« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月の31件の記事

2009年7月31日 (金)

№560 アジサイに埋まる?

 那須は寒いせいか、6月に咲き始めるアジサイの花が、長く咲き続けている。特に、“那須街道”の入口の延々と続く赤松の林の下に咲くアジサイは印象的だ。この地を、昭和天皇がこよなく愛したとも聞く。001_4

 わが「あるるのいえ」にもアジサイをいっぱい咲かそう、ということで徐々に殖や し続けている。おもには埼玉の家に咲いていたものを移植している。大きなアジサイの木を移植したものが、今年はまだ咲き続けている。

003_2 008  先日、女房がさらに小さな木を自宅から持ち込み植えたようだ。庭には大きなヤマボウシの木があるが、その根元に5本も植えていた。

 昨年、那須を歩いていて気に入った綺麗なアジサ002 イの花を失敬してきて移植した。確か5~6本植えた筈だったが、根が付いているのは1本限りだ。これも道路端に植えているが、果たしてどういう色の花が咲くのだろうか。もう2~3年待つ必要がありそうだ。

 小川のほとりに、昨年Ohnoさんが植えてくれたアジサイがある。どうもあまり元気がない。ここの土壌はアジサイに適さないのだろうか。しばらく様子を見てみたい。

009  先日女房が不思議がっていたのだが、入口の左手にアジサイの苗が3本植えられていた。一体だれが植えたのだろうか。「たぶん、Ohnoさんの旦那が気を使って植えたのではないか」というが、確かめていない。そういえば、Ohno家を覗いてみると、あちこちにアジサイの苗が植えられていた。

 数えてみると、この敷地内に15~6本もあるだろうか。この「あるるのいえ」も5~6年もたてば、色とりどりのアジサイの花に満たされることだろう。楽しみである。

| | コメント (2)

2009年7月30日 (木)

№559 秋田から那須に帰る

013  田舎に5日ほど滞在して、那須に帰ってきた。今回の帰郷の本当の目的は法事だった。それも無事に終わった。

 いつもそうなのだが、今回の帰郷でも義兄のFumioさんの活躍が特段に目についた。秋田の姉は一人住まいなので、家の中でおこるいろいろな不具合にはお手上げだ。いつもFumioさんの帰郷を首を長くして待っている。

 彼は大工道具を片手に、たちどころに悪い個所を直してゆくし、いろいろな工夫もしてくれる。私にとっては、このよう仕事はとっても苦手なのだが・・・。

 ガスの火が消えるといってはガス台の分解点検をしていたし、戸棚のねじの緩みなどあっという間だ。洗濯物の干場がなくて困っていた姉に、家の中に物干しざおの掛ける場所を確保してくれた。

 裏庭は木や草がはびこり、さながらジャングルのようだったが、無駄な枝を落とし始めたらサッと日が差してきた。本当にすっきりしてしまった。庭には3本のブナの木があるが、もう5メートルにもなる。この木を中心に残し、赤松とか孟宗竹の枝落としをした。女房はツツジの枝落としをしていた。

 義兄Fumioさんは同じ町内の出身だが、家に泊まって活躍してくれた。夜は一緒に酒飲みだ。お陰で、帰るころには実家はすっきりしていた。

 姉のもう一つの頭痛の種は、裏に建つ蔵の中だ。いらないものの捨て場所然としていて、物凄いことになっている。私も何年かぶりに蔵の中に入ってみた。蔵の床は腐って落ちているし、雑然としたものが積み重なっている。まるでごみ溜め場のようだ。一日やそこらでは何ともならない。まったくお手上げである。

 しかし蔵の2階に上がった女房は、手頃な箪笥を引き出してきて、那須に持っ012 ていくのだという。難なく車には乗ったのだが、持ってきてどうするのだろうか。タンスの中には父の紋付が入っていた。

 蔵については、まあ、次回に帰ったら、皆で捨てるものはすっきり捨てることにしたい。

 ETCが100kmまで半額の時間のうちに、高速に乗って帰ってきた。仙台のMachikoさんも一緒に乗せて、途中下車で仙台の自宅に落とした。8月には弟の新盆で、もう一度仙台に行く必要がある。

 那須に帰ってきたのは午後2時だ。一休みをして、横浜の姉夫婦と女房は帰って行った。私は、さらに那須にしばらく滞在することにしよう。

| | コメント (0)

2009年7月29日 (水)

№558 優美に舞う天女像

 田舎の自宅から車で30㎞ぐらいのところにある親戚を訪ねた。父の妹が嫁いだ曹洞宗のお寺だ。

 田舎には親戚は多いが、このお寺には小さいころから頻繁に通った。ちょうど同じ年ごろの遊び仲間がいたのだ。いまでも田舎に帰ると、必ず訪ねるところでもある。

001_2  残念ながら3年ほど前に叔母さんは亡くなったが、娘のYukoちゃんのお婿さんGenshuさんが後継ぎをしている。このお寺は曹洞宗で、応仁の乱のころから続く名刹だ。檀家600軒と、亀田のお寺では考えられないほど大規模のお寺さんだ。

 今回お訪ねした一番大きな目的は、本堂に「天女の像」が完成したというので、その姿を見るためだった。

 この天女の像は「飛天」という題で、描いたのは、実家から200mくらい離れた所に住んでいる伊藤篤夫さんという画家だ。彼は私より2歳年下だが、芸大を出て永年名古屋城の修復に携わっていたらしい。伊藤画伯の要請で、この絵をネットに流すのはかたく禁止されている。残念ながら、天女像をこのブログでは紹介できない。

008  お邪魔したら、当主のGenshuさんが出てきてくれて、丁寧に説明をしてくれた。構想からこの絵ができるまで1年ほどかかったそうだ。縦3m、長さ40mもあっただろうか。苦労したのは、この絵を描く場所の確保だったとのこと。幸い廃校があり、そこの講堂で描かせてもらったようだ。さらには、杉板に描いたのだが、その木目と色調を合わせるのにも細心の注意を払ったとのことだ。

 普通、お寺さんの天井絵には龍が描かれているケースが多いが、明治の頃に描かれた天井絵の龍が本堂には既にあり、龍以外の素材をということになったとのことだ。

 天女像は4体あり、それぞれ“笛を吹き”、“蓮の花を持ち”、“太鼓をたたきながら踊り”、“笙を吹く”像だった。天女の姿はふくよかで優美、踊っている姿が生き生きと描かれていた。この絵を見ていると、こちらまで楽しくなってくる。

 天女像が誰かに似ているのでは、という声が上がった。ここの当主のYukoちゃんに似ているといっている。そういう目で見るとそうとも見える。

 実家の姉が、「天女の数え方を知っているか」と問うた。普通、一体二体か、一人二人と数えるのだろう。「違う、一匹二匹と数えるんだよ」と物知り顔にのたまった。エ~~~~~?と、皆疑問を発した。

 どうも先日の「読み聞かせの会」で、図書館の相談員が当然のように、「天女が一匹、二匹」と話していたのでそう数えるものだと得心したようだ。

 その場にいた人たちはその説明に納得できず、インターネットで検索をしてみ012 た。さすが、天女の数え方までは載っていなかった。ただ記事の中で「天女が4人」という表現があったので、一匹二匹と数える数え方には違和感が残った。分かっている方がいたらお教え願いたい。

 実家は商人だったので、どうしても商売根性が出てくる。「この天女の像を絵葉書にして売ったらどうか」という提案をしたのは姉だ。私は「せっかくだから無料で差し上げたらどうだろうか」と話した。経費はお布施に上乗せを、というのは虫がよすぎるだろうか。

 それにしても素敵な天女像を拝ませていただいた。

| | コメント (0)

2009年7月28日 (火)

№557 わが故郷の点描

 このブログで自分の生れ故郷を紹介するのは初めてだ。街中を歩きながら、写真を撮り歩いてみた。

 私の生れ故郷“秋田県亀田”は、2万石の城下町だった。今でこそ3000人前後の人口だが。殿様は岩城氏といい、徳川時代の幕藩政策で福島県いわき市から秋田に転封されたという。城下町だっただけに、この町には神社・仏閣が多い。

 こんな小さな町でも、お寺さんは12軒を数える。今ではどこの寺も経営が成り立たなく、苦労しているらしいが。うちの檀家寺の和尚さんが言うには、130軒の檀家があるが、今では無縁仏がその3分の2とのことだ。さらに、神社も私の家の周りだけでも3社ほど数えられる。

006 007  自宅から4~5分のところにあるのが「熊野神社」だ。この神社の石段は、冬になると格好のスキーの遊び場だった。ただ鳥居があるだけに、鳥居を避ける技術は必要だったが。また、夏にはこの社に勉強道具を持ち込み、昼寝がてら宿題をした場所でもある。夏の第2週の土日の祭典で出る神楽も懐かしい。

 この神社のすぐ下を衣川が流れている。この川も水遊びによく利用した。その003 当時、学校にはプールなどなくて、ここが泳ぎを教えてくれる場でもある。この川にはアユ・ハヤ・カジカ・ナマズなど魚も豊富だった。

001  自宅からこんもり茂った山が見える。この山には天神様が祀ってある。7月下旬になると、「刻参り」という小中学生のお祭りがあった。灯篭に皆それぞれ好きな絵と字を描き、それに灯を入れ、「ときまいり~~、ときまいり~~」とそれぞれ叫びながら、天神様にお参りをする行事だ。この神社への登り坂が急なのを今でも思い出す。

 自宅の裏には殿様が住んでいた館があった。この藩は2万石で、城などもてな029 012 かったらしいのだが、今では立派な“観光城”ができている。その後ろにある館は“佐藤八十八美術館”になっている。

022  この城がある裏山は、偵察用の砦があったらしい。“高城山”は、子供のころの格好の遊び場でもあった。わが友Hirato君の話では、子供のころこの砦付近に古銭拾いに行ったものだという。今では立派な建物が建ち、ワイン工場としてワインの醸造をしているようだ。

 城のすぐ裏手にあるのが「天鷺神社」だ。学校のグランドのすぐわきに位置し031 ている。この神社は秋祭りで有名だ。お祭りには、町内会で踊りを奉納していた。また、境内には土俵があり、奉納相撲があった。ウチの兄貴が、その相撲で勝ち進んでいくのを頼もしく思っていたのが、今でも記憶に鮮明に残っている。

030  この隣には今では小学校が建っているのだが、私のころはグランドだった。ここで野球の練習に精を出していた。私たちが小学校に通っているころは1学年120名もいたが、少子化と過疎化の影響で、今では1学年5~6人とのことだ。寂しい話だ。

 以前町長を務めていたMaekawaさんという方がものすごく積極的な人物であ025 り、政治力もあったので、この町の過疎化対策に熱心だった。それが観光城になり、ワイン工場に結実し、さらには「天鷺遊園」という子供の遊び場も建設した。それらは、今や閑古鳥が鳴いている。姉の話では、「元町長が、今の職員には創意工夫がないからあんな惨状になったんだ」と嘆いていたらしい。

020 005  私の実家の前の家は、造り酒屋だった。いまでは酒造りはしていないものの、広大な敷地はそのまま残っている。この酒屋の倉庫も格好の遊び場だった。いつか、悪戯をしてここに働く“若勢”に酒樽の中に押し込められたこともあった。

 自宅の前には、姉が丹精を込めた植物が植えられている。アジサイ、カサブランカ、ブナなどである。特に盆栽のブナの木は自慢の一つらしい。

033 017 019

| | コメント (1)

2009年7月27日 (月)

№556 同級生の集まり

 田舎の同期の会のネットワークがある。「天鷺ネットワーク」といい、27名ほどが参加している。メンバーの中心は田舎に住んでいる人だが、札幌・仙台・東京・シンガポールとネットワークは広い。その時々の話題を、皆でメールに書き合って消息を確かめている。

008  今回帰郷するにあたって、このネットワークに時間が合えば会いたいとメールを入れておいた。隣のShouちゃんがセッティングしてくれて、8名ほどが急遽集まってくれた。会場はShouちゃんの家の座敷だ。うれしいね。

 この同期の仲間で「一五会」という会を結成し、飲み会・旅行会と活動は活発だ。一昨年は皆で上京し、隅田川に船を浮かべお花見会をした。先日も宮城県にバス旅行をしてきたようだ。参加者は18名で、男6人に女12人と「両手に花」状態だったらしい。とにかく女の人が元気だ。

 今回集まってくれたのは「酒飲み会」ということもあり、男ばかりだ。会長のJujiさん、幹事長のShinjiさん、体を心配していたKimioちゃん、商売をしていてなかなか顔を出せないSadamiさん、町の顔役Hiroyukiさん、Toshiちゃんと多士済々のメンバーだ。

003  皆がそれぞれ食べ物、飲み物を持ち寄った。Jujiさんが持ってきたエダマメがおいしかった。自家製で、美味しく作るコツは、種を植えた時から畑に糠を撒くのだそうだ。そういえばこういうことも言っていた。「今朝、うちのオヤジが庭に出てみたらツキノワグマがいた」そうだ。すぐ見に行ったら、もうすでに逃げた後だとのこと。畑にはムジナもいて、その被害も大変とのことだ。さらにはカモシカなどもみられるとのことだ。

 ムジナって狸のことか聞いてみたら、「違う、むしろアナグマに近い動物」だそうだ。そういえば、家の姉も軒下にムジナがいたと話していた。どうもハクビシンも出るらしい。さすが、イノシシはいないようだが。

 亀田訛りの名人で洒脱なKimioさんは、また釣りの名人でもある。先日は、八郎潟湖で相当大きなウナギを釣り上げたようだ。そのウナギは3枚におろし、小骨を丁寧にとり、蒸して油を落とし、白焼きした上3度ほどタレをつけて炭火で焼いたら、ものすごく美味しくいただけたと話していた。

 今日差し入れてくれたのは、鯛と鯵のお刺身だった。おろしたてのお刺身はこ002 001 れもまた絶品だ。なかでも鯛がおいしかったね。この鯛も、丁寧に一本一本小骨を取り除いて刺身にしたとのことだ。

 家主のShouちゃんが食べさせてくれたのは、山菜のミズの煮ものとたたきだった。本当に懐かしい味がした。さらに珍味だったのは、この近辺のブランド牛肉“由利牛”の焼き肉だ。本当に柔らかくておいしかった。

006 005  皆さんが、私のブログを読んでくれているようで、「山菜採りにずいぶん遠くまで行って苦労して採っているものだね。この近辺では裏に行くと、いくらでも山菜は採れるよ」とのことだった。この地は本当に自然が豊富である。しかしそれしかないが・・・という受戒も。

 田舎に帰ってくるとどうしても“亀田訛り”になってしまうが、ずいぶん忘れた言葉もあった。以下の言葉を皆さん想像してみてください。いくつの言葉がわかるだろうか?

 「かちゃべ」、「あぐど」、「あねこむし」、「ぐんじ」、「えっぺ」、「きゃます」、「しけ」、「まよえ」・・・。何のことかわかりますか?女房は秋田の出身でないにもかかわらず、ここに来ると訛りに感化されている。

 矢張り酒どころ、秋田の酒はうまい。矢島の「鳥海山」という日本酒は瞬く間に004 空き、2本目の酒もなくなった。おかげさまで朝起きたら、二日酔い気味だった。

 いや~~、本当に皆さんありがとうございました。ものすごく楽しかったよsign03今度は東京衆と旅行地を決めて、一緒になりましょうね。

009

 

| | コメント (0)

2009年7月26日 (日)

№555 2年ぶりの帰郷

 母の3回忌以来だから、2年ぶりの秋田の田舎に帰ってきた。

 私の故郷は秋田県の亀田というところで、四辺を山に囲まれた小さな片田舎だ。私の田舎が唯一有名なのは、松本清張『砂の器』の舞台となった土地としてだ。小説を読んだ方は分かっていると思うが、本当の舞台はこの町ではなかったのだが・・・。

 私は18歳まで、この町で育った。高校を卒業してこの町を離れたのだから、もう45年にもなるだろうか。ところが飲んで調子に乗ると、今でも出るのは秋田弁だ。田舎訛りとは、死ぬまで離れられないものらしい。

 今回の出発地は那須だ。横浜の姉夫婦も那須に一泊し、那須のお土産を買い求めて、朝、東北自動車道に乗った。「スーパーいけがみ」で買い求めたのは、大きな西瓜2個、エダマメ4束、マンゴーがおいしそうだったので5個等だ。

 ETCの恩恵を受けて、高速道路は長距離になるほど有利だ。カーナビで検索してみると、那須から秋田までは450kmである。まあ、約5時間の道のりだ。友だちの中には長距離運転は苦手という人もいるが、私はどんなに長い運転でも平気だ。

 本当は日曜日出発のつもりだったが、田舎の姉に「土曜日に大きな花火大会があるので一緒に見よう」と誘われ、土曜日の出発となった。秋田に着いたのは予定通り午後2時だ。ETC表示で、高速代が1000円なのを確認し、その安さに皆で歓声を上げた。通常10,000円はするのだろうが…。

 準備もそこそこに、道川海岸の花火会場に向かった。ご婦人連は何を着ていくのかもめていた。今年の2月に沖縄で買い求めたムームーを着てみたが気に食わないらしい。結局は、姉が用意してくれていた浴衣になった。

009  花火会場には、秋田市内に住む兄夫婦がすでに待ち構えていた。天気は雨模様だ。雨が降ったりやんだりで、花火をやるのかどうかいらいらさせられた。ところが花火が始まる午後7時を回ったころから、海の上には夕日が見られるようになった。“晴れ女”を自称する横浜の姉は自慢タラタラだ。

 「花火より団子」で、花火見物の前に皆で会食をした。甥がこの海岸のイタリア008 ンレストランを経営していて、ウッドデッキの最良の場所を確保してくれていた。那須で買い求めてきたエダマメと姉が漬けた茄子のお新香を持ち込み、再会を祝しビールで乾杯した。

 そうこうするうちに、花火大会が始まった。「田舎の花火だから寂しいよ」と姉は言うのだが、会場に打ち上げられる花火は勇壮だった。

 デジカメのSCENEモードに「打ち上げ花火」の項目がある。そこにセットして撮った花火だ。一緒に楽しんでもらおう。

011 014 016 017 020 024 022

| | コメント (0)

2009年7月25日 (土)

№554 「いきがいゴルフ同好会」第1回コンペ

007 「いきがい大学」のゴルフ同好会を立ち上げて、 第1回目のゴルフコンペを開催した。今回は、同好会メンバーのKiyoyamaさんに栃木インターチェンジを降りて5分の【プレステージカントリークラブ】を取っていただいた。参加者は13名・4組だ。

 このゴルフ場にしたのは、名門の上、コースコンデションが良いので第1回の記念大会にはふさわしいと思ったからだ。

 同好会004メンバーは17名いるのだが、今回の参加は12名。メンバーの奥さんも参加していただいて13名になった。天気は雨模様とのことだったが、幸い大降りになることもなかった。むしろカンカン照りよりはよほど良かった。

 今日のコンペで初めて挨拶を交わす人もいるので、朝の集会では簡単な自己紹介をしあった。ルール説明で、オールノータッチと提案したら、きつすぎるという声もあがり、フェアウェー6インチリプレースOKにした。9時スタートだったが、平日なのに結構混んでいる。

 私が一緒に回ったのは、クラスで隣に座っているKeikoさん、さらにはAkiraさんと008Susumuさんだ。特にKeikoさんは相当ゴルフの腕が上のようなので楽しみだった。彼女は旦那さんも大学に入学し、同好会にも加盟してくれた。夫婦二人でゴルフをやっているオシドリコンビだ。

 【プレステージカントリークラブ】のINコースからスタートだ。ゴルフ合宿で結果が良かったので、今日は少々腕自慢の感じを持っていた。 しかしゴルフは難しい。昨日良かったからといって、今日が良いとは限らない。INコースはあちこちに池を配したコースだ。OUTは、距離が長く、アンジュレーションのき010ついコースだ。

 なんとかかんとか午前中はうまくまとめたものの、午後はこのコースの難しさにどっぷりハマってしまった。50をはるかに超える打数を打ってしまった。Keikoさんには同情の眼で見られた。Keikoさんにグロスで負けてしまった。

 本当に彼女のゴルフは素晴らしかった。ショットはすべて芯で捕えているので、気持ちいい打球音が響く。しかもほとんど曲がらない。これでは悪いスコアになりようもない。しかも、このコースは女性に優しい。実に気持ち良いラウンドだった。

 ラウンドが終わっての打ち上げを、近くの蕎麦屋でやった。この会場も、015Kiyoyamaさんにお世話いただいた。成績発表の後、さらに詳しく自己紹介をした。皆さん、ゴルフ経歴は十分だった。

 優勝は私と同じ組で回ったAkiraさん、準優勝はやはりKeikoさんだ。第3位にSusumuさんの奥さんが入った。これを機会に、奥さんにも同好会に加入していただくことになった。

  優勝者とBBが次回幹事となり、次回の日程も決めて、盛会のうち第1回の記念コンペはお開きとなった。

 Aoちゃん、次回は11月17日(火)ですよ。次はぜひご参加ください。

| | コメント (5)

2009年7月24日 (金)

№553 名古屋からのお客様

 名古屋から旧友がくるので飲み会を、とのお誘いがあり出かけた。彼とはいつか御茶ノ水の駅のホームでばったり会い、そのうちの飲もうよとは話していたが、同じ酒席に着いたのは4~5年ぶりかもしれない。

 会場は、飯田橋の駅前にある「川端」という一杯呑み屋だ。私がサラリーマン時代、しょっちゅうこの店には通った。その当時は秋田出身のばあさん一人でやっている店だった。

 この店には、友達をもずいぶん誘って行ったので、今では私よりも頻繁に出入りしている人が多い。その後代替わりして、ばあさんは引退した。彼女はすでに80歳を過ぎていたのではないか。俳句好きのインテリばあさんだった。代替わりして以降は、私の足も遠のいていった。

 そういう意味で「川端」にも久し振りに入った。ばあさんも元気で、月一度くらいは顔を見せているようだ。「川端会」という会を作り、飲み会をかねた泊まり込み旅行もしたものだ。その幹事役を長くやっているのがAmiちゃんだ。

 名古屋の客、Masaakiさんとも長い付き合いだ。彼が結婚したとき、東京での仲間を集めた披露宴を主催したのも思い出に残る。確認してみると、もう22年も前になるらしい。

 結婚に至るまでの彼のエピソードも、今や語り草になっている。彼は44回目の見合いを経て結婚した。そう、32回目に見合いした女性が良かったと今でも言っている。どうも自分が良いという女性はお母さんが気に入らず、お母さんの気に入った女性は自分の好みに合わない、というので44回にもなった。今の女房は一番不細工、と言いながら子宝にも恵まれて幸せそうだ。

 その披露宴ではじめてあったのがAmiちゃんだ。彼女はカメラマンとして先輩に頼まれて、会場に顔を出していた。それ以来の付き合いだから、もう22年になる。その酒席でも話しが出たのだが、「Amiちゃんもこのような付き合いがなかったら、今頃は幸せな結婚生活を送っていただろうね」と同情の声シキリだ。

 業界を離れて久しいので、Masaakiさんの話には沢山の刺激を受けた。特に面白かったのは、彼が属している全国小売店組合の話だった。彼は、2年前からこの組合の副会長をやっていたのだ。

 今の会長があまりにも無能なので、今回の理事長選挙で自分が理事長に立候補した、とのことだ。結果は彼には4票しか入らなかったが、もしかしたら自分1票だけとも覚悟をした。今の小売店組合がダメとアピールしたかったので、それでいいのだと話していた。

 当然現組合長からは信任されずに、副会長の座を辞したとのことだ。「とにかくこの組合の理事はじいさんばかりで、何か改革しようなどという意思を持ったものは一人もいない」とのことだ。業界がこんなに大変だといっているときに、皆何を考えているのだろうと話していた。

 ここまで書くと、わかる人にはわかるかな? まあ、昔からもそうなのだがMasaakiさんのお話は歯切れはものすごく良い。それだけに敵も多いだろうね。しかし久し振りにお会いし話を聞く分には楽しい人だ。

| | コメント (0)

2009年7月23日 (木)

№552 【皆既日食】を見ましたか?

 皆さんは、昨日の【皆既日食】を見ただろうか?

 昨日は【彩の国いきがい大学】の一学期の終業式の日だった。いつもどおり授業は行われていたのだが、それを中断して、NHKのテレビで【皆既日食】を見た。テレビを見た方も多いと思うが、素晴らしい天体ショーだった。

 何でも、日本では26年に一度しか見られる現象であり、この日を逃すとこの学校に来ている方々は二度とお目にかかれないのでは、というのが学校当局の言い分だった。たしかに、この次の【皆既日食】が26年後というと、私も90歳近くになっている。ただし、生きていればの話ではあるが・・・。

 テレビを見ていて、その神秘的な現象に感動してしまった。完全に月に隠れて太陽の影から映るコロナ現象と、フレア(といったかな?)の現象はこの時でなければ見る事は出来ない。その赤い炎の大きさは地球の5~6倍もあるという説明を聞き、あらためて太陽の大きさを知った。

 テレビ画面を見ていて、世界中の皆既日食を追いかけている、いわゆる追っかけの気持ちがわかるような気がした。しかし、追っかけも天候との勝負だ。今回は奄美大島の悪石島に渡った大勢の観光客が、大雨にたたられて避難したというニュースを聞きかわいそうに思った。何でも、上海も大雨だったらしいね。

 今回は、【皆既日食】の軌道を船で追っかけるのが一番正解だったのかな?あの乗船賃はいくらだったのだろうか。

| | コメント (0)

2009年7月22日 (水)

№551 ウィルスの脅威

 先週の木曜日、パソコンをあけたら変な表示が出ていた。「あなたのパソコンはウイルスに侵されている恐れがあります」。初めてのことだ。

 私のパソコンには、従来、「フレッツウイルスクリア」のソフトが入っていた。今年の4月に光通信を解約したので、このウイルスソフトも無効になったのかな。いずれ、新たなウイルスクリアソフトを入れなければならないとは考えていたのだ。

 ずるずると先延ばしをしている間に、ウイルスに侵されてしまったのだろうか。ちょうどその日に「ITスキルアップ講座」があったので、講師の先生方に対策を聞いてみたが、妙案はなかった。アンチウイルスソフトをいれていなかった私が悪いのです。

 いろいろいじってみたのだが、張り付いてしまった「ウイルスの脅威」の表示は消えない。ウイルスの侵入履歴を調べてみたのだが、ものすごい量のウイルスが襲ってきているのがわかる。ウイルスの種類は「mal_otorun2」というもののようだ。1分間に10度くらい襲っているのが履歴で読み取れる。

 こういうときはどうしても頼りにしてしまうのが、わがNaoko先生だ。先生に電話をして対処法を聞いた。しかし電話ではどうも埒があかなかった。優しいNaoko先生からは「見てあげるから、パソコンを持ってきてみて下さい。なんなら私が取りに行きましょうか」とのご返事だ。

 とんでもない、私が届けなければと思い、酒を飲んでいたので女房の運転で先生のご自宅を夜分遅く訪問した。週末は那須に行くので、この連休中、先生のおうちにパソコンをお預けすることにした。

 那須から帰ってきて先生に電話をしたら、もう除去は済んだらしい。早速、先生の新居に伺った。「時間があるなら、少し説明したいから上がっていって」というお言葉に甘えて、新居のパソコンルームにお邪魔した。

 お邪魔してビックリsign03 先生は「今回のトラブルに関する報告」というレポートまで用意してくれていた。そのレポートは素人の私にもわかるように、優しく、しかも詳しく書かれていた。

 今回のウイルスは「mal_otorun2」というもので、USBなどリムーバルディスクから感染した疑いが大きいとのことだ。あまり心当たりはないのだが・・・。このレポートにはウイルスの種類とこれを除去するまでの経過、今後の対策まで書かれていた。「飲み代、ゴルフ代を1回ほど節約していただき新種のソフトを購入し、インストールして下さい」とご丁寧なアドバイスも頂戴した。coldsweats01

 「それにしても、シンさんのパソコンは汚いね」と、掃除までしてくれていた。全く恐れ入ってしまった。折角お邪魔したので、USBがウイルスに汚染されていないかもチェックしていただいた。さらに新しいパソコンはマカフィーのウイルスソフトが入っているのだが、それもチェックしていただいた。幸い、こちらのほうは大丈夫だった。

 「それにしても、新しいパソコンの動作が遅いね」と調べてみたら、2GBのメモリーの半分をいろいろなソフトで使っているようだ。早めにメモリーの増設をしたほうが良いとのアドバイスもいただいた。このパソコンは4GBまでメモリー増設が出来るようだ。

 早めにウイルスソフトをインストールしたほうが良い、とのアドバイスをいただき、電気屋に走った。電気店にはウイルスに詳しい店員がいて、いろいろなソフトを説明していただいた。結果として購入したのは、「ウイルスキラー ゼロ」というソフトだ。値段も安かったが、2017年まで使え、パソコン3台までインストールOKというのが気に入った。自宅に帰り、早速インストールした。しかし、これでヨカッタのかしらね?

 本当にNaoko先生、何から何までありがとうございました。(._.)

| | コメント (2)

2009年7月21日 (火)

№550 新たに記録更新(【ゴルフ合宿2日目】)

 昨日のゴルフの疲れもあってぐすっすり眠っていたら、朝5時50分頃に携帯電話が鳴った。Mitsukoさんからで、「もう朝ごはんの用意ができているよ」とのことだ。寝不足という不満もあったが起きだした。

 Ogiさん邸に寝泊まりした男組は、すでに朝食の席についていた。なんでもKatsuちゃんの携帯の目覚ましが4時45分にセットしてあり、その音でたたき起こされてしまったようだ。

 この朝も、Mitsukoさんたちサポーターが、朝食用に豪華なサンドウィッチを作ってくれていた。昨晩のお酒で食欲はないものの、コーヒーを飲みながら無理に詰め込んだ。

Golf2003  朝7時30分に家を出発して、向かったのが今日のゴルフ場【ヴィレッジ那須ゴルフクラブ】だ。このゴルフ場までは22㎞、30分ほどで着いた。昨晩到着した後発組3人も含め、今日は4組14人のゴルフコンペである。

 このゴルフ場は私にとっては3度目、昨年の合宿の打ち上げの会場でもあった。今日もゴルフ日和で、コースコンデションも申し分ない。

 私と一緒に回ったのは、永遠のライバルMakiちゃん・ステディなToshitugu君・今回初参加のTaiさんだ。特にTaiさんは女性ながらもよく飛ばすというので、一緒に回るのを楽しみにした。彼女は、1年に40回もゴルフを楽しんでいるそうだ。

 今日こそは、スタート前にMakiちゃんと握るのを忘れなかった。Katsuちゃんとも5枚のハンディで握った。Hozumiさんからも握手を求めてきたが、それは拒否。彼はライバルがいると目の色が変わり、平気でアンダーパーで回ってくるので要注意だ。

Golf2006 Golf2005  昨日とは別人のように、Makiちゃんのゴルフは良かった。Taiさんも気持ちが良くなるほどよく飛ぶ。さらに上手さで定評のToshitugu君と申し分ない。中でも圧倒的にうまいToshitugu君にはスコアで離されまいと、必死で食らいついて回った。本当に彼のゴルフは飛ぶし曲がらない、さらには確実にグリーンに乗せてくる。

 彼にしがみついたお陰で、私も前半は39で回れた。久しぶりの30台でGolf2007のラウンドだ。この調子で午後もがんばりたいものだ。しかし昼休みが長いので、調子に乗ってついつい飲み過ぎてしまった。後半のスタートラインでは、酔っ払ってフラフラだった。

 だが、後半の2ホール目のロングホールでバーディが来た。それを機に午前のラウンドがイメージできた。ショートホールでも確実にパーオンできたし、ドライバーも安定していてほとんど曲がらなかったし、230ヤード前後をキープできた。アプローチもドンピシャだ。

 18ホール目まで来て、ここでパーを取ると初の70台のスコアになると頭の中で考えていた。しかし、18番ホールは難しいコース設定になっている。420ヤード・パー4で下り坂、右はOB、左は1ぺナ、正面には池を配している。さらにはフェアウェーの真ん中にはバンカーも口をあけている。

 ドライバーはほぼ真っすぐに飛んだ。2打目は残り約155ヤード。7番アイアンで打ちグリーンをオーバーしてしまった。それを58度のウェッジで寄せた。しかし3メートルの上りのパットが残った。これを捩じ込めば70台ということが分かっている。

 少なくともショートは避けようと、パターを強めに打った。石川遼ばりで、アッ強かったかなと思ったが、真ん中からドンピシャでカップインして見事パーだった。同伴者からは握手攻めにあった。70台で回るなんてことは、これからもそうチョクチョクあることではない。従来のベストスコアが82だったから、私にとって【記録更新の記念日】となった

 この日は70台が3人いたし、100を叩く人もいなかった。Hozumiさんの70台は当然としても、一緒に回ったToshitugu君は、なんと77で上がってきた。そういう意味では、ものすごくハイレベルな闘いであった。ゴルフ合宿のレベルアップが果たされた。私の新ぺリアハンディは2.4、結果は8位だった。昨日優勝のHozumiさんはハンディ1.2で、10位と散々だった。

 2日間トータルの総合優勝は、それでもやはりHozumi氏。Akio君が2位、私は3位に食い込めた。本当に楽しい合宿だった。技術向上の実も挙がったし、MakiちゃんからもKatsuちゃんからも握りを頂けたし、オリンピックの収入もあり、大漁の一日だった。

 まあ、これに懲りずに来年もよろしくお願いします。

Golf2008  帰りは高速の大渋滞が予想され、わが家で夕食をとって帰った人たちもいた。お土産は那須の水をペットボトルに入れて持っていってもらった。かくして今年の【ゴルフ合宿】も無事終了した。

 参加者の皆様、サポーターの皆様、二日間本当にご苦労さまでした。

| | コメント (0)

2009年7月20日 (月)

№549 那須ゴルフ合宿

 恒例の「シンさんインビテーショナル【那須ゴルフ合宿】」が、1泊2日で行われた。予備会も含めて、今年で3回目となる。その都度メンバーは変わるが、Hozumiさん・Eimeiさんは固定メンバーだ。

  この合宿は、Hozumiさんの「皆ゴルフがヘタだね。合宿して一から鍛えなおさなければ」のツルの一声で始まった。さらには、普段ご無沙汰している参加者の交歓会を兼ねたものでもある。

 第1日目は、【上伊佐野ゴルフ倶楽部】で行った。3連休のスタートの朝、東北自動車道は交通事故があり到着が心配されたが、何とか1日目の参加者11人は時間に間に合った。ただ、若干組み合わせの変更を余儀なくされはしたが・・・。

Golf1003  この【上伊佐野ゴルフ倶楽部】は、矢板と那須の中間にある。埼玉から来る時に、いつも目の前を通り、一度はプレーしたいものだと常々思っていた。ゴルフダイジェストでは、5点満点の4.4と非常に評価の高いコースだ。合宿の初日としては申し分のないコースだ。

 私が一緒に回ったのは、Masato氏・Akioちゃん・Ohashiちゃんの3人だ。Masatoさん、Akioちゃんとは良きライバルだ。結局はMasatoさんとは前半・後半を通して全くの同スコアだった。トータルでみるとAkioチャンも同スコアと、まあまあのゴルフができた。このような名門コースでキャディなしで回ると、こんなものだったのではないか。

 世話人として到着遅れでヤキモキしていたせいか、パット練習ができなかったのが悔やまれる。前半は3パットが4回もあり、パット数とショット数が同じだった。それでも前半はまずまずの成績だったが、後半崩れるのはいつものパターンだ。ただ、新ぺリアの成績はHozumiさんの優勝はいつもの通りだが、私は幸いに2位に滑り込めた。

 この日の成績を見ていての異変だが、わがライバルMakiちゃんは11人中最低のスコア・ハンディキャップだった。そうだ、握るのを忘れていたと反省した。初参加のTaiさんは立派な成績だったが、ハンディに恵まれずにブービーメーカーに沈んだ。

2009_0718_181219cimg00731_2  この成績を引っさげて、今晩はバーベキューパーテーだ。バーベキューは、すでに朝からMitsukoさん、Ogiさんとウチの女房がサポーターとして準備をしてくれている。その場に乗り込んだのは夕方5時ころだっただろうか。会場のOgiさんちの別荘の庭を借りた。

Golf1011 Golf1013  そこから、延々と宴会は始まった。ただ、宴会の前に“あるイベント”をひそかに用意していた。当日は女房の誕生日でもあった。Mitsukoさんの計らいで、大きなケーキを用意した。そのケーキカットを行った。女房の弁では、「結婚してケーキをもらったのは初めて」とのことだがそうだったかな?

 皆さんお酒を持ち寄ってくれたので、今晩一晩ではとてもじゃないが飲みきれない。とくにHozumiさんはワイン6本も差し入れてくれた。

 パーテーを取り仕切っていたのは、Masaoさんだ。病み上がりなのにもかかわGolf1005 らず、いつもの調子であれこれ指図をしている。それでも彼は元気になってくれてよかったね。

 Mitsukoさんはこの日のために、前夜は一睡もできなかったらしい。こういうサポーターのおかげで大成功できたのだ。皆さん、本当にご苦労様でした。

 【ゴルフ合宿第1日目】は、昨年のような大事件もなく無事に過ぎていった。

| | コメント (1)

2009年7月19日 (日)

№548 「富岡製糸場」見学

007  いきがい大学の社会科見学で、世界遺産登録申請中の群馬県「富岡製糸場」に行ってきた。今年入学の学年全員、バス3台を連ねての遠足だった。いや~、バス遠足旅行などというのは、ついぞ記憶にないぐらい新鮮だ。社会人旅行ならバスに乗った途端、缶ビールが回るといったところだが、これは神聖な授業の一環である。そんな不謹慎なことは許されるはずもない。

 大宮駅午前9時出発で、関越高速で着いたのが群馬県伊香保の水沢観音だ。途中で雨もあがり、赤城・榛名・妙義の連山が窓外に見えてバス旅行は気持ち良かった。

 水沢観音に到着したのが11時。この観音様の周囲をしばしば散策した。平日017 にもかかわらず、結構なにぎわいだった。

011  善男善女が「六道輪廻」の仏像を回していた。なんでも三度この仏像を回すとご利益があるとのことだった。皆必死で回すので、老人にはこのスピードについていけなかった。

 さらには一打100円で鐘ツキができるというので、仲間が代わる代わるついていた。撞き方によってはいい音が出るものだ。

 観音様を拝み、“日本三大うどん産地”の水沢うどんをいただいた。ちなみに021 三大うどんの他の二つは、讃岐と稲庭なのだそうだ。初めて食べた水沢うどんは、読んで字の如く少々水っぽかった。

 昼食がすんで向かった先が今日の目的地・富岡製糸場だ。ご存じのように、“世界遺産”に登録申請中で、“国の指定史跡”であり“国指定重要文化財”とのことだ。

 この「富岡製糸場」にはボランテァのガイドがいて、この工場の由来や建物、036 034 製糸機械など丁寧に説明をしていただいた。1時間ばかりの説明だったが、非常にわかりやすかった。この工場が建った明治5年のキーストーンもはっきり読み取れた。

 説明を聞いてよくわかったのだが、明治政府の意気込みが感じられた。特にフランスから呼んだ指導者には、月々当時のお金で1500万円の給料を支払っていたとのこと、新たな技術を取り入れるのに明治政府がどんなに貪欲だったのか驚かされた。

 ただ同級生の感想だが、“世界遺産”指定の程の事がある施設なのかどうか疑問だとの声もあった。1時間半ほどの説明を受けて、勉強になったことは確かだ。

041  帰りは宴会男“Masaru”さんが、バスの中でビンゴゲームを催した。バスの中は大盛り上がりだった。その勢いで、大宮では予定外の懇親会を催した。14名も参加してくれた。

| | コメント (0)

2009年7月18日 (土)

№547 カサブランカの花が?

 この春に書いた「カサブランカの記事」(3月16日、№423号)をご記憶の方がいるだろうか。以下のような記事だった。

 「レジの脇で「レッドカサブランカ」の球根が半額で売られていたをみて、018 それも2個買うことにした。ウチの庭には真っ白なカサブランカが植えられていて、毎年夏には大輪をつける。

 今年は、さらにカサブランカの赤い花も咲き、さぞかし賑やかになることだろうな。」

 そのカサブランカが咲いた。あれ、おかしいなと思い、上の記事を読み直してみた。たしか「レッドカサブランカ」を買ったはずだった。

001  咲いてみると、真っ白なカサブランカだった。 赤いカサブランカを期待していたのに、裏切られてしまった。こんなことってアリかな。たしかに球根には赤い花の印刷がなされていた筈だ。

 ただ、女房は「矢張りカサブランカは白でなくっちゃ」と喜んでいる。

 庭にはもともと白いカサブランカが咲いていた。もう10年にもなるだろうか、球根の植替えをしないから、段々花が小ぶりになってきている。

 まあ、それだけに良かったのではないかというのがわが女房殿の感想であ003 る。しかし、庭の“赤い大きなカサブランカ”を期待していた私の気持ちをどうしてくれるんだ。

 この球根を買った「花咲村」にクレームをつけに行こうかとも思っていたが、大人気ないのでそれはやめておこう。

 カサブランカは、強烈な匂いを放つ。匂いの基は雌しべからだ。女房は雌しべの黄色い花粉を取って、匂いの基を遮断していた。

| | コメント (1)

2009年7月17日 (金)

№546 ユニフォーム完成

015  【彩の国いきがい大学】の太極拳クラブのユニフォームがようやく出来上がってきた。宴会部長のMasaruさんのデザインになるものだ。どういうユニフォームか、Fumioさん一人に犠牲になってもらって発表する。

 デザイナーのMasaruさんが、その由来を説明していた。「クラブの先生と、女性会員、男性会員がいつも仲良く!」と趣旨説明しながら、赤・緑・黄色はそれぞれあ016 る象徴をあらわしているといっていたが・・・。

 今日の練習日は、全員そのユニフォームを着用して臨んだ。先生にも、クラブから一着進呈させていただいた。

 24式太極拳の入門編も、一通り一巡するところまでは来た。だが、自分もそうなのだが、クラブ員の仲間の演じている姿形をみていると、とっても太極拳とまではいっていない。動きがまだまだギコチない。太極拳というのは、優雅な中にもしなやかな踊りのはずだ。まあ、ギクシャクとロボットが演じているような格好だ。

 それでも、60歳以上の仲間が一人も脱落することもなく、ようやくここまでたどりつけたのは先生のご指導の賜物である。それと部長のAoちゃんの人格の良さによる。

 10月には学園祭がある。そこまでにはある形に持っていくべく、8月に【那須合宿】を計画している。まあ、合宿といっても結局は飲み会になるのだろうが。それでも、男女12名の方が参加を申し出てくれた。

 太極拳の練習も必要だが、親睦を中心に楽しくやりましょうよ。

019

| | コメント (0)

2009年7月16日 (木)

№545 久し振りの「橘」

002  池袋に出るのを機会に、久し振りにKomaちゃんと【橘】で飲んだ。Gyuちゃんも誘ってみたのだが、彼は下戸で断られた。

 Komaちゃんとは長い付き合いだ。かれこれ30年にもなるのだろうか。今でこそ某社の店長で執行役員ということだが、知り合った頃はカリスマ店員の尻を追いかけているペイペイの存在にしか過ぎなかった。また。Komaちゃんは大学の後輩ということもあり、結構頻繁に付き合った。

 飲むと若かった当時の昔話になるのはやむをえない。若い時代はずいぶん無茶もしたし、出鱈目なこともした。それが格好の酒の肴になる。共通の仲間も沢山いたし、遊び仲間も一緒だった。

 なかでも今でも現役で活躍しているK氏のことは、たえず話題の中心だ。ここでは詳しいことは書けないが、いつも遊びの仲間の中心にいた人物だ。あれだけ派手に遊びまわっていて奥さんとの仲は大丈夫なのだろうか、いつも不思議に思っている。

 Komaちゃんに言わせると、「私も恐妻家だが彼もああ見えていて結構奥さんには気を使っているんだよ」とのことだ。

 この【橘】という店は、池袋駅から歩いて30秒の割にはいつ行っても空いている。昔004 は寿司屋だった。親父さんが亡くなって、一杯飲み屋になった。昔は、仲間が集まってこの店の二階で宴会することが多かった。最大で40人も集まったことがあっただろうか。そういえば、この店での出来事は忘れられない。

 ある店の女性店員が山形に帰郷することになり、送別会をこの店で開いた。矢張り30人も集まっていただろうか。お開きの段になって、全員店を出たのだが一人足りない。しばらく店の外で待っていたのだが、一向に現れない。もう帰ったのだろうと判断し、二次会場に向かった。

 後日談だが、彼は二階の階段から酔ってさかさまに落ち、腰の骨を骨折して大変だったらしい。あんなに参加者が多かったのに、そのことに誰も気付かなかった。その当時も、酔うと前後の見境のなくなる人だった。酔ってフラフラ一人で帰ったのだろうと判断してしまったのだ。

 結局その何年か後、帰宅途中、江ノ電から落ちて死亡してしまったのだが・・・。自宅では、奥さんにお酒をきつく禁止されていたらしいのだが、死んでみると自宅のあちこちから酒瓶が見つかったようだ。植木鉢の中にまであったという。強烈な印象に残る人だった。

 Komaちゃんとは2時間ばかり飲んで別れた。久しぶりに板橋の【扇】に行ってみた。3ヶ月振りくらいになるかな。相当ママに怨み言を言われた。

 「もうこの店は忘れられたと思っていたわ。貴方のブログを読んでいると、結構飲み会があるようだけど、一向にこの店には現れない。ひどいじゃないの。」散々だった。別に避けていたわけではないのだが、ちょっとしばらく縁がなかったかな。月に一度は顔を見せると、固く指きりげんまんを誓わされてしまった。

 今週に迫った「ゴルフ合宿」もお誘いがあったら参加したのにザンネン・・・と話していた。そうだよね、この店に顔を出していたら必ずお誘いをしたのだがね。

 【扇】の店は、知り合い以外のイチゲンさんは入店お断りをしている。いつ行っても仲間と会えるのが楽しみなのだが、その仲間もだんだん年をとってきて引退してきている。少し店も寂しくなってきたかな。ママもいつやめようかとたえず考えているようだ。

 店がなくなると、これはこれで寂しいのだが・・・。

| | コメント (0)

2009年7月15日 (水)

№544 東京都議会選挙の結果を見て

 このブログでは、あまり「政治ネタ・宗教ネタ」は扱ってってこなかった。取り上げてこなかったからといって、自分には関心がないかというと、おおありなのだ。ただ意見を異にする人も多いと思い、避けてきた。

 今日は、普段から思っている“最近の日本の政治”について語ってみたい。

 このところ、地方政治で自民党が連戦連敗だ。当然だと思う。そもそも今の衆議院の自民党の議席は、小泉の“郵政選挙”での大勝ちの賜物なのだ。しかもあの郵政選挙も小泉の“ダマシ”にまんまと乗せられて、ムード選挙での自民党大勝だった。

 しかし“ダマシ”に気がついても、遅かった。この4年間の自民党のテイタラクぶりには呆れるばかりだ。小泉じゃないけど、笑ってしまう。一番象徴的なのは、総理大臣の椅子のたらい回しだ。この3年間で、3人の総理大臣が国民の信任を得ないまま、自民党の党利党略で変わってきた。

 どんなに首をすげ替えてみても、小泉のようなカリスマ性を獲得できるはずがない。案の定、次々と誕生する政権は短命で終わった。当たり前である、国民の信任を得ていないのである。

 一番最近の国政選挙は、一昨年の参議院選挙である。その選挙で、すでに国民の審判は自民党にノーの決断が下されていたのである。その後、飽きもせず、自民党政権は悪あがきをしていたかのように見える。しかも、ますます泥沼に嵌っていっている。

 その悪あがきに乗っているのが公明党だ。公明党も全く同罪である。今回の都議選で公明党が全員当選したので、また、公明党がつけあがるだけだ。

 私の気分では、もう少し共産党にがんばってもらいたかった。共産党も選挙戦略を間違えたのではなかったのか。特に、公明党の票を食えなかったことに歯がゆい思いをしているのは自分だけだろうか。

 国民のこういう呆れた気分が、最近の地方選挙の結果として出てきているのである。こういう状況を読みもせず、相変わらず総理の首をすげ替えて次の選挙を乗り切ろうという動きがあるようだ。二の句がつげない。KYというか、国民の気分が全く読めていない。

 自民党の連中は、国民をバカに仕切っているのだ。挙句の果てに、東国原というタレント知事まで押し立てて乗り切ろうとする。ここまでコケにされていて良いものだろうか。自民党政権には鉄槌を!だ。

 しかし注意しなければならないのは、次の選挙で民主党が勝ちすぎることだ。今のままでは、次の総選挙では総雪崩現象で自民党の惨敗に終わるだろうが・・・。その後に、前回の郵政選挙と同じ現象が起きないかと心配だ。中選挙区制と違って、小選挙区制はそのような危険がある。例えば今回の東京都議会選が小選挙区制だったら、自民党は全滅だったろう。

 与党と野党が議席が接近していて、緊張して議会運営が出来ている状態が一番良いのだと思う。真剣な議論もそのような状態で起こる。

 しかし、戦後60年余りの自民党政権に飽き飽きした気分でいるのは自分だけではないだろう。今の官僚に頼りきった自民党政権から、官僚政治打破を掲げる民主党に一度やらせてみたらどうだろうか。

 それでだめなら、また自民党に戻したら良い。今の自民党の迷走を見ていると、少々時間がかかっても民主党の失敗が許される時間が日本にはある。たえず、政権交代可能な政党が複数あるのが良いのではないか。

 民主党が政権をとっても、失敗することが多いと思うが、どこまで許容できるのか、国民の度量が試される。それでも、二世・三世議員が占拠する今の自民党政権よりもよっぽどましだと思う。

| | コメント (0)

2009年7月14日 (火)

№543 デジカメの修理

 昨日に続いて、デジカメの話題だ。

 修理工場に出していたデジカメが、一週間で修理が終了した。1万円くらいかかるといわれていたので、財布には少々いたかったがしょうがない。オリンパスのサービスステーションに取りに行ってきた。

 事前に、液晶画面の取替えと電池のフタが折れているので取り替える必要がありそうだといわれていた。

 出来上がったデジカメは新品同様になっていた。納品書を見ると、7ヶ所ほど修理・交換してくれたとのことだ。

 液晶モニター画面の交換、電池のフタの交換、カバーの交換、ズームレバーの交換、電池室の交換、レンズユニットの作動不良の交換、さらには点検・清掃までしてくれていた。まるで新品同様になった。これで9,975円とのことだ。

 特にボデーを取り替えてくれていたので、ピカピカ光っている。さらには、6ヶ月間は無料で修理を保証してくれるという。

 今後の反省として、もう少しデジカメを丁寧に扱い可愛がろう、ということと時々は点検したほうが良いなということだ。

 サービスステーションで、常々思っていたこのデジカメの扱いの疑問を質した。残念ながら、このカメラには連写機能はないという。光源不足でシャッターが下りないときはどうしたらいいのか質問したら、“ガイド画面”に設定して“夜景をバックに人物を撮影”にしたらよく撮れるとのことだ。なるほどね~、聞いてみるものだ。

 ここの一階にはオリンパスのショールームもあったので、覗いてみた。先日、松ちゃんが買ったという“SP-590UZ”も並んでいたのでいじってみた。ボデーも軽いし、ズームも申し分ない、1200万画素で手振れ補正と良いカメラだ。

 ショールームの担当員としばらく話していたのだが、デジカメに飽き足りない人は次のステップとして、矢張り一眼レフに行くという。画像の質が全然違うらしい。彼のお薦めは“E-620”という人気機種の一眼レフだった。

 そういえば、ブログ仲間の昭jijiも、次代機種として一眼レフを薦めていた。

 段々、良い写真を撮りたいという欲も出てくる。もう少し時間を掛けて次期の機種を検討してみることにしよう。

| | コメント (0)

2009年7月13日 (月)

№542 デジカメの性能の差

 デジカメ業界の日進月歩には驚くばかりである。先日、ブログ仲間の松ちゃんがとうとう新たなデジカメを手に入れたと教室に持ってきていた。OlympusのSp590uzという機種だそうだ。

 私のOlympusのデジカメはとうとう修理に出した。サービスステーションに持っていったら、液晶部分が水濡れしたのではないかという。そういう心当たりはないのだが・・・。この液晶を取り替えると10,000円前後の修理代がかかるという。やむをえないから修理してもらうことにした。

 その間使っているデジカメは、2004年3月に発売された“PENTAX Optio S40”という機種だ。その当時は最新機種として買ったのだが、400万画素、2.6倍デジタルズームである。当時、たしか35,000円ぐらいしたのではなかったのかな。

 この春、女房が買ったデジカメは“PENTAX Optio P70”という最新機種だ。有効画素数が1200万画素で、6.3倍のデジタルズームを持つ。最高ISO6400による高感度撮影が可能、となっている。しかも買った値段が20,000円そこそこだった。

 パソコンにしてもそうだが、格段に性能がよくなって、しかも値段も安くなるのがこのデジタル製品だ。性能の差を実感したのが、この夜の撮影でのことだ。上が最新式のデジカメで撮り、下が5年前の私のデジカメで撮った写真だ。比べてみて欲しい。被写体の犠牲になったのは横浜の姉夫婦だ(ゴカンベンヲ)。

001 009

 こんなに性能に差があるから、新たな機種が欲しくなるのだ。OLYPUSの修理が終わっても、新たなデジカメ購入の検討をしてみようかな。

002 006  夜は久々に外食に出て、イタ飯を食べてきた。夜が爽やかだったので、ウッドデッキでライトアップしての2次会となった。ロウソクを4本立て、フランスパンを切り、キュウリの漬物とともにワインパーティになった。

 夜、木々の葉にライトを当てると幻想的に綺麗だ。しかも那須の静かな夜を堪008 能して、身も心も洗われるようだ。

 しばらく夜のしじまに身をさらしていたのだが、そのうちに姉が寒いというので“どんぶく”(これは秋田弁だろうか)を着込んだ。そのうちグズグズいって風邪のようは症状を呈した。

 いくら梅雨といっても7月だ。下界は寝苦しいというのに那須は夜になると冷える。そういえば、夜中は寒くて、布団を掛けないと寒くて眠れないから、暑くて寝苦しいのとは別世界だ。

| | コメント (0)

2009年7月12日 (日)

№541 ジャガイモを掘る

008  頃合いもよし、ジャガイモ堀をすることにした。幸い、横浜の姉夫婦が応援に駆け付けてくれている。そういえば、昨年もジャガイモ堀には夫婦で駆け付けてくれたっけ(08年6月28日、№163)。

 記録を見ると、昨年に比べて半月遅れた。昨年は少し早かったかなという反省があった。茎が腐ってからのほうが掘るのには良いらしい。それでもこの畑の持主Akutsuさんに言わせると、茎がドロドロ腐ってからのほうが掘るのには良い、という話もある。

 このジャガイモは4月2日に植えたものである(№440号記事)。「男爵」と「キタアキリ」の2種類だ。耕作面積は、5畝である。

004  「男爵」の芋は私が移植ベラで掘り、「キタアキリ」は義兄が鍬を使って掘った。注意深く掘ったにもかかわらず、芋を傷つけることが多かった。掘ってみると、「男爵」が「キタアカリ」よりもおおぶりだ。

 農業をやっていて、何といっても一番の楽しみが収穫だ。土を掘ると大きな芋が次々と掘り出されていく。ただ虫に食われたせいか、腐っている芋も目に付く。

 さらに土を掘ってゆくと、おもわぬものにも出くわす。沢蟹が何匹も土の中からあらわれ011 た。驚くことに、ネズミも3匹ほど土の中から出てきた。Shiratakiさんに聞くと、今年はモグラが多くて、モグラ穴にネズミが潜んでいるのだそうだ。

013  大きな段ボール箱を3個用意したが、「男爵」と「キタアカリ」が2個の箱には収まりきらない。3個目の箱も半分ほど使った。

 途中で姉と女房も加わり、収穫の楽しさを皆で存分に味わった。

 ジャガイモを掘りあげた後の畑には、昨年の秋から保存していた枯れ葉を肥料として入012 れた。しばらく休耕した畑には、秋の植え込みが待っている。Shiratakiさんに何を植えたら良いのか相談したら、「白菜か大根が良いのじゃないか」ということだ。

 今年も大根を植えて、沢庵を漬けようかな。

 持ち帰ったジャガイモはウッドデッキに広げ、しばらくは風を通す。長く貯蔵するための秘訣だという。

014  夕食は、畑の作物が食卓に並んだ。茹でたての新ジャガ、キュウリとキャベツのお新香、セリの玉子とじ、それに茹でた枝豆だ。動物性タンパク質は卵だけである。本当にヘルシィな夕食になった。

 ウッドデッキでライトアップして食べたのだが、夜が深まるとともに寒くなり、室内に引き上げた。

| | コメント (0)

2009年7月11日 (土)

№540 オバケキュウリ!

001  3週間ぶりに那須に来ている。成長盛りの畑がどうなっているのか心配であるが、今年になってにわかに忙しくなり、なかなか思うように那須通いができていないのが悲しい。

 那須に来ると何はとりあえず畑の視察に出るのだ。

 なんとなんと、大きなキュウリがぶら下がっているではないか。近所の方に、時々畑を015 見て食べられるものがあったらもぎ採って食べて下さい、とお願いしてはいるのだが。巨大キュウリが20本もなっていた。とりあえずは採集してきた。

013  さらにはジャガイモの葉がほとんど枯れている。収穫時期、ということだ。今回の滞在中にジャガイモ堀をすることにしよう。

 大きな茄子も採れたし、ピーマンも結構実をつけていた。ただ、トマトは葉が大きく広がり過ぎていて、実にまで栄養が行き届いていないようだ。いずれ今回は畑仕事は多くある。

 さらには、雑草が伸び放題になっている。雑草取りもひと仕事だ。

 夕食用にキュウリ・茄子・ピーマンとジャガイモを採ってきた。女房はジュースを作るとのことで、赤紫蘇の採集をしていた。とりあえずキュウリは近所012_2のShinozakiさんにお裾分けで持っていった。大きくなり過ぎて不味いかもしれませんが、と恐縮しながら渡してきた。

 自宅でも夕食に、キュウリの酢の物・キュウリと茄子とピーマンの炒め物・ジャガイモの煮っ転がしなど収穫物を食べた。

 キュウリは大きな割には、味も大雑把になっていなくて美味しかった。炒め物にキュウリも加えたのだが、これも乙な味だ。

 矢張り自分で作ったものを食べるのは堪えられない。近ければ、皆さんにもお裾分けをしたいぐらいのものだ。

| | コメント (0)

2009年7月10日 (金)

№539 原市の古代ハス

 先日行田の古代蓮を見物し、自宅の近くにも古代蓮を見るスポットがあるのに気がついた。「原市沼の古代蓮」である。昨年の秋に近くを散歩し、来年は花の見頃に訪れようと思っていた。

 朝5時30分ころに目覚めた。女房も起きて本を読んでいるようだった。「ハスを見に行くよ」と声を掛けたら、一緒に行くとのことだ。自宅から車で5分ばかりのところだ。

002  先日行田の蓮を見に行ったのは午後だったが、蓮の見頃は朝早いほどいいとのことだ。原市沼の蓮園に着いたのが午前6時過ぎだった。もう大勢の人が蓮見物にきていた。

 果たせるかな、ちょうど古代蓮は満開だった。管理しているボランティアに話を聞くと、今朝あたりが一年で最高の見頃とのことだった。久し振りにデジブックにしてみた。時間のある方はご覧いただきたい。

 この蓮園の管理をしているのは「原市沼を愛する会」という40人ほどの完全な006 ボランティア団体だ。1993年ころから蓮の管理、育成に力を注いできているとのことだ。蓮の花が咲くにはわずか2ヶ月ばかりだが、一年を通しての管理は並大抵でないという。

 この園にはその苦労を忍ばせる立て札が何本も立っている。そのうちの一本を紹介する。

027_2 はす池について

 このはす池は原市沼を愛する会というボランテア団体が年間を通じて管理し、10数年を経ており、古代はすを咲かせ皆様に楽しんでいただいています。

 土地は市の所有地を使用しておりますが運営は上尾市営ではありません。

 施設その他については種々御不満や不行届きな点もあるとは思いますが、事情をご賢察下され、御許し下さい。  原市沼を愛する会

 このボランテア団体の性格を表しているようで、微笑ましく読めた。

 この蓮池管理で何が大変といって、ザリガニ捕りだそうだ。1994年にはザリガニ被害で蓮が全滅したとのことだ。それ以来ザリガニとの戦いが続いている。以下ザリガニの年間捕獲数が書かれているが、

2000年は7,430匹、2001年は5,370匹、2002年は9,740匹、2003年は10,030匹、2005年は16,050匹、2006年は10,390匹、2007年は5,550匹、2008年は14,800匹だという。

 よくぞ数えたものだ。それだけザリガニに対する怨念も深いのかもしれない。さらにこういう立て札もあったので紹介したい。

012 柳川なべ

蓮の浄化作用の効果があったのか小魚がたくさんふえました。鯉、フナ、メダカ、クチボソ、エビ、タナゴ、ヨシノボリ、ドジョウ、タニシ、雷魚の子供、亀など見うけられます。

ザリガニも協力者の努力大奮闘で2万匹近くの多数を捕りました。又知り合いが鴨川でビンウケでドジョウ捕りをやりたいとのこと。ビンウケをつくりのは大変なので10ヶばかりやるよ。でも鴨川のドジョウは汚染が激しく臭くて食用にならないのではと言ったら、なに一週間も飼って汚いものを吐き出させれば大丈夫と、大きな期待をしてビンウケを持ち帰りました。

はす池の場合、松竹梅池の上流のビンウケ全部を上げれば20~30匹くらいは捕れます。酒としょう油で煮て卵を落とせばけっこう焼酎のサカナになると思います。自分でドジョウ捕りはいやだ、他人にやらせてそれをタダで貰いたい人は大勢おります。

 10枚ばかりの立て札を読んで歩くと、この池に愛情を注ぐボランテアの姿が微笑ましく思えてきた。女房は蓮の種をいただいてきて、庭の壷に入れていた。さて、花が咲くものだろうか

 早起きは三文の徳、というのはこの日のようなことを言うのだな。

| | コメント (0)

2009年7月 9日 (木)

№538 映画『嗚呼 満蒙開拓団』

001  お昼、Masaoさんと昼食を一緒にしていたら、土曜日に息子さんの結婚式があり、花婿の父として加藤登紀子「満蒙開拓団」の唄を歌ったという。

 そういえば、神保町の岩波ホールで、羽田澄子『嗚呼 満蒙開拓団』が上映されているというので、急遽、観にいった。

 羽田澄子監督がこの映画を撮るキッカケになったのは、彼女の満州体験にあるという。

 羽田は言う。「私は旧満州の一部として見られていた大連に生まれ、小学校も女学校も旅順。そして戦後、引揚げてきました。しかし、同じ満州でも最南端で暮していた私は、戦後、満州の奥地で起きていたことを知りませんでした。」

 それが1981年、「中国残留日本人孤児」の訪日調査で、その無残さを知ったという。さらに『残留孤児』国家賠償裁判で、中国東北地方の方正(ほうまさ)で、「方正地区日本人公墓」造りに力を尽くした女性のことを知ったという。

 彼女は文化大革命の時代、紅衛兵に日本人スパイとして死刑宣告を受けた。それを救ったのが周恩来だった。周恩来は彼女の公墓造りを蔭ながら応援していたという。周恩来は言う。

 「日中戦争を起した日本軍部に戦争責任があるが、日本人民にはこの戦争に対する責任はない。」

 羽田澄子監督自身のナレーター、インタビューで進むこの映画は、冷静に事実を暴いていく迫力があった。

 8月15日の敗戦の報を聞き一番最初に逃げたのが軍の上層部、さらには満鉄幹部、満州国官僚だった。救いを求める人々を振り払って日本に逃げ帰った。最後まで残され、酷い目にあったのが一般大衆だったという。戦争体験を語り継ぐ年老いた人々の話を伺い、権力を持ったものの身勝手さはいつの時代にも変わることはないな、と思った。

 満州開拓団約27万人のうち、8万数千人が亡くなった。山となっているその死体は、戦後しばらく満州の野に、野ざらしにされていたということだ。その遺骨のむごさに耐えられず、お墓造りに精魂を込めた残留孤児・松田ちゑさんという女性が、日本人スパイとして死刑宣告を受けたのだ。

 戦争も酷いが、その蔭で泣いている無辜の大衆のことを思うと泣けて来る映画だった。

 私が今まで羽田澄子作品を観て感銘を受けたのは、『薄墨の桜』(1977年作)、『早池峰の賦』(1982年)、『痴呆性老人の世界』(1986年)などだろうか。なかでも最も印象に残っているのが『早池峰の賦』である。岩手の村で延々と演じられる神楽の踊りが、今でも脳裏に焼きついている。

 羽田澄子監督の映画は、いつもドキュメンタリーの訴えかける力を感じさせる。

| | コメント (0)

2009年7月 8日 (水)

№537 友だちの輪の輪

 本当に私は気まぐれで、付き合ってくれる人も大変だと思う。朝起きて、今晩は酒を飲みたいなと思いHozumiさんに電話をした。お忙しい人なのに、二つ返事でOKだった。次にEimeiさんにも電話をかけたら、遅くならなければ良いよ、とのことだ。3人集まったので飲み会は成立だ。

 念のためにと思い、6月末で定年になったMichiちゃんに電話をしてみた。そんなに急に言われても先約があるよ、とのことだ。まあ、私の気まぐれだからカンベンしてよね。どう元気と問いかけてみたら、退職後の生活は全く快適、との返事だ。

 土曜日ゴルフで一緒だったMakiちゃんも、矢張り突然の話はダメだった。

 夕方5時30分に、いつもの“神保町やきとり屋”に集まった。相談事は、7月中旬の“ゴルフ合宿”の件だった。その打合せも早々に終わり、そのうちEimeiさんがAnちゃんに電話をした。今、会議が終わったばかりというので、ここに駆けつけるとのことだ。

 Hozumiさんが電話をしたのはToshitugu君だ。彼の会社もこのすぐ近くにある。今、棚卸しの最中なので、終わったら行くとの話だ。結局彼は二人の仲間を一緒に連れてきた。彼らもゴルフ合宿組だ。

 そうこうしているうちにAnちゃんが到着。彼が「下にTakahiro氏がいたよ」との報告した。Takahiro氏は、ナイト倶楽部ゴルフコンペの永久幹事である。おおそうか、と私が彼を呼びに行ったらじきにこの輪に加わってくれた。3人の飲み会が、何と8人にまで膨れ上がってしまった。店の店員たちは、またいつものことと、平然と席を作ってくれていた。

 Takahiroさんは、ほとんどのメンバーと初対面だった。先日のコンペでは彼と同スコアで、ハンディの関係で私が3位、彼は4位にになった。私は、彼を1年に2回タイでゴルフを楽しんでいる人と、参加者に紹介した。皆、羨ましそうな顔をしていた。いつかわれわれ仲間も一緒に行きたいものだ。

 男ばかりの飲み会じゃつまらないな、と私が電話をしたのはMamiちゃん。彼女の会社も、この店から歩いて5分くらいのところにある。彼女の携帯は留守電だったので諦めた。30分後くらいに、Mamiちゃんから折り返しの電話がはいった。

 「私は、今、札幌から電話をしているのよ。今年の5月の人事異動で札幌勤務になった」とのことだった。ここにいる人は誰も知らないことだった。エーーーと驚いた。そうと知っていたら、送別会をやったのにね。突然行くことになったので、誰にも知らせなかったらしい。もともとMamiちゃんは函館の生まれだ。実家の近くに帰りたかったのかもしれないね。

 北海道で高校までを過ごしたEimeiさんは、近いうちに北海道にゴルフに行こうよと提案していた。皆、大賛成だ。

 ということで突然始まった飲み会は、いつの間にやら賑やかな大宴会bottlewinebeerになってしまった。早く帰りたかったEimeiさんも、これじゃ帰れないよね。こうやって“友だちの輪の輪 ”はドンドン広がってゆく。

 皆様、私の気まぐれにお付き合いいただき、どうもご苦労様でした。

| | コメント (1)

2009年7月 7日 (火)

№536 足袋蔵の街―行田を歩く

 朝、女房が「行田の古代蓮を見に行こう」と声を掛けてきた。そういえば、先日のいきがい大学の授業で、行田の街おこしのお話を伺ったばかりで、一度蔵の街を見学したいと思っていた。

 勘違いをしていたのだが、行田の街といえばJRの駅付近が繁華街と思っていた。ところがJRの駅がある場所は町外れで、何もないところだ。行田というのはつまらない街、と勘違いしていたのだ。

 行田という街は埼玉では川越と二つしかない城下町の一つで、古い建物がたくさん残っているとのことだ。きんきんのうち行こうと思っていたので、良い機会だった。自宅から車で40分くらいで、そんなにも遠くはない。

 行田は、埼玉県の名前の発祥地で、埼玉(さきたま)の古墳群でも有名だ。街を歩いてみたが、ガランとしていて寂れていた。この街を活気のある町にしたいというのが“NPO法人ぎょうだ足袋蔵ネットワーク”の目的のようだ。

 街を歩くと、多くの蔵が目についた。なぜこんなに多くの蔵があるのか、行田の歴史を読んでみた。江戸時代末から昭和30年代前半まで約100年間、この街は“足袋の街”として栄えていたようだ。最盛時には年間8500万足もの足袋の生産があり、全国の80%のシェアを誇っていたとのことだ。現在では足袋をはく人も少なく、年間141万足にまで落ちているとのことだが・・・。

 生産した足袋を収納する倉庫として、蔵造りが盛んだったようだ。しかし、今ではその蔵が邪魔になり、ドンドン壊され始めている。壊される前にその蔵を使って街おこしを、というのがNPOの狙いのようだ。

002

 まず目についたのが“足袋蔵ギャラリー 門”だ。不定期にイベントを開催しているとのことだが、女房の友達の展示会が近いうちにあるというお知らせがあった。ただ行った日は、残念ながら休みだった。

004

 次に訪ねたのが“忠次郎蔵”だ。昭和初期の足袋原料問屋だったが、今ではNPO法人が手打ちそばの店に改装しているとのことだ。

 この蔵は、国登録の有形文化財になっているとのことだ。

011

  さらに訪問したのが“足袋とくらしの博物館”だ。土・日・祝日だけの開館で入館料200円とのことだ。足袋作りの経験は初めてなので、案内を乞うた。

015 013_2  足袋作りには13の工程があり、それぞれが分業でおこなわれ、熟練工の仕事だった。ミシンも8種類ほどがそれぞれの用途で使われており、実際足袋づくりの作業を見せてもらったが、本当に細かい作業だった。

 この博物館の2階には、足袋の歴史や道具を展示してあった。

 今回は代表的な蔵しか見ることが出来なかったが、この街には、今でも70棟ほどの蔵が残っているとのことだ。

023  さて今日の目的は、“古代蓮”の見物だ。町から車で約10分、行田郊外に目的の公園があった。広大な敷地に約8万本の蓮が植えられているとのことだ。

 この古代蓮は、昭和46年に公共工事の際、地中の種子が自然018 に発芽し、開花したものだという。花弁数が13~18枚の一重咲きで、1400~3000年前の原始的な蓮だという。

 ただ蓮の見頃の時間があって、朝早いほうが満開に咲いているとのことだ。またこの公園では、様々なの水生植物も見られた。

 今は蛍の季節で、夜7~8時には蛍の群舞も見られるらしい。堰には蛍の好物・カワニナも見られた。

033 036  行田のもう一つの観光スポットは、“埼玉古墳群”だ。古代蓮公園から車で5分ほどのところにある。いつも脇を通るのだが、しみじみと見物したのは今回が初めてだ。大規模、小規模なな円墳、前方後円墳が10個もある。ここは東日本最大の古墳群だという。紀元後5~6世紀ころに建立されたというが定かなことはわかっていないようだ。

 ここはまた、豊臣軍の忍城攻撃の戦場でもあったとのことだ。その当時作られ040 た水攻めの堰の跡もあった。

 行田は、真に歴史と文化の街であった。一日充分に楽しめた。

| | コメント (0)

2009年7月 6日 (月)

№535 久々のゴルフコンペ

 「第38回ナイト倶楽部ゴルフコンペ」が、上野原のオリムピック・カントリークラブで開催された。このコンペは、律儀に毎月開催される「オリムピック」メンバーによる会である。関東近辺のオリムピックの姉妹コースを巡回している。

 何やかやの用事があり、私がこのコンペに参加したのは4ヶ月ぶりだ。前回参加して優勝し、そのままになっている。これも4月にはハンディキャップの改正があり、前回の8からハンディ17に変更になっていた。目をつむっても優勝しそうなハンディキャップをいただいている。

 この上野原のコースは人気があり、ここで開催されるときには参加人数が多い。今回は7組28名の参加者だった。ハンディ改正直後ということもあり、私だけではなく誰もが優勝のチャンスはある。

005_2  一緒に回ったのは、好敵手Makiちゃんだ。前には3~4枚のハンディをあげていたが、最近はチャラの握りの間柄だ。密かにチャラだとまだ彼には負けないという自負が自分にはある。しかし、何といってもゴルフの回数はぜんぜん違う。ほぼ毎週、彼はコース上に立っているのではないか。

 コンペの楽しみもあるが、Makiちゃんには負けたくないという決意も持ってい002 た。今回は、フジザクラ・ハナミズキコースだった。

 前夜の雨の音を聞き、不吉な予感があった。雨に降られるゴルフだろうかな。ところが、朝には雨が上がり、お日様が出るほどの天気だった。

 この日は、自分はステディなゴルフができた。Makiちゃんもそれに劣らずに崩れないゴルフだった。午前の明暗を分けたのが最後の9ホール目だ。497ヤー004 ドのロングホール、私は5mの下り坂を残して3オン。そのパットを入れてバーディを取った。Makiちゃんはパーだったものの、午前は彼に3アップ。ネットでも3アンダーだった。(写真は私がバーディをとった、フジザクラ9番ホール

 午後も、6番ホールまでは本当に崩れなかった。体にリキミがないことがわかる。ところが、このホールで10分ほど待つ間に体が硬くなってしまったのだろうか、ショートで突然崩れだした。上がり4ホールは、ダボ・ダボ・トリ・ダボとメタメタになってしまった。それ以上に崩れたのがMakiちゃん。折角私に近づいたのに、最後に10打も叩いて負けが確定してしまった。

 最後はこんなに崩れたのに、ハンディキャップに恵まれた私はネットで1オーバーだった。まあ優勝はないだろうと諦めていた。何と優勝は6アンダーのYanoさんだった。私は、スコアに不満は残るものの3位に滑り込めた。ドラコン賞とともに賞金も獲得し、Makiちゃんからのにぎりも貰い、ニコニコ帰宅した。

 この7月はゴルフ月間で、たくさんのゴルフの予定が入っている。

| | コメント (0)

2009年7月 5日 (日)

№534 10度の茶会より、一度の飲み会

 サラリーマン時代からのモットーであるが、ある人と友だちになるには「10度お茶を飲んで話し合うよりも、一度お酒を飲むと、肝胆相照らす仲になれる」という意味である。お酒というのは便利な道具だ。

003  「彩の国いきがい大学」の公開講座があった。1年に2度、学校の活動を一般に紹介し、著名な方の講演をいただくという活動のようである。会場は2000人も収容できる「さいたま市文化センター」であった。

 第1部は、いきがい大学の卒業生による校外活動の実例発表会だった。2組の発表があったが、どちらもハワイアン・ウクレレによる老人ホームの訪問活動の報告であった。見ていて、訪問活動も大事だが、楽しい仲間作りが出来009_2ていることを羨ましく思った。

 公会堂の後ろに席を取っていたが、蕨学園のハワイアンを踊っている中に知 っている顔が見えた。Kanehira女史だ。彼女の多彩な活動を見る思いがして、さらに頼もしくなった。

011  第2部は今人気の茂木健一郎の「脳のアンチエイジング」という講演だった。彼は現在NHK「プロフェッショナル」という番組のキャスターをして人気者のようだが、私はその番組は見たことがない。生まれは春日部という。

 私はその講演会場にパソコンを持ち込み、ブラインドタッチの練習をしてみた。講演内容をパソコンに打ち込む作業をした。私は老眼で、しかも近眼だ。画面は、会場が薄くらいせいもあったが、ほとんど見えなかった。まさにブラインドタッチでの練習だ。打ち込んだ文章を読んでみたが、誤字脱字・変換のミス等ひどいものであった。013

 この講演会は全員参加だったので、彩の国いきがい大学の地域創造科のク ラスのメンバーが揃った。これを機会に懇親会をしようじゃないか、ということになった。学園生活をスタートして3ヶ月たって、初めての飲み会である。

006  こういうときに活躍するのが、宴会部長のMasaruさんだ。大宮に宴会場を設営してくれた。参加したのは25名だ。

 夕方の4時30分に始まった宴会だが、3時間飲み放題コースとのことだった。そんなには時間は持たないだろうと当初は考えていた。しかし、あっという間に3時間がたってしまった。なんと元気な“老人たちの集まり”なのであろうか。

 その宴会場でわかったことなのだが、このクラスで自分より年下は二人しかいなかった。ほかは皆先輩である。われわれの周りで、自然と年齢の話になった。特に女性は幾つなのかはわからない。素面で女性に歳を聞くのは失礼だ。今までなんとなく聞きそびれていた。

 宴会部長のMasaruさんは私よりも8歳も年上、万年青年のAoちゃんも3歳も年上だ。私の隣に座っていていくつか気になっている美人のKeikoさんも、お姉さんだとわかった。年下は、みっちぃが2歳下、Yagiちゃんが3歳も歳下だという。

 本当に、この学校は年齢差を超えた付き合いが出来るのが最高だ。それぞれ自己紹介があったが、私が注目したのがToshikazuさんだ。彼は、世界遺産を訪ねて歩くのが趣味だとのことである。彼に、最高の世界遺産はどこか尋ねてみると、今まで行ったなかではマチュピチュが最高だったとのことだった。

 たまたまパソコン持参の私は、パソコンを開き「デジブック」の旅行記を紹介した。そして私が訪ねた世界遺産では、北スペインの「サンチャゴ・デ・コンポステーラ」が何といっても、最高に素晴らしかったと話した。しばらく旅行談義をした。

 みっちぃが、パチパチ写真を撮っていた。何にするんだろうと思っていたら、彼005 女のブログに、見事に懇親会模様のデジブックが立ち上がっていた。あれだけ人の写真を無断でアップして良いものか心配するのは老婆心か。皆ある年齢だから、無断掲載されても支障が少ないからOKだろう。下線をクリックすると彼女のブログを訪問できる。関心のある方はどうぞnote

 そのデジブックで、私の写真が赤目修正なしで載っていたのでみっちぃに文句をつけたら、「シンさんだけが赤目になっているのに気づいて、修正しようと思ったのですが、shockそうだ、茂木さんが“男が鏡の前で髪を直す人には、殺意を感じる”hairsalonと言っていたので、ましてeye修正止めました」だとさ。

015  宴会も私の一本締めで無事終了し帰宅しようとしたら、またあのHatsueさんがカラオケにいこうと私を引っ張り込んだ。明日はゴルフで早いから、と断るのを無理に袖を引っ張り込まれてしまった。まあ嫌いでない私としても、「いやだいやだも好きなうち」とばかりに参加した。何と二次会には14名も参加していた。

 1時間のつもりが、参加者が次々と曲のエントリーをしている。「私は唄わな014 い」といっていたHatsueさんのマイクを握って離さない姿をご覧いただこうか。2時間もカラオケ屋にいただろうか。明日はゴルフだから帰ろうよというと、「自分で勝手に帰れば」という冷たい声も上がった。

 まあそういう声を払いのけ、最後に北島三郎の「」を合唱してお開きになった。この唄は秋の学園祭のわれわれの課題曲になる。一度では足りずに、この唄を二度も唄うのが元気な証拠だ。

 この懇親会で、わがクラスの皆さんがが20年も前から知っているかのような知己をえることとなった。10度のお茶より、一度の飲み会である。本当にご苦労様でした。(写真の多くは上記みっちぃのブログと、松ちゃんのブログに譲るので訪問してみて下さい)

| | コメント (3)

2009年7月 4日 (土)

№533 昭JIJI先生、初登場

007  毎週のITスキルアップ講座に今までサブ講師を務めていた、ブログ仲間の昭JIJIが講師として初登場した。パソコンの先生を務めるのは初めてとのことだった。人の前で話をするというのは意外と難しいものだ。

 まずは自己紹介とのことで、自分の苗字をどうやってパソコンで表示するのかという講義から始まった。そうか、いままで辞書検索で昭JIJIの苗字を探していたが、「人名検索」で簡単に見つけることが出来るのだ。さらには彼のホームページや二つのブログの紹介もあった。

 講義の導入部としては、なかなか良いアイディアだった。それ以上に、初講義としては堂々としていた。落ち着き払い、話し方も昭JIJIの性格をあらわして丁寧だった。しかも、同じ話を2度づつ繰り返し、非常に分かり易かった。誠実な人格がそのまま現れていた。

 今日の講義は、“VistaのWORD”の便利な機能として、「検索機能」「置換」「文章の校正」「翻訳」「ハイパーリンク」を教えていただいた。さらには、「コメント挿入」と「変更履歴を使っての文章作成」だった。

 講義を聴いていて思ったのだが、生徒は気楽に聞いていてわからなかったら005 手を上げればすむ。ところが講師となると、生徒のどんな質問にも対応しなければならない。教科書を繰り返し何度も読んでくるのはもちろんだが、変化球にも対応できる能力を持たなければならない、という意味で意外と大変そうだ。

 昭JIJIは相当勉強してきた後が講義の端々に見られたが、それでも質問に答えられない部分もあった。その対応にもまた感心した。「再度勉強して、次の回にはご返事をいたします」と答えていた。

 わからないことをごまかして適当に答えるよりも、わからないことはわからないといったほうがどれだけ勇気のいる答えなのだろうか。その返事にも、誠意を感じた。

 Naoko先生のように、わからないことがない、どんな生徒の難題でもたちどころに答が返ってくる、という風になりたいものだ。しかし無理な話だ。スーパーマン、いやスーパーウーマンNaoko先生も蔭ではきっと猛勉強しているのだろうね。

 講師の教え方の上手さも手伝って、今日の講義は非常に分かり易かった。

 昭JIJI、生徒の気楽な感想として聞いて下さい。本当にご苦労様でした。これからも大いに期待いたします。

| | コメント (1)

2009年7月 3日 (金)

№532 デジカメが壊れた?

001_2  今使っているデジカメは、OLYMPUSのFE210というカメラだ。たしか3年ほど前にネットショッピング買ったもので、710万画素・3倍光学ズームレンズ搭載だ。このブログに写真を載せるのに、ものすごく役に立っている。

 どこに行くにも、このカメラを持参している。ズボンのポケットに入れてみたり、ザックの片隅に投げ入れてみたりしている。しかし、少々使い方が荒いのかもしれない。その付けが回ってきた感じだ。

 昨日、充電式電池の寿命が短くなったので、新たな電池を買ってきた。PanasonicのEVOLTAという電池だ。約1200回の繰り返し充電が出来るというものだった。

 この電池をまずは充電し、カメラに差し込んでみた。スイッチは入るのだが、002 画像が映らない。何度もいろいろ試してみたのだが、うんともすんともいわない。新しい充電式電池のせいなのかな。

 このブログに写真は不可欠だ。さあて、どうしようか?

 インターネットで調べてみると、神田小川町にOLYMPUSのサービスステーションがあるらしい。電話をしてみた。電話の話では「電池の問題ではなく、多分液晶画面に不具合が生じたのだろう。修理の必要がありそうだ」とのことだ。その場合は1万円前後の費用がかかるかもしれない、との応対だった。

 ITスキルアップ講座で先生方に相談してみたら、メモリーカードに記録が残っているかどうか調べてみたら、というアドヴァイスをいただいた。自宅でパソコンに繋いでみたら、シャッターを押した画像は記録として残っていた。ということは、矢張り、液晶画面の不具合なのだろう。

 1万円かけて修理するなら、もしかしたら新たなデジカメを買ったほうがいいのかもしれない。今持っているこのデジカメは、連写ができず、フラッシュを焚くのにも不満を持っている。最近、新たな高性能デジカメか一眼レフカメラを買おうかなと、電気店を回り始めていた矢先である。

 先日Naoko先生のホームページを見ていたら、良いカメラが次々と発売されているようだ。機能も充実しているようだし、買い替えの時期かもしれないかな。

003  机の上には、このカメラの他にデジカメが2台ある。PENTAXの「optio S40」というやつと、最近女房が買った矢張りPENTAXの「optio P70」というやつだ。以前のカメラもまだ充分に使えるので、しばらくはこのカメラで我慢しよう。

| | コメント (0)

2009年7月 2日 (木)

№531 6月に読んだ本

 早いもので、今年も半年が過ぎてしまった。何か、毎日が跳ぶように過ぎていく感じだ。良いものなのか悪いものなのかは分からないが・・・。

 毎月始めには、前月の「読書生活」を反省して、次月への決意としている。

 6月は12冊、4084ページの読書量だった。今年に入って最低の水準だ。その訳は後で述べるとして、この3~4年の半年間の読書量を見てみたい。1~6月の前半期で見ると、

 現役時代の2005年は57冊・20251ページ2006年は52冊・21211ページ、退職後の2007年は84冊・28139ページ2008年は62冊・23862ページ、そして今年2009年は79冊29167ページだった。読了ページ数で見ると、今年は過去最高である。段々と「読書」がわが生活の一部として定着してきていることがわかって喜ばしい。

 さて、6月はどんな本に感動したのだろうか。

6013  苦労して読んだのが、篠田節子『弥勒』(555ページ)だった。読み終わるのに6日間もかかってしまった。結果として、この本が6月の足を引っ張る結果になった。だが、今だもってこの本は、私の中に印象深く残っている。

 インドとチベットにはさまれた、人口20万人のパスキムという架空の国の話だった。きわめて平和な王国にクーデターが起き、王様がその座を追われた。原始共産主義的な思想の持主が権力を握ることになった。その結果、国が目茶目茶になってゆく過程の話だった。この小説を読みながらカンボジアの運命、北朝鮮の来るべき近未来など、考えさせられることが多かった。

 村上春樹『1Q84』が、ものすごい勢いで売れているようだ。ニュースにならな6009 い日はないほどだ。今日もニュースを見ていると、第1巻は100万部を突破したとのことだ。私はベストセラーを読まない主義を通しているのだが、さすがにこの本だけは読むことにした。

 村上特有のファンタジー本だった。『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』以来の暗喩に富んだ書き下ろしの本だ。村上ワールド独特なのだろうが、1000ページを超えるものにも拘らず、充分に語りつくせていない、一種の物足りなさを感じた。あんなに露骨なSEX描写があっては、中・高校生には薦められないのではないか。過激とまではいかないとしても・・・。

001  6月はさらに、大切な本を読んだ。沢木耕太郎『深夜特急』の3部作だ。17~8年前に読んでいるが、いつか再読しようとは考えていた。それがついに実現した。読んでみてあらためて思ったのだが、この本は旅する若者にとっては旅情をかきたてられるバイブルだ。この本の以前には、小田実『何でも見てやろう』という旅の本があったが、それ以上だ。これを機会に『何でも見てやろう』も読んでみるつもりだ。

 Mochiちゃんの社長就任でいただいた外山滋比古『新エデターシップ』も読ん6008 でみた。申し訳ないが、なんだかよくわからない本だった。何でもかでもエデターシップで片付けられては叶わないな。もっと言葉を限定的に使ったほうが、論理がはっきりしてくるのではないかな、と思った。

| | コメント (0)

2009年7月 1日 (水)

№530 赤紫蘇を漬ける

 梅を漬けて、早10日になる。開けたいのをじっと我慢していた。そして耐え切れずにとうとう蓋を開けた。この時期に、一番黴が生えやすい。さてどうなっているのだろうか、ドキドキである。

2002  ビニールの蓋を開けてみたら、果たせるかな、昨年に引き続き黴の発生がなかった。さらには、大量の「白梅酢」が上がっていた。この梅酢はいろいろな使い道がある。料理の調味料として使うのが一般的だ。2004が、寿司用の酢にも使えるとのことだ。

 おたまを焼酎で丁寧に消毒し、それで白梅酢を掬った。さすがに20kgも漬けると、2ℓのペットボトル3杯分の白梅酢が取れた。これは、このまま冷蔵庫に保存しておくことにしよう。

001  次の作業は、白梅酢を掬った後に赤紫蘇を漬け込むことだ。先週那須に行っていた女房が、赤紫蘇を買い込んできた。一束98円とのことだった。5束買ってきた。002

 この紫蘇を一枚一枚丁寧に、枝から取った。赤紫蘇は、大きな笊一杯になった。これを水で綺麗に洗った。2度ほど洗い、一昼夜干しておいた。

 NHK「今日の料理ー梅干を漬ける」のビデオを復習のつもりで再度見て勉強した。この赤紫蘇を10%の塩にまぶして灰汁とりをしなさい、とのことだ。

2005 2007  紫蘇に塩をまぶしていたら10%の塩は瞬く間になくなった。テキストとは違うが、さらに5%ほど塩をふやした。そして紫蘇を絞った。灰汁が出てくること。テキストでは2度とあったが、3度の灰汁出しをした。

 灰汁の汁は鍋の底一杯に溜まった。

 さて、いよいよこの赤紫蘇を梅干に漬け込む作業だ。白梅酢を掬った梅の上に赤紫蘇を満遍なく広げた。ちょうど梅が紫蘇に隠れて見えなくなった。その上から、先ほど掬い取った白梅酢を掛けて、10㎏の重石をした。梅を漬けたときには二つの樽が必要だったが、白梅酢が出てみると樽一つで間に合いそうだ。

 蓋をして、梅雨明けまで静かに眠ってもらう。梅雨が開けたら3日干しの作業が待っている。2009 

| | コメント (2)

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »