カテゴリー「旅行・地域」の44件の記事

2009年11月 3日 (火)

№655 茸狩り

 昨晩は、食卓に乗り切らないぐらいの、信州の食べ物をご馳走していただいた。もちろん茸ありで、鍋物や揚げ物、お刺身、生野菜、茸スープ等々ドンドン出てきた。それにアルコールである。いやはや、満腹であった。
 もう食べ物はいいよといったのだが、最後には餃子が出てきた。スパゲッティもという申し出もあったが、さすがお断りした。食卓に出てきたものは残さない主義なのだが、申し訳なかったが、大量に食べ物を残してしまった。信州で相当太って帰って来たのではなかったかな。
018 019  朝、8時前に家を出た。茸狩りに連れて行ってくれた山は、飯山の奥の方だった。車で1時間弱もかかった。Akio氏が言うのには、「初心者でも茸狩りを楽しめる秘密の場所」とのことだ。
 ただ、昨日Yutakaさんも言っていたのだが、今年は茸が不良の年だったらしい。原因は、9月の雨不足だという。例年の20%ぐらいしか降らなかったようだ。おかげで、松茸は全滅と言っていた。
 完全防備で山に入った。持った籠はガラーンガラーンと五月蝿いほどの鈴が鳴っている。何でも“クマ除け”のためという。そういえば、今年はクマの被害が随分ニュースになっていたネ

 山に入ったのはいいが、昨晩の飲み過ぎでフラフラしている。足下が定まらない。しかし、茸博士はそんなこと知ったものかと、ドンドンヤブを踏み分け、奥へ奥へと道なき道を入っていく。
 彼にとっては、今年は大不満だ。いくら入っていっても、目的の茸はあまり見つからないからだ。ましてや、素人の私には探し出せるはずもない。初心者コースにしてこれだから、今年は深刻な不作なのだろう。
013  それでも紫シメジの群生に行き当たった。茸は群生でなる習性があるようで、ぶち当たったら楽しい。地ナメコもポツンポツンと見つかる。大事に大事に、茸を地面から引き剥がす。
012  何と、大きな木になっている平茸を発見した。この茸は、彼が何度山に入ってもめったにお目にかかれない代物らしい。記念にと写真を撮ったが、残念ながらピンボケだ。まあ、アップするのでご覧いただきたい。
 一時間も山をうろつきまわっただろうか、「おい、今日はもう上がろうや」と言うことで、茸狩りを終えた。
023  不作とはいっても、籠いっぱい取れたから立派なものだ。Akio博士があらかじめ採っておいたムキタケカタハ)も含めて、箱いっぱいのお土産ができた。
 ハゲタカというのはいるもので、斑尾高原に遊びに来ていた、矢張り仲間のAkira夫婦がひょっこりと顔を見せた。折角採ってきた茸を横取りする狙いがあるようだ。そこは気のいいAkioさんとシンさん、半分に分けてお土産として持たせた。
021  「オランチェ」で買ってきた野菜と、近所で分けてもらった葡萄とりんご、それに茸のお土産で車が一杯になった。お昼、茸がたくさん入ったおそばをいただき、高速が混まないうちにと早々に退去した。
 Akioさん、本当にお世話になりました。信州の秋を充分に満喫できましたヨ。ぜひ11月にはウチに立ち寄って下さいね。お土産なしですよ。

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2009年11月 2日 (月)

№654 恒例の長野旅行

 この2~3年、春と秋の2度は長野に旅行に行っている。学生時代の仲間Akio君の自宅に泊まりがてら、春は山菜採り、秋は茸狩りだ。毎回、2~3人と連れ立って出かけている。
 今年も、秋には長野に行く約束を取り付けた。いつもの仲間に声をかけたが、いろいろと事情があり、今年はダメという。女房も用事があるそうだ。Akio君にどうしようか相談したら、「一人でも来ればいいじゃないか」という。
 その言葉に甘えさせてもらい、一人で出かけた。一人ならばということで、長野在住のYutakaさんに電話をかけたら、お昼を一緒に食べようとの返事だ。彼には長野に来たら必ず声をかけるようにとキツク言われているのだが、いつもは仲間が一緒なので声をかけそびれていた。
 お昼過ぎに須坂長野東インターチェンジに到着したら、彼は迎えに来てくれていた。彼と会うのは、1年ぶりくらいかしら。
 「美味しいそばを食べに行こう」と誘われ、否も応もなくOKした。
 本当に天気の良い日で、高速道も軽井沢を過ぎたら全山真っ赤な紅葉だった。さすが最後の紅葉を見ようと、高速道路も混んでいた。
002  Yutakaさんが連れて行ってくれたのは、戸隠の麓、飯綱高原からちょっと行った【大久保茶屋】だった。
 私はもう30年以上も前になるが、スキーに長野に来ていた。私の大好きなコースは、戸隠スキー場だ。随分通ったものだ。一度数えたことがあったが、1年に50日ほどを戸隠スキー場で過ごしたこともあった。従って、この「大久保茶屋」は何度か立ち寄った。
 その旨をYutakaさんにお話したら、「シンさんの行ったそば屋は、【大久保茶屋】か【大久保西茶屋】かどちらだ?」と聞かれた。あれ、どちらも同じじゃないのかと答えたら、隣同士だがぜんぜん味が違うのだそうだ。
 よく見ると、私がそばを食べたのは【大久保西茶屋】だった。
007  ということで、【大久保茶屋】には初めて入った。お昼を過ぎていたが、結構混んでいた。ようやく通された2階の座敷で、注文したのは天ざるの大盛りだ。
006  たしかにそばも美味しかったし、てんぷらもカリっと揚がっていた。そうだ写真を、と撮ったのは半ば食べた後だ。まあ、雰囲気だけでも味わってもらいたい。
010  帰りに見た飯綱山は、頂上の方はもう紅葉も終わり、冬のスキーシーズンの到来を待っているようなたたずまいだ。
 Yutakaさんとは、東京での再会を約して別れた。
 Akioちゃんの家に着いたのは3時頃だ。奥様のAkikoさんも首を長くして待っていてくれた。本当に友達というのは、ありがたいものだ。
 彼と、早速温泉に行くことにした。
029  車で30~40分も行ったろうか、「信州高山温泉郷 山田温泉spa」だ。温泉郷とはいうものの、鄙びたとまではいかないが、小さな温泉町だった。わたしは、ここには初めて行った。
030  村営の温泉に入った。先客が4~5人も入っていた。入ってみて驚いたのだが、この湯が熱い。44~5度もあるだろうか。我慢して入っていたら、ユデダコのようになった。
 それにしても、温泉はいつ入っても良いものだ。今晩の酒は、さぞかしや美味しいことだろうね。

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2009年10月19日 (月)

№640 蓼科の秋

 昨日の「蓼科でのゴルフ」の続きを書くことにする。
 ゴルフ終了後、Michiちゃんの別荘での晩餐会だ。とりあえず、Michiちゃんと私は、麓の農協売店に材料を調達に出かけた。本当は茅野のスーパーまで行けばいろいろな食材も用意できたのだが、疲れていたこともあり、手近なお店であり合わせのものを買うことにした。
 今晩の食事は、野菜と焼肉パーテーにしようと決めた。肉もあまりたいしたものは置いていなかったが、牛・豚・鶏と、在庫のある肉を買い占めた。さらに、キャベツ・たまねぎ・椎茸・ピーマン・もやし・卵・やきそば等目につく限りの野菜類も買った。
 一番大事なのが酒だ。ビール2ケースに日本酒、焼酎に氷だ。
 さらにデザートとして、梨に柿を買った。パンも買い、今晩と明日朝の食材は手っ取り早く箱に収めた。
 帰ってきて台所では私の出番だ。キャベツのみじん切り、たまねぎの皮むきと輪切り、ピーマンの種取り、椎茸のジク取り等をやり、野菜の皿が山盛りになった。さらに買ってきた肉も、焼肉用に切った。手っ取り早くやりおえた。
005  食卓では、すでに宴会が始まっている。
003  なんといっても、蓼科でのゴルフの成績で盛り上がった。ベスグロは私であったが、新ペリア優勝はTatsuちゃんだ。前後半ともボギーペースでまとめ、ステディなゴルフでの優勝をさらった。私も彼と一緒に回り、そのステディさは大変勉強になった。
006 004  シャンパン・ワインの差し入れもあり、宴会は夜遅くまで続いた。ただ、昨晩興奮してほとんど睡眠をとっていなかったというAkioちゃんは、早々にダウンした。買ってきた酒、差し入れのお酒をほぼ飲みつくして宴会はお開きにした。
 翌朝、ゴルフの疲れと二日酔いで誰も起き出してこなかった。仕方ない、私が早起きをし、食卓の汚れた皿を洗い、掃除をした。さらに朝食の支度も私の仕事だ。
 お湯を沸かし珈琲のしたく、目玉焼きをつくり、昨晩の残りのキュウリを添えた。そして果物の皮をむき、食卓が賑やかになった。男どもは、料理の出てくるのをジーッと待っているだけしか能がなかった。しょうがな
いね。
 何と、昨日買った食材がきれいさっぱりとなくなった。私は買い物の名人でもあるのだ。
 食後に、蓼科の秋を味わうべく、別荘の周りを散策した。この付近は白樺に落葉松が多く、景色は黄色に染まっている。
012  皆で記念写真を撮り、この会の蓼科旅行はお開きとなった。私とAkioちゃんは、急ぐ旅でもないので「麦草ヒュッテ」経由で、蓼科の秋を楽しむことにした。
016 015  麦草峠は2,172mと標高が高いが、その途中は紅葉の真っ盛りだった。ヒュッテの女主人に聞いたら、峠の付近はもうすでに紅葉の時期は過ぎたとのことだ。ただ食卓に飾っているリンドウは色鮮やかなので、この近辺で取れたのか聞いたら麓から持ってきたものだと話していた。
 帰路も紅葉が盛りの道を下ってきた。高さによって、紅葉の色も違っているのが面白かった。(
写真はクリックすると、大きな画像になります
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2009年6月29日 (月)

№528 熱海・文学散歩

 熱海の保養所で、朝食後解散した。ほとんどの人はタクシーで帰っていったが、有志何人かで熱海の文学散歩を試みた。

035  保養所のすぐ下に杉本苑子さんの旧宅「彩苑」がある。玄関の写真を撮っていたら、そこの管理者に、ぜひ中を見ていってくれとのお誘いを受けた。この保養所にももう来ることはないと思い、旧宅を覗いてみることにした。

 杉本苑子さんの作品が展示してあった。そういえば、私は杉本さんの作品を039読んだことはないな。中央公論社から全集も出ていて、結構多作な作家だということがわかった。

 パンフレットによると「彩苑」とは、「人々が華やかにあつまるところ」という意味で命名されたとある。床の間には掛け軸が掛けられ、以下の句が収められていた。

037  憂きはひととき

 うれしきも

 思い醒ませば

 夢候よ     (「閑吟集」より)

 彼女は、今、この旧宅から山一つ越えたところに住んでいるとのことだ。ここには彼女との交友のあった文化人、森村誠一・橋田寿賀子・池田万寿夫等の作品も飾られていた。杉本さんは直木賞作家で、文化勲章受章者であることもここで知った。

041  「彩苑」を出て、坪内逍遥の旧宅「双柿舎」を覗いてみようと思ったが、残念ながら日曜日以外は開館していないとの事だった。そして行った先が「起雲閣」だ。

 この「起雲閣」は、非公開の岩崎別荘、今はなき住友別荘とともに熱海の三大別荘と称されているらしい。大正時代に建てられ、昭和の始めまでは別荘として使われていた。昭和22年、旅館として営業を始めた。錚々たる文豪がこの旅館をこよなく愛したようだ。坪内逍遥・尾崎紅葉・志賀直哉・谷崎潤一郎・太宰治・武田泰淳らが訪れたとなっていた。特に、太宰治『人間失格』はこの旅館で書かれたという。そして、その1ヵ月後に入水自殺した。

 入館料は500円だったが、お金を払っても損のない旅館だった。「麒麟の間」044 048 「大鳳の間」等和式の部屋、「金剛」「玉渓」等洋間、中華様式の部屋は装飾も素晴らしく、優美な気品を漂わせていた。「金剛の間」の隣には“ローマ風浴室”もあった。

049  さらにこの「起雲閣」の素晴らしさは、これらの部屋を囲むように緑豊かな庭園が配されている。ボランティアの説明によると、この庭園は旅館になってから相当植え込みがなされたとのことだ。大きな池には鯉も泳いでいた。

 さらに贅沢な別亭「孔雀の間」を見たのだが、別のボランティアの方が説明を050 かってでてくれた。この部屋でぜひ見てもらいたいのは、板の間や天井の梁、すべてが一枚板でできていることだそうだ。さらには床の間の柱・北山杉は何百万円という価値のあるものだそうだ。庭園に続く「上がりがまち」も一枚の石で、巨大なものだった。余談だが、ここは女優・竹下景子が新婚旅行で泊まった部屋としても有名だそうだ。

 喫茶室で「アイス抹茶」をいただいてきた。この「起雲閣」は、今は熱海市が管理運営しているようで、すみずみまで管理が行き届いていた。

051  帰りにここからすぐ近くの、「熱海芸者見番」を覗いてきた。30分ほど芸者の伝統芸を見せてくれるとのことだったが、1300円も出して見る気にはならなかった。

 東京駅に着き、八重洲口の碁会所で高校の同窓会の囲碁クラブが会をやっているというので覗いてみた。何局か対戦をしてみたが、成績は散々だった。

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2009年6月28日 (日)

№527 恒例の熱海旅行

 気の置けない仲間での「熱海旅行」も、今回で4回目になる。この会の主催者でもある横Takeちゃんの会社の保養所に泊まり、普段のストレスを思いきり発散しようという会である。この熱海の保養所も8月一杯で閉鎖ということで、残念ながら最後の旅行になってしまった。

 参加者は16名。横Takeちゃんは急に都合が悪くなったというので不参加、会の最長老Gunzoさんも肺炎を患ったとかでこれも不参加、さらにはOeさんとかMatsumuraさんという常連も参加できず、例年に比べていささか寂しい旅行会となってしまった。

 しかしそこは役者ぞろい、Takeちゃんに代わってここの家主Kazubumiさんが大張り切りである。その不在の寂しさを感じさせないくらいだった。

 風呂から上がったら、まだ明るいのに飲み会が始まった。夕方の5時過ぎである。これで延々と宴会になるのだろうね。

006  夕食がてら、それぞれが近況報告である。この春に社長就任したMochiちゃんの報告には、皆さんが大笑いである。社長就任でなにが大変かといって、膨大な書類に判子をつくことだそうだ。それまではシャチハタで済んでいたものが、実印なので力も要るし、えらく大変と話していた。さらには彼の戸籍の名前が旧字なので、「壽」という字を書くのにエラク難儀しているのだそうだ。

 それをきっかけに「シャチハタ論議」になった。シャチハタを何本も潰したという豪の者まで現れた。

 私は「ブログ生活の日々」の報告をした。Yoshihideさんか010 ら、「あることないことをブログに書かれて、皆えらい迷惑を蒙っている」とのクレームがついた。「なるべく迷惑をかけないようには書いているのだが、あることないこととはひどいじゃないの。少なくとも、ないことやフレームアップは書いていないはず」と私も反論した。本当に皆さん、よく私のブログを読んでくれているようで、有り難いような面映いような感じだった。

011  夕食もそこそこに、大カラオケ大会の始まりだ。カラオケになると独壇場のShimaちゃん。場の取り仕切りやマイク片手に美声を聞かせてくれるのはいつものことだ。この晩は一人で何曲唄ったことだろうか、ヒトノメイワクモカエリミズに・・・。

 この晩は、Mochiちゃんも張り切ってマイクを握っていたね。社長の激務から015 逃れるには、ストレス発散が一番。その割には一方のYoshihideさんは皆の唄を子守唄代わりに眠ってしまっていた。彼の劇太りが、友として少々心配になった。仕事も大変かもしれないが、老婆心ながら、少し運動をしたらどうかしらね。

020  この会の名物「ハダカ躍り」が始まったのは、夜もだいぶ更けてからである。今晩の主役Kazubumiさんは上半身裸でマイクを握っている。Yoshikazuさんが絡み始めたのは、まもなくたってからだ。皆、腹を抱えて大笑いである。

 さしもの、用意した酒はあらかた飲みつくした。夜も更け、皆で肩を組み輪になって、「青春032 時代」と「青い山脈」を声高らかに唄いその晩はお開きとなった。何かその後、夜中2時過ぎまで議論に熱中したという話も聞くが、私は眠ってしまった。夜中2時過ぎに、ドンドン部屋のドアを叩く音がした。Eimeiさんのご帰館だった。

 翌朝は良い天気で少し暑いぐらいだった。朝食後、再会を期して別れた。Takeちゃんが参加できなかったのは残念だったが、皆、晴れ晴れとしていたね。世話人の本郷Takeちゃん、本当にご苦労様でした。

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2009年6月16日 (火)

№515 山菜採り本番

 いよいよ今日は、今回の目的の山菜採りの日だ。Akioさんは一体どこに連れて行ってくれるのだろうか?

 出発したのは8時30分ころだ。朝ご飯を食べグズグズしていたら、結構遅くなった。ここの主人は、この日のために素人が一番楽しめそうな山菜採りの場所を前もって検討つけていたようだ。

 あいにくの曇り空で、妙高の山に入って行ったら深い霧に覆われた。天気が良いと雨飾山焼山火打山等の“日本100名山”が望めて抜群の景色らしいが、残念ながら視界はゼロだった。道沿いには、山菜採りと思しき車が狭い道路を埋めている。先行を走る観光バスがその車を避けて通るのに難儀して、時間が倍もかかってしまった。

 “笹ヶ峰”高原を通るころにはだんだんガスも薄くなってきた。と同時に、新潟県ナンバーの車が目立つようになった。何と、山菜取りに新潟県まで来てしまったのだ。2時間近くも走っただろうか。長野県側でガスっていた天気も、新潟県側に入ったらすっかり回復していた。

019  私は長靴を用意してきたが、Mochiちゃんはハイキングシューズに毛が生えたようなものを履いていた。山菜名人Akioさんがそれじゃ無理だよというのを押して、山に入ることになった。Akira君はさすが用意周到というか、雨合羽を着始めた。

 いきなり谷筋に入って行った。谷川を何度も横切る。私は長靴で平気で水に入れたが、すぐにMochiちゃんは靴とズボンを濡らし始めた。だから言わないこっちゃないのにネ。

 谷川筋に生えている蕗や山ウドを採集した。それ以上に、ヤブ漕ぎに苦労し024_2 020_2 た。こんな筈じゃなかったのに、とブツブツ言い始めるAkira君。道沿いを少し入ると山菜がどっさり採れるものと勘違いしていたようだ。そんな不満も知らぬげに、山男はどんどん谷筋を極めてゆく。

 お二人さん、段々離されていくようよ。そして山親父は急坂を登り始めた。ヒーヒー泣きながらついてきた二人だった。私にはそんなに急には思えなかったのだが・・・。

025  ここからが山菜採りの本番のヤブ漕ぎだ。このヤブには“根曲がり筍”があるという。先生がその筍の見つけ方を実践してくれた。われわれ素人眼には見えない筍が、指摘されるとたしかに竹薮の根本に生えている。なるほど、こうやって見つけるものなのか、と段々目が慣らされてくる。そのうちMochiちゃんも大きな筍を発見した。もう疲れもなんのその、筍狩りに夢中である。「まだちょっと早かったかな」と独り言をいう名人。

 Akiraさんから大きな声がかかった。「キノコの群生があるぞ~!」行ってみた027 ら、ナラ茸の群生である。山菜名人のAkio君には、春の茸はおいしいがもろいのでそっと採るように、と注意を受けた。

 山菜採りも面白かったが、茸狩りも昨年の秋よりも収穫があったのではないかな。茸は群生地を見つけると、夢中になる。どうもこの茸は枯れたナラの木に生えるもののようだ。

028  “根曲がり筍”も一杯採れたが、“ナラ茸”もビニール袋一杯の収穫だった。わずか2時間ばかりの入門コースだったが、袋一杯採れて満足しているシンさん。程よい汗もかいた。

 いや~~ぁきつかったという感想に、「今日のコースは小学生コ030 ースだよ」とのたまう名人だった。収穫の後に食べたおにぎりの美味しかったことといったらなかったね~。

 帰りに3家族に平等に分けて、お土産にに持たしてくれたAkio君、最後まで優しかったね。ありがとうございました。

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2009年6月15日 (月)

№514 信州へ山菜採りに

 昨年の10月に信州須坂のAkioさんの家に茸狩りに行った。その際に、来年の春には山菜採りにおいでよ、とのお誘いに乗って、またまたノコノコ出かけてきた。一緒に行ったメンバーは、昨年の秋と同じAkira君、Mochiちゃん、それに女房と私だ。女房は1週間ほど前から腰を痛めグズグズしていたが、結局は一緒に行くことになった。

 昨年は節約のため、なるべく遠くまで一般道を行き、ぎりぎりに高速道に乗った。だが今年は事情が違って、東松山から高速に乗った。なんといっても長距離走は、ETCの効果が抜群だ。正規料金4150円が1000円で行けたのは強みだ。

008  9時過ぎに出発し、須坂に着いたのはお昼前だった。220kmの距離を3時間弱で走った。矢張り土曜日の高速道は、渋滞ということはないが混んでいた。Akio君も、あまりにも早い到着にびっくりしていた。車の中で「信州そばを食べたい」と騒いでいたMochiちゃん。Akio君にその旨を話したら、戸隠の宝光社にある蕎麦屋の支店が近くにある、と戸隠蕎麦のお店に案内してくれた。

 このお蕎麦屋さんは普段は満員で、なかなか入れないらしい。たまたま席が空いていたので座ることができた。

 大盛蕎麦と蕎麦団子を頼んだ。車を運転しないAkira君とMochiちゃんは昼から蕎麦割り焼酎だ。どうもそれだけでは足りないらしく、“八海山”を飲もうということのようだった。「私はいらない!」と固辞していたMochiちゃんも、結局はペロッと飲んでいた。さらにダイエットしているから食べないと遠慮しながらも、蕎麦団子を4個も平らげていた。私など2個で腹いっぱいなのに・・・。

 同行者は信州蕎麦を食べてを久し振りに満足したのだが、Akio・Akiko夫婦の辛口コメントは、「今日の蕎麦は茹でがたりないな~」だった。

 Akio家について一服するまもなく、温泉に行くことにした。彼の自宅から30分009 圏内にはたくさんの温泉がある。今回訪問した温泉は、“信州子安温泉”という湯治場だ。赤褐色で鉄分の茶色い湯で、体がポカポカ温まるとのことだ。

 30分も入っていたら、額から汗が吹き出てくる。半身浴でしばらく鉄分の茶色い湯に浸かった。柄杓があったので温泉を飲んでみたが、金臭かった。なんでも地元の人に話を聞いたら、週に2~3度は入浴に来るとのことだ。何に効くのか聞いてみた。足腰の痛みに抜群に効くとのことだった。今回、腰の痛みで参加できなかったYasuyuki君も、この温泉に入湯したらよかったのにな。ザンネン。

010  温泉から上がったら、地元でも有名なジェラート屋さんがあると案内してくれた。何だこれは、アイスクリーム屋さんに長蛇の列だ。試しにと食べた牛乳入りソフトクリームが、牛乳の味をそのまま残して本当に美味しかった。行列の理由に納得がいった。

 Akioさんちに帰った男どもは、夕方から飲み会に入った。何かダラダラ夜まで033 飲んでいたような気がする。ただ、ソフトクリームの後のアルコールは口になじまない。

 Akioさんは“自己流山菜レシピ・男の家庭料理レシピ”ブログ(クリックで彼のページに行きます)を運営するほど、山菜にかけてはプロの腕前だ。

016  今晩も、彼の腕によりをかけた料理をご馳走になる。ワラビの醤油漬こしあぶらのから揚げサラダ根曲がり筍の焼き物等々テーブルに乗り切れないぐらいだった。最後は山菜入りのご飯を食べてしめた。

 友だちから岩魚の炭火焼の差し入れがあった。これも皆美味し015 くいただいた。

 まだ現役のAkira君は普段の疲れが溜まっているらしく、午後9時半くらいには床についた。それをキッカケに明日の山菜採りを控え、早々にお開きにした。

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2009年6月 9日 (火)

№508 雲表のメルヘン街道

 蓼科での2日目のディナーは、山盛り一杯の鍋料理だった。夜は大きなストーブを焚いて、鍋料理でようやく寒さをしのげるほどの温度だ。食事が終わり、夜のサッカー見物のために、私は早々に床についた。

019  翌朝は気持ちの良い晴れの天気だった。別荘の掃除を急いでやり、それぞれ別れの道についた。

 Mitsukoさんとわたしは、急いで帰る必要もないので、ドライブがてらユックリ帰ることにした。

 北八ヶ岳に“メルヘン街道”という道がある。長野県茅野市から埼玉県入間市にいたる東西に伸びた国道299号線をいうらしい。

022  高原の真ん中を通る爽やかな道だ。この日は日曜日で、ドライブやバイクを楽028 しむ人が多かった。道はどんどん登ってゆく。どこまで登るのかと思ったら、“麦草峠”に行き着いた。なんと標高2127mという。

 北八ヶ岳の縞枯山や茶臼山が良く見えた。またこの麦草峠は高山植物の宝庫でもあるようだ。

 先日那須の山ではもう終わりを迎えていた「ミネザクラ」が満開に咲き誇っていた。さらには高山植物を大切に育てている場所を散歩した。

 「ショウジョバカマ」、「エゾマルバヤナギ」、「日高草」、「チングルマ」、「白花タカネビランジ」等の表示も見られたが、2000mを超える標高では咲くにはまだ早いようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さらに進むと“白駒の池”の表示があった。

 ここを通りながら思い出したのだが、学生時代に、大学の先生とその息子、うちの夫婦でこの池の側のロッジに泊まったことがある。もう40年も前だろうか。それ以来の訪問で、いや~~、懐かしかった。

 このメルヘン街道は信州佐久の方へ行くらしい。途中このメルヘン街道と別れ、武州街道を十国峠へと向かった。表示には、5トン以上の車は通れないとあったが、大変な道だった。乗用車同士でもすれ違えないほど細かった。さらにくねくね曲がっていて、よくMitsukoさんは車酔いをしなかったものだ。

048  ほうほうの体でついた十国峠は、山ツツジが満開に咲いている。さらには、展望台がある。高さが15メートルもあっただろうか。登ってみると、奥秩父の山々、妙義山系、赤城連山などが望め045 た。

 久し振りにドライブを満喫して帰って来た。着いたら午後4時を回っていた。程よい疲れであった。

 本当に皆さん、お疲れ様でした。

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2009年6月 7日 (日)

№506 蓼科旅行

008  Mitsukoさんのお誘いで、2泊3日で蓼科のMichiちゃんの別荘に泊り込み旅行をしてきた。お誘いに応じたのはOgiさん、Yuka夫婦と一人息子のGenki君、Hozumiさんと私の6人だ。もちろん家主のMichiちゃんは当然のごとく参加した。

 Michiちゃんからは蓼科に別荘があり招待したい、と前々から誘われてはいた。ようやくそれが実現する運びになった。Hozumiさんをお誘いしたのは、蓼科でゴルフをやりたい、とのことがあった。

 自宅を午前11時に車で出発した先発組は、途中昼食を摂り、圏央道経由で中央高速道諏訪インターチェンジで降りたのが午後3時近かった。別荘に向かう途中スーパーに立ち寄り、滞在中の食料を調達した。メインシェフは、いつもの通りMitsukoさんだ。彼女の指示に従い、これもいつものように、少し多いかなと思えるぐらいの食糧を買った。

 初めての土地でも、今ではカー・ナビがあるので、そんなに困難なく到着する。ただ別荘地は入り組んでいて少々の地図ではたどり着けない。矢張り、彼の別荘へは管理事務所のご厄介になった。

 この別荘地は“チェルトの森”といい、鹿島建設が開発した土地のようだ。その開発地の最も上に彼の別荘はあった。何でも1400mの標高があるとのことだ。夏は涼しいが冬は寒そうだ。冬は30cmぐらいの積雪があるとのことである。ただ標高がこれだけ高いので、湿気は少ないのが取り得とのことだ。

 その別荘に到着して、中を拝見したが堂々とした造りであった。430坪の土地に50坪ほどの建坪だ。しかも柱や梁は250年前の農家のものを移築したのだそうだ。壁は白い漆喰壁で、居間の真ん中には大きな暖炉が鎮座している。

009  Michiちゃんにお話を伺うと、もう建てて20数年にもなるのだそうだ。友達が持っていた土地を彼の意思で譲り受けたとのことだ。蓼科は那須とは違って、落葉松の林がメインだった。それに赤松が良いコントラストをなし、鬱蒼とした林を形作っている。晴れたらすぐ裏に八ヶ岳が望めるそうだが、この日はあいにくの小雨だ。

 最近は家庭の事情もあり、残念ながらなかなかここには来れないでいると話していた。心なしか黴臭さと、虫の死骸があった。さらに、ウッドデッキは落葉松の落葉がうず高く積もっていた。

 Mitsukoさんは晩ご飯の支度、Ogiさんは掃除にと大童だった。そのうちにHozumiさんも到着した。一段落して、別荘地の下の集落にある“河鹿の湯”という温泉に浸かってきた。温泉に行く途中、別荘の途中の草原に6頭の鹿の家族がいた。車が来ても逃げるそぶりはみせない。

 家主のMichiちゃんとYuka夫婦が到着したのは夜の7時30分を回っていた。

 今晩のディナーは、鉄板焼きだ。2台のホットプレートに山のように野菜と肉、001 魚が温められていく。飲み物はHozumiさん差し入れの赤ワインと、Mitsukoさん差し入れの球磨焼酎一升瓶だ。

004  お腹を空かしていたせいか、鉄板の上の食べ物はあれよという間に一掃された。お酒もたらふくいただき、明日は早いので早々にベットについた。

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2009年3月 1日 (日)

№408 沖縄旅行の整理

 さすが沖縄で目一杯の行動で疲れた。今朝の目覚めは8時半だった。グッスリ8時間の睡眠をとったので、寝起きはすっきりしている。

 最後のお別れの前に、持っていったパソコンを開き、撮ったデジカメ写真をスライドショーで見てもらった。皆がぜひ欲しいとのことなので、DVDにプリントして送ることにした。

 朝起きて、早々とその整理に取り掛かった。出来の良くない写真は「削除」した。そしたら130枚ほどが残った。

 その一枚一枚に、「名前の変更」の処理を施した。年寄りになると物忘れが激しいとのことで、丁寧に名前をつけてあげた。さらには、写真の順番の整理もした。

 そして、三枚のDVDにコピーをした。さらに、そのDVDには昨年末のお葬式の写真、お見舞いに行ったときの写真のフォルダーもつけ加えた。

004_3 (兄と私と弟・私の小学3年の頃か)

  さらにはおまけで、古いアルバムを引っ張り出し、関連の写真をデジカメで撮り、それも添付した。これだけ写真を添付しても、DVDの容量からみるとホンのわずかだ。午前中一杯の作業だった。

 私のブログの「マイフォト」にも、この写真をアルバムとしてアップした。マイフォトをいじるのもほぼ一年ぶりなので、手探り状態だった。写真は順序逆になってしまったが、勘弁してもらいたい。この3年間の沖縄旅行も並べた。

 興味のある方は、どうぞご覧下さい。

 ブログ仲間松ちゃんから、コメントが寄せられていた。彼のブログを読むと、沖縄の私へ「skype通信」を試みたとの記事も載っていた。そうだ、新しいパソコンには「skype」はまだインストールしていなかったんだ。

 今朝の私へのメールでも、「skype」のバージョンアップ情報が載っていた。

 早速、従来のパソコンの「skype」をバージョンアップし、さらには新しいパソコンに「skype」のソフトをインストールした。

 旅には、現地から仲間に「skype通話」をする楽しみもあったのか、とまた一つ旅の楽しみ方を教えられた。これからは、旅行をするときには、マイクとカメラを持参することにしよう。

 松ちゃん、どうもありがとうございましたhappy01

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2009年2月28日 (土)

№407 那覇市内の周辺を歩く

 楽しいことは、始まるとあっという間に終わってしまうものだ。こんなにも楽しかった沖縄旅行も、今日が最終日だ。本当に天気に恵まれた旅行だった。これも弟が支えてくれたのと、皆口々に感謝した。

 今日は、那覇市内とその周辺を見物して歩くことにした。

 ホテルで朝食を終え、その足で「牧志公設市場」へと向かう。買い物となると、女の人たちの目が爛爛と輝きをます。それぞれ胸に、何を買おうか考えてきていたようだ。

 仙台から来たMachikoさんは、ムームーが欲しかったといっていた。女4人は衣料品店に入って、なかなか出てこない。私とFumio兄は呆れて、市場をぶらついた。30分も着るものを選んでいただろうか、私がとうとうイライラして、時間がないよというと、しぶしぶ離れた。

4_005  牧志市場はガラーンとしていて、あまりお客の姿は見えない。那覇の市民の食卓であったはずが、いまや観光客目当ての市場に様変わりしたのだろうか。

 しかし、新鮮な肉や魚が所狭しと並んでいる。海ぶどうも安かった。お店の人は、最近フィリッピン産の「偽装海ぶどう」が出回っていて、えらく迷惑していると話していた。

 秋田の姉は、千葉にいる息子にと大きな伊勢えびを買い求めていた。クール宅急便で4_001 送るのだそうだ。そんな高いものを買って大丈夫なのか尋ねると、「これで高額のおこずかいをせびるから良いの」との答えだ。

4_006_2   Fumio兄と私は、矢張り沖縄に来たらお土産は酒と、泡盛専門店に立ち寄った。この店で一番おいしいという泡盛を、それぞれ買い求めた。私は娘婿と一緒に飲む心づもりだ。

 それぞれが欲しいと思ったお土産を手に入れ、ホテルに帰った。チェック4_009 アウトして向かった先が、「やちむん焼物の里」だ。牧志市場のすぐ裏手にある。どうしてもシーサーが欲しいということだったので、まあ20分くらいのつもりで立ち寄った。ここでも、1時間もかかってしまった。買物となると、時間が読めない。

 秋田の姉は子どもたち用にと、3対のシーサーを買い求めたようだった。

4_010  買物に満足して向かった先が、今日のメーンの訪問地「首里城」だ。この城も世界遺産の一つに認定されている。あちこちが修復工事中だった。私たち夫婦は何度も見ているので、初めての人たちだけが城内に入った。特設会場で「琉球踊り」があるらしいが、午後2時からというので断念した。

 帰りに、偽物ではなく本物の紅型やさんに案内した。Machikoさんがどうしても見てみた4_014 いというので、店頭に幕が降ろされているのにもかかわらず、入ってみた。どうやらその幕は、強い日差しをさえぎるためのものだったらしい。

 素敵な紅型に、選ぶのに悩んでいた。小姑たちが、あれが良い、こちらのほうが良いと姦しいこと。結局、素敵な紅型一枚を買い求めた。テーブルセンターにするのにも良いし、額に入れて壁にかけてもまた良い。

 お土産に満足したかどうか尋ねてみたら、皆納得した顔だった。ヨカッタヨカッタ

 最後に、昼食を食べて空港に向かうことにした。きれいなゴミ一つ落ちていないレストランでなければいや、と駄々をこねる人が出て、レストラン選びにも一苦労だ。何度もあちこち歩き回り、ようやくある食堂に腰を落ち着けた。どうやら、その不平氏も満足したようだった。

4_016  それやこれやで、珍道中の沖縄3泊4日の旅も、ようやく終わりに近づいた。レンタカーの走行距離は380kmだ。Naoko先生からは、交通事故に気をつけてというコメントが寄せられていたが、何事もなくよかった。

 普段、足が痛くて杖をついている秋田の姉も、よく歩いた。万歩計によると、以下の通りだ。

一日目が9.2km・12,038歩・114分

二日目は8.8km・11,687歩・120分

三日目が13.5km・17,902歩・184分

四日目が11.5km・15,091歩・146分だった。

 一日10,000歩なんて歩いたことがないといっていたが、これで自信がついたようだ。

 あんなに良い天気が続いていたのに、飛行機の乗ったとたん、沖縄は雨が降り出した。なんと普段の行いのいいことよsign03 東京の天気は雨で、4度だという。羽田に着いて、沢山着込み重装備に替えた。

 さあて、次はどこに旅行に行こうか。羽田に帰ってきて夕ご飯に寿司を食べながら、次の4_018旅に思いを馳せていた。

 どこに行っても、弟の思い出話が出ていたこともたしかだ。本当に彼も一緒だったら、こんなに楽しい旅はなかったのに、と唯一残念なことだった。

 

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2009年2月27日 (金)

№406 沖縄南部の戦跡訪問

 沖縄は観光地訪問も楽しいが、初めて訪れる人はやはり戦跡を尋ね、首を垂れる必要があると思う。

 姉たちは初の沖縄訪問なので、今日は沖縄本島の南部に「沖縄戦跡を訪ねる旅」をした。沖縄は、今日も天気が良くて暑い。

004  最初に行ったのは、那覇市の郊外にある「旧海軍司令部壕」である。昭和20年6月23日、沖縄が米軍の手に落ちた時、最後まで抵抗した海軍本部があった場所だ。

 地下50mの岩盤に掘った壕に戦跡がある。沖縄の島は岩盤で成り立っている島で、ほとんど地震がない土地らしい。つるはしだけで掘るには、この壕は相当大変だったのではなかったのかと想像する。

 この壕で、最後は何千人もの兵隊が亡くなったようだ。女房に言わせると、この壕には「霊」がうようよしていて入ると怖い、という。司令官は自決、この壕にこもった最後の兵は、素手で米軍に立ち向かい、殺されていったようだ。

 馬鹿な戦争をしてはいけないと肝に銘じるには、ぜひ、この地の訪問は欠かせない。

 さらに車を30分ほど進め、糸満市にある「ひめゆりの塔」を訪問した。

 陸軍の第3病院があった地で、沖縄師範女子部と県立一高女の女学生300人弱が、陸008 軍病院の看護の手伝いに行ったところ、米軍攻撃で、地下壕に退避していたところを殺された悲劇の場所である。

 いつ来ても、この悲劇の場所への巡礼者が絶えない。前回訪れた時には、女房がぼろぼろ涙を流して「ひめゆり平和祈念資料館」を出てきた。記念碑に花をたむける人も多い。われわれ一行もお花を買い、この碑に手向けた。若い人たちが熱心にお祈りしている姿が、頼もしく映った。

 さらに5km行ったところに、「平和祈念公園」がある。摩文仁の丘といわれ、太平洋に面して高い崖がある。沖縄戦終盤に、最後は何人もの人が、この崖から飛び降り自殺した場所として記念されるところだ。

009  今では、沖縄戦で犠牲になった人の名前が記された膨大な碑がある。「平和の礎(いしじ)」といわれ、10数年前、当時の知事太田昌秀が建てたものだという。説明文を読むと、240,000人に上る人の名前が記されている。日本人だけではなく、アメリカ人、韓国人、台湾人の名前も記されている。しかし、当然といえば当然なのだが、圧倒的に沖縄の人が多い。

 戦跡訪問はひとまずここまでにし、次に行ったのは奥武島(おうじま)だ。もう2時近くだったが昼食にした。漁業組合近くの汚い、地元の人しか知らない食堂だ。ここの魚料理がおいしい。それぞれ、刺身定食、煮魚定食、カキ定食、カツ定食、うな丼定食を頼んだ。横浜の姉が頼んだ刺身定食は、マグロが通常の3倍もあり、「食べきれない」と半分も残していた。

 このすぐ近くに「グラスボート」で、海底散策ができる場所がある。サンゴや生きている魚025 を見ることができる。秋田の姉の、「沖縄でクジラを見たい、ホエールウォッチングをしたい」という希望はかなえることはできないが、これで我慢してもらった。

 今は大潮の時期で、相当水が引いているが、かろうじてボートを出すことができた。サンゴや生きた魚の見物に、皆、感嘆の声を上げている。ガイドの私としては、その歓声を見て満足した。

030  さらに、奥武島から10分ほどの「おきなわワールド」というテーマパークを訪問した。ここでは、エイサーの踊りを見ることができる。さらには「玉泉洞」という鍾乳洞にも入った。

 エイサーの迫力に、見物の人たちは圧倒されていた。若い踊り子たちが、汗まみれになってエイサーを踊る姿に感銘を受けた。夕方6時近くまでここにいたのだが、2月にしては夏の日差しで、日焼けで顔がひりひりしている。今日は25度もあったとのことだ。秋田から来た人は、「本当にこれで2月なの」と信じられない思いをしていた。

 この晩は、那覇市の国際通りにホテルをとった。このホテルでe-mobileにアクセスしてみたら、無事につながった。この記事は、那覇のホテルで書いている。

 夜は、ホテルのレストランで、四川料理を食べた。一日目のイタリアン、二日目の沖縄料理、三日目の中華料理で、ディナーの食事でも納得していた。食後、国際通りの散策を行い、充実の三日目を締めくくった。

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2009年2月26日 (木)

№405 沖縄本島の北部旅行

 今日の天気予報では本州は雨模様だが、沖縄は晴れだった。昨年も行った辺戸岬に行こうということになった。辺戸岬というのは、沖縄本島の最北端の岬だ。そこに行くと、天気が良ければ与論島が見えるというのだ。

 朝9時に宿を発ち、まずは昼食とおつまみを調達しようというので、スーパーに立ち寄った。このスーパーは昨年も立ち寄った同じ店だ。

 おにぎりとお弁当に昼食用のつまみ、沖縄ミカンの「たんかん」を買い求めた。今がこのたんかんの最盛期だということだ。

008  辺戸岬までは約55㎞ほどあった。約1時間半で、11時前に到着した。昨年も2月の沖縄旅行だったが、この辺戸岬では寒くて震えていた。それが、今年は長袖でも少し暑いぐらいだった。

 辺戸岬にきた一番の目的は「与論島見物」だ。天気が良ければ、はるかかなたに与論島が見えるというのだ。その目的の与論島が、与論島を代表する「かりゆし」の彫像の向こうにかすかに望める。昨年は見えなかったので、とうとう目的達成だ。

 この辺戸岬の突端には、「祖国復帰闘争碑」の記念碑が建っている。碑文を読むと、日010 本復帰までの厳しい道のりと、無条件には復帰を喜べない旨が記してあった。

 辺戸岬の帰りに、例年立ち寄る古宇利島に今年も立ち寄った。目的は「海ぶどう」を買うことだ。姉たちは初めて沖縄に来て、海ぶどうを食べてびっくりしていた。こんなおいしいものが、いまだ本土で食べられないというのだ。

013  私の経験でも、海ぶどうはこの古宇利島の売店が一番安くておいしい。皆、お土産にと大量に買い求めていた。賞味期限は1週間だという。さらに、その島で買ってきた弁当を広げた。海ぶどう1パックを開けた。最高の昼食と感激してくれた。

 ところで、いま、沖縄は黄色い花が満開だ。頻りに、秋田の姉がこの花を気にしている012 。今まで見たこともない花であることは確かだ。とうとう、ガソリンスタンドに立ち寄り、おばさんに聞いてみた。親切に教えてくれたが、「いっぺい」という花で、原産地はブラジルなのだそうだ。寒緋桜が終わると、「いっぺい」の季節になるのだそうだ。

 腹もくちたので、私の大好きな「今帰仁城」見学に向かった。幸い、この城をボランティアの方が無料で案内してくれるというのだ。大歓迎で、このボランティアの方に案内を頼んだ。

 彼女は北海道から5年ほど前に沖縄に移住し、今帰仁城ガイドのボランティアをしている024 とのことだ。自分も何度かこのお城に来ているが、やはりガイドにきちんと聞くと聞かないでは、この城に対する認識が全く違った。さらに、彼女は沖縄の歴史、植生まで教えてくれた。

 40分のガイドのはずが、2時間ほどの説明になった。こちらも熱心に聴き、質問をしたのだが、ガイドさんもものすごく丁寧に応えてくれた。なるほど、100度の訪問より、1度の詳しいガイダンスを受けるのがよほどためになるとわかった。本当にありがたかった。

 この今帰仁城は、先日お亡くなりになった筑紫哲也さんがこよなく愛した城だという。今日の説明を伺って、私もさらにこの城が好きになった。

 姉たちにも、このお城の桜が満開のときに、再度、ぜひ来ていただきたいものだ。また違った趣がある。

 なお、この城を含め、沖縄名7か所が2000年に、世界遺産に登録されたとのことだ。

031  この城を後にして、「美ら海水族館」に向かった。この水族館は、矢張り、沖縄に来た人にとっては最高の訪問地だ。秋田の姉は、少々疲れたのでパス、とのことだったが、無理にもこの場所は見たほうがいいと、車いすを借りて案内した。

 その姉も、ジンベイザメやマンタを見て大感激だった。特に餌やりタイムになり、このジ036 ンベイザメの豪快な食事に、大いに満足してくれた。今日の沖縄タイムに、少々興奮したようだった。ヨカッタ、ヨカッタsign03

046  夜は待望の沖縄料理屋さんで、沖縄料理に舌鼓を打ち、満腹で代行車を頼みホテルに帰ってきた。

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2009年2月25日 (水)

№404 「モバイルパソコン」かついで沖縄旅行

001  「兄弟旅行会」で、3泊4日の沖縄旅行を楽しんでいる。私にとって、沖縄は、今回で3年連続4回目の旅行になる。

 この旅は、昨年の暮れに亡くなった弟の慰霊が主な目的だ。亡くなる前に、新婚旅行で行った沖縄にもう一度行ってみたい、と常々いっていた弟の思いを代わりにかなえてあげようということになった。

 同行したのは秋田の姉、仙台にいる弟の奥さん、横浜の姉夫婦にウチの夫婦の6人だ。私が旅行会社と飛行機、宿、日程等、この旅行の計画を全部取り仕切ることになった。

 意識していたわけではなかったが、たまたま出発日が弟の59回目の誕生日であった。これも弟が導いてくれたものと、亡くなった彼に感謝している。

 出発の羽田空港は、曇っていてうすら寒かった。ところが那覇に着いてみると、初夏の陽気だ。相当薄着をしてきたつもりでも、汗ばむ。温度は26度ということだ。

 レンタカー付きの旅行だが、事前に年寄りもいるのでと、ワンランク上のホテルに予約を変えた。1日目と2日目は恩納村にある「かりゆしビーチリゾート オーシャンスパ」というホテルに予約を取った。

 那覇空港のレンタカー屋さんに着くと、「小さい車2台で予約承っていますが、8人乗り1台でいかがでしょうか」と聞かれた。望むところと、すぐに申出を受諾した。運転手は私一人で足りるということになった。

 空港で昼食にと沖縄そばを食べ、早速ホテルに向けて車を走らせた。52㎞ほどの距離だ。ウチの夫婦は沖縄には何度か来ているが、姉たちは初めてとのことだ。特に秋田の姉は、沖縄の植物に興味があるらしく、いちいちコメントをしていた。

 ホテルについて、早速、、持参したモバイルパソコンがつながるかどうか実験してみた。残念ながら「圏外」の表示が出て、e-mobileの電波が届いていないことがわかった。

 ホテルのサービスで、モデムを貸してくれるというので、レンタルモデムでつなぎ、この記事を書く破目になってしまった。う~~~む、ザンネン。

 われわれのとった部屋はオーシャンビューで、目の前に海が広がっている。ホテルに到002 着した午後6時半はちょうどサンセットの時間だった。東シナ海に沈む夕日をいっぱいに浴び、幸せな気分に浸った。同行の人たちも、皆、大喜びだ。

004  夜はホテルのイタリアンレストランで、弟の誕生パーテーを兼ねたディナーとなった。彼の写真をテーブルに飾り、酒が好きだった弟を偲び赤ワインを添え、誕生ケーキをつけた。本当はこの席に彼がいてくれたのが一番良かったのだが…。

 彼に語りかけるように、ワイワイ夕食は進んだ。おかげで本当に楽しい晩餐になった。005 出された料理は、皆、美味しかった。ただ、せっかく沖縄に来たのにイタリアンもないものだ、と私には少々不満が残った。

 レストランを出てホテルの周りを散策したが、夜になってもまだ汗ばむような陽気が抜けていない。沖縄は本土とは全く違う陽気だ

 あすから、いよいよ沖縄本島の観光をする予定である。

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2008年11月25日 (火)

№312 「マンダイ」って知ってますか

 銚子の旅館ですっかり酔いつぶれ、早々に床に就いた。そのせいか、朝6時には目が覚めた。二日酔いで頭がフラフラする。

024 026  旅館の目の前は銚子の漁港である。酔いざましも兼ねて、漁港散策に出た。銚子は、利根川河口に開けた町だ。人口は72000人とのことだが、タクシーの運転手に言わせると、寂れる一方との話だ。

 河口には、長い銚子大橋がかかっている。朝はまだ晴れていて028 頬に心地よい風が吹いてくる。漁から帰ってきた漁船で水揚げをしていた。何の魚か聞いてみたら「メジだよ」とのことだった。メジマグロだろう。

 032  魚市場を覗いてみた。赤い大きな魚がいる。どうもマンボウのような格好だ。なんという魚か聞いてみたら、マンダイというらしい。マンボウと鯛をかけあわせた名前なのか。美味しいのか聞いてみたが、赤い身だが食べたことはないとのことだ。

031 035  大きなサメもあがっていた。サメは全部背びれが切り取られていた。フカヒレの材料になるのだろう。サメの身は練り物にもなるのだろうか。

 なんといっても大漁に水揚げされていたのがマグロである。黒マグロ、カジキマグロ、キハダマグロなどが見ら030 れた。冷凍していないところを見ると、水揚げされたばかりなのだろう。。仲買人がきて、一生懸命、尾を見てい038 た。油の乗り具合を確かめているらしい。

 朝の喧騒とした魚市場は、見ていて楽しかった。ただあまり長居していては商売の邪魔になる。朝飯に、旅館に戻った。

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2008年11月24日 (月)

№311 墓参をかねての銚子旅行

 長く親しい付き合いをしていた友Tatsuが亡くなってちょうど一年になる。前立腺癌を患っていたが、治療の効もなく亡くなった。

 004 仲間が集って、彼のお墓参りに行くことにした。お寺は、銚子にある浄国寺という曹洞宗の大きな寺だった。駅から歩いて10分ほどのところにあった。天気も良く、暖かく、気持ちの良い一周忌の墓参りだった。9人で出かけたのだが、墓前には奥さんがわれわれを待っていてくれた。墓前に深々と額づき、皆で彼のご冥福のお祈りをした。

 亡きTatsuは、こよなく酒を愛し、議論を愛し、友を大切にする奴だ003 った。彼を偲び、銚子の寿司屋で献杯をした。わざわざ長野からご参加のYutakaさんが、一つ前の電車で銚子に着き、彼の墓前で一緒に酒を飲み交わしたそうだ。寿司屋で、そのお酒のお流れをいただいた。純米吟醸真澄という酒で、まろやかで美味しかった。

 006 銚子でしか食べられない寿司とのことで、同行のMasaoさんからブログに載せたらとの提案があり、写真を撮ってきた。大きな甘い卵焼きが特徴で、結構食べではあった。この寿司が1人一個だった。007_2

 せっかくの銚子訪問ということで、Yutakaさん、Ohshima君とボクは 銚子の旅館に泊まることにして、寿司屋で皆と別れた。

 旅館に行ったらまだ午後2時だった。天気も良いし、2度と行くことも023 ないだろうからと、犬吠埼訪問に出かけた。足は銚子電鉄だ。可愛い1両編成の電車が待っていてくれた。何でも、坊ちゃん電車というのだそうだ。17分ほど揺られて、目的地に着いた。

019 018  犬吠埼は本州の東のはずれだ。なんでも灯台に登るとハワイが見えるらしい、という伝説がある(まさか)。99段の階段を一気に上り、展望台についた。なるほど、地平線の彼方にはるかハワイの島影が見えたsign02

 旅館に着いたら4時30分だった。お風呂に入り、夜は夜でまた宴会だった。結構日本酒をいただいたな。

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2008年10月16日 (木)

№272 キノコ採り(信州旅行記3)

 朝7時にもぞもぞベッドを抜け出したら、皆、すでに起床していた。今日も良い天気だ。ただ、昨晩飲みすぎて、若干2日酔い気味だ。頭がくらくらしている。それでも元気に、朝ごはんを2杯もお変わりした。

Pa130116_009  朝8時30分、いよいよ出発だ。キノコ採りの前に、ぜひ見せたいものがある、というので立ち寄ったのが「オランチェ」という店だ。信州中野市のJAが運営している農産物直売所だ。何よりの売り物が、何でも、1パック100円とのことだ。新鮮な野菜・花類がべらぼうに安い。

 9時前にその店に着いたら、もう長蛇の列だ。しかもほとんどがPa130111_004地 元の人である。野菜やら果物、豆類等相当買い込んだ。昨晩食べて美味しかった八丁キュウリもゲットできた。それでも2000円でおつりが来た。商売人も、この店に来て買い込んでいるらしい。埼玉から一緒の二人も、一生懸命買い込んでいた。

 さあて、いよいよキノコ博士の案内で、キノコ採りに山に入る。「オランチェ」から車で30分も走っただろうか、着いたのが菅平の麓であPa130118_011 る。私たちは長靴を用意してきたが、Moっちゃん、Akiraさんは登山靴だ。熊が出てこないとも限らない。籠にホイッスルと大きな鈴を2個つけ、軍手で武装し、Akioさんの後について山に入った。歩くたびに鈴がガランガラン鳴る。これじゃ熊も近寄れないな。

 相当登ってみたのだが、これという収穫はなかった。それでPa130119_012 も、紫シメジや雑キノコを採ってきた。女房が玉子茸らしきものも2本収穫した。Akioさんとしては、大群落で、キノコ採りの醍醐味を教えてやりたかった、とのことだった。

 Pa130123_016 はじめてのキノコ狩りの挑戦に、そんなラッキーは期待していません。森林浴を楽しんだだけでもよかったのではないかな。目の前には菅平の根子岳がくっきりと見えた。ここまできて、ようやく二日酔いも収まった。

 収穫が少なかったといっても、キノコは籠半分くらい採れた。われわれにPa130124_017 とっては大満足だった。収穫したキノコを3等分して、お土産に持ち帰ることにした。さらにAkio家からも各自に1パック、キノコのお土産を頂いた。

 帰りの高速道路は大渋滞だった。早々に高速を諦め、下の道を走ってきたのだが、所要時間は高速道路とそんなに変わらずに自宅に帰りついた。

 いやあ、Akioさん、Akikoさん、大変お世話になりありがとうございました。

 ところが、夜10時過ぎにAkioさんから緊急の電話があった。「おい、あの玉子茸といっていたのは、紅天狗茸という毒キノコだぞ。食べていないだろうな?

 夕食にキノコ汁を食べたのだが、くだんの紅天狗茸は食べずに残っていた。ヨカッタ、ヨカッタsign02(信州旅行はおしまい)

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2008年10月15日 (水)

№271 キノコ宴会(信州旅行記2)

 さて、信州へのお土産は何にしようか?Akioさんからは、何もいらないからアルコールだけ、とのリクエストだった。埼玉の地元で、日本酒を買うことにした。ここ蓮田には、日本一美味しいといわれる地酒がある。「神亀」という酒だ。ただ、私には、癖が強くてあまり合わない。同じ酒造で作られている「ひこ孫」が口に合う。さらにこの「神亀酒蔵」が作っている「にごり酒」が美味しい。「ひこ孫 純米吟醸」と「にごり酒」をお土産に買った。さらに「竃猫(へっついねこ)」という宮崎産の芋焼酎も、一升買った。この焼酎も知る人ぞ知る、逸品だ。

 温泉から帰ってきて、食卓に着いたのが午後5時を少し回った頃だ。すでにテーブルの上には、乗り切れないくらいの料理が並んでいた。

 Pa120101_013 まずは、再会を祝してビールで乾杯。早速、キノコ料理を頂いた。食卓に並んだのは、クロカワのピリ辛炒め、雑キノコの煮物、グラタン、野菜サラダ、キノコの混ぜご飯、きんぴらごぼう等、種類が多くて覚え切れPa120103_015ない。長野でしか取れないという八丁キュウリもおいしかった。

 Akioさんは、さらにメインデッシュを用意していたようだが、そこに行きつく前に、すでにお腹がいっぱいになっていた。Akioさんの、皆の様子をみながらキッチンでの料理は、本当に手際よく、板についていた。

 ビールのあとは、にごり酒だ。にごり酒は口当たりがいいので、4合瓶はあっという間に平らげてしまった。さらに「ひこ孫」の1升瓶をあけた。にごり酒だけで、Akiraさんは早々にダウンしてしまった。

 まあ、久し振りに集まると、学生時代のあれこれが話題になるのPa120102_014 はやむをえない。ましてや、学生運動華やかなりし頃である。さらにもう一つの話題が、矢張り、アルバイトでどうだったという話である。さらに恩師の消息等、あっという間に夜も更けてしまう。

Pa120107_019  Akio君は、大変な動物好きである。庭には犬を、家の中には猫を飼っている。そのほかベランダに来る5~6匹の野良猫にせっせと餌をあげていた。飼い猫の「しゅん」は、生まれて3~4ヶ月だ。なんにでもじゃれ付いてくる。酒の酔いに任せてかまっていると、これがまた楽しかった。

 Akiko奥様は、「吊り飾り」の製作を趣味でやっているとか。その作品Pa120105_017 も見せていただいた。

 そうこうするうちに、一寝入りしたAkiraさんも起き出してきた。

 今年は、年末に盛大に忘年会をしようということになった。Akioさんから、「年とってきたら、女房が大事だ。ペアでの忘年会にしようよ」との提案があった。みんな大賛成で、少なくとも信州旅行の4人は、女房もつれて、忘年会に参加しようということにした。

 かれこれ6時間も飲んでいたかな。「ひこ孫」の1升瓶もカラである。酔いも酔った。明日はキノコ採りに山に入るということで、ベッドにもぐりこみ、すぐに寝こんだ。(さらにつづく)

 

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2008年10月14日 (火)

№270 キノコ博士の授業(信州旅行記1)

 この7月に学生時代の仲間が集まって、久々の同期会をやった。わざわざ長野から駆けつけてくれたAkio君から、今度は長野に遊びにおいでよ、とのお誘いを受けていた。Akio君はブログも運営している。彼のブログは「山菜レシピ」がテーマだ。そのブログを読むと、実に彼の料理がおいしそうなのだ。最近はキノコ料理が中心である。

 キノコは、今が旬とのことなので、長野にキノコをご馳走になりに行くことにした。同期の仲間をAkioさんち訪問に誘ったら、応じたのがMoっちゃんとAkiraさんだ。うちの女房も含めて4人の信州旅行と相成った。

 天気も良し、最高のドライブ日和だった。連休中で高速道路は大渋滞とのこと、しばらく下の道を走った。高速上信道は、藤岡インターで乗った。ここまで来ると車の流れはスイスイだ。

 Akio君の自宅は、長野市の先、須坂である。ありがたいことに彼は、須坂東長野インターまで出迎えてくれていた。彼の家に着いたら、早速、この2~3日で採集してきたキノコの講釈が待っていた。Pa120095_007

 Pa120089_001 まずは、キノコの王様、霜降りシメジだ。こんなに大きなシメジは、そう簡単には採れないとのことだ。皆が来てくれるとのことで一生懸命探し、ようやくこれだけ採れたそうだ。

 彼は10年間も山に入り、キノコ採りをしてきているそうだ。どこの山に何のキノコが生えているのか、お手のものとのことだ。

 Pa120090_002_3 Pa120092_004 Pa120093_005 Pa120096_008 Pa120097_009 Pa120091_003

・・・・・。

 そのほか、本シメジ、くろかわ、クリタケ、カタハ、アミダケ、キクラゲ等8種類にわたるキノコの説明をしてくれた。

Pa120098_010 Pa120099_011  彼の家の庭は、市が指定するオープンガーデンとのことだ。名づけて「ロハス・ガーデン」という。Akio氏はさらに別のブログも運営Pa130108_001 してこの名前をつけていたが、いつの間にかブログタイトルが「風刺川柳」に変わっている。

 キノコの説明も受け、庭を眺めてノンビリするうちに、近くの温泉に行こうということになった。道案内は奥様のAkikoさん。温泉に行っている間、Akio主人は夕食の支度をするそうだ。

 出かけた温泉が、元湯おぶせ温泉「穴観音の湯」というところだ。内湯は白濁していて硫黄分、露天風呂はアルカリ性のぬるぬるしたお湯だった。露天風呂は温度が低く、ユックリ入っていられた。

 温泉から外を眺めると、飯縄山・戸隠連峰・黒姫山・妙高山・斑尾山の北信5岳が悠々とそびえていた。

 温泉をあがり、小布施の町をドライブがてら見物して帰ってきた。ちょうどお腹もすいてきた。今晩はおいしいキノコ料理が待っているぞ。(つづく)

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2008年9月25日 (木)

№251 田宮亜紀工房(静岡旅行記6)

P9250026_001  陶芸家田宮亜紀ちゃんの工房をじっくり訪ねるのも、この静岡旅行の楽しみの一つだった。彼女は、かつて私と同じ業界の営業ウーマンだった。そして、陶芸教室に通っていたが、一念発起し、陶芸家となった。

 しばらくは栃木県の益子で家を借り、修行を積んでいたが、お父さんの生まれ故郷静岡に窯を持ち、独立した。話を聞くと、なかなか荊の道のようだが、それでも元気に陶芸に精を出している。

 一年に一回、彼女の自宅の裏にある「穴窯」に火を入れている。P9200037_024 今年は9月の上旬に火を入れ、6日間ほど薪を炊き続けたようだ。24時間薪を燃やし続けるので、とてもではないが、一人で出来る仕事ではない。東京から、大勢のサポーターが駆けつけてくれる。彼女は、大変な人気者なのである。

P9210067_026  ただぼやきも入る。「最近、薪が高くなって、6日間の薪代が作品を売っても追いつかないぐらいなの・・・」とのことだ。工房には、窯からあがったばかりの新作が並んでいる。この秋以降、展示会に登場する陶器たちである。今回は、大甕も2個ほど焼いた。工房は広いのだが、だんだん大甕が占領しつつある。

 静岡旅行に集まった人は、Akiちゃんが陶芸家として独立する以前P9210045_004 からの仲間だ。口々に「年々、亜紀ちゃんの作品は磨きがかかってきたね。本当に上手になった」と褒める。決してお追従ではないと思う。

 彼女の工房には、「ガス窯」もある。普段はこの窯を使って陶P9210062_021器を焼いている。ガスボンベ6本で、30時間ほど火を燃やし続けて作品が仕上がる。このガス代もバカにならないとのこと。このところ、ガス代がものすごく値上がりしているようだ。

P9210063_022 P9210064_023  静岡旅行に参加した仲間の特権は、工房で焼きあがったばかりの作品を手に取り、直に選べることだ。皆、素敵な作品ばかりで、どれにするのか迷っている様子である。それでも、Amiちゃん、Tsuruちゃん、Masaeさん、Kiyomiさん、家の女房らは気に入ったものを見繕っていた。

 Kudoさんが静岡に居続ける理由の一つは、師匠田宮亜紀がいるからである。彼も電動ろくろで様々な作品作りに挑戦していた。

 静岡に行けない方も、この秋、恒例の田宮亜紀作品展があるので、ぜひご覧になってください。念のために、静岡に行っても彼女の工房は一般公開していません。

田宮亜紀展 AKI TAMIYA exhibition

2008.10.17(金)~22(水)

AM11:00~PM7:00

会場:無垢里(代官山歩いて7分)

渋谷区猿楽町20-4

電話 03-5458-6991

(「静岡旅行記」はこれにて完結)

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2008年9月24日 (水)

№250 メーン・イベント(静岡旅行記5)

 そもそもこの静岡旅行が企画されたのは、7月末のAkiちゃんの出版記念会でのことだった。その時に、Akiちゃんちの庭でバーベキューパーティをやろうということで盛り上がった。

 いよいよそのイベントの日だ。焼津の鮮魚センターで、バーベキュー用の食材を買い揃えた。買ったものは、干物類ではキンメダイ・アジ・ホッケ・フグ・エボダイ。生魚は秋刀魚にイカにイサキにシャケの切り身、貝類で牡蠣・サザエ・ハマグリ、それに冷凍の海老だ。肉と富士宮やきそばも買った。これだけあれば、大食漢のお腹も満たせるでしょうよ。

 材料も揃ったし、アルコールをさらに買いまして、Akiちゃんの家に向かった。彼女の家は静岡市の奥、山懐にいだかれた寒村にある。周りは茶畑である。市内から車で30分くらいかかる地にある。

 Akiちゃんの家には、東京からの後発組Amiちゃん・Tsuruちゃん・Ohkubo君がすでに到着していた。さらに遅れて、横浜のAiちゃん夫P9200038_025 婦も到着した。Aiちゃんは、横浜土産として、美味しいチャシュウを差し入れてくれた。静岡現地組で合流したのは、Fujioさんと飛び入りの清水エスパルスの事務局の人だ。

P9200040_027  Akiちゃんの家は手入れは行き届いていたものの、庭は草ぼうぼうだった。Fujioさんが自宅に戻り、草刈機を持ってきた。1時間も草刈をしていただろうか、きれいにP9200031_018 なった。入口には、3年ほど前にOhnoさんが取り付けた郵便箱が、デーンと鎮座していた。

P9200032_019  いよいよ囲炉裏の炭に火をつけ、バーべキューの始まりである。ここでもメインシェフはKudoさんだ。どんどん魚が焼けてくる。Masaeさんは、何をつまみP9200033_020 食いしているのだろうか。人に隠れて、美味しそうに食べている。

 P9200036_023 午後3時頃から始まった宴会は、夜10時頃まで延々と続いた。途中で女性陣を中心に、市内の温泉に行くといって、車2台分がこの輪から抜けていった。

 男どもで、アルコールを飲みながら、夜遅くまで語らった。仕事の話、業界の話、政治の話等が中心だったと思うが、その頃には相当出来上がっていた。

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2008年9月23日 (火)

№249 難破船の打上げ?(静岡旅行記4)

 台風は夜のうちに駿河湾沖を抜けていったらしい。昨晩は激しい雨だったようだが、ぐっすり眠っていて気がつかなかった。

 朝起きてみたら、台風一過、快晴とまではいかなかったが晴れていた。気持ちのよい朝である。皆で散歩に出た。Kudo家から海までは、歩いて5分ほどだ。

P9200015_002  ぞろぞろ歩いて海にたどり着いたら、砂浜に難破船が打上げられていた。昨晩の台風の影響で打上げられたのかしらね。

 近づいてみたら、何のことはない、難破船の遊具だった。それにしP9200019_006 ても台風が来ていたので、タイミングがぴったりだ。Mitsukoネエは、Genki君の手を引いてロープのブリッジをわたっていた。Genちゃんは、最初へっぴり腰で、恐々と渡っていたが、慣れてくると堂々としたものだ。

 P9200022_009 P9200023_010 この海岸は遊具が多い。ロープにぶら下がり滑車を滑るものがあった。MitsukoさんとYukaママが乗ったが、体重の重さでロープが切れないか、ハラハラ見守った。

 海岸では、犬を散歩させている人が多い。「犬好き女」Mitsukoさんが、吼えられても吼えられてもてなづけようと近づく。Kudoさんは、毎朝、この海岸を6キロほどジョギングをしているとのことだ。今朝もジョギングを始めた。

 P9200028_015 海を背に記念撮影をした。広々とした海を見ていると、気も大きくなる。対岸の半島の付け根に白いマンションが見えた。Akiちゃんが、あのマンションに引っ越したいという夢を持っているようだ。

 1時間半ほど、海岸をぶらぶら散歩し、帰ってきた。あちらこちらのP9200027_014 家に、朝顔の紫の花が満開に咲いていた。大振りの花が、目を引いた。

P9200030_017  朝食も終わり、焼津に買い物に向かった。今回のメイン・イベントの買出しだ。

 途中、漁師さんたちが、しらす干しに余念がなかった。

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2008年9月22日 (月)

№248 静岡おでん(静岡旅行記3)

 とろろ汁に満足し、近くの「駿府匠宿」を散策した。ところが、台風の余波で大雨である。近くのお茶屋さんで小休憩した。そこに東京からYuka・Genki親子が合流した。

 P9190006_006 メンバーが9人になった。雨の中の匠宿観光は諦めて、「アクアスやいづ」に泳ぎに行くことになった。水着をもってきてない人は、フロントで借り、1時間半ほど泳ぎ&ウォーキングをした。ここは、駿河湾の深層水をくみ上げた市のプールで水はしょっぱかったが、平日の午後、気持ちよく泳げた。

 屋外に出るとジャグジーがあり、目の前に駿河湾が広がっている。台風が近づいてきているにもかかわらず、ほとんど波のない状態だ。遠くには伊豆半島が見えるし、富士山も天辺が雲に隠れているだけで、きれいに見えた。「おい、台風はどこにいったんだい」と、皆、口々に言っていた。しばらくジャグジーに入り浸った。

 水泳で適度にお腹をへらし、夕食だ。Kudoさんの心づくしの手料P9190009_009 理が用意してあった。今日のメインデッシュは「静岡おでん」である。東京のおでんとどこが違うのか?なんといっても、黒はんぺんと牛すじだ。黒はんぺんは、東京では売っていないらしい。煮込めば煮込むほどおでんが黒くなって、美味しさを増すようだ。秘密の出汁は、風味かやく付の黒スープだった。

P9190012_012 P9190011_011  もう一つ、今日のウリは「生シラス」だ。朝あがったばかりで、当日に食べなければ悪くなるとのことだ。2パックほど用意してあり、ピョロピョロと食べることが出来た。これもまた美味しかった。さらに、太刀魚の刺身だ。静岡ならではの新鮮さだ。

 これでもかと、「牛筋の煮込み」「鳥皮のごぼうの煮つけ」と食卓にP9190010_010 並んだ。お腹一杯といいながらも、皆、よく食べること。

 ビール、日本酒、ワイン、焼酎とアルコールもたらふく頂いた。

 Kudo家には陶芸の電動ろくろが用意してあった。食事のあとの手慰みにと、女房は陶器作りに精を出している。Genkiちゃんが熱心に見ていた。泥遊びと勘違いして、自分もやりたそうだった。明日ね、といって納得させた。

P9190013_013  Kudoさんは、同窓会の管弦楽団の世話人をやっているとのこと。その演奏会風景をDVDにとってあるとのことで、鑑賞させてもらった。「白鳥の湖」の演奏だった。この演奏を聴いていたYukaママが、突然踊りだした。何でも、小さい頃にはバレーをやっていたとのこと。最近はフラダンスをしているが・・・。本人は拒絶していたが、皆さんの総意のもとで、踊りの一端を紹介したい。

 手足がきれに伸びて、美しい踊りでしたよgood

 夜の9時過ぎに、地元のNabeちゃんが合流し、夜中の12時近くまで延々と宴会が続いた。Nabeちゃんも楽しそうでよかった。何でも彼は会津生まれとのことだ。

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2008年9月21日 (日)

№247 丸子宿のとろろ汁(静岡旅行記2)

 2泊3日の静岡旅行を無事に終えて帰ってきた。昨晩のモブログ記事では充分にお伝えできなかった、この旅行の模様を伝えたい。

P9190001_001  この旅行のプロデューサーKudoさんからのメール指示で、東海道五十三次「丸子宿 一松園」にカーナビで向かった。電話番号を入れると、この店が出てきた。本当にカーナビは便利だ。途中、北千住でMasaeさんを拾った。12時集合だったが、カーナビだとちょうど12時着となっていた。今までの経験では、カーナビよりも約30分ほど早く到着する。まあ、ユックリ走ろう。

 丸子宿に着いたのは約束の10分前だった。この店は、老舗のとろろ汁を食べさせる店のようだ。周りを見回しても、いたるところにととろ汁屋さんがある。多分、この地の名物なのだろう。

 10分遅れで、東京から新幹線で来たMitsuko・Kiyomi組も無事合流できた。

 自分はとろろ汁は嫌いではない、というよりも大好きだ。生まれ故郷では、正月2日はショッパイぼっだっこ(塩鮭)にとろろ汁と決まっていた。大きなどんぶりで何杯も食べたものだ。

 久し振りのとろろ汁だ。7人に、2個のお櫃の麦飯と、大きなすり鉢に2杯のとろろ汁が出てきた。店の人の言うには、ご飯にたっぷりとろろ汁をかけて、きざみネギを添えて食べると美味しいのだそうだ。

 食べてみたら、本当に美味しかった。静岡に合宿を始めて1ヵ月半P9230003_003 になるKudoさんが、食べ歩いてこの店が一番有名な丁子屋よりも美味しかったそうだ。皆さんに甘えて、なんとご飯を4杯もお代わりをしてしまった。とろろ汁もきれいに平らげ、久し振りに満腹感を味わった。

 丸子の由来を調べてみると、平安時代から始まり、江戸時代の東海道で花開いたとのことだ。この店には、芭蕉・去来等の歌が残されていた。この店のパンフレットに次のような説明があった。

弥次さん、喜多さんも歩いた

歴史の舞台、丸子路は

梅と名月ととろろ汁が名物の

東海道の宿場町です。

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2008年9月20日 (土)

No.246 静岡でのバーベキュー(静岡旅行記1)

No.246 静岡でのバーベキュー
 静岡の二泊遠征の最中である。昨日はKudo家で9人、今日はAkiちゃんちで15人の飲み会だ。
台風で先行きが危ぶまれていたが、静岡に着いてみたら、どうということもなかった。今回の参加メンバーの迫力で、台風を追い払ってしまったのではないかなあ。2日間、ほとんど飲みっぱなしだ。
昨晩のパーティーに引き続き、今日は今日でまた、大バーベキュー・パーティーだった。
今日はモブログの記事なので、詳しくは帰ってからの報告としたい。

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2008年8月20日 (水)

№215 人との出会いの不思議

 吉村昭『私の流儀』という随筆集を読んでいた。その中に、人との出会いの不思議という一項がある。自分にも劇的な出会いがあった。

 もう12年も前になる。女房と横浜の姉の3人で、イタリアに個人旅行をした。大韓航空で、ソウル・トランジットでローマに入り、その足でヴェネチィアに着いた。ヴェネチィア2泊、フィレンチェ2泊、ローマ3泊の気ままな旅だった。

 フィレンチェの街での出来事である。やはりここに来たら「ウフィツィ美術館」でしょう。朝早くホテルを出て、この美術館見学に出かけた。若干道をさまよい、美術館に着いたのが9時を回っていた。着いてみてびっくり、延々と300mにも及ぶ行列である。

 恐れをなして、ウフィツィ美術館はパスをしようと提案した。しかし、女房も姉も、この美術館だけは並んでも見たいと強硬に主張した。しょうがないから並び始めたが、遅々として進まない。痺れを切らして、私は行列を見てくることにした。

 入口は狭く、入場人数も制限しているようだった。ああ、これはいつになったら入れるかわからない、と諦め半分で戻り始めた。そしたら、その行列の前半にKiyomiさんがいるではないか。本当にびっくりしてしまった。

 彼女とはイタリア旅行の1週間ほど前、飯田橋でのある飲み会で会っていた。若干席も離れていたので、個人的なお話は出来なかった。その彼女が何でこんなところにいるの、余りの驚きに心臓がバクバクした。飛び上がって驚く、とはこのことだ。

 Kiyomiさんも本当に驚いたらしい。彼女はパックで、一人イタリア旅行を楽しんでいた。「何でイタリアにいるの」と聞いたら「シンさんこそなんで?」と問われた。いずれ、自分たちは個人旅行を楽しんでいて、この行列の300mも後ろに並んでいたことを説明すると、私たちと一緒に並びなさいよ、との提案を受け、その言葉に甘えさせてもらった。美術館にはショートカットで入場できた。

 ウフィツィ美術館を堪能し、Kiyomiさんとは折角会ったのだから、ローマで食事をしよう、と日程を調整して別れた。われわれ一行はその後もフィレンチェの街をブラブラ歩き、ピサの斜塔を見学してローマに入った。

 ローマに着いたあくる日、朝6時に起き出し、アッシジに向かった。駅では朝食用にパンと牛乳を買った。朝7時発車で、1時間半ほどの列車の旅だった。

 アッシジに着いて、「聖フランチェスコ聖堂」にタクシーで向かった。タクシーを降り、入口に立ったら、そこにまたKiyomiさんがいた。イタリア旅行のスケジュールはフィレンチェで聞いていたが、まさか会えるとは思わなかった。ちゃっかりその旅行団体に入り、一緒に聖堂の説明を聞いて歩いた。日本人のお坊さんが説明に立っていた。

 次の晩ローマで食事をしたのだが、団体旅行でたまたま一緒になったIshibashi夫婦もきてくれた。団体のパックの食事はおざなりで、折角イタリアに来たのに美味しいものを食べていないとのことだった。われわれが泊まったホテルの前のミニ リストランテでのディナーだった。今でも、その食事が美味しかったと感謝されている。

 Ishibashi夫婦ともすっかり意気投合し、今でもお付き合いがある。北九州に住んでおられるが、一度、自宅をお尋ねして泊めていただいた。この2年ほどは、沖縄で彼ら夫婦を訪ねる旅をしている。

 食事後、彼女たちが泊まっているホテルまで送り届け、今度は東京で会いましょう、と別れた。

 そしたら、次の日、またローマ市内でばったり会った。しかも繁華街というより、街の中心部から外れた場所でである。ローマの人口300万人ぐらいだと思うのだが、こんな偶然はめったにない。

 本当にイタリア旅行は、Kiyomiさんとの奇遇の出会いで思い出がさらに鮮明になっている。

 彼女とは今でも、家族で友だちづきあいをしている。明日から3泊の予定で那須に来るとのことだ。

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2008年5月 8日 (木)

№109 ブルーノ・タウトに出会う旅

 高崎のある方に夕方6時に会う約束をしました。せっかく高崎に行くのですから観光も兼ねようと思い、お昼ごはんを食べて午後1時に車で家を出ました。最低でも、高崎観音と達磨寺には行く心積もりにしていました。

005  高崎観音に着いたのは午後3時です。片道約80キロの旅でした。観音様は、国道17号線からいつも遠くに眺めていて、いつかは訪ねてみたいと思っていました。

 近くで見ると、結構大きい観音様でしたね。正式名は「白衣大観音」といい、昭和11年10月に建立された高さ41.8メートル、重さは6000ト004 ン、建物にすると9階建ての建造物ようです。近くに、藤の花が満開でした。

 盛りは過ぎていましたが、この山は桜とツツジの名所でもあるようです。8月には万灯会のお祭があると案内にはありました。

009  観音山から車で5分くらいいくと少林山達磨山に着きます。毎年お正月の7日にはだるま市で賑わいます。上毛カルタに“縁起だるまの少林寺”という札があり、福だるま発祥のお寺さんだそうです。江戸の初期に開山した黄檗宗の宗派です。

 この達磨寺がブルーノ・タウトと深い関係があることを訪ねて初めて知りました。お寺の一室に「タウト資料室」がありました。少林山のご住職が親切にも案内してくれ、ご説明までかってでてくれましたました。

 ブルーノ・タウトというとなじみのない方もいるかもしれませんが、桂離宮を初めて海外に紹介したドイツの建築家です。ヒトラーの弾 圧を逃れ、昭和8年に日本に来て3年半ほど滞在したそうです。そのうちの2年間は、この少林山達磨寺の「洗心亭」に滞在していたようです。タウトは日本文化を大変に愛し、滞在中にいろいろ日本を旅し、多くの著作物を残しています。主な訪問地は、伊勢神宮・白川の古民家・冬の秋田・修学院離宮等です。

 少林山の資料室をじっくり見て、「史蹟 洗心亭」を訪ねました。瀟洒なたたずまいで、6畳・4畳半の畳部屋に納戸等があるだけ008でした。この部屋で夫人エリカと2年間過ごしたそうです。洗心亭の庭には記念碑があり、“Ich lieve der Japanische Kultur”(私は日本文化を愛する)とありました。その後、トルコ・イスタンブールに行き、そこで58歳の命を閉じたとのことです。

 そういえば、以前いた会社の先輩(昨年4月に亡くなりましたが)011 が、高崎にブルーノ・タウトの資料を移すのに尽力していたことを思い出しました。ご住職にそのことをお尋ねすると、その資料は近くの創造学園大学の「ブルーノ・タウト資料館」に保存されているとのことです。

 早速、その大学を訪ねてみました。

 大学の職員が親切丁寧に資料館を案内してくれました。先輩は、当然会社の承認の下、900点のタウト資料をこの大学に寄託したとのことです。展示しているものはほんのわずかでしたが、大半のものは収蔵庫に大事にしまってあるそうです。

 私はタウトの名前はよく知っていましたが、著作を読んだことはありませんでした。思わずその大学で、ブルーノ・タウト『日本美の再発見』(1939年・昭和14年初版)を購入しました。

 まさか今日の旅でブルーノ・タウトに出会うとは思いもしませんでした。

 さらに高崎の旅は続きます。日本で一番の26万株の芝桜を植え013 ている「みさと芝桜公園」を訪ねました。残念ながら盛りは過ぎていましたが、4月末の満開時にはさぞかしや大勢の人が訪れることでしょうね。

016  公園からの帰りに車を走らせていると、「群馬県立 土屋文明記念文学館」に出くわしました。せっかくですからと訪ねてみましたが、午後5時に閉館とのことです。人の縁とは続くものです。この記念館の館長は、元前橋・煥乎堂の名物店長・岡田さんとのことを夕方お会いした方に伺いました。以前、大変お世話になった方です。それを知っていたら、もっと早い時間に訪ねるべきでした。

 本日は高崎の小旅行でしたが、今日一日充分楽しめました。

(写真をクリックすると画像は大きくなります)

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2008年4月20日 (日)

№91 「岐阜の旅」無事帰ってきました

 今回の旅の一番の目的である義父の一周忌法要を終え、ただいま無事に自宅に帰ってきました。今回の3泊4日で走った車の走行距離は1190キロに及びました。本当に今乗っている車はよく走ってくれます。この5月に初めての車検ですが、新車から52000キロも走っています。

 朝起きると同時に裏の畑に行ってワラビ取りに精を出しました。結果として一抱えもワラビが取れました。本当に山菜取りは楽しいですね。昨年からはまっています。女房の実家にきてはワラビ探しをしています。ワラビは秋田の食べ方で「ワラビたたき」という食べ方が好きです。擂り粉木でワラビをたたき粘りを出し、味噌和えにして暖かいご飯に乗っけて食べるのです。何杯でも食べられますよ、ねえ秋田KOMACHIさん、ROKUちゃん。

 女房と姉は「コンテツ」「三つ葉」「ウド」取りに精を出していました。012 こちらのほうも袋一杯取れました。良いお土産ができたと大喜びです。実家からは、取れたての筍もいただいてきました。

 裏庭に立ってみると、木曽の御嶽山が真っ白な雪をかぶり、雄大な姿をしています。一度は登りたいと思っています。

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2008年4月19日 (土)

№90 飛騨古川のお祭り

飛騨古川のお祭り

 飛騨古川では、今日は一年に一度のお祭りだ。その情報を、昨日の高山で得た。朝八時に奥飛騨温泉郷の宿を発ち、古川の町に向かった。約35キロの道のりだ。ちょっと早かったかなと思ったが、これが大成功。古川の町についたら、もう祭り囃子が鳴っていた。

 古川の町は、こじんまりとしていたが、落ち着いて感じの良い町だ。003町の真ん中を流れる瀬戸川には、一メートルをこえる鯉が何百匹も悠々と泳いでいた。自分は会社の仲間と確か30数年前に一度訪れている。目的は数河高原でのスキーだった。

001(鳳凰台)  古川は小さな町ながら、お祭りの屋台は物凄く豪華だ。江戸時代から伝わる山車とのことだ。この町には、九台の屋台がある。一年に一回のお祭りなので、雨に降られると、屋台出しは次年までお預けだ。

 「麒麟台」とよばれるからくり屋台で、からくり芝居をやっていた。そ009 の屋台はものすごい彫刻で、多分高山にも無いものと世話人衆が自慢していた。謡にあわせて動く人形も華010 麗だったし、びっくりする落ちまであった。

 「白024虎台」という屋台では子供歌舞伎を見た。義経と弁慶の五条の橋のシーンだ。3組の義経と弁慶がいてちょこんと屋台の前に座っている姿は笑いを誘った。016

 そのほかに見た屋台は、「鳳凰台」「金亀台」「三光台」「龍笛台」である。帰りには、「神楽台」の出動を見送029 った。その屋台の脇には十頭もの神楽がいた。

 いずれの屋台も、町の人たちが大事にしていることがよくわかった。古川の町も、住む人たちがこの町を本当に愛していることが町を歩くたびにジーーンと伝わってきた。多分、住みよい町なんだろうね。

 「古川祭」のクライマックスは、夜九時三十分からの『起し太鼓』で始まり夜中の一時三十分まで続く夜祭りらしいが、残念ながらその時間まで居続けるわけにはいかなかった。

 日本には、まだまだ知らないお祭りが沢山あるのでしょうね。本当に今回の旅では、この祭を見てエラク得した気分になった。

(トップ以外の写真はクリックすると拡大するよ)

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2008年4月18日 (金)

№89 飛騨高山の街歩き

飛騨高山の街歩き

 朝ウチを出て飛騨高山に向かう。生憎の雨だったが、110キロ・2時間30分ほどで到着した。

 お昼ご飯を食べて、高山の街歩きを楽しんだ。お昼は、ホウバ味噌定食だ。メインストリートをちょっと入ると古いお菓子屋さんがあった。その店で麦落雁と羊羹の詰め合わせを買って、秋田の友達に送ってもらった。

 古い街並みをぶらぶら歩いた。まあ、普通のお土産屋さんがズラーッと並んでいる街だが、その中でも目立ったのが酒屋さんとお味噌屋さんだ。いくらホウバ味噌の本場とはいえ、よくあれだけの味噌屋が成り立つものだ。また、高山祭に使う屋台を仕舞っておく大きな倉庫も目に付いた。高山祭は、4月10日と10月10日の、1年2回のお祭りである。

001  酒屋さんの軒下には「酒林(さけばやし)」というものが下がっていた。これは杉の葉を丸くまとめて玉にしたものだ。なんでも江戸前期の寛政年間から始まった習慣のようだ(これが古川の酒屋では室町時代からの風習と説明していた)。杉の葉が緑だと「新酒が出来上がっています」という合図だし、茶色になっていると「お酒が熟成しています」という看板なのだそうだ。杉の葉の色の変わり具合がお酒の熟成度にあっているということだ。

 005_2 高山の桜はいまだ8分咲だ。宮川にかかる枝垂桜が赤い橋に映えてきれいだった。

 お菓子屋さんで高山で最低ここは見るべき所はどこか尋ねると、「高山陣屋だけは見ておくほうがいいだろう」とのことで、宮川を渡って陣屋を訪ねてみた。なるほど、よく江戸時代006_4 の陣屋跡を見事に保存・復元していた。特に米蔵は印象に残った。一つの蔵に一石の米が入り、その蔵が12ほどあった。高山にはかれこれ3時間ほどいた。

009  今日の泊まりは奥飛騨温泉郷の平湯温泉だ。車で35キロほどだ。平湯温泉に着いたのが3時30分ごろだ。ここはまだ冬だった。あちこちに積もった雪がまだ解けずにあった。

 今晩の泊まりは「湯元館」だ。010 奥飛騨温泉郷は、本当にひなびた温泉で何もない。ただ温泉の湯は極上だった。体の芯からあったまった。

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2008年4月17日 (木)

№88 信州・諏訪大社を訪ねる

信州・諏訪大社を訪ねる
諏訪大社 下社秋宮 神楽殿

 朝930分に横浜の姉を駅に迎えに出て、女房と3人で埼玉を出た。今日の目的地は女房の実家・岐阜県恵那である。カーナビで見ると340キロの距離だ。急ぐ旅でもないので高速道路に乗るのを避けて一般道路をのんびり行く。

新幹線の下を通り熊谷に出る。本庄から17号線に別れ、富岡・下仁田を通り、群馬県と長野県の県境、佐久の内山峡に至る。この道は、花盛りの街道だった。菜の花・諸葛菜・サクラ・ハナモモ・芝桜・木蓮・つつじ等色とりどりに咲き、賑やかだった。川越街道の延長で、コスモス街道ともいうらしい。秋にはまた別の色合いを示す道だろう。

003  さすがお腹がすいたので、峠を越えたさるドライブインに入った。実は余り期待して入ったわけではないが、これが大当たりだった。女将が出てきて「ウチの店は何でも美味しいよ、特に味噌カツ。ご飯も特別の佐久米だし、突き出しの蕗味噌・野沢菜も天下絶品」。余りに自慢するので騙されたと思って食べてみた。本当に女将のいうとおり絶品だった。なんでもわざわざこの店にこの味噌カツを食べに通う客もいるとの004 ことだ。麺でも何でも美味しいよ、と更に自慢が続く。店の名前は、「ドライブイン草笛」という。お暇な方は、わざわざ出かけてもいいかもしれない。

 満腹のお腹をさすりながら向かうは長野県・諏訪だ。せっかく諏訪に来たのだから下諏訪の「諏訪大社 下社秋宮」に立ち寄ってみた。あいにくの雨だったが、手水のお005 湯で手を洗い、本殿に詣でた。初めて訪れたお宮だが、神聖な大社だった。第一の御柱を拝み、こうなったら「諏訪大社 本宮」も訪ねてみようと上006_2諏訪に向かった。

 下社から12キロほどの道のりだったが、訪問した甲斐はあった。荘厳な神社だ。やはり本宮も、手水は温泉だった。寺域には雷電為右衛門の像が011 あった。この近くの出身らしい。

 本宮の脇の高野槙の大木も、わざわざ東京から見物にくる価値のある木だということだ。神社には、やはり4本の御柱が立っていた。次回の御柱祭は平成22年とのことだ。諏訪は桜は8分咲だ。

 信州は奥が深いとしみじみ思った。

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2008年4月10日 (木)

№81 秘蔵の『良寛真筆』に出合う

秘蔵の『良寛真筆』  良寛真筆 ハリコロバシ《三角達磨画賛》

 朝早く新潟をたち、三条市に向かった。今日の新潟は小雨模様で肌寒かった。三条市ではBABAさんにアポイントを入れていた。

 9時45分くらいについたのだが快く迎えいれてもらった。BABAさんは、三条で「越後三条良寛の道の会」の会長さんをやられている方だ。ひとしきり良寛さんのお話をしたのだが、自分の浅はかな知識を暴露する結果となってしまった。

 三条市には「良寛のみち」コースが2.5キロにわたって続いている。このコースには、「良寛禅師像」「最古の良寛碑」「良寛落葉の句碑」等のモニュメントがある。いながらにして良寛さんを楽しめるコースのようだ。このコースを整備したのもBABAさんとのことだった。

 そのような話をひとしきり伺っていると、実はこの部屋に「良寛真筆」があるが見てみるかと問われた。ぜひとお願いして見せてもらったのが上図写真の左の掛け軸だ。右の軸はそれを複製したとのことだ。何が書かれているかというと、

  人の投ぐるに任せ 人の笑うに任す

  更に一物として心地に当たるなし

  語を寄す 人生もし君に似なば

  能く世間に遊ぶ 何事かあらん

 という字だそうだ。良寛晩年の作で、色つきの三角達磨の絵(ハリコロバシ)を書いている軸は本当に珍しいものとか。良寛の書は古書として世に出ても、10中8~9は贋物といわれているらしいが、この幅は良寛研究の第一人者に本物と認定されているようである。

 この幅は、大正7年と昭和8年に展示会に出品されただけで、その後は一般公開されることなく、まぼろしとなっているとのことだ。本当に秘蔵の良寛真筆だった。

 本物に出合うと、こころが洗われるようだ。新潟の旅の締めくくりとしても最高だった。

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2008年4月 9日 (水)

№80 新潟はポカポカ

新潟はポカポカ   (万代橋から桜並木を見る)

 新潟は水の都です。町の真ん中を流れる信濃川はあくまでもとうとうとゆっくり流れています。今日の暖かさで、桜も満開でした。

 新潟というと自分には忘れられない思い出があります。秋田市内の高校3年生のとき(1964年6月)に起きた「新潟地震」です。

 ちょうどお昼の時間でしたね。私は高校の渡り廊下を歩いていました。グラッと来たかと思うと、コンクリートを敷き詰めたその廊下が大きく波を打っていたのが今でもまぶたに浮かびます。とても立っていられなくて柱に寄りかかりました。本当に波を打つコンクリートを、今でもあのときの状況がまざまざと目に浮かびます。交通が分断して、今は亡き兄が学校まで迎えに来てくれたことも懐かしく思い出します。その夜の余震の大きさに今でもドキドキしています。

 私の生きてきた中でも最大の地震でしたね。もう44年も前のことです。

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2008年4月 8日 (火)

№79 良寛の足跡を訪ねる

良寛の足跡を訪ねる  (出雲崎・良寛記念館)

 思い立って、良寛の足跡を訪ねる旅に出ています。このブログのサブタイトルに「シンさんのなんてことない日常生活」とありますが、動きが激しすぎるという批判が出ていることを充分に承知しています。スミマセン

 今日は朝早く起きて新潟2泊3日の旅に出ています。埼玉は激しい雨でしたが、直江津についたら曇りです。越後湯沢駅で乗り換えて、初めてほくほく線に乗りました。

 直江014津でレンタカーを借り、今日は新潟市を目指すレンタカー旅行です。ちょうど高田は公園の桜が満開で、観桜会をやっていました。新潟県の桜はどうしてかピンクが強いですね。はでやかです。

018  上越市から柏崎を通って出雲崎に出ました。ここは良016 寛の生まれた地で、様々なモニュメントがあります。「良寛記念館」「良寛堂」「良寛生家」等です。記念館のすぐ上には「良寛と夕日の見える丘」があり、はるかに佐渡を望めます。午後2時頃には新潟はすっかり晴れてきました。車を運転していると、汗がにじんできます。

019  出雲崎から20キロぐらい北に行くと良寛の里美術館があります。入館してみると、良寛と貞心尼の情感を交020 わしたのがこの地ということです。良寛の書と、良寛の生活を絵にしたものが展示していました。

021  さらに20キロ北上すると、分水という地に「良寛史料館」があります。ここには良寛終焉の地で、この史料館は真筆のみを飾っているとのことです。

 新潟まで180キロのレンタカーの旅でした。フーッ、疲れた。

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2008年3月22日 (土)

№63 今日の熱海は良い天気

今日の熱海は良い天気  (社員寮の前で)

 こうやって見ると、昨日の馬鹿騒ぎが信じられないくらい、皆すっきりした顔をしている。誰も二日酔いなどしていないようだね。周りでは鶯も鳴いているし・・・。

 ところが、昨晩は夕方6時に始まった宴会が延々と12時まで続いた。なんと6時間に及ぶ。何でもその後、3次会でさらに宴会をした猛者もいるようだ。平均年齢60歳近いのに、仲間が集まると羽目をはずすのはやむをえないことなのかナ・・・。寮のおばさんもさぞ呆れていることでしょう。

011  たえず宴会の中心にいるSHIMAちゃん、昨晩は始まる前、「今日はのどの調子が悪いから唄は歌わない・・・」とのたまった先から、トップバッターでマイクを握り離そうとしない。まあ、彼は唄がうまいから許すとするか。

 OEさん、普段は謹厳実直、口角泡を飛ばして、硬いことしか言012わない氏がズーーッと輪の中心にいて、最初から最後まではしゃぎ通しだったね。いくらサユリストだといっても、テレビの小百合さんに向かって口をつけることもないものだ。

 そんななかでいつも冷静なATSUOさん、昭和20年代の唄を淡々と歌っていた姿が、あの狂乱のなかではえらく浮き上がっていたのではない015ですか?

  われらが長老GUNZOさんも、マイペース。それでも普段飲まない人が飲んでいましたね。

 普段はさびしい人生を送っているのか、この晩の会長TAKESHIさんの心から楽しんでいる姿が周りでみても頼もしかった。唄も踊りも歌手指名も率先してやっていたが、今朝になって、何にも覚えてい017 ないとのこと、少しアルツハイマーが入ったかな?それでもTAKESHIさんがいないとこの会は成り立ちません。周りの人は彼を大事にするように、ね、KAZUHUMIさん、JUNちゃん、YUTAKAさん。

 宴会も深夜に入りクライマックス、いよいよ出ましたわれらが真打SAWAさん。得意の踊りが始まりましたよ。とてもじゃないが、私の高級ブログでは恥ずかしくて紹介できない踊りが・・・。019

 初めて参加した最若手のYODAくん、さぞかしや驚き呆れたことでしょうね。まあ、そういわずに来年もぜひ参加してくださいね。

 こんな馬鹿騒ぎをまとめてくれる永久幹事TAKEちゃん、本当にご苦労様でした。なんでも腸にポリープができ1週間ほど入院していたそうです。何事もなくよかったよかった。

 EIMEIさん、今朝は声が嗄れていましたね、会社を辞めた後声を出す機会が少なくなったとか・・・。女房ともっと対話を(それは自分にも言えることだなア)。

 ということで、今年の春の大宴会はけが人もなく無事終了いたしました。皆さん、本当にご苦労様でした。

 

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2008年3月21日 (金)

№62 熱海芸者

熱海芸者   (熱海駅前で)

 今日は、仲間20人ばかりが集まって、熱海のある会社の社員寮で宴会だ。この仲間は、年2~3回集まって、酒飲みをする気のおけない友達だ。

 年一回はこうして熱海に来ては、夜遅くまで談論風発、果てはカラオケに興じる。まさか、写真にあるような熱海芸者を呼ぶわけはないが、もっと色っぽい踊り子があらわれることもある。

 さてさて今晩はいかようにあいなるものか、楽しみだ!?

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2008年3月 4日 (火)

河津桜のトンネル

河津桜のトンネル

朝大仁ホテルを出て、修善寺にある由緒ある古刹・修禅寺を訪ねました。このお寺は、源頼朝が流され、滞在したことで有名です。寺の奥座敷ではちょうど、吊るし雛の展示をやっていました。5段飾りのお雛様も5種類ほど飾っていて、華やかでした。

浄連の滝を横目に見ながら、一路今回の目的地である河津を目指しました。

河津川のほとりは、狙い通り桜が満開でした。full 今日は火曜日なのにもかかわらず、人人人の群れです。いろいろな報道機関で「河津の桜満開」の情報が流されていたことが影響しているようですね。

観桜は2度目です。河津桜は、もう少しこぶりというイメージがありましたが、どうしてどうして大きなピンクのどっしりした花びらでした。色の鮮やかさは、ソメイヨシノに勝っています。(マイフォトの「河津桜を訪ねる旅」をご覧になってくださいネ)

帰りは、伊豆高原のギャラリーぶなの木に立ち寄りコーヒーをご馳走になりました。このギャラリーはうちの奥さんの作品が展示されていて、いつも大変お世話になっております。

2日間、b-mobileの実験をしました。確かにどこでもネットにアクセスできるのは大きな武器です。ただ問題もあります。速度が遅いことと大きなデータを送るには時間がかかりすぎます。2日間で約1時間10分を消費しました。150時間の消費時間があるので大丈夫といえば大丈夫なのですが、デジカメ映像は時間がかかりすぎて送れませんでしたね。

デジカメ映像は自宅に帰ってきて再編集することにします。

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2008年3月 3日 (月)

伊豆の旅

伊豆の旅  (熱海MOA美術館入口)

秋田の姉・横浜の姉夫婦・その友達と5人で伊豆旅行に来ています。0710_028

朝横浜を出て、熱海のMOA美術館に立ち寄りました。

美術館では浮世絵展をやっていました。浮世絵の祖・菱川師宣をはじめ北斎・広重・歌麿等そうそうたるメンバーの原画をはじめてみました。MOA美術館は初めてではありませんが、いつも来るたびにその威容には驚かされます。

その後、熱海梅林で最後の観梅をしました。0710_024 早い梅の花は散っていて、名残の花です。観梅会は3月10日までとのこと。

それから沼津に出て、港で昼食にたんまり魚をいただきました。0710_030 お店の名前は「魚河岸丸天」で、月曜日の2時過ぎなのにえらい混んでいました。なんでも沼津港でも有名な店だそうです。そこで食べた金目鯛の煮付けは大きな魚で身のすみずみまでいただきました。シャケ皮の南蛮漬けも美味しかった。3階建てのかき揚にも驚きました。

今晩の泊まりは、大仁ホテルです。spaこのホテルは長嶋茂雄が自主トレで利用したことで有名です。0710_031

窓の外には、大きな富士山が見えるはずですが、黄砂の影響か残念ながら見ることはできませんでした。

それにしても3月の声を聞くと、さすがに暖かくなりましたね。本格的な花粉症の季節ですよ。グッシュン!!!weep

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2008年2月12日 (火)

沖縄旅行

3泊4日で沖縄旅行に行ってきました。

今年の沖縄は毎日がどんよりしていて、

青空を期待した人たちはがっかりのようでした。

プロ野球のキャンプも8チームが集まっているようでしたが、さぞ困っているでしょうね。0710_714

沖縄本島を北から南まで、レンタカーで600キロも走り回りました。

0710_758

 上の写真は辺戸岬から、左の写真は首里城で撮ったものです。首里城では「花祭り」をやっていました。       

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2008年2月11日 (月)

沖縄は晴れ

沖縄は〓

初めて今日は晴れました。南城市の奥武島(おうじま)で、珊瑚礁見物のグラスボートにのりました。船の真ん中に窓がついていて海の底を覗くことができます。珊瑚や、群がってくる魚に歓声しきりです。海底は意外に珊瑚の死骸が多いのに驚きました!!

(2月11日)

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2008年2月10日 (日)

那覇の夜は更けてゆく

那覇の夜は更けてゆく

いよいよ、旅は佳境に入ってきた。こんばんは一年ぶりにお会いした石橋夫婦も含めて、大晩餐会です。2次会は沖縄民謡酒場です。上原正吉民謡酒場に行きました。歌手の岸和田のチカちゃんにも1年ぶりの再会です。石橋旦那と、泡盛をたらふく飲んでしまいました。朋あり、遠方から来たり、またよろこばしからずや!

(2月10日)

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2008年2月 9日 (土)

沖縄旅行

沖縄旅行

残念ながら、今日は一日雨でした。rain 沖縄本島の北端、辺戸岬の端から、遥か与論島がかすかに望めました。右は太平洋、左は東シナ海です。それから、古宇利島でお土産に海ぶどうを大量に買い、今帰仁城(なきじんじょう)の桜を鑑賞、美ら海水族館でじんべい鮫にご対面してきました。o(^-^)oとまりは恩納村のリゾートマンション。近くのスーパーで買い物をし、豪華な晩餐でした。o(^-^)o

((2月9日)

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2008年1月30日 (水)

海外旅行

海外旅行に行き始めたのはもう20年も前です。中でも、タイにはずいぶん行きました。14~5回行きましたかね。

タイの魅力は、なんといっても食べ物が美味しいことと、人の気持ちが優しいことです。

北は、メーサイから南はコサムイ島まで、大体歩きました。当初は一人旅でしたが、最近は女房と一緒です。

昨年の一月、チェンマイ~ピサヌローク~コサムイ~バンコクで、10日間ほどバスで走り回りました。

特に、チェンマイとコサムイでは50CCのミニバイクを借り、街中・島中を駆け巡りました。

韓国・中国・台湾・ヴェトナム・シンガポール・インド・トルコ・イタリア・スペイン・ポルトガルと、相当歩いてきました。

旅に出るきっかけの本があって、それは、小田実『何でも見てやろう』と沢木耕太郎『深夜特急』でした。

旅の話も一杯したいですね。来週は沖縄に行ってきます。

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2008年1月22日 (火)

№2 スペイン・ポルトガル旅行

スペイン・ポルトガル旅行13日間

森田洋平レポート

2006527()68()

1日目 527日(土)

成田空港第1ターミナル、早朝8時30分に35名集合。(蓮田から車で615分発)

1030分エールフランス279便にて12時間40分の空の旅⇒パリシャルルドゴール空港に1610分着。

4人でタクシーにて急遽パリ市内見学に行く。凱旋門⇒シャンゼリゼ通り⇒セーヌ川⇒エッフェル塔⇒コンコルド広場

   

   

 

430分スタート。タクシーで30分、パリ=シャンゼリゼ通り・凱旋門・エッフェル塔を見てセーヌ川沿いを空港に帰ってくる

待ち時間4時間のところ、5時間待って21時出発エールフランス2348便にて⇒1時間半かかって2230分バルセロナ到着。荷物は全て無事について、バスに乗って30分、バルセロナ近郊、グラノーラスホテル アウグスタパレスにチェックイン。イベリア半島スペインまでの空の旅、大変お疲れ様でした。

2日目 528()

よく眠れたでしょうか?質素な朝ごはんを食べ、さわやかに丘の上のホテルからF1サーキット場を眺め、桑の実を食べながら30kmでバルセロナの町へ。830分ホテル出発。

バルセロナ市内観光】ガイド若林さん

聖家族教会(サグラダファミリア)1882年着工。初代建築家ビリャール(1年で辞任)。その後を継いだ無名のアントニオ・ガウディによる未完成の教会。*アントニア・ガウディ(18521926) 1878年パリ万博に出品したショーケースによって金持ちグエルに出会う。その後、彼の残した作品は近代建築の代名詞に。74歳で路面電車に轢かれて死亡。

サグラダファミリア完成予定は20年後。今はさながら工事現場。

    

    

 

世界遺産 グエル公園~椰子の木と青空と、150万人の都市バルセロナと地中海。波打つ座り易いベンチと広場、波の中のアーケード。ガウディが60棟を予定していた建物が2棟しか建たず。売れなかった。

その後、車窓より「アパート カサミラ」「カサバトリョ」とガウディ作品を見て、旧市街の大聖堂(カテドラル)の横の皮店“カストリア”、地中海と市内を一望のモンジェイックの丘。

    

    

レストラン“NEOCLACIC”にてパスタのパエリア“フィデウア”と、にんにくマヨネーズ“アリオリ”。そして食後のシエスタ

78kmタラゴナへ。

高速道路わきにバスを止めて山道を歩く。1900年前、ローマ人の作った水道橋(世界遺産)。それに触れて、登って、写真を撮って。

   

   

270km⇒地中海を南へ下り、ドライブインでカフェー、または、オレンジ生絞りジュースを飲んで、コスタドラド(黄金海岸=オレンジ海岸)をひたすら下り、スペイン第3の都市バレンシア。近郊アルファファールのホテルSHアルブフェラ。到着2020分。夜はホテルでビーフステーキ。(牛肉+野菜+アイスクリーム)

3日目 529()

バレンシア市内観光>ガイド ルシア

8時出発。三大祭りの一つ、火祭り会場の市役所広場を通りレイナ広場下車。そして初の旧市街散策。ロマネスクとゴシックのカテドラル。渡り廊下でつなぐ司教の館、隣接するバジリカ教会のマリア様を窓越しに見てカテドラルの正面広場、トゥーリア川と8つに区分された灌漑地区を表す彫刻の噴水、8角形の石の鐘楼、石畳の古い街並みを通り、欧州最大規模の中央広場(19280)へ。欧州―肥沃な土で取れる野菜に果物、肉、生ハムそして魚、からすみ、うなぎの稚魚・・・・。

    

    

市場で買ったもの。サクランボが3ユーロ、バージンオイル、からすみ、マグネットの飾り3個。

市場の前の建物は世界遺産・ラロンハ~15世紀からの絹交易取引所。本日は約700の大移動日。ひとつ山を越え、谷

を越え、カスティーリャのラマンチャ地方へ。平均海抜8001000mのヤセタ台地。ひたすら続く平坦な車窓。ブドウ畑。途中ドライブインで腹ごしらえをして風車の丘、カンポ・デ・クリプターオ。田舎町の坂を登り10基ある風車のもとへ、青空と360度見渡せる大地。

   

   

ドンキホーテの作家セルバンテスの泊まった旅籠は現在レストラン“VENTA DEL QUITOTE”にて昼食。野菜の煮込みピスト、鶏の煮込み、花の形の台にアイスクリーム。ブドウジュースにラマンチャワイン。

 再びラマンチャの道を南下。シエラレモネ山脈(カトリック軍とイスラム軍の合戦の地)、デスペーニャスペロス(犬を蹴落とす谷)にて写真ストップ。

    

    

そしてアンダルシア地方へ。ハエン県はどこもかしこもオリーブの林。何でも3億本あるそうだ。アフリカからの砂埃でぼんやりとしたシエラネバタ山脈が見えてきた。グラナダに着く。ホテルはヘルニ川の横のサンアントン。

夕食はホテルでバイキング。OPで洞窟のフラメンコショー。10時スタート、ホテル帰着2430分。

   

   

4日目 530()

グラナダ(柘榴の実)

ガウディという寄せ木細工屋さんに行って買物。オルゴール、コースター、テーブルを買う。

ガイドは半分日本人の米原さんとスペイン最後の王朝アルハンブラ宮殿へ。まずは夏の離宮ヘネラリフェ。噴水と花で飾られた庭園、アルハンブラの展望できるアーケード・・・・。暑い夏でも水と木々によって涼しく過ごせそう。王宮の横にあったのはカルロス5世宮殿、これはイスラム軍を征服した後、カルロス5世によって建てられたもの。そしていよいよ宮殿内へ。ジェラシーの中庭、メスアールの間、水面が鏡のようなアラヤネスの中庭、偶像禁止のイスラム教においてもとても珍しいライオンの中庭、天井の鍾乳石飾りの二姉妹の間、アルハンブラ物語を書いたアメリカ人ワシントン・アーヴィングの間。

 

 

 

Sobre el monte pelado un calvario  ロルカ

裸の山の上に

キリストのはりつけ像。

澄んだ水と

百歳のオリーブの樹々。

せまい路地には

マントの襟をたてた男たち、

塔の上で

風見がまわる。

いつまでも

まわる まわる。

おお ほろびかけた村よ、

嘆きのアンダルシーアに!

その後は旧ユダヤ人街の白壁、*********、ジプシーの居住区サクロモンテの丘。歩いて、歩いて3km強、お疲れ様でした。中華料理店CINO JIN JUANにてホット一息。

175km。再びハエン県のオリーブ林。昔オリーブを運んだ旧駅舎ルケ駅の店「エスタシオン  ルケ」でオリーブの食品類をお土産で買う。蜂蜜入り石鹸、オリーブ油をお土産に買う。

グアダルキビル川を渡って、イスラム王朝の都だったコルドバ。ガイド=ファンの案内で世界最大級のメスキータモスクへ。馬蹄形のアーチの林メッカを指すミヒラブはビザンチンモスクで飾られて、イスラム建築に感動!しかし、ここは15世紀から今に至るまでカトリック教徒のカテドラルが聖器室のお宝、250年かけて作られた中央祭壇とマホガニーの木でできた聖歌隊席や彫刻にまた感動!一度で二度感動の世界に二つとない空間のメスキータでした。

 裏路地の旧ユダヤ人街、振り返るとゼラニウムの花と教会の鐘楼の景観が美しい花の小径。

そして150kmを経てセビリアへ。

  

  

ありました、ヒマワリが。ヒマワリがキレイニ咲き始めています。運転手のカルロスさんがバスを停めてくれました。アリガトウ。ヒマワリ畑の中で、360度ヒマワリに囲まれて写真をとりました。幸せです。21時頃にセビリアのホテルALCORA★★★★。夕食はホテルにてカジキマグロでした。夜は睡眠薬を飲み、ぐっすり眠る。11時就寝、朝735分起床。

第5日目 5月31(

セビリア

近くの町ではお祭りで馬車がたくさん走っています。再びグアダルキビル川。1929年の万博会場スペイン広場へ。スペインの建築の歴史の詰まった半円形の建物に51の県を紹介する絵タイル。皆様記念写真。旧マリアルイサの宮殿跡だけに,沢山の木々や花々に囲まれた気持ちの良い場所でした。

   

   

その後は、コロンブスの塔と大きなゴムの木のあったムリーニョ広場、旧ユダヤ人街サンタクルスの路地をギター演奏と一緒に歩き、キスの小径を通って世界遺産のカテドラル。高さ98mの塔の上にはセビリアのシンボル、ヒラルダ(風見鶏)さん、中に入って皆で登って70mの高さから全てを見渡して。中央祭壇は金で塗りたくられた彫刻。本物かどうかはそのうちわかるコロンブスの柩。礼拝室の一つには盗まれたことのあるムリーニョの聖アントニオを描いた絵。   昼食はレストランHORACIO3種類の前菜とポークのエスカロップ。

⇒330kmでポルトガルへ。皮の剥かれたコルク林がでてきて、国境の町ロサールデールフロンテーラ、そしてポルトガル入国(素通り)。アレンテージ地方の麦畑の電柱の上にコウノトリの巣。小高い城壁の町が見えてきた。エヴォラ

    

    

 ジャカランタとバスコダガマ像の公園から丘を登りレコンキスタの将軍の名前がつくジラルド広場と本の市。さらに登ってコルク屋通りを抜け12世紀ロマネスク様式のカテドラル、天正の遣欧少年使節ゆかりの地。2世紀のローマ帝国の神殿ディアナ神殿。平野を見渡すテラスには、日本人彫刻家北川晶邦さんの大理石のオブジェ。

125km。夕日に向かって西へ。

キリスト像と赤い吊橋、425日橋テージョ川と7つの丘からなるリスボンの街並みが見えてきて感激!街中に点々と見える紫の花のジャカランタが印象的です。夕食、レストランDELFIMにてたらとエビとムール貝のリゾット。ビーフストロガノフを食べ、ホテルサナパークメトロポリタンへ。ここで中休み、2連泊。ポルトガルは時差8時間。

  

  

ジャカランタの紫色の花が満開!

6日目 6月1日() <リスボン市内観光>ガイド堀さん

リスボンから60kmでロカ岬へ。朝一番、落ち着いた高台から大西洋を眺めた。150mの切り立った断崖。無風。

   

   

国民的詩人カモンエスの塔もありました。沖縄に似た風景を通り、シントラ王宮14世紀、エンリケ航海王子の父ドンジョアン1世の建てた城。自然の景観を残し、造った事から自然と文化の遺産になっています。カササギの間や各部屋のインド・アジアからのお宝。少年使節の招かれた白鳥の間や礼拝堂。シントラのシンボルの2本の円錐形の煙突のある台所。王女のために造った夏の避暑宮殿。

さて、リスボンに戻って、大航海時代の繁栄を伝える世界遺産ベレン地区。

  

  

     ジェロニモ修道院(1502年~)。ゴシックの教会にロープ貝、花、大航海中に見たものを取り入れた飾り。マヌエル様式が印象的。その時代の英雄ヴァスコ・ダ・ガマに詩人カモンエスの棺,聖ジェロニモを描いたステンドグラス、幸福の手を触って修道院の回廊をご覧いただき、テージョ川沿いへ。川・海からの侵入者を見張るベレンの塔。エンリケ航海王子を先頭に、ヴァスコ・ダ・ガマやザビエル等27人の偉人が並ぶ発見のモニュメント、大西洋の波をデザインした白と黒のモザイク床の広場の真中にある世界地図・・・・。その後、街の中心へ移動してフリータイム。期待した夜は二手に分かれて、ホテルでのディナーかオプショナルでファドディナーTIPICO TINPANASにてワインとコース料理をお召し上がりいただきながらのファドにフォルクローレの夜でした。サナパークメトロポリタンホテルに連泊。

  

  

    

7日目 6月2日()

120。ユーカリやブドウ畑の風景の中に出てきた城壁の町は谷間の真珠と呼ばれ、1288年、王妃の直轄地で000た所。オビドス⇒全長1565mのうち約半分を皆一緒に城壁ウォーク。王妃のお城(現在国営ホテル)で城壁を降り、花と石畳の街のメインストリートで自由散策、サンタマリア教会を覗いたり、「真実の鶏」お土産を探したり。

  

  

さらに40km、再び大西洋が見えてきた。奇跡とナザレの聖母伝説によって建てられた教会、メッサ・セニョーラ・ナザレ教会(中央聖壇にはマリア様の石像、そして、テラスからの最高の眺め、白い砂浜とびっしりと並ぶオレンジの屋根とカモメ。民族衣装の7枚のミニスカートをつけたピーナッツ売りの女性たち。洗濯物と白壁の家の間を歩いて、ケーブルカーで高台のシティオ地区から下町のプライア地区へ下りまして海辺のレストランSAONIGUEI

  

  

魚のスープ、サラダ、干しだらの卵とじ。別注文でいわし。食後は海岸通でゆっくりお過ごしいただきました。快晴。

さらに40km。緑の林の中を抜けると突然現れた大きな教会はバターリャの勝利のサンタマリア修道院。1385年、ジョアン1世率いるポルトガル軍がスペイン・カステーリャ軍との戦いに勝ち、独立を守った地に立つ教会。ジョアン1世とその妻フェリッパの手をつないだままの棺と息子エンリケ航海王子はここの礼拝堂に眠っています。縦長の教会はとくに装飾はなく、正面のステンドグラスだけが印象に残り、マヌエル様式で飾られた修道院の回廊の飾りも美しく、アフォンソ・ド・ミンゲスによる柱のないのに大きな面積の参事会室のすみでは彼が舌を出し、焼け焦げた十字架のキリストは反戦を示し、その下には第1次世界大戦で犠牲になった戦士の墓を二人の軍人が守っていました。運良く交代式も見られました。

 一度外に出て、何故か中央祭壇とは仕切られた裏の礼拝堂へ。そこは余り仲の良くなかったらしいジョアン1世の長男ドゥアルデ王の墓が親と一緒で、奥さんと手をつないでいた。ただし天井は未完のまま。付けかけのマヌエル様式と青い空が印象に残りました。私と皆様とドライバーさんだけの特別コースで、1917年に起きた奇跡の現場ファティマへ。今ではマリア様のお告げによって建てられたバジリカと30万人収容の広場出現の場所には、冠をかぶったマリア像の礼拝堂。聖堂まで膝まづいて進む人も。何とも神聖な空間でした。

229km⇒大西洋とドウロ川の河口にかかる橋を渡り,寄り道したために20:00ポルト。ホテルイパネマ到着。夜はホテルでバイキングでした。

8日目 63()

土曜日の静かなポルト市内1763年にできたグレリゴス教会の塔の前はにぎやかなフリーマーケットが開かれていて、少し下車。建国の地にて12世紀と早く建てられたロマネスク様式カテドラル。テラスからドウロ川と対岸のポルトワイン工場地区。よたよたのアパートメント。坂を下ってエンリケ航海王子の像の立つ広場で下車。サンフランシスコ教会(14世紀)。金泥細工を塗りたくった内装。修道士の苦難を掘ったモロッコの殉教と長崎の殉教、キリスト教の家系団を一本の木であらわしたジュッセの木。エッフェルの弟子たちによる鉄筋のドンルイス1世橋を渡ってポートワイン工房SAN DEMAN。マントにハットの案内人と酒倉を巡りワインを試飲。

  

 

ここから特別コース・ドウロ川クルーズ。

  

  

世界遺産・ポルトを満喫。天気が良かった!!レストランCOZZARIOではタコライスと演奏隊(流し)。山火事とユーカリ、小さな村

233km、再びスペインへ入り。すぐにリアス式海岸のVIGOの町を入っていき、トイレ休憩。そして巡礼の地サンチャゴ・デ・コンポステーラ。ホテルはウサ サンチアゴ アポストル。夕食はホテルにてメルルーサとポテトでした。

9日目 64()

日曜日の朝、静かな祈りの町といった感じ。石畳を歩いて聖ヤコブの眠るカテドラルの前、オブラドイロ広場。巡礼最後の地だけに喜ぶ巡礼者の姿も。カテドラル内部に入り、栄光の門から12世紀ロマネスク彫刻の傑作といわれる約200体の聖人像。聖ヤコブの柱は巡礼者たちの感謝によってできた5本指の跡。主聖壇の3体の聖ヤコブの彫刻。地下へ下ってヤコブの墓。

  

  

今日は特別のミサが行われるということで、少し外に出て、免罪の門の聖堂の扉やプラテリアスの門、巡礼証明をもらう事務所や、また、オブラドイロ広場に戻り、ホタテ貝のマーク、そして内部に戻り、祭壇裏のヤコブ像の背中に触れて、そしてミサへ。年に数回しかやらない、世界一大きな香炉を大きく揺らす儀式。多くの巡礼者と少しの時間ですが神聖な空間に居合わせることになりました。

179km。緑豊かなスペイン北部、牧草地帯と巡礼の道、峠を二つ超えてポンフェラーダ、鉱山の町、巡礼の街の中心、市役所広場前のレストランHOTEL BIERZO PLAZA。サラダとローストチキンとワインとビール飲み放題。おいしいランチ。食後、石の黒い屋根の静かな街中を歩きました。

  

  

62kmアストルガ。ローマ時代の水道橋と巡礼の町だけに、小さな町の大きなゴシック様式のカテドラル。近代では北部スペインでは珍しいガウディの司教館(使われることはなかった)

  

  

48km。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ガイドは、カミーノ道子さん。まずはカサデロスボティーネス。北スペイン、もう一つのガウディの作品はもう一人のパトロン・ボティーネスのためのアパート。カテドラルは1280年、スペインゴシックの代表的な建築182枚のステンドグラスが見事。それと正面入り口の天国と地獄に手や貝で磨り減ったヤコブの像も印象的でした。そして1063年、ロマネスクの傑作はサンイシドロ教会

   

   

内部は重*のある空間でした。日曜日のにぎやかな街を歩いてそのままホテルコンデルナへ。夜はホテルで白身魚のフライでした。

10日目 65()

北の巡礼道をそれて南の巡礼道、銀の道を197。景色は穀倉地帯で麦畑。学生都市サマランカ。ランチはEL BARDOにてスペイン風オムレツにサーモングリルにクリームソース。そして観光。18世紀の建築家チェリゲラさんによるマヨール広場。正方形の広場を囲む4階建てのアパートにアーケード。レリーフにはコロンブスやセルバンテス。1218年設立、スペイン最古の大学サラマンカ大学の講義室前。1985年、美智子様も訪れたことのわかる壁の文字。金銀細工のように彫られた正面玄関のレリーフ。ロマネスクで作られた12世紀のカテドラルに付け足されて立つ。16世紀ゴシックの新カテドラル。今日は内部も見学。⇒99km。今回からツアーに付け足された世界遺産・アビラ。高台にあるローマ神殿のような4本の柱:展望台より城壁に囲まれた中世の街を写真に収めました。

65kmセゴビア。カスティーリャ王国中心の地として栄えた街には、2000年前のローマ時代の水道橋、全長728m。保存状態は欧州一。大聖堂の貴婦人と呼ばれるカテドラルは、スペインゴシック最後の作品といわれる建築。最後はイサベル王妃が住んでいた。そして、白雪姫のモデルとなったアルカサールをバックに写真ストップ。

  

 

夕焼けの中90km。お疲れ様でした。いよいよ最終目的地マドリッドです。ホテルグランフェスタコロン到着後夕食へ。市内レストランPAELLA REALにてシーフードパエリアを召し上がっていただきました。

              

11日目 66()

日本人ガイド・マルガリータさんとプラド美術館へ。グレコ・ベラスケス・ゴヤらの絵画を二人のガイドとともに鑑賞。部屋数2800室の王宮では写真ストップ。そして大吉にて日本食のランチ。

午後はオプショナルツアーでトレド観光。世界遺産の古都にてスペインカトリック総本山のカテドラル。エルグレコの傑作「オルガス伯の埋葬」等をご覧いただきました。

  

  

夜はホテルディナーとオプショナルツアーフラメンコディナーに別れての夕食。フラメンコは“TORRES BERMEJAS”。お楽しみいただけましたでしょうか。

12日目 67()

さて帰国日です。早朝530分(スミマセン、寝過ごしました)、少し遅れてホテル出発。8時、AF2301便にてパリへ。1時間半の乗り継ぎ時間後、1145AF272便にて12時間半後。

13日目 68()

予定時間通り、655分、無事に成田空港到着。

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