行こう」と声を掛けてきた。そういえば、先日のいきがい大学の授業で、行田の街おこしのお話を伺ったばかりで、一度蔵の街を見学したいと思っていた。

 勘違いをしていたのだが、行田の街といえばJRの駅付近が繁華街と思っていた。ところがJRの駅がある場所は町外れで、何もないところだ。行田というのはつまらない街、と勘違いしていたのだ。

 行田という街は埼玉では川越と二つしかない城下町の一つで、古い建物がたくさん残っているとのことだ。きんきんのうち行こうと思っていたので、良い機会だった。自宅から車で40分くらいで、そんなにも遠くはない。

 行田は、埼玉県の名前の発祥地で、埼玉(さきたま)の古墳群でも有名だ。街を歩いてみたが、ガランとしていて寂れていた。この街を活気のある町にしたいというのが“NPO法人ぎょうだ足袋蔵ネットワーク”の目的のようだ。

 街を歩くと、多くの蔵が目についた。なぜこんなに多くの蔵があるのか、行田の歴史を読んでみた。江戸時代末から昭和30年代前半まで約100年間、この街は“足袋の街”として栄えていたようだ。最盛時には年間8500万足もの足袋の生産があり、全国の80%のシェアを誇っていたとのことだ。現在では足袋をはく人も少なく、年間141万足にまで落ちているとのことだが・・・。

 生産した足袋を収納する倉庫として、蔵造りが盛んだったようだ。しかし、今ではその蔵が邪魔になり、ドンドン壊され始めている。壊される前にその蔵を使って街おこしを、というのがNPOの狙いのようだ。

002

 まず目についたのが“足袋蔵ギャラリー 門”だ。不定期にイベントを開催しているとのことだが、女房の友達の展示会が近いうちにあるというお知らせがあった。ただ行った日は、残念ながら休みだった。

004

 次に訪ねたのが“忠次郎蔵”だ。昭和初期の足袋原料問屋だったが、今ではNPO法人が手打ちそばの店に改装しているとのことだ。

 この蔵は、国登録の有形文化財になっているとのことだ。

011

  さらに訪問したのが“足袋とくらしの博物館”だ。土・日・祝日だけの開館で入館料200円とのことだ。足袋作りの経験は初めてなので、案内を乞うた。

015 013_2  足袋作りには13の工程があり、それぞれが分業でおこなわれ、熟練工の仕事だった。ミシンも8種類ほどがそれぞれの用途で使われており、実際足袋づくりの作業を見せてもらったが、本当に細かい作業だった。

 この博物館の2階には、足袋の歴史や道具を展示してあった。

 今回は代表的な蔵しか見ることが出来なかったが、この街には、今でも70棟ほどの蔵が残っているとのことだ。

023  さて今日の目的は、“古代蓮”の見物だ。町から車で約10分、行田郊外に目的の公園があった。広大な敷地に約8万本の蓮が植えられているとのことだ。

 この古代蓮は、昭和46年に公共工事の際、地中の種子が自然018 に発芽し、開花したものだという。花弁数が13~18枚の一重咲きで、1400~3000年前の原始的な蓮だという。

 ただ蓮の見頃の時間があって、朝早いほうが満開に咲いているとのことだ。またこの公園では、様々なの水生植物も見られた。

 今は蛍の季節で、夜7~8時には蛍の群舞も見られるらしい。堰には蛍の好物・カワニナも見られた。

033 036  行田のもう一つの観光スポットは、“埼玉古墳群”だ。古代蓮公園から車で5分ほどのところにある。いつも脇を通るのだが、しみじみと見物したのは今回が初めてだ。大規模、小規模なな円墳、前方後円墳が10個もある。ここは東日本最大の古墳群だという。紀元後5~6世紀ころに建立されたというが定かなことはわかっていないようだ。

 ここはまた、豊臣軍の忍城攻撃の戦場でもあったとのことだ。その当時作られ040 た水攻めの堰の跡もあった。

 行田は、真に歴史と文化の街であった。一日充分に楽しめた。

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2009年6月17日 (水)

№516 清龍酒造

 わが町には、“神亀”酒造と“清龍”酒造の二つの造り酒屋がある。私がもっぱら利用しているのは、小さな酒蔵“神亀”酒造である。ある人に言わせると、ここの酒は日本一おいしいという。

002  “清龍”酒造は安い酒が有名で、一升720円ほどである。今までは「安かろう、不味かろう」と敬遠していたが、ここのレストランが安くて美味しいという話を聞きつけ、訪ねてみた。

 瀟洒な庭園があり、「龍神」の水が出ていた。この水を酒造りに使っているのかなsign02 さらには入口の植え込みには、「馬でお越しのお客様 ここにお繋ぎ下さ001 006い」の標識がある。一種のパロディなのだろうか。

004  この庭園の一角にレストラン「清水亭」(せいすいてい)があった。お邪魔したのがお昼時であったせいか、「今日の用意した食事は、すでに一杯です」と断られてしまった。何でも、予約をすると確実に入れる、とのことだった。セットのお膳を見ると、1000円にもかかわらずおいしそうだった。まあ、他日を期することにしよう。

007  この敷地には、蔵が建っている。そこが酒の直売場となっているようだ。折角お邪魔したので酒を買っていくことにしよう。

 覗いてみたら、お酒とともにお土産用の小物も売っていた。私が買ったのは、純米大辛口「伝」という銘柄の酒だ。辛口にも指数があって、+10ということだ。女房が買ったのは、5本指の付いた靴下だった。

 一升ビンを買ってきて飲んでみたら、ちょっとコクは足りない感じがするもののまずまずだった。

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2009年5月12日 (火)

№480 伊奈町のバラ園開園

 ブログ記事を書くときのネタに、仲間のブログを参考にさせていただくことが結構多い。そういう意味では、毎日のブログ仲間のページ訪問が必至である。

 いつも訪問させていただいている「松ちゃんのブログ」に伊奈町のバラ園訪問の記事が出ていた。私も行ってみようと思い女房に話したら、一緒に行くことになった。車だと駐車料金がかかるのではと心配する女房に、当然自転車で行くのだと話した。自転車でも20分強だ。

0391  この「伊奈町バラ園」は、埼玉県最大と銘打ち、約300種類、4,500株のバラが植えられている。私は2~3度訪問しているが、今回は久し振りだ。以前は無料開放をしていたが、最近有料になったと財務大臣の女房はプリプリだ。まあ、200円だからそう怒ることもないようなものだが・・・。

 入園してみての女房の感想は、無料時代に比べてものすごく整備が行き届いたとのことだ。それなら、200円払っても安いのではないか。

 あらためてバラを見ると、様々な名前がつけられていて、園内に芳しいバラの香りが漂っていた。甘酸っぱいような匂いだ。バラにはそれぞれ名前がつけられているようだが、読んでみるとこれが面白い。

 デジカメを持っていったので、画質をハイクオリティにあげて、バシャバシャ撮ってきた。

 そうだ久し振りにデジブックを作ってみようと思い、編集作業をした。デジブックになったバラは、あらためて眺めてみても綺麗だ。ぜひ一緒にお楽しみください。一緒に行った女房がこのデジブックを見て、思わず綺麗と叫んでいた。

 48種類のバラを、バラの名前とともにアイウエオ順に並べてアップしました。ただ18分ほどの長さなので、時間の許す範囲内でお楽しみいただければと思います。また、データが相当重くなっていますので、デジブックが開くまでに気長にお待ちください。

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2009年4月26日 (日)

№464 どこもかしこも「佐藤一斎」の街

 その街は、どこに行っても「佐藤一斎」で溢れていた。各家の玄関には“佐藤一斎”の軸が掛けてあり、そんなに広くない街角のあちこちに“佐藤一斎”の記念石碑があった。

  また、土産屋のお店を覗くと、佐藤一斎のパンフレットがあり、本屋さんには「佐藤一斎全集」が並べられていた。008街中が“佐藤一斎”一色なのである。佐藤一斎とは何者なのか? 010 011

006 014 013

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 あまり“佐藤一斎”という名前は聞きなれていないかもしれない。

 佐藤一斎は、江戸時代中期の儒学者で、『言志四録』の著書で知られている。門下生が3000人もいた。中でも佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠などが有名である。生まれは江戸の浜町で、昌平坂学問所で儒学を学び、儒学の大成者として江戸幕府に認められた。江戸末期の安政6年、88歳で天寿を全うした。

 その佐藤一斎とこの街・岩村はどういう関係にあるのか。佐藤一斎は、美濃の国岩村藩の藩士の出でもある。そこで、この岩村の街は、町おこしに“佐藤一斎”を象徴的な人物として採用したものらしい。

 パンフレットを見ると、本年が「佐藤一斎 没後150年祭」として、4月から10月まで東京・名古屋・大阪・岩村等全020国各地で、講座・フォーラム・親子学習会等様々な行事を予定しているとのことである。

 いろいろな記念物での町興しというのは知っているが、著名な学者で町興しというのは珍しいと思い、じっくり見学してきた。

 この近くには、馬篭・妻籠等超有名な観光スポットがある。特に馬篭は藤村の「夜明け前」の舞台として有名だ。

 この岩村の街も歴史的な街並み保存に力を入れている。その一環としての「佐藤一斎」であった。街のあるお店に飾られていた以下の句は心に残った。016

少なくして学べば、

則ち壮にして為すことあり

壮にして学べば、

則ち老いて衰えず

老いて学べば、

則ち死して朽ちず(「言志晩録」)

 「彩の国いきがい大学」でこれから2年間の勉学は、「死して朽ちない」為のものと、変に自分には納得させられた。

022  こういう観光地でお土産を買うことはほとんどないのだが、「およねさん」というお店のおばさんの「日本一おいしい限定品の岩邑かすてら」の言葉に誘われて、1日20本しか作られていないというカステラを買ってきた。確かにこれは美味しかった。

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2009年4月 8日 (水)

№446 日暮里・舎人ライナー

 前々から気になっている電車があった。「日暮里・舎人ライナー」という乗り物026だ。昨年の3月31日に開通した路線である。日暮里駅を通るたびに、一度乗ってみたいと思っていた。

004  たまたま夕方人と会う約束があり、早めに家を出て日暮里駅に着いて、早速乗車した。

 この電車は自動運転で、運転手がいない無人方式だった。運転台もない。006 新橋から出ている「ユリカモメ」と同じだ。

 運転区間は、日暮里から見沼代親水公園までとある。運転距離は約10km、走行時間は約20分、運賃は320円だ。私も長く東京にいるが、「舎人公園」とか「見沼代親水公園」という名前は初めて聞く。

 この電車が開通するまでは、この地区は陸の孤島だったらしい。よほどの用事でもなければ行く場所ではないのだ。

028  軌道は、尾久橋通りに沿って続いていて、途中、荒川を渡る。さらには、西新井大師の西側を通り、目的地に達していた。

 舎人公園駅で下車してみた。この公園に来たのももちろん初めてのことだ。015 都立の公園のようだが、広々とした空間が広がっている。

 公園の中には、色とりどりの花が咲いていた。チューリップ、ラッパズイセン、金盞花、菜の花、桜の花・・・。花壇は、ボランティアの手によって管理されているとある。

010  ちょうど、チューリップが満開で、白、赤、黄色、紫と花をつけていた。

018 019  初夏の陽気で、子どもたちは水遊びに興じていたし、若者は原っぱで野球をしていた。これだけの広い公園だと、子供たちにとってものびのび遊べそうだ。

 家族連れでも、一日のピクニックにはよさそうだ。

 この電車の駅を見て気になったのが、終点の見沼代親水公園だ。我が家の脇を通る見021 沼代用水と関係があるのかしら。舎人公園から歩いて2kmにある終点、見沼代親水公園を目指した。

 自宅に帰って調べてみると、見沼代用水は東京都に入って6つに分岐し、この公園に流れ込む川はその一つだという。さらに調べてみると、ある方のブログに以下の説明もあった。

024 「かつて、農業用水として足立区の農業を支えていましたが、その役割

の終わった用水は、昭和59年3月に区民の憩いの場としてこの

公園に生まれ変わったわけです。

親水路の長さは1,700mあります。 

その昔(はすぴーが小学生の時だから今からざっと30年前)この

辺りでは蛙やザリガニがたくさん捕れた。

最近では近所のオバタリアンたちのジョキングコースになっており、

肥えたオバサンたちが集団になって散歩のようなジョキングに勤しんでいる。」

 この用水沿いに散歩している、老人の姿が見受けられた。日常の散歩コースにも最適な道のようだ。

 この「日暮里・舎人ライナー」はこの公園が終点だが、その先はもうすぐ埼玉県のようだ。この電車は都営なので、埼玉県にまでは延長がないのかしらね。

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2009年3月24日 (火)

№431 開花宣言の「基準桜」

006  先日、気象庁から「東京の桜の開花宣言」が発表された。平年より1週間も早いとか。

 その開花宣言の基準となる桜が、靖国神社の境内にあるというので、近くに行った帰り004 に見てきた。九段の坂を登って靖国神社に行くのだが、途中に掲示板があり、広重の絵とともに九段坂の説明が載っていた003

 九段坂は、江戸の頃は結構急な坂で、飯田坂とも呼ばれていたと書いてあった。

 基準桜について、靖国神社の職員何人かに尋ねたが、「能楽堂の脇にあり、竹垣に囲まれているのですぐにわかる」とのことだった。

005  正面の鳥居をくぐってすぐ右側にその能楽堂はあった。たしかに竹垣に囲まれた桜がある。この桜の枝に5輪ほど咲いたら、東京は開花宣言なのだそうだ。

 開花宣言から3日もたったが、この間、東京は底冷えがしていたので、開花はあまり進んでいないようだった。それでも、10輪ほどの花をつけていた。

 靖国神社の中もそうだが、周りにも桜の名所が多い。ついでに、その桜も見て回った。

 盛りになると東京で最も美しいと思われる「千鳥が淵の桜」も、まだチラホラ咲いてい008 る程度だった。何年か前に、一番盛りのときに秋田の姉と見て回ったのだが、この桜に感動していた。

009  さらには、武道館に通じる桜並木道も、桜の名所である。新学期になると、武道館ではマンモス大学の入学式が行われる。今では、桜吹雪の中になってしまうが・・・。その桜も、咲くにはまだ一週間くらいかかりそうにみえた。

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2009年3月17日 (火)

№424 銀座の「じゃじゃ麺」

007  所用で久し振りに銀座に出た。本当にこの2~3日は暖かい日が続いている。銀座を歩く人は、コートを着ている人も少なく、春の装いだ。

003  銀座4丁目の近くで、桜が満開に咲くお店があった。よく見ると、な~~んだ、造花だ。

 「パンの木村家」が、桜アンパンの宣伝を兼ねて店の前に飾ってい004たものだった。

 ちなみに、桜アンパンとはどういうものか店頭を覗いてみた。小さなコッペパンで、値段 は1個147円もしていた。あまりにも高いので、買うのをやめた。

 銀座の通りには、次の日曜日の東京マラソンを祝うかのように、街灯の下に「東京マラソン2009」のフラッグ005が飾ってあった。

 銀座に出ると、ときどきは行く映画館「スネスイッチ」では、ゲバラの「チェ」を2作上映していた。もうすでに見たのでこれはパス。

008  裏通りに「盛岡じゃじゃ麺」の看板を目にして、入ってみた。「ぴょんぴょん舎」という3坪ほどの可愛いお店で、盛岡三大麺を食べさせる店となっていた。ちなみに三大麺とは、「じゃじゃ麺」のほかに、「盛岡冷麺」「チヂミ」をいうのだそうだ。

 「じゃじゃ麺」といえば、前いた会社の近くに「餃子のおけい」という店があり、そこのじゃじゃ麺が天下一品だった。「おけい」に入ると、じゃじゃ麺と餃子が定番だった。今は、その店もその場所にはなくなったのだが。

 そういう意味では、久し振りの「じゃじゃ麺」だった。ご存じない方のために、「じゃじゃ麺」009 とは、汁のないラーメンに味噌を乗せたものだ。その味噌が秘伝で、各店によって美味しさが違う。

 味噌を麺とかき混ぜて食べるのだが、「ぴょんぴょん舎」の麺も美味しかったが、やはり「おけい」の「じゃじゃ麺」にはかなわないのではなかろうか。

 久し振りの「じゃじゃ麺」だった。

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2009年3月11日 (水)

№418 「神田須田町」散策

 神田須田町付近に、食べ物屋さんの名店が集中しているのを知っているだろうか。なぜこの近辺だけに残っているのかと思われるかもしれないが、どうも、東京大空襲でこの付近だけが焼けずに残ったらしい。そういえば、昨日が「東京大空襲64周年」だった。

 今日はその何軒かを見て歩いた。

016   私がもっとも好きで、何度も通ったのが「蕎麦のまつや」だ。タイミングがずれると、店に入るのに長蛇の列で、並ばなければ入れない店である。

 店の中は土間になっていて、江戸の風情を漂わせている。そういえば、江戸時代は蕎麦屋というと飲み屋さんの代名詞だった。その面影がこの店にはある。

 お酒を頼むと、突き出しに出てくるのが火で炒った山椒の香りのする味噌だ。この突き出しの味噌が絶品で美味しい。お変わりを頼んだら、一緒にいった友に「突き出しのお変わりをするやつは野暮だ」とたしなめられた。しかし、美味しいものは美味しい。一通り酒を飲んだ後のもり蕎麦が、また絶品である。

002  この近辺では、なんといっても有名なのが「神田の藪蕎麦」である。この店も、いつ行っても長蛇の列である。

 私も何度か行ったが、つけ汁が飛び上がるほどしょっぱい。それに蕎麦が自分の好みには合わない。蕎麦を汁にちょっと付けて、ズルズルすするのが江戸っぽくてツウというのだが・・・。「藪派」か「まつや派」かと問われると、自分はなんといっても「まつや派」だな。

005 007  さらに、このすぐ近くに鳥すき屋の「ぼたん」と、鮟鱇鍋の「いせ源」がある。

 「いせ源」の鮟鱇鍋専門店というのは珍しく、この店も予約なしでは入れない。鮟鱇なんて江戸時代は庶民の食べ物だったのだ。美味しい店なのだが、「いせ源」は今やお高くとまっていて、あまり感じのいい店ではない。

 鮟鱇は、水戸の先の那珂湊にわざわざ行って食べるのが良い。寒い時が鮟鱇の季節だ。

010  「いせ源」の目の前に、甘味やさん「おしるこ 竹むら」がある。自分の趣味ではないのだが、Prof.Tamikiが酒を飲んだ後は甘いもの、というので何度かお付き合いをさせてもらった店だ。

012   この界隈をフラフラ歩いていたら、写真のように「けむり」という看板のかかった店があった。中をのぞいてみたら、洋食屋さんのようだ。この店には入ったことがないな。

 機会を見て、一度訪問してみたい。

 このすぐ近くには「交通博物館」があったが、いまは「鉄道博物館」として大宮に引っ越して、この建物は017空き家になっていた。

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2009年3月 8日 (日)

№415 「湯島天神」を散策

021  先日暗い中、「湯島天神」の境内を歩いたのだが、様子がよくわからなかった。一度明るいうち、しかも梅の花が散らないうちに訪ねてみようと思っていた。

 たまたま用事があり東京に出たので、早めに家を出て「湯島天神」に参拝した。御徒町の駅から歩いて10分くらいの距離である。

 この天神様へのアプローチには三本の坂がある。「夫婦坂」「女坂」「男坂」である。中001 003_2 019 でも、「女坂」はユックリした登りで、両脇には白梅、紅梅が花盛りである。

 先日夜訪れた時は、花はこれからかなという感じだったが、白昼見ると、もう盛りは過ぎていた。ただ「観梅の会」は、今日3月8日までとなっている。

011  天神様は、学問の神様でもある。境内には合格祈願の絵馬、受験に成功した御礼の絵馬が所狭しと飾られている。天神様に参詣したが、合格した方は赤達磨に眼を入れてください、と話していた。もう、世の中は合格発表の季節なのだろうか。

 梅の花というのは、桜に比べて華やかさに欠ける嫌いがある。天神様の境内には何百本という白006 012梅・紅梅が植えられていたが、どれも寂しげであった。「湯島の白梅」というくらいだから、白梅がメインなのだろう。

 境内では、猿回しが猿の演芸をしている。周りは人だかりで賑やかだ。猿回しを見たのはいつ以来だろうか。016

 ぽかぽかの陽気に、春がそこまで近づいているのを感じてきた。

 世の中では、桜の開花時期がいつかとニュースになっている。そろそろ「お花見の会」の準備が必要な時期になった。

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2009年2月18日 (水)

№397 赤坂を歩く

 赤坂である人に会うために出かけた。そのついでに、久し振りに赤坂の街をブラブラ歩いてみた。

 最近、TBSラジオを聴いていると、盛んに「赤坂サカス」の話しが出ているので、どんな場所なのか興味を持っていた。ちなみに、私はTBSラジオが好きでよく聴いている。女房はもっぱらFM放送であるが・・・。

 「赤坂サカス」は、お台場のフジテレビ(レインボータウン)、汐留の日本テレビ(汐留シオサイト)、六本木のテレビ朝日(六本木ヒルズ)に続き、昨年の3月に、TBSが社屋移転時に放送局を中心とした「街」を作り、またそのテレビ局のいずれもが東京の新名所となっている。

 この赤坂サカスの開発は三井不動産と一緒にやったらしい。

004  ただ訪ねたのが平日の午後であったので、ガラ~ンとして何のイベントもなかった。

 サカスというのは、「桜を咲かす」と赤坂の沢山の「坂(SAKAS)」をかけた造語とのことだ。

 サカスの中心が「ホワイトサカス」という広場らしい。その周りに「赤坂ギャラリー」「赤坂003 001 BLITZ」「赤坂ACTシアター」「赤坂 ザ レジデンス」などという建物が配置されていて、おしゃれな空間を醸し出している。

 アカヌケた飲食店街も並んでいた。さぞかしや、夜の町はにぎやかになるのだろう。

 しかし今の私には縁のない街と、早々にこの場所を離れた。

 そして向かった先が、「赤坂日枝神社」だ。007

 この神社は開山が鎌倉時代と古いが、矢張り大きくなったのは江戸時代になってかららしい。太田道灌が江戸城の鎮守の神と崇め、徳川家康が将軍家の産土神と尊崇した神社だ。

010  ただ神社の建物は新しく、きらびやかだった。建物の由来を読むと、昭和20年5月の戦災で消失し、昭和33年に再建されたとのことである。

 隔年の6月に行われるお祭は、「山王祭」といい、日本三大祭の随一ということだ。ちなみに【東京五社】という代表神社が、この「日枝神社」のほかに、「明治神宮」「靖国神社」「大国魂神社」「東京大神宮」をいうのだそうだ。

 この神社の裏手に、かつては最大の進学高校であった日比谷高校がある。校門の脇のち012 ょっとした広場に野球部のピッチングマウンドがあり、投球練習が垣間見られた。

 都心にある学校の悲哀というものだろうか。狭苦しい広場で健気にも一生懸命投げている姿がいじましかった。

 そういえば、学生時代の仲間Nachikoさんの実家がすぐ近くだと思い、訪ねてみた。40年振りぐらいだろうか。先日お会いしたら、実家は空き家になってボロボロになっているといっていた。

 学生時代は何度か彼女の家を尋ね、お母さんにご馳走になったこともある。そういえば、彼女の家でゼミをやったこともあったな。

 国会議員会館の建築工事で、周りは騒然としていた。たしかに自宅は窓ガラスが割れ、家が傾いたような状態だった。それにしても、こんな都心でも再開発が盛んなことに、あらためて驚いた。隣は、長谷川一夫の料亭だったような気がする。今では普通の民家になっていた。

 こんな広い東京なのに、街を歩くと誰かかしかの知り合いに会うのだが、ひょっとTakagi氏にお会いした。

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2009年1月29日 (木)

№377 栃木市の散策

 ある方にお会いするために栃木市に行ってきた。それを機会に、市内散策をした。

 栃木の町は、ゴルフに行くときはよく通るが、市内をじっくり歩き回るのは初めてだ。

005  パンフレットを見ると、例幣使街道の宿場町として栄えた町のようだ。「例幣使」というのは、江戸時代、朝廷が日光の徳川家康のお墓に幣(みつぎもの)を奉げるお使いである。

 栃木市は、その街道の宿場町だった。ただ、宿場町というだけでなく、商009_2 業の中心地としても栄えた。今でも、「蔵の街」として有名である。街の真ん中を流れる巴波川(うずまがわ)を通っての舟運交易が盛んに行われた。江戸からの商品、塩、農産物、木材などが行きかったとのことだ。その商業で、栄華をきわめた豪商が競って建てたのが蔵とのことである。

 街の中心街に多くの蔵が散見されたが、目だって空き家も多かったのが気になった。地方都市の疲弊が、ここでも見られる。

001 003  その蔵の一軒に石碑が建っていた。『路傍の石』『真実一路』の作家、山本有三の生家とのことだ。山本有三は、栃木の商家に生まれ、呉服屋に奉公に出されながらも勉学を志して上京し、文学に励んだとのことだ。

 生家の裏には山本有三のお墓もあり、お墓にも詣でてきた。墓石には、012 以下のような文字が刻まれていた。

山本有三のことば

動くもの砕けるものの

中には動かないもの砕け

ないものが大きくから

だに伝わってくる

 栃木市では、隔年ではあるが、秋には大きな山車がいくつも出て大きなお祭004りもあるらしい。町の中心地に「とちぎ山車会館」の大きな建物があった。展示室には、常時3台の山車が展示されているとのことである。

 パンフレットを見ると、「仁徳天皇」「弁慶」「諫鼓鶏」「桃太郎」「神武天皇」「静御前」「劉備玄徳」「天照大神」「関羽雲長」「日本武尊」「張飛翼徳」「素盞鳴尊」「太閤秀吉」の山車があるとのことだ。さぞ勇壮なお祭りだろうと想像できる。このお祭は隔年11月に催され、偶数年開催で今年はないようだ。忘れなければ、来年訪ねてみよう。

010  この山車会館の脇に鯉の池があり、1m50cmもある立派な鯉が泳いでいた。巴波川にも、1000匹あまりの鯉が泳いでいるとのことである。この川のほとりに、旧県庁が建っていた。

 栃木は、歴史と伝統の街だということがよくわかった。

 帰りに小山市の知り合いに会ったのだが、栃木は文化の町で、自分も高校はわざわざ栃木市まで通ったものだと話していた。

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2008年12月 6日 (土)

№323 「アメ横」をブラブラ歩く

001_2  「アメ横」は、上野と御徒町の線路沿いに1キロぐらい続く商店街だ。暮れには何百万人と買い物客が集まり、足の踏み場もなくなる。暮れの風物詩として、必ずテレビでは紹介される通りだ。

 さすが、平日の午後はそういうことはない。

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・・・・・・・・・・

 御徒町から入ると、薬屋・ゴルフショップ・化粧品屋と続く。010  中ほどに、「アメ横焼き」という屋台があった。1個200円とあるが、美味しいのだろうか。

008 014 015 ・・・・・・・・・・

 ただ、この町の一番の売りは、矢張り生鮮食料品だろう。数の子1500円が1000円、マグロの切り身1800円が1000円、タラバカニの足2500円が1500円でどうだと、威勢のいい声が飛んできた。今回は遠慮した。

017_2  ただ、おつまみの叩き売りには、つい手が出てしまった。3個1000円を、4個、5個つけて、さらに羊羹4袋つけてあわせて1000円でどうだ、の声に財布からお金を出した。

 殻つき落花生は、今までになく美味しかった。ウチに帰ってポリポリ、あっという間に一袋平らげた。

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2008年10月17日 (金)

№273 サッカー通り

Pa090063  文京区に「サッカー通り」という道があるのを知っていますか?

Pa090064  先日、バスで湯島まで行き、御茶ノ水方面に歩いていると、「サッカー通り」という表示があった。街路灯の柱にはペナントが下がっている。そこには「ALL FOR  2010」と読める。すべては2010年ワールドカップ南アフリカ大会のために、という意味だろう。Pa090065

 何でこの通りが「サッカー通り」なのだろうか。しばらく歩いている と、大きな建物に出会う。JFAの建物とある。日本サッカー協会の本部の建物だ。

 2階にはPa090066 、「日本サッカーミュージアム」とある。2階にあがってみると、閉館していた。 そうか、日韓共催の「ワールドカップ・サッカー」で大もうけしたサッカー協会が建てた本部なのだ。しかもこの本部の通りを、大仰にも、サッカー通りと名づけたようだ。

 この近辺は医学書の出版社も多く、金原出版の看板も見られた。

 それにしても、15日のワールドカップ・アジア最終予選の日本対ウズベキスタン戦、ホームゲームにしては日本はだらしがなかった。5万人の大観衆の味方を背負いながらも、ようやく引き分けに持ち込めただけだ。

 こんな大きな本部の建物を建てるよりも、選手強化が先じゃないのかな。点が取れなきゃ、試合には勝てないよ。

 あんな試合をやってると、折角のサポーターが離れていってしまうよ。ブツブツ・・・。

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2008年6月24日 (火)

№159 旧岩崎邸庭園

P6170006_006  先日上野公園を歩いていたら、上野周辺地図に「旧岩崎邸庭園」があるのを知り、一度は訪ねてみようと思っていた。

 近所に行く機会があり、念願の「重要文化財 旧岩崎邸庭園」を訪ねてみた。東京にはいくつかの文化財庭園があり、岩崎邸のほかに「浜離宮恩賜庭園」「六義園」「向島百花園」等があるようだ。

P6170001_001  「旧岩崎邸庭園」は上野駅から徒歩10分ほどの距離だ。上野というとどうしても賑やかなガチャガチャしたイメージだが、この一体は鬱蒼と木が繁り、異空間といった趣である。

 この建物の主は、三菱創業者の岩崎家3代目が明治29年に自宅として建てたものらしい。設計はジョサイア・コンドルで日本の建築史に残る名建築とのことだ。往時は15000坪の敷地に20棟もの建物が並んでいたとのことだ。今残っているのは、本邸を含めて3棟だけだ。

P6170008_008 中に入ってみると、往時を偲ぶすごい建物だ。柱は一階はトスカナ 式、2階はイオニア式の装飾がほどこされP6170010_010 ている。壁は金唐革紙というもので、一枚一枚丁寧に仕上げられたらしい。床板はモザイク模様だし、ベランダはイスラム風デザインのタイルがP6170014_014 敷き詰められていた。

 2階ベランダから庭園を望むと、広々とした芝生だ。そP6170011_011 の一画に別邸で、撞球場(ビリヤード場)が備えられている。その建物もスイスの山小屋風のつくりとなっている。

P6170023_023

P6170019_019  奥座敷の和室も豪華で、床の間には三菱を模した障P6170020_020 子がはめられていた。床の間には橋本雅邦の日本画が描かれているとのことだったが、今では薄くなって見えにくくなっていた。

 庭にも珍しい花が植えられていた。説明を読むと、ギリP6170005_005 シアの国花ということだ。

 ボランティアで、この建物を丁寧に説明してくれるガイドがいたし、疲れた体を休める茶室もあった。説明書を読むと、土曜日には生で室内演奏も聞けるとのことだ。

 空襲から逃れてまだこういう建物があったことに、ホッとした。

P6170030_030  この屋敷を出て裏道を散歩すると、無縁坂という坂があった。まさか、さだまさしの歌とは関係ないとは思うが・・・。

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2008年6月17日 (火)

№151東大本郷キャンパスを歩く

 夕方、本郷界隈で会合があった。例のように早めにウチを出て、久し振りに東大の本郷キャンパスのなかをじっくり見て歩いた。

 東大本郷にはいろいろな入口がある。正門・赤門・龍岡門・弥生門は有名だが、今日新たに鉄門を発見した。その門は東大病院の裏手にあった。P6170046_046地味P6170037_037な門ではあったP6170033_033が・・・。

有名な赤門の由来をあらためて読んでみた。

 文政10年(1827年)加賀藩前田齊泰にとついだ11代将軍徳川家齊の息女溶姫のために建てられた朱塗りの御守殿門であり、重要文化財に指定されています。

 とのことでした。

P6170045_045  正門を入りポプラ並木を歩いてゆくと、突き当りに安 田講堂があります。安田講堂はぼくらの世代にとっては、痛々しくてとってもまともには見ていられません。それは1969年1月18日の機動隊導入とダブって見えるからです。機動隊が安田講堂にホースで水をかけているのを、外から複雑な思いで見ていたことを今でも忘れられません。言ってみれば、自分にとってはあの塔は「負の遺産」です。入口も、門の石がボロボロでしたね。歴史を刻んでいるのでしょう。

 もうあれから40年近くになるんですね。年とるわけだわね~。

P6170042_042

P6170040_040  安田講堂を右にそれると、鬱蒼とした森があります。P6170041_041 その森に囲まれて三四郎池があります。近所の子どもたちがザリガニ釣りをしていました。

 キャンパス内で働いている友だちのTAKEちゃんまんとYODA君を訪ね、久し振りに30分ほど歓談をしました。夏にはまた暑気払いをすることを約束して別れました。

P6170036_036  赤門を入り右に折れると、余り趣味の良くない置物がありました。Todai Museumの入口の置物だそうです。それにしてもあらためて歩いてみると、東大本郷は広いキャンパスですね。

 今回はついでに農学部のキャンパスも歩いてみました。残念P6170048_048ながら、みるべきものは何もあり ませんでしたね。

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2008年6月 9日 (月)

№143上野文化散策

 東京で会合があるたびに、ちょっと早めに行って、その周辺を散策することにしている。前はなんということもなく見過ごしていた地に、新たな発見があるのが面白い。

 上野公園周辺も、花見の時に行くぐらいで、ほとんどじっくり歩いたことがない。通勤時は、毎日上野駅を経由していたにもかかわらずだ。

 あらためて上野公園周辺を歩いてみると、なんと文化施設の多いことか、驚く。

P6060002_002   「東京文化会館」を横に見て進むと、「国立西洋美術館」がある。行ったことのある人には当たり前と思うが、入場無料のP6060004_004 前庭には有名なブロンズ像がたくさんある。なかでもロダンのものが多いようだ。「地獄の門」「カレーの市民」等だ。ブールデルの「弓を引くヘラクレス」なんかも目に付いた。

P6060006_006_2  奥に進むと「国立科学博物館」だ。立派な建物である。多分、由緒があるのだろう。横には機関車D51が飾P6060005_005 られている。

 さらに進むと、「東京国立博物館」に突き当たる。いまP6060007_007 「薬師寺展」をやっていて、ものすごい人が観覧に訪れているようだ。敷地も相当広い。正門を横に進むと、立派な門が目に付く。元池田家の門で、明治P6060008_008 維新後、いろいろな場所を転々として、今この地にあるらしい。

 そういえば誰かが言っていたが、この博物館を訪れたら、裏にある庭園と茶室に行ったらいい、思わず、静かな空間と美味しいお茶にありつける、と。ただ、開園しているのは今年は10月21日から11月30日までらしいが・・・。

P6060011_011  さらに進み、右に曲がると「国際子ども図書館」の大きな建物にいきあたる。昔は帝国図書館といい、構想としては今の4倍くらいの大きなものになる予定だったのが、財政難からこの規模になったという。確かP6060012_012 学生時代、この図書館に何度か通った覚えがある。前庭には、ラフカディオ・ハーンのレリーフのある噴水があった。

P6060015_015  ここを含めて、この一帯が「東京藝術大学」だ。ものすごく広いキャンパスだ。鬱蒼とした森が茂っている。なかに、「奏鳴堂」という有名なコンサートホールがある。初P6060016_016 めてこのキャンパスに入ってみた。あちらこちらに銅像・レリーフが目に付く。それぞれが由緒のあるものだろう。

P6060021_021  芸大の横にあるのが「東京都美術館」だ。何かの催しで、女房と一度入ったことがあった。ここも相当大きな敷地だった。

P6060013_013  芸大の裏側にあるのが「寛永寺」だ。もともとは今の国立博物館の敷地にあったのが、明治維新の彰義隊に立てこもりで焼けしてしまい、今の場所に移築されたらしい。

 この奥に行くと「谷中の墓地」があり、ほとんど人にも会わず、静かな散策を楽しめる。

P6060018_018  「旧奏鳴堂」も移築・保存されている。P6060020_020

 わきには日向ぼっこをしている猫がいた。

P6060022_022  

ついでに「上野動物園」も写真に収めてきた。

P6060024_024  動物園を不忍池に下ったところにあるのが「東照宮」。1~2月頃には入口の「牡丹苑」がさぞ見事なことだろP6060023_023 う。一度訪れたいと思いながら、まだその想いを果たしていない。

 今回は駆け足の「上野散策」だったが、それぞれをまたじっくり見て歩きたい。

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2008年6月 2日 (月)

№136 神保町散策②(「坂」を歩く)

 新しいカテゴリーを設定した。「街歩きの楽しみ」と名前をつけた。いろいろな街をデジカメ片手にぶらぶら散策すると、意外な発見がある。あるいは今まで見過ごしていたものに、新たな光が当たる。普段の運動不足を解消する一つの方法のつもりだ。

 今まで気になっていたが、特に注意するということがなかったのが、御茶ノ水から神保町に通勤するときに通った「坂」である。御茶ノ水駅は、駿河台の高台にある。神保町から江戸城にかけては低地だ。どうしても坂を登るか下る必要がある。

 それぞれの坂道に名前がついていたのは知っていたが、改めてその坂を訪ねてみた。

P6020025_2  「山の上ホテル」の脇を通って下ると、「錦華坂」がある。錦華公園を通る坂だ。公園の隣には夏目漱石が通った錦華小学校(今では御茶ノ水小学校というらしい)がある。P6020023

 その坂を下らずに直進するとT字路にぶつかる。その坂を「富士見坂」という。いつも飲みに通っていた「チョットBar」がその坂を入った小路にあった。

P6020033  明治大学本校の脇を通っているのが、「雁木坂」という。この坂は、日大病院をつききってニコライ堂まで続いている。P6020026

 明治大学付属高校の校門の脇を上がっているのが「男坂」だ。直 線の石段で73段あった。上から落っこったら大怪我しそうな坂だ。

P6020029  その奥にあるのが「女坂」という。この階段坂は、右に曲がり、また、左に曲がってくねくねした石段だ。

 水道橋の駅を線路伝いにお茶の水方向に上がっていく坂を「皂角P6020031 坂(サイカチザカ)」という。女房が通っていた「東京デザイナー学院」が脇にある。皂角とは何か、辞書で調べてみた。「マメ科の落葉高木であり、茎・枝に多数のとげがあり、葉は複葉」とあった。そういえば、那須のOHNO邸の裏に茂る大木を、先日、OHNOさんが登って切り始めたら、えらく硬いとげに刺されたと言っていた。刺のある木とはなんだろうか、OHNOさんと話していた。多分、この木のことだったのだろう。

 「山の上ホテル」を下って、信号を渡りYWCAの前を通る坂を「甲賀坂」という。また、中央大学の学士会館前に、御茶ノ水に向かってP6020035 急な坂がある。これが「池田坂」である。御茶ノ水駅前にある得意先に行くのには、どうしてもこの坂を登らなければならない。夏の暑い時期などは一仕事だっP6020040た。

 「御茶ノ水ニコライ堂」の脇を通る坂に「紅梅坂」という名がついて いるのも新発見だった。

 駿河台を聖橋方P6020037_2向に登るP6020038_2坂の右手にもP6020041_2多くの坂の名P6020036前があった。「観音坂」「新坂」「幽霊坂」「淡路坂」等だ。

 聖橋を渡ると「湯島聖堂」がある。いつも電車で左手にみていたP6020045 が、入ったことはない。無料なので、今日は覗いてみた。孔子像がある。どうも由来を読んでみると、そんなに古いものではないようだ。江戸の朱子学の総本山だったのだろう。

P6020046  湯島聖堂を出ると、脇にあるのが「昌平坂」だ。この近辺に江戸の官学「昌平黌」があったのだろう。

 まだ見過ごしている坂もあるのだろうが、自分がいつも気になっている御茶ノ水近辺の坂を歩いてみた。

(写真をクリックすると大きくなりますヨ)

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2008年5月27日 (火)

№130 神保町散策(中華料理) ①

 先日の神楽坂に続き、神保町の散策を試みる。神保町は30年も勤めで通った町だ。飲み屋が中心だが、いろいろな店に行った。散策をしながら、再度訪ねてみた。

 神保町はいろいろは顔を持った町だ。一番ポピュラーなのは古本屋街としての顔だが、そのほかにも、中華料理屋の町・エスニック料理の町・寿司屋の町・カレー屋の町・うなぎ屋の町等の側面を持つ。

 今日は自分の行った中華料理屋を中心に紹介したい。

20080527_050  まず神保町の中華料理屋というと「新世界菜館」が第一だ。東京で一番美味しい上海蟹を食べさせることで有名だ。それだけではなく、何を食べても美味しい。一番無難な店だ。

 「新世界」の姉妹店で「20080527_048 カン亨酒店」という店が、九段方向に80メートルほど行ったところにある。「新世界」の高級店である。値段も高級だ。

20080527_046  裏通りにひっそりあり、余り知られていない店に「源来軒」がある。この店に行くと、親父さんが中国直行の老酒の甕を割ってくれる。本当に老酒がおいしい。ただし、料理はイマイチ。

 神保町に、いつも行列が途切れることのないラーメン屋が2軒あ20080527_047 20080527_075 る。この日も「二郎」には20名ほどが並んでいた。行列のないときに一度入ってみようと思っているがそのチャンスがない。「さぶちゃん」は、一度だけ行列の合間を抜けて入った。行列してまで食べるラーメンかな~、というのが感想だった。

20080527_076  餃子の有名な「スイート ポーズ」もいつも行列だ。たまたま今日は定休日だったが・・・。

 すずらん通りにある「揚子江飯店」も名店のうちの1軒だ。この店20080527_080 は、初めて冷やし中華を作ったので有名な店だ。お客さんがきてお昼に中華を所望されたら、この店に行く。4階ほどフロアがあり、いつ行っても入れるので便利だ。

20080527_082 20080527_079  ちょっと小腹がすいたとき便利なのが「三幸園」だ。量がたっぷり、しかも早い。仲間どおし、お酒を飲んでだべるのに便利な店だった。しかも夜遅くまでやっている。姉妹店がすずらん通りにある。

  大事な店がもう1軒ある。それはさくら通りを過ぎたところにある「源興号」という店である。店は閑散としていて、お客さんをみることはほとんどないから不思議だ。ただこの店の中華料理は抜群である。2階は円卓になっていて、10人くらいのお客に中華料理を満喫していただくのには最高の店である。ただし、個人では行ったことがない。

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2008年5月22日 (木)

№125 神楽坂散策

 P5220003 今日の夕方、神楽坂で飲み会があった。その会合の前に、久しぶりに神楽坂をじっくり探索してみた。神楽坂は、わがサラリーマン時代に時々飲みに通った場所でもある。そのうちの何軒かの飲み屋を訪ねてみた。

 神楽坂を登る前の小路にあるのが「もー吉」。SHOUちゃんの紹介P5220022 で時々会合に利用した。この店には秘密の場所がある。奥まったところに2階があり、知り合いしか利用できない。日本にいるときのヤンキース松井が食事によく来る店でもある。店主も松井キチガイで、1年に1回はニューヨークまで応援に出かけるらしい。松井も結婚したので、もう来ないかな・・・?

 この店の2階に「ひまわり」というスナックがある。20~30人の会合によく利用したもP5220023のだ。ママに「安くしてよ」と頼むと、結構応じてくれた。この店で、カラオケを楽しんだ。

 この店の前にひっそりたたずんでいるのが「焼酎隠処P5220024 bar aqbee」だ。よほどの知り合いでなければ行かない店だ。5~6人でひっそり飲むのに、特別の別室が用意してある。注意は、この店は食べ物がない。美味しい焼酎を飲むだけだ。2次会利用の店である。

P5220007  神楽坂の名店「鳥茶屋」もよく利用した。神楽坂P5220002 に面した本店と、裏道に「別亭」があり、自分はこの別亭のほうが好きだ。鳥鍋とうどんスキを食べさせてくれる。

 神楽坂通りに面して「五十番」という中華饅頭を売っている店があP5220006 る。飲み会の帰りにお土産を買って帰ると喜ばれる。ここの中華饅頭は特大だ。中身は、豚肉・餡だけでなくいろいろ好みで買えるのも嬉しい。

 この店を右に曲がると本多横丁だ。この通りに「三菊」があり、今P5220005 でもここの2階は利用する。10人くらいで静かに飲み且つ話ができるのが良い。この店の売りも鳥鍋である。

P5220021  神楽坂の中腹にある「毘沙門天」を知らない人はいないだろう。今日も、一応、お参りはしておいた。

 「毘沙門天」を左に曲がると、「SOFLA」というトルコ料理屋があP5220011 る。この店にも何度通ったろうか。曜日によっては、トルコのベリーダンス・ショーが楽しめる。自分も踊り子と一緒に踊り狂ったこともあった。会社の女の子たちとよく来た店だ。

 その斜向かいの小路にあるのが「MINT」。OHASHIくん、HOZUMIさんと何度か通った。昼間いってみたが色気がないので、写真は撮ってこなかった。

P5220018  「毘沙門天」の右斜めに小さな小路がある。その中ほどにあるのが「てっ平」。うなぎの寝床のような店だが、焼酎をいろいろ用意している。芋焼酎が中心ではあるP5220017 が・・・。この小路をさらに進んでいくと黒塀の店がある。政治家がしょっちゅう利用しているようだが、われわれサラリーマンには縁のない店だった。

P5220025  神楽坂にはイタ飯屋さんがたくさんあるが、よく行ったのが「SHUN」。看板を見ると創作料理とあるが、ここでイタ飯を食べたような気がする。

 神楽坂で出色なのが「伊勢藤」。囲炉裏を囲んで日本酒を飲ませP5220012 るのだが、大声を出して話すと注意をされる。「お客さん、静かに飲みましょうよ」と店主の叱声が飛ぶ。私のように地声が高いものにとっては鬼門だ。しかも、銚子を3本も飲むと「お客さん、適量ですからお帰り下さい」と追い出される。この店の色紙に若山牧水の「白玉の歯にしみとおる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり」の文句があり、今でも印象に残っている。

P5220013  大久保通りに面した「恒」もよく通った店だ。「やっぱり日本酒がうまい」という看板を出している通り、各地の日本酒を飲ませてくれる店だ。こじんまりとしていて、料金もリーズナブルな店だ。

 大久保通りの裏に「春波」という鉄板・お好み焼き屋がある。AMIちP5220015 ゃんに誘われていった店だ。御茶ノ水のある会社の面々が、私の退職時にこの店でご苦労さん会を開いてくれたことでも思い出に残る。

 神楽坂にきて初めてじっくり参拝したのが「赤木神社」。境内が意P5220027 P5220026 外に広いのにはびっくりした。

 今日の飲み会の会場が「YAKITORI ROUGE」。初めて行った店だが、焼き鳥のレバーが抜群に美味しかった。

 神楽坂はそんなに広くはないが、しかしなかなか奥は深いようだ。

(クリックすると写真は大きくなります)

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2008年5月19日 (月)

№122 くま♪にひかれて浅草寺参り?

くま♪にひかれて浅草寺参り?

 ブログ仲間のたびちゃんから、江戸東京博物館に行くよとの情報がはいりました。残念ながらその時間は付き合えないとの返事を出したら、午後2時に浅草の雷門で待っているとの返信です。

 3月末のお花見以来の浅草訪問です。うっかりしていましたが、昨日は「三社祭」で浅草は大変な賑わいだったようですね。今日は「祭の後の寂しさ」というかあまり人出はありませんでしたが、それでも大賑わいです。

 仲見世を歩いていると、本当にいろんな国の人間が浅草に来ていますね。たびちゃんに言わせると、「外国人には京都よりも浅草のほうが人気があるのですよ」とのことです。仲見世で買い物などしたことのない私ですが、くまちゃん♪の「この店のあげまんじゅう、美味しいですよ」の言葉につられて、つい買い食いをしました。本当においしかった。

 くまちゃん♪が先頭に立ち、正しいお寺のお参りの仕方(?)を実P5190018 践して歩いてくれました。まずは「御朱印帖」に記帳をしていただき(300円です)、手を洗い、お線香をたき、そのあとお寺に参拝です。お賽銭を5円あげます。この方法で全国あちこちのお寺巡りをしているようですね。御朱印帖は様々なお寺のご記帳で一杯です。「これが記念になるのですね」とのこと。

 さらに普段は歩かない浅草の見学です。浅草寺の裏にある「浅草P5190021 神社」に詣で、新門辰五郎の「お稲荷さん」を正面からお参りし、左側面、裏、右側面とお参りし、最後にはまた正面でのお参りです。結構古いお稲荷さんがこんなところにあったのですね。さらには「銭塚地蔵堂」「カンカンP5190025 地蔵尊」「針供養之塔」をみて歩き、「胎内くぐりの燈籠」では、たびちゃんがくぐりの実践を見せてくれました。

 浅草寺を離れ、雷門から100メートルほどの距離にある「北海道名産店」で生ビールを飲み、帰宅の途につきました。

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2008年4月22日 (火)

№93 多聞院を訪ねる

多聞院を訪ねる

 ブログ仲間で、「多聞院」が話題になっていました。4月8日の花祭りに嵐の中訪ねた、とか、牡丹がきれいだったという話が仲間のブログに載っていました。

 そのお寺はどこか聞いてみると、私がいつも通っている道の端にありました。

 そうかそうか、ということで今日訪ねてみました。残念ながら国道16号線バイパスの脇で、環境的には決して恵まれていませんでした。多分お寺は昔からあり、国道が最近通ったので、この環境はお寺のせいではありません。

 参道はもう躑躅の花が満開でした。牡丹の花はグッタリしてもう終わりを告げています。

 お寺の中には、六地蔵が安置されていました。何でも、江戸時代の古いもののようです。

 いままでは自宅の周りに余り関心を示さなかったが、訪ねてみるといろいろな歴史建造物がありますね。

 帰りに通った田圃はもう水を張っていて、田植えの準備中です。春から急に初夏の様相を呈した陽気になりましたね。

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