カテゴリー「映画・テレビ」の9件の記事

2009年10月29日 (木)

№650 映画【沈まぬ太陽】を観る

沈まぬ太陽

(C) 2009「沈まぬ太陽」製作委員会

 映画【沈まぬ太陽】を観てきた。上映開始後まだ日が浅いせいか、平日のお昼にも拘らず、大きな映画館は観客でいっぱいだった。
 この作品は山崎豊子の同名小説を映画化したものだ。小説も発売当時はベストセラーとなり、私も読んで感銘を受けた。。
 今、日本航空の経営の危機が世情を騒がしている。そういう意味でも、ドンピシャのタイミングの上映ではなかったのか。
 今日は映画の感想をお話しながら、日航の今後のあり方について考えてみたい。
 2時過ぎに映画館に入って、出たのが6時過ぎだったから、4時間も映画館にいた。2時35分に始まった映画が、終わったのが5時50分過ぎだった。3時間以上の大作映画だった。普通はこんな長時間見せられると、どうしても飽きちゃうものだが、時間の長さを感じなかったという意味でも、良い映画だったのではないか。
 日航のジャンボが御巣鷹の尾根に墜落した事件と、社内の労働運動を絡ませ、当時の政治家と役員の不正も告発する映画だ。この映画上映に際して、日本航空からずいぶん妨害もあったと聞く。それだけ、日本航空にとっても恥部をさらけ出す内容になっていたのだと思う。
 日本航空の経営は、小説を読んだときも酷いものだと思っていたが、残念ながら、その後も一切変わっていなかったのだ。それが、今「経営危機」という形で表面化したものだと思う。
 影にあったのは利権を狙う政治家の姿であり、政府の猫の目行政に翻弄されたという意味では、日航の経営者には犠牲者的な側面もあるにはある。しかし、困ったときの政府頼みで安易な経営をしてきた責任は、どうしても免れない。
 社内に5つも6つも労働組合があるというのも、尋常ではない。経営に都合の良い御用組合を作った責任も免れない。さらには退職者への手厚い年金の保護。この体質を変えない限り、日航の危機はいつまでも続くだろう。
 現政府も、安易に日航に資金援助するということではなく、抜本的に立て直さない限り、いつまでも同じ問題を繰り返すことになるだろう。
 映画は、素晴らしくきれいな画面だった。主演渡辺謙の好演も良かったし、墜落現場も迫力があったし、主人公恩地が飛ばされた地、カラチ・テヘラン・ナイロビも良かった。
 何よりも、山崎豊子の大作をここまで仕上げた、若松節朗監督に拍手を送りたい。

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2009年9月 9日 (水)

№600 映画「孫文 100年先を見た男」

006  今読んでいる本に、やたら孫文の話が出てくる。そういえば、「孫文」という映画が上映されている、見ておこうと思い映画館に行ってきた。

 中国映画だった。中国ではこの映画が製作されるほど、孫文という人物は再評価を受けるようになったのだろうか。この映画ではわからなかった。

 これは1910年(明治43年)7月から12月、孫文44歳の半年間を切り取った孫文像の映画だった。孫文の活動が、難しい局面を迎え、一番低迷していた時期だという。

 孫文は、9回目の武装蜂起に失敗し、日本を国外退去処分となり、マレーシアのイギリス植民地・ペナンに向かった。彼の首には、時の清政府から70万両の懸賞金がかかっていた。この映画は、ペナンでの活動の時期の話だ。

 度重なる革命の失敗で、孫文には多くの困難が待ち構えていた。資金の枯渇、仲間同士の内ゲバ、清政府による暗殺の脅威等々だ。そのなかでも、困難に打ち克つ孫文は見事に描かれている映画だった。

 日本からの退去のとき船で一緒だったルオ・ジャオリン、実は孫文暗殺という密命を清政府から背負っていたのだ。一方で彼は、ペナンの富豪の娘シュー・タンロンのフィアンセでもある。

 その困難の一つ一つを克服していく孫文、それを支援している熱い支持者の塊。特に、チェン・ツイフィエンという女性の献身的な支え、シュー・タンロンの率直な行動など、映像的にも美しく描かれていた。

 一方で、ルオ・ジャオリンの心変わりも見ものだった。

 孫文を演じたウィンストン・チャオは台湾の俳優、監督のデレク・チウは香港の人だという。ずいぶん中国圏をめぐる垣根は低くなったものだ。

 孫文のこの映画に描かれた低迷期を抜け、1911年には「辛亥革命」が成功した。原題の「Road to Dawn」でいわれるように、まさに中国革命の夜明けを見事に描ききった映画であった。

 そういえば、孫文を自分はあまりにも知らなすぎる。「三民主義」等主要作品を読み、少し彼のことを勉強をしてみたい。

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2009年7月 9日 (木)

№538 映画『嗚呼 満蒙開拓団』

001  お昼、Masaoさんと昼食を一緒にしていたら、土曜日に息子さんの結婚式があり、花婿の父として加藤登紀子「満蒙開拓団」の唄を歌ったという。

 そういえば、神保町の岩波ホールで、羽田澄子『嗚呼 満蒙開拓団』が上映されているというので、急遽、観にいった。

 羽田澄子監督がこの映画を撮るキッカケになったのは、彼女の満州体験にあるという。

 羽田は言う。「私は旧満州の一部として見られていた大連に生まれ、小学校も女学校も旅順。そして戦後、引揚げてきました。しかし、同じ満州でも最南端で暮していた私は、戦後、満州の奥地で起きていたことを知りませんでした。」

 それが1981年、「中国残留日本人孤児」の訪日調査で、その無残さを知ったという。さらに『残留孤児』国家賠償裁判で、中国東北地方の方正(ほうまさ)で、「方正地区日本人公墓」造りに力を尽くした女性のことを知ったという。

 彼女は文化大革命の時代、紅衛兵に日本人スパイとして死刑宣告を受けた。それを救ったのが周恩来だった。周恩来は彼女の公墓造りを蔭ながら応援していたという。周恩来は言う。

 「日中戦争を起した日本軍部に戦争責任があるが、日本人民にはこの戦争に対する責任はない。」

 羽田澄子監督自身のナレーター、インタビューで進むこの映画は、冷静に事実を暴いていく迫力があった。

 8月15日の敗戦の報を聞き一番最初に逃げたのが軍の上層部、さらには満鉄幹部、満州国官僚だった。救いを求める人々を振り払って日本に逃げ帰った。最後まで残され、酷い目にあったのが一般大衆だったという。戦争体験を語り継ぐ年老いた人々の話を伺い、権力を持ったものの身勝手さはいつの時代にも変わることはないな、と思った。

 満州開拓団約27万人のうち、8万数千人が亡くなった。山となっているその死体は、戦後しばらく満州の野に、野ざらしにされていたということだ。その遺骨のむごさに耐えられず、お墓造りに精魂を込めた残留孤児・松田ちゑさんという女性が、日本人スパイとして死刑宣告を受けたのだ。

 戦争も酷いが、その蔭で泣いている無辜の大衆のことを思うと泣けて来る映画だった。

 私が今まで羽田澄子作品を観て感銘を受けたのは、『薄墨の桜』(1977年作)、『早池峰の賦』(1982年)、『痴呆性老人の世界』(1986年)などだろうか。なかでも最も印象に残っているのが『早池峰の賦』である。岩手の村で延々と演じられる神楽の踊りが、今でも脳裏に焼きついている。

 羽田澄子監督の映画は、いつもドキュメンタリーの訴えかける力を感じさせる。

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2009年3月 5日 (木)

№412 映画『チェ 39歳別れの手紙』

003    近くに映画館があるというのは良いものだ。思い立ったら、すぐに駆けつけることが出来る。

 昨年の秋に、車で10分くらいのところに大きなスーパー「モラージュ菖蒲」が出来た。映画館が入っていて、11スクリーンほどある。

 1月に『チェ 28歳の革命』を観ていて、続編が1月下旬に上映されるというので鑑賞を予定していた。しかし、いろいろな用事が立て込んでいてなかなか映画館に行くことができなかった。上映開始から1ヶ月以上も過ぎていて、もう打ち切りになるのではないかと、実はあせっていた。

 雪模様で寒かったが、出かけてきた。午後1時頃に着いたら、目的の映画は3時50分の上映開始とある。3時間近くあったので、ラーメンを食べ本を読んでいた。

 映画館に入ってみたら、100人ほど入るスクリーンにわずか5人ほどしかいなかった。こんな入場者数だと、まもなく打ち切りになるのだろうな、と鑑賞できてホッとした。

 この映画は、前編のキューバ革命に成功したゲバラが、ボリビアでの革命を目指してその地で奮闘する映画だ。

 すでにキューバ革命で英雄だったチェ・ゲバラが、キューバから忽然と姿を消した。カストロに、一体、チェはどこに行ったのか問い合わせが殺到した。彼は演説で、チェはすでにキューバにいない事を明らかにした。

 いろいろな憶測が流れたが、彼は変装してボリビアに潜入していた。そして、ゲリラの指導者として、政府との衝突の前線に立っていた。キューバからも何人かのゲリラ支援者が来ていた。

 この映画を見る限りでは、ボリビアでは大変苦しい闘争を余儀なくされていたのではなかったか。仲間割れ、裏切り、農民の密告、食糧不足等泥沼だった。

 しかしゲバラは、「革命はきれいごとではないんだ」と超然としていた。この映画は、スティーヴン・ソダーバーグ監督が「すべて事実にもとづいて描いた」ということだ。全編を通して重苦しさの漂う映画だった。

 最後には、ゲリラ部隊が政府の大軍に追い詰められて殲滅した。ゲバラは捕らえられ、その場で殺されてしまった。

 主演のベニチオ・デル・トロの迫真の演技も、この映画を迫力のあるものにした。

 あらためて、ボリビアという国はどこにあるのか、地図で確認した。ブラジルとアルゼンチンに囲まれていて、国土の面積は日本の3倍くらいある。人口827万人の国は、地下の鉱物資源に恵まれたアンディスのふもとの国とのことだ。

 ボリビアははてしなく遠い・・・。

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2009年1月15日 (木)

№363 映画『懺悔』

002  神保町の交差点にある岩波ホールで、映画『懺悔』を観てきた。1984年製作のグルジア映画である。『祈り』(1968年)、『希望の樹』(1977年)と、3部作の悼尾を飾る作品のようだ。

 ソヴィエト末期の本を読んでいると、この『懺悔』の話がときどき出てくる。バルト3国が独立する前後の象徴的な映画らしい。この映画には、以下の解説があった。

 旧ソビエト連邦時代のグルジア共和国で1984年に製作された作品。いまだ一党独裁体制が続いていた時代に、ソ連の過去の悲劇を真正面から扱い、スターリン批判ともとれるストーリーを展開した問題作ながら、その後に誕生したゴルバチョフ政権が進めるペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)の象徴的存在ともなり、ソ連国内で大ヒットとなった。87年のカンヌ国際映画祭に出品され、みごと審査員特別グランプリを受賞。日本では2008年12月に劇場公開が実現。

 旧ソビエトを反映してか、非常に暗い映画だった。スターリン時代の影響がまだ残り、閉塞感の漂う社会状況が反映されている。市長だった男ヴァルラムは、スターリンを象徴したのだろうか。全編、隠喩に満ちていたように思う。

 この映画は、発表されて、ロシアで空前の反響を巻き起こしたとのことだ。なんと封切一週間で70万人を動員し、ソヴィエト体制崩壊のきっかけとなった歴史的な作品とのことだ。また製作から25年目にして日本で上映されるには、様々な障害があったようだ。

 世界を大きく揺るがした時代の、きわめて重要な作品と位置づけられているようだ。

 しかし、残念ながら私にとって退屈な映画だった。

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2009年1月13日 (火)

№361 映画『チェ 28歳の革命』

 映画『チェ 28歳の革命』を見てきた。キューバ革命のもう1人の主役、チェ・ゲバラの半生の映画だ。

 先日、角田光代『いつも旅のなか』を読んでいたら、キューバに旅行した話が003載っていた。キューバは、どこに行ってもカストロではなくチェ・ゲバラばかり。「本当にいたるところ、看板、塀、建物の側面、垂れ幕、店の軒先、ポスター、ショーウィンドーのなか、もう、チェ・ゲバラだらけ」とあった。キューバでは、今でも、それほど人気が健在なのだ。

 そういえば、先日の新聞記事の中にも、ゲバラの顔をプリントしたTシャツが全世界的に人気があるという話が載っていた。

 われわれ学生時代にも、ゲバラは「革命の主導者」として人気があった。ゲバラの著作は、必読書の1冊だった。そういう意味で、ゲバラ人気は息が長い。

001  今回上映の映画は、ゲバラ2部作の前編キューバ革命に至る道のようだ。後編は1月下旬に公開され、ボリビアでのゲリラ活動が中心になるようだ。

 今年はキューバ革命成立50周年とのことで、記念碑的な映画でもある。

 アルゼンチン生まれのゲバラが、カストロとともに、キューバの密林でゲリラ活動を行い、当時のバチスタ政権を倒すまでの話だ。監督スティーヴン・ソダーバーグは、リアルなゲバラ像を描くことにつとめ、決して英雄像としてのゲバラではないように、気をつけたとのことだ。

 映画を見ても、革命というのは決してきれいごとではない、というのがこれでもかと描かれている。国民同士の殺し合いでもある。また裏切り者は、容赦なく処刑されていく。

 印象的なのは、そのなかでも革命派の人たちは、相当意識が高かったのではないかと思われた。ゲバラの演説の中で、「農民はわれわれの仲間だ。何一つ奪ってもいけないし、迷惑をかけるようなことがあってはいけない」と強調していた。

 主演デル・トロの熱演は見ものだった。彼は、昨年のカンヌ国際映画祭で、主演男優賞を受賞した。

 1959年、見事にハバナに進軍するところで、この映画は終わっている。後編も見て見なければ、うまくこの映画の評価は出来ないような気がするが、あっという間の2時間だった。

 この1月20日、アメリカにオバマ新政権が誕生する。半世紀にもわたる、アメリカのキューバ封じ込め政策が、これを機会に大きく転換することを期待したい。オバマならやってくれるのではないか。

CHANGE!!!

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2008年9月30日 (火)

№256 映画「おくりびと」

 東京に出た機会に、有楽町でいま話題の映画「おくりびと」を見てきた。映画は月に1本程度見ている。シニア料金1000円なので、ちょっと時間があると、つい映画館に立ち寄る。先日も矢張り有楽町で、「Reservation Road」(邦訳「帰らない日々」というタイトルは、この映画には決して良いタイトルではなかった)という映画を見た。

 この映画「おくりびと」は、ひょんなことから遺体をお棺に納める「納棺師」になった男が、仕事を通して触れた人間模様や上司の影響を受けながら成長していく姿を描いた作品だ。最後に感動的なシーンも配していた。

 この映画で特に話題になったのが、主演本木雅弘の遺体への見事な着替えである。テレビを見ていたら、随分練習をつんだという本木のコメントがあった。

 脇役の山崎努・吉行和子等の渋い演技も、この映画に見ていて安心感を与えたのではないか。ただ、広末涼子の演技の不安定さはちょっと気になったが・・・。監督滝田洋二郎の映像の美しさも印象に残った。

 隣に座ったおばさんが、途中ゲラゲラ笑っていたが、そのうちハンカチをとりだして、グスングスンすすり泣いていた。またテーマのせいか、結構、老人の観客が多かったような気もする。

 まあ、傑作に属する映画ではなかったかな。ちなみにYAHOOの総合評価は、4.52点だ。

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2008年6月20日 (金)

№154 銀座で映画のハシゴ

 パソコンの不調を無料診断をしてくれるとのことで、銀座に出かけた。午後1時のアポイントなので、時間に間に合うようについた。診断には6時間かかるとのことで、その間、映画を見ることにした。

 今はシニア割引という特典があり、60歳以上の人は1000円で映画鑑賞ができるので、大助かりだ。

 最初に見た映画は『ナルニア国物語第2章 カスピアン王子の角笛』だ。『第1章 ライオンと魔女』は2年半ほど前の上映だった。自分もこの映画の上映については、些か、かかわりを持っていたので、第2章の出来栄えについては気になっていたところだ。

 本当に映像がきれいだった。前もこんなだったのかなと、あらためて思い返した。CG技術にも、さらに一段と進歩のあとがうかがえた。ナルニアの話は映画も良いが、原作もワクワクするほど面白いファンタジーだ。

 それにしてもCGでつくったアスランが第1章よりも立派になっていた。原作は7作だが、この映画はどこまで続くのだろうか? 

 その後見た映画が『丘を越えて』だ。文藝春秋社の創業者菊池寛とその秘書をめぐる話だった。昭和初期の「出版不況」の話が出ていた。文春の不況を脱出するために、菊池寛が一生懸命小説を書く姿が涙ぐましい。

 それにしても、西田敏幸が菊池寛にそっくりだったのは笑えた。好演だったのではないかな。

 ただ、最後のシーンで、出演者全員で「丘を越えて」の唄を歌い、ダンスに興じたシーンはいただけなかった。あれは何だったのだろう。映画の筋とは全然関係のないシーンだった。

 6時間後、パソコン診断の結果を聞きにいったら、ベラボーな値段だったので、断ってきた。今でも別に不便はないからだ。

 今日は有益な一日だったのか、それとも無駄だったのか・・・?

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2008年3月31日 (月)

№71 若松孝二「実録・連合赤軍」

 わが畏友Professor TAMIKIの推薦もあり、映画「若松孝二監督 実録・連合赤軍 浅間山荘への道程(みち)」を、新宿テアトルで見てきた。3時間30分にわたる大作である。

 自分にとっては我が生きてきた同時代の話でもあり、我がこととして、ちょっと切なかったし、いろいろと考えさせられた。久々の感動した映画だった。

 映画は、60年安保に始まり、60年代にどういう運動があり赤軍派結成に至ったのかの道筋をたどった。68・69年の大学闘争を経て、3派全学連の運動の中から赤軍派の運動が始まった歴史も、描かれていた。大学の中でのリンチもまじかに見ていた。

 そして71~72年、警察の弾圧を逃れ妙義山麓に根拠地をつくり、真岡の銃砲店で奪ってきた銃で軍事訓練を始める。厳しい訓練の中、お互いの「総括」が始まる。森恒夫・永田洋子がヘゲモニーを握り、参加した学生に厳しい総括を強いる。その総括の中で、リンチ・殺人事件が発生した。その凄惨なさまがこの映画の見せ場でもあり、つらくて見るに絶えないシーンでもあった。この映画の「実録」たるゆえんはこのシーンだったのではないか。批判もあるようだが、森恒夫があまりにもかっこよく描かれていた。

 根拠地も警察の知るところとなり、逃れ行く中でたまたま浅間山荘に行き着いた。そこでの警察との銃撃戦、今まで、佐々淳行等権力の側からの反省の本は読んでいたが、山荘内部での葛藤を通してのあの事件を描いたものはなかったのではないか。特に、管理人の奥さんに「中立の立場に立って欲しい」とお願いする赤軍派に対して「裁判で証人に呼ばないことを条件に」その話を受ける話はよかった。この場面も第二の山場としての見所であったと思う。

 ここに描かれている連合赤軍のメンバーは、この時代でなければなんでもない普通の学生であったし、良いおじさん・おばさんになっていたろうに。そういう意味で、あの時代に翻弄された青年だったのではないかと実感した。

 3時間30分の大作の割には、ほとんど見飽きる場面もなかった。よくあの時代・参加した青年の心理が描かれていたのではないか。

 ずいぶんたくさん、各種映画賞ももらったようだ。それだけの価値のある映画ではあった。

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