カテゴリー「映画・テレビ」の37件の記事

2013年10月27日 (日)

№2132 映画『ローザ・ルクセンブルク』

 私はある用事で、月に一度は神保町に出る。その用事は午前中で終わるので、ついでに映画を見て帰る。何をやっているのかと必ず覗くのが、神保町交差点にある【岩波ホール】だ。興味があってもなくても、ほとんど観て帰る。そして、この日上映していた映画が『ローザ・ルクセンブルク』だった。

2013_1025_140213pa250009 入場して分かったのだが、今年2月に83歳でお亡くなりになった岩波ホール創設者・高野悦子さんの追悼として、女性監督の名作4点を上映する催しだった。その作品は、羽田澄子監督『薄墨の桜』(1977年)、羽田澄子監督『早池峰の賦』(1982年)、シンシア・スコット監督『森の中の淑女たち』(1990年)、そしてマルガレーテ・フォン・トロッタ監督『ローザ・ルクセンブルク』(1986年)だった。

 私は勤め人時代から、よくこの【岩波ホール】では映画を見ていた。上記4作品のうち3作品は観たのだが、唯一見逃したのが『ローザ・ルクセンブルク』だ。

2013_1026_093235 学生時代、ゼミで受講したのがI先生の『ローザ・ルクセンブルク講読』だ。内容はほとんど忘れてしまったが、それでも『社会改良か革命か』の書名タイトルだけは覚えている。ローザ。ルクセンブルクは、私にとっては懐かしい革命家だ。

 映画は、19世紀末から第一次世界大戦までのヨーロッパの不安定な政治状況の中で、苦悶し戦う一人の女性の物語だ。労働者の前で過激な演説をしては、何度も逮捕される。出獄しては、また、労働者の団結のために闘う姿があった。

 そして、ついには1919年、ベルリンで軍隊の白色テロに合い、ピストルで頭を撃ち抜かれ、川に放置される晩年の姿を映してこの映画は終わる。背景がわからないと、難解な映画だったかもしれない。

 【岩波ホール】次回の上映作品は、同じくマルガレーテ・フォン・トロッタ監督作品で、ローザ・ルクセンブルクで熱演したバルバラ・スコヴァの『ハンナ・アーレント』だ。この映画もぜひ観たいと思っている。

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2013年7月24日 (水)

№2036 映画【風立ちぬ】鑑賞

Photo_2 久し振りに、宮崎駿監督の映画【風立ちぬ】が新作上映されるとのこと、鑑賞に行ってきた。私は、『スタジオジブリ』のファンというわけではないが、スタジオジブリの【ゲド戦記】を機会に、あるかかわりを持っていた。スタジオジブリの事務所にも何度か行っている。

 今回、宮崎監督がどういう映画に仕立てたのか、興味を持った。【風立ちぬ】は、堀辰雄作『風立ちぬ』にヒントをえたようだが、それが原作というわけではない。さらに、飛行機作りに情熱を傾けた主人公堀越二郎という零戦の原型を作った実在の人物、さらには、飛行機大好きの宮崎の研究の成果を重ね合わせた映画だという。

 アニメ映画ではあるが、大人が見ても充分に楽しめる内容になっていた。また、明治末から昭和の終戦までの、日本近代前期を辿るような工夫もなされていた。

 主人公堀越二郎は、群馬県藤岡市の出身だ。少年時代から、異常なほどに飛行機に興味を抱いてた。将来は飛行機で身を立てたいと考えたのだが、彼は弱視でパイロットには不適格だった。あるヒントを得て、飛行機を設計する仕事に携わろうと考えた。

 大学は、東京帝国大学工学部航空学科にに入学できた。入学のための上京で、乗っていた汽車が関東大震災に遭遇した。その汽車に一緒に乗り合わせていたのが、奈緒子だ。女中が骨折したというので、彼女の実家に知らせに行ってあげた。奈緒子とは、お互い名前も告げずにその場で分かれた。

 堀越二郎は、大学を卒業して三菱内燃機の名古屋工場に就職し、希望通り飛行機の設計に携わる仕事をした。その工場で、彼は有望な飛行機の設計技師として頭角を現した。会社から研修で、ドイツ、イギリス、アメリカ出張まで命じられた。「物まね日本人」として、その地で大分差別も受けたらしい。

 昭和7年、彼の設計した飛行機の試乗があった。そのテスト飛行で、彼の設計した飛行機は墜落し、彼は落ち込んだ。その傷をいやすために軽井沢に行ったが、滞在ホテルで奈緒子と偶然にも再会した。すぐに恋に落ちたが、その時に奈緒子はすでに肺病に侵されていた。戦前の肺病は「死の病」である。

 その病にもかかわらず、恋は成長していった。奈緒子との再会で元気を得た堀越二郎は、名古屋に帰り再度飛行機の設計に情熱を注いだ。そういう二郎のところに、奈緒子が富士見高原療養所から不意に訪れた。病を承知で、結婚することにした。上司の杉田の離れに寄宿し、新婚生活を送ったが、彼女は床を離れることは出来なかった。

 まあ、あらすじをすべて述べるわけでもないが、悲しい別れと敗戦があった。

 ネットでその評判記を読んでみたが、つまらないというコメントもあったが、圧倒的に感激したというコメントが寄せられているようだ。私の感想も、宮崎色が出ていてまずまずは良かったね。

 映画の最後に、この映画に携わった人の名前が書き連ねられていたが、私の知り合いもその一人として書かれていた。彼女は、まだスタジオジブリで頑張っているんだと、感慨一入だった。そして、その人の人柄を思い浮かべた。

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2013年4月14日 (日)

№1935 映画『舟を編む』鑑賞

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 この日、待望の映画『舟を編む』が上映され、観に行って来た。この映画は、昨年【本屋大賞】を獲得し、ベストセラーにもなった三浦しをん『舟を編む』が原作本で、玄武書房という出版社が辞書の製作をするという話である。

 小説も良かったので、どんな映画になるのか楽しみだった。三浦しをんさんは、この小説を書くために、ずいぶんいろいろ取材したようだ。私の身近な所でも、取材を受けたという話を聞いていた。

 映画を観ると、三省堂書店の『大辞林』と岩波書店の『広辞苑』の取材をもとに撮られたようだ。そう、この映画にもあったが、一口に中型辞典を作るというのは大変な作業を要する。『大辞林』は30年ほど、『広辞苑』は大正時代の前段を含めると40年もかかっているのではないか。

 出版社に相当の余力がなければ、辞書など作れない。今回の小説で、『大渡海』という辞書編纂作業に14年かかったとあった。この間、上層部からは金食い虫の辞書作りの中止まで宣告されたようだ。編集部の要請で、かろうじて息を繋いだが、その代わり編集員の減員を余儀なくされたようだ。

 編纂にあたった先生(加藤剛)と、編集主幹(松田龍平)のたゆまざる努力で、ようやく出版にこぎつけた。ただ、出版直前になって重要な語が抜けているのが発覚し、学生アルバイトを総動員して再度点検し直す作業など、作者の取材の跡が見られる。

 普通の本は初稿校了、多くても再校までで本にしてしまうが、辞書の場合は5校校了だ。いろいろな人が別の眼で点検作業を繰り返し行うのだが、それでも誤字・脱字はつきものである。業界人には、辞書は初版で買うものではない、ということが常識である。とはいっても、発売当時が最も売れる。誤字・脱字は、きわめて人間的な行為と笑って許す度量が必要だ。

 いよいよ発売になる直前に編纂の先生が、食道癌で亡くなるという不幸があった。これにも史実があって、『広辞苑』の初版が昭和30年に発売されたが、発売直前に『広辞苑』に心血を注いだ新村出さんが亡くなっている。新しく発売になった『広辞苑』を新村さんの墓前に捧げたという歴史があった。

 映画を観ながら、かつての様々な出来事が思い出された。あの職場環境も懐かしかった。そんなに派手な映画ではなかったが、業界人や出版に興味を持っている方には必見の映画とみたが、どうだろうか。

【4月13日の歩行記録】

4,554歩、3.16㎞、35分、149.7カロリー

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2013年2月28日 (木)

№1890 映画【八月の鯨】

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 神保町に行ったのを機会に、岩波ホールで映画【八月の鯨】を観てきた。この映画は、すでに25年前に上映されたもので、今回は岩波ホール創立45周年ということで、再上映された映画である。確か、25年前にもこの映画は見ていたはずだが、内容は覚えていない。友だちがこの映画を見たいと言っていたので、自分も再度観るのも悪くはないなと思った。

 老姉妹リビーとセーラの何という事のない日常生活を描いた映画である。この老姉妹役を演じたリリアン・ギッシュ91歳、ベティ・デイビス79歳は、かつてのハリウッドの名優だったらしい。

 舞台は、アメリカメイン州のとある離れ小島だ。この島に別荘を持っているセーラのもとで、夏を一緒に過ごすリビー。かつてはその小島の入り江に、8月になるとよく鯨が姿を見せたという。若いころはその鯨を見るのが楽しみで、この別荘に通ったらしい。

 姉のリビーは目が不自由で、セーラが日常の面倒を見ていた。目が不自由の原因は白内障とのことだったが、今の医学では治せるのに、当時はそれが原因で目が不自由になったという。

 目の不自由なリビーは、日常生活に鬱屈を抱えていた。妹に辛く当ったり、訪ねてくる友だちに皮肉を投げかけたりで、妹セーラはほとほと困り果てていた。別荘にPicture windowを設置したいと常々思っていたセーラにも反対する。気を長くして姉を見ていた妹も、姉リビーの世話をする自信を失っていく。しかし、やがてその仲違いも融解していく。

 時間が停まっているようなゆったりした映画だった。

2013_0227_135014p2270002 この岩波ホールは1968年、高野悦子さんの発案で創立された映画館だ。彼女は、この間「エキプ・ド・シネマ」運動を立ち上げ、映画界にある地位を築いた方だ。このホールが開設して45周年になる、2月9日にお亡くなりになった。ホールには、その遺影も飾られていた。

 私は、これまでずいぶんこの岩波ホールで映画鑑賞させていただいた。ご冥福をお祈りしたい。

【2月27日の歩行記録】

10,021歩、6.97㎞、1時間10分、330.2カロリー

 

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2013年2月 5日 (火)

№1867 映画『東京家族』を観る

 先日、車を運転しながらラジオを聞いていたら、吉行和子が出演して、映画『東京家族』の話をしていた。そういえば、あちこちでこの映画が話題になっている。思い立って、この映画を観に行って来た。

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 この映画は、山田洋次監督の第81作目の映画で、「小津安二郎監督へのオマージュだ」という。2012年、世界の映画監督が選ぶ最も優れた映画第1位に選ばれたのが、1953年(昭和28年)制作の小津安二郎『東京物語』なのだそうだ。私はこの映画を観たような気もするが、あまり記憶にない。

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 山田洋次監督は、現代版『東京物語』を撮りたいという意図で、この『東京家族』の制作を思いついたらしい。それにしても、映画のあちこちに山田洋次監督の思いが込められていて、思わず涙ぐむシーンが多くあった。

Photo_3 瀬戸内海の小島に暮らす老夫婦が、ある日、子どもたちの住む東京にやってきた。長男(西村雅彦)は開業医、長女(中嶋朋子)は美容師、次男(妻夫木聡)は舞台美術をやっていた。

 上京してはみたものの、老夫婦のいる場所はなかった。子どもたちの家を泊まり歩いたが、狭苦しいのでと、横浜のホテルを子どもたちが取ってくれた。ホテルに泊まってみたものの、落ち着かない。早々に長女の自宅に帰ってきたが、そこにもいる場所はなかった。

 夫婦は別れ、夫は友だちと亡き旧友のお参りをし、帰りに飲み屋に寄った。そこでも、老人の客は迷惑がられた。一方、老女は次男の狭いアパートに泊まりに行った。そこで、思わず次男の婚約者と会うことになった。

Photo_4 夫は疲れて長男の家に帰ってきたのだが、妻は次男のフィアンセとの思わぬ出会いにウキウキして帰ってきた。ところが、そこで事件が起きた。

 映画館の中では、このシーンから先、鼻をグズグズすする人が多かった。

 これ以上は、映画を観る方のためには語らない方がいいかもしれない。何が起きたのかは、興味のある方は映画館にどうぞ。

 それにしても、蒼井優の爽やかさが良かったね。

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2013年1月18日 (金)

№1849 映画『最初の人間』

 東京に出て、時間がある時にまず最初に訪ねるは、神保町交差点にある岩波ホールである。何の映画がかかっているか、絶えず目を光らせている。今回行ってみたら、原作アルベール・カミュの『最初の人間』だった。時間があるまま、鑑賞してきた。

 『異邦人』『反抗的人間』等の作品を書いたカミュは、今年生誕100年を迎えるという。しかも、この作品は、1960年カミュが交通事故で亡くなった時にカバンの中から発見された未完の小説だったらしい。フランスでは、この小説が発表された1994年、60万部を売り上げるベストセラーになったらしい。私は読んでいないが、さて、どういう映画だろう。

Firstman
 カミュの少年時代を描いた自伝的な映画だった。カミュはフランスで成功を収めた作家だが、出自はアルジェリアの貧しい家だ。お父さんは彼が生まれると同時に戦争で亡くなり、厳格なお祖母さんとお母さんに育てられた。

 映画は、1957年のアルジェリアを主人公コルムリが再訪する場面から始まった。お母さんはまだ元気だが、お祖母さんはすでに亡くなっている。追憶の地を訪ねながら、彼の少年時代を回想するというストーリーだった。

 その当時は、アルジェリア解放戦線とフランスが独立を巡る紛争地で、あちこちで軍隊とFLNとの闘いが繰り広げられていた。小学校時代の学友の家や恩師の先生を訪ねながら、貧しかった少年時代を描いていく。

 映像は、寂しいながらも淡々としたものだった。ただ、タイトルとなった『最初の人間』とは何を意味していたのだろうか、最後まで分からなかった。

 そして、アルジェリアの現実は未だもって解消されていないのか、奇しくもアルジェリアでイスラム武装勢力に捉えられた人質の問題が、大きなニュースになっている。今朝3人の無事が確認されたというが、残りの人質はどうなったのだろうか。この記事を書いている段階では、未確認だという。

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2013年1月 4日 (金)

№1835 映画【ホビット 思いがけない冒険】

ホビット 思いがけない冒険のポスター

 孫たちを誘って、映画【ホビット 思いがけない冒険】を見てきた。菖蒲にある映画館に行ったら、次の上映は5時間後の午後4時だという。諦めて羽生の映画館にいった。そしたら、3D映画ではあるが、すぐに始まるという。若干高くついたが、入館した。

 実は、11年ほど前に公開された映画【ザ ロード オブ リング(指輪物語)】は、今回公開された【ホビット】の後に続く物語なのだ。私は、ズーットこのホビットが映像化されることを待ち望んでいた。それがようやく実現したのだ。

 私は、一時、ファンタジー児童文学に凝っている時期があった。そのなかでも最高傑作と思っていたのが、この【ホビットの冒険】である。この小説は、2度、3度と重ねて読んでいる、私の愛読書の一冊だ。そして、【指輪物語】も長編小説だが、2度ほど読んでいる。

 この小説は、1937年、イギリスのJ.R.R.トールキンが書いた小説で、発表されてから75年になるが、今でもファンタジー作品の最高傑作といわれている。この構想力の深さには、私も納得している。さて、今回の映画は、その小説をどのように描いているのか楽しみだった。

 実に、小説に忠実に描かれた映画だった。ホビット村のビルボ・バギンズ家に魔法使いのガンダルフが突然訪れた。彼を冒険の旅に誘うためだ。安逸な生活を楽しんでいた小人族のビルボには、そんな気持ちは全然なかった。ガンダルフの画策で、ビルボ家ではドワーフの大パーティが開かれることになった。旅に出発するための前祝いだ。それに促されるように、ビルボもいやいやながらその旅に同行するようになった。これが冒険の始まりだ。

 ビルボは、困難な旅と様々な苦難を乗り越えて、ある地下洞窟でゴクリと出会った。そして、ゴクリが思わず落とした指輪を拾ったのだ。この小説では、指輪のことはサラッとしか触れられていないが、この指輪が後半の主役を占める。

 ゴクリとビルボの闘いの途中で、この映画は終わった。何でこういう中途半端な終わり方をするんだろうと不思議に思い調べてみたら、この映画は三部作で、今年の暮と来年の夏に第二部、第三部が発表されるという。第一部は、後半への期待をにじませながら終わったのだ。

 私は初めて3D映画を観た。入場の時に100円の3D用メガネを買わされたのだが、迫力十分だった。映像が浮き出て見えるのには驚いた。まあ、これだけ楽しめるのなら、若干高くついても良いか。

  さて、この小説を読んでいない孫たちに、この映画の意味はわかったのだろうか。

 

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2012年11月11日 (日)

№1,775 映画『のぼうの城』

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 映画『のぼうの城』を観てきた。この映画は、私の周辺では大変話題になっている。特に行田近辺に住んでいる仲間にとっては、街おこしの格好の宣伝になる映画だ。原作はベストセラーのコミックだったらしいが、上映を心待ちにしていた方が大勢いた。

 何か聞くところによると、この映画はずいぶん前に完成していたのだが、昨年の東日本大震災の大津波を慮って、上映は延ばし延ばしになっていたようだ。

 ストーリィは、行田にある忍城を巡っての攻防戦だ。豊臣軍が小田原の北条を攻めると同時に、関東一円に広がる北条の支城を攻略していった。館林城と忍城を攻めるのは石田三成の2万の軍隊だ。対して、忍城を守るのはわずか500の軍勢だった。

 その城代は、でくのぼう殿様を略して【のぼうさま】と領民から慕われていた成田長親である。武士・領民ともにほとんど戦意はなかったのだが、石田軍の降伏勧告に来た大名のあまりに高圧的な態度に、思わずのぼうさまは「闘います」と宣言してしまった。

 戦端が開かれ、2万の軍勢で力押ししたのだが、石田軍は初戦に敗れてしまった。城の周りには、利根川や荒川の大河が流れている。石田軍は、力づくで攻めるよりも水攻めを選択し、土嚢で26kmにあまる堤防を築いた。これは、豊臣秀吉の高松城攻めにヒントを得たものだ。

 水に浮かぶ忍城は、如何ともしがたかった。そこで、のぼうの殿様は一策を練った。水に囲まれた池に船を浮かべ、一人で敵方に近づいた。その上で、滑稽な田楽踊りを演じてみせたのだ。この踊りに、敵も味方も忘れて多いに興じた。

 敵方について柵を作った農民が、のぼう様を救おうと柵の土嚢をとり除き、結局はこの柵が決壊してしまった。これを見た石田軍は和議に持ち込み、忍城は落ちなかった。

 のぼう役を演じた野村萬斎の演技が光る映画だった。

 埼玉だけなのだろうか、上映からもう1週間になる平日にもかかわらず、映画館は満員だった。今日の新聞報道によると、埼玉の映画入場数は普通の倍の15%弱だという。この勢いで、行田の忍城見学の観光客も増えるに違いない。行田に行った方は、足袋蔵見学のついでに、名物の【フライ】と【ゼリーフライ】も食べてきていただきたい。

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2012年9月10日 (月)

№1,713 映画『あなたへ』

 土曜日の午後7時30分からのNHK番組『プロフェッショナル 高倉健73分スペシャル』という番組を見た方は多かったと思う。私の感想は、「そうか、われらがヒーロー健さんも、もう81歳になったか。私も年をとるわけだよな」というものだ。

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 この番組を見たからというわけでもなかったのだが、高倉健主演映画『あなたへ』を観に行って来た。前日のNHKの番組の影響だったのか、あるいは日曜日だったのか知らないが、映画館はかつてないほどの盛況だった。入場券はすんなり買えたが、いつもはガランとしているシネマコンプレックスが、この日はほぼ満員だった。

 映画はそんなに難しい内容ではない。富山刑務所の刑務官をやっていた主人公の妻が53歳の若さで亡くなった。彼女の遺言は、「私の遺骨は、故郷平戸の海に散骨して下さい」というものだった。さらに、もう一通の遺書は、平戸の郵便局で受け取るようにというものだった。

 主人公倉島は、自分の手作りのワンボックスカーで富山から平戸への旅に出る。この車は、亡き妻洋子と元気になったら、日本一周の旅に出ようと様々な意匠を凝らしたものだ。このドライブ旅行をしながら、亡き洋子との思い出、旅で会った様々な人物との交流、平戸で出会う現地の人とのやり取りなどが描かれていた。思いを遂げられた田舎の海での散骨…。

 そして、平戸の郵便局で受け取った遺書には、たった一言『ありがとう』と書かれていた。

 2時間弱の映画だったが、画像もきれいだったし、丁寧に描かれていた。ストーリーも明快で、退屈せずに見ることができた。

 それにしても、やはり感じたのは高倉健も老いたね、ということだ。彼は、映画に出演するのは6年ぶりだったらしい。若いころには年に20本も撮っていたというから、ずいぶん変わったものだ。

 「年をとってみると、たくさんの映画に出るよりも、優れた脚本の、しかも選ばれた映画に出ることに重きを置く」という発言は納得できた。寂しいが、生きている間にこれから何本の映画に出演できるのだろうか、楽しみである。

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2012年6月30日 (土)

№1,941 映画『キリマンジャロの雪』

 最近とんと映画を見ていない。先日も映画を見ようと近くのシネマコンプレックスの映画館に行ったのだが、見たい映画が掛っていなかった。どうも、シネマコンプレックスはどこも同じような映画をやっているようで、独自性がないのが不満だ。

 そして、久し振りに「東京に出て」ある人に会ってきた。もちろんアポイントを入れたのだが、彼に「東京に出るのを機会に会いたい」と言ったら、東京に出るという表現を奇異に感じたらしい。彼と会ったら開口一番、「そんなに東京に出ていないのですか」と聞かれた。サラリーマン時代は通勤で毎日東京に出ていたのだが、最近では月に1~2度になってしまった。彼には、その表現が面白かったらしい。

P6290001  東京に出るのを機会に、良い映画を見たいものだ。そして必ず注目するのが【岩波ホール】にかかっている映画だ。今かかっている映画はフランス映画で『キリマンジャロの雪』だった。『キリマンジャロの雪』というと、どうしてもフェミングウェーの小説を思い出すのだが、この映画は、小説とは全然関係のないものだった。

 それにしてもいつも驚くのだが、今回も【岩波ホール】は、平日の昼にもかかわらず約500ある席がほぼ一杯になっていた。もちろん圧倒的にシニア世代が多いのだが、学生らしき姿もちらほら見えた。上記のシネマコンプレックスが平日はガラガラなのに比べて、何という違いだろうか。それほど【岩波ホール】のファンが多いのだろう。

 『キリマンジャロの雪』の舞台は、フランスの港町マルセーユだ。ここに住み、結婚30年を迎えた夫婦が主人公だった。どこもそうなのだが、この町も不況で仕事にあぶれる人が多かった。夫ミシェルは労働組合の委員長をやっていたのだが,、20人のリストラを組合から出す必要に迫られた。クジ引きをやってリストラを決めたのだが、もちろんミシェルもリストラ要員になった。

 ミシェルにはマリ=クレールという奥さんがいた。彼女も老人介護のアルバイトで家計を助けていた。その夫婦に、ある日、親族からアフリカの「キリマンジャロの雪」を見に行く航空券とカンパのお金が集まった。夫婦は、その旅行を楽しみにしていたのだが、カンパのお金と航空券を強盗に盗まれてしまったのだ。

 ひょんなきっかけで、その強盗は昔の同僚だとわかった。もちろん警察に告発して捕まったのだが、その強盗には、まだ小学生に通う兄弟に飯を食わせてゆかなければならない責務があった。お兄さんが捕まって、その兄弟はとたんに毎日の生活に行き詰ったのだ。

 その事情を知ったミシェルとマリ=クレールの取った行動が、この映画の見せどころであった。

 海と太陽の光に溢れた港町マルセーユの魅力とともに、感動の人間ドラマにあたたかな気持ちになった。

 ただ、この映画のタイトル『キリマンジャロの雪』はこれでよかったのだろうか、疑問に思った。

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