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2009年6月の30件の記事

2009年6月30日 (火)

№529 夜のお花見

013

  6月14日の記事で、「月下美人が咲いた」報告をした。そのとき咲いたのは2輪の花だけだった。

 今年2度目の開花は、7輪の大花をつけて咲いた。長くこの月下美人を見ていたが、一度に7輪も咲いたのは初めてだ。

 今朝蕾を見ていて、2~3日後に咲くのかなといったら、女房に今晩だといわれた。外出先から戻ってみたら、近所の人たちを集めて、今晩の夜はお花見をするのだという。

 夜7時30分くらいに、近所の奥さん方が集まってきた。その時には花はま004だ小 さかった。しかし、見る見るうちに膨らんでくる。30分も見ていたら、だいぶ大きな花になってきた。

009  花が大きく咲き始めると、芳しい匂いも広がってくる。その匂いは、部屋の中に充満した。花にも感激していたが、その匂いも嗅いでも、また感動した。今晩は本当に見事な花が咲いたものだ。

 花の咲き具合も、まるで作ったように上から順々だし、形も整っている。自然の妙味としかいいようがないね。

 ウッドデッキの窓を大きく開けて鑑賞したのだが、虫が一匹も寄り付かない。008 庭には蚊が群生しているのだが、今晩はその姿も見えない。月下美人の匂いは虫除けにもなるのだろうか。

 そのうちに爽やかな風も吹き始め、今宵は素敵なお花見が出来た。そして、近所の奥さん方がお帰りになった夜11時過ぎに、花は最盛期を迎えた。女房はしばらくその花に浸っていた。「今晩は花の観賞で寝ないの?」と聞いたら、いやまもなく寝るとのことだった。この花も明日の朝には萎んでしまう。誠に儚い運命である。

 テーブルの上には、ベルガモットの切花を庭から取ってきて飾った。ベルガモットは、今晩のお花見をもう一つ盛り上げる役を果たしてくれた。

010

 果たして、今年は何度「月下美人のお花見」が出来るのだろうか?

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2009年6月29日 (月)

№528 熱海・文学散歩

 熱海の保養所で、朝食後解散した。ほとんどの人はタクシーで帰っていったが、有志何人かで熱海の文学散歩を試みた。

035  保養所のすぐ下に杉本苑子さんの旧宅「彩苑」がある。玄関の写真を撮っていたら、そこの管理者に、ぜひ中を見ていってくれとのお誘いを受けた。この保養所にももう来ることはないと思い、旧宅を覗いてみることにした。

 杉本苑子さんの作品が展示してあった。そういえば、私は杉本さんの作品を039読んだことはないな。中央公論社から全集も出ていて、結構多作な作家だということがわかった。

 パンフレットによると「彩苑」とは、「人々が華やかにあつまるところ」という意味で命名されたとある。床の間には掛け軸が掛けられ、以下の句が収められていた。

037  憂きはひととき

 うれしきも

 思い醒ませば

 夢候よ     (「閑吟集」より)

 彼女は、今、この旧宅から山一つ越えたところに住んでいるとのことだ。ここには彼女との交友のあった文化人、森村誠一・橋田寿賀子・池田万寿夫等の作品も飾られていた。杉本さんは直木賞作家で、文化勲章受章者であることもここで知った。

041  「彩苑」を出て、坪内逍遥の旧宅「双柿舎」を覗いてみようと思ったが、残念ながら日曜日以外は開館していないとの事だった。そして行った先が「起雲閣」だ。

 この「起雲閣」は、非公開の岩崎別荘、今はなき住友別荘とともに熱海の三大別荘と称されているらしい。大正時代に建てられ、昭和の始めまでは別荘として使われていた。昭和22年、旅館として営業を始めた。錚々たる文豪がこの旅館をこよなく愛したようだ。坪内逍遥・尾崎紅葉・志賀直哉・谷崎潤一郎・太宰治・武田泰淳らが訪れたとなっていた。特に、太宰治『人間失格』はこの旅館で書かれたという。そして、その1ヵ月後に入水自殺した。

 入館料は500円だったが、お金を払っても損のない旅館だった。「麒麟の間」044 048 「大鳳の間」等和式の部屋、「金剛」「玉渓」等洋間、中華様式の部屋は装飾も素晴らしく、優美な気品を漂わせていた。「金剛の間」の隣には“ローマ風浴室”もあった。

049  さらにこの「起雲閣」の素晴らしさは、これらの部屋を囲むように緑豊かな庭園が配されている。ボランティアの説明によると、この庭園は旅館になってから相当植え込みがなされたとのことだ。大きな池には鯉も泳いでいた。

 さらに贅沢な別亭「孔雀の間」を見たのだが、別のボランティアの方が説明を050 かってでてくれた。この部屋でぜひ見てもらいたいのは、板の間や天井の梁、すべてが一枚板でできていることだそうだ。さらには床の間の柱・北山杉は何百万円という価値のあるものだそうだ。庭園に続く「上がりがまち」も一枚の石で、巨大なものだった。余談だが、ここは女優・竹下景子が新婚旅行で泊まった部屋としても有名だそうだ。

 喫茶室で「アイス抹茶」をいただいてきた。この「起雲閣」は、今は熱海市が管理運営しているようで、すみずみまで管理が行き届いていた。

051  帰りにここからすぐ近くの、「熱海芸者見番」を覗いてきた。30分ほど芸者の伝統芸を見せてくれるとのことだったが、1300円も出して見る気にはならなかった。

 東京駅に着き、八重洲口の碁会所で高校の同窓会の囲碁クラブが会をやっているというので覗いてみた。何局か対戦をしてみたが、成績は散々だった。

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2009年6月28日 (日)

№527 恒例の熱海旅行

 気の置けない仲間での「熱海旅行」も、今回で4回目になる。この会の主催者でもある横Takeちゃんの会社の保養所に泊まり、普段のストレスを思いきり発散しようという会である。この熱海の保養所も8月一杯で閉鎖ということで、残念ながら最後の旅行になってしまった。

 参加者は16名。横Takeちゃんは急に都合が悪くなったというので不参加、会の最長老Gunzoさんも肺炎を患ったとかでこれも不参加、さらにはOeさんとかMatsumuraさんという常連も参加できず、例年に比べていささか寂しい旅行会となってしまった。

 しかしそこは役者ぞろい、Takeちゃんに代わってここの家主Kazubumiさんが大張り切りである。その不在の寂しさを感じさせないくらいだった。

 風呂から上がったら、まだ明るいのに飲み会が始まった。夕方の5時過ぎである。これで延々と宴会になるのだろうね。

006  夕食がてら、それぞれが近況報告である。この春に社長就任したMochiちゃんの報告には、皆さんが大笑いである。社長就任でなにが大変かといって、膨大な書類に判子をつくことだそうだ。それまではシャチハタで済んでいたものが、実印なので力も要るし、えらく大変と話していた。さらには彼の戸籍の名前が旧字なので、「壽」という字を書くのにエラク難儀しているのだそうだ。

 それをきっかけに「シャチハタ論議」になった。シャチハタを何本も潰したという豪の者まで現れた。

 私は「ブログ生活の日々」の報告をした。Yoshihideさんか010 ら、「あることないことをブログに書かれて、皆えらい迷惑を蒙っている」とのクレームがついた。「なるべく迷惑をかけないようには書いているのだが、あることないこととはひどいじゃないの。少なくとも、ないことやフレームアップは書いていないはず」と私も反論した。本当に皆さん、よく私のブログを読んでくれているようで、有り難いような面映いような感じだった。

011  夕食もそこそこに、大カラオケ大会の始まりだ。カラオケになると独壇場のShimaちゃん。場の取り仕切りやマイク片手に美声を聞かせてくれるのはいつものことだ。この晩は一人で何曲唄ったことだろうか、ヒトノメイワクモカエリミズに・・・。

 この晩は、Mochiちゃんも張り切ってマイクを握っていたね。社長の激務から015 逃れるには、ストレス発散が一番。その割には一方のYoshihideさんは皆の唄を子守唄代わりに眠ってしまっていた。彼の劇太りが、友として少々心配になった。仕事も大変かもしれないが、老婆心ながら、少し運動をしたらどうかしらね。

020  この会の名物「ハダカ躍り」が始まったのは、夜もだいぶ更けてからである。今晩の主役Kazubumiさんは上半身裸でマイクを握っている。Yoshikazuさんが絡み始めたのは、まもなくたってからだ。皆、腹を抱えて大笑いである。

 さしもの、用意した酒はあらかた飲みつくした。夜も更け、皆で肩を組み輪になって、「青春032 時代」と「青い山脈」を声高らかに唄いその晩はお開きとなった。何かその後、夜中2時過ぎまで議論に熱中したという話も聞くが、私は眠ってしまった。夜中2時過ぎに、ドンドン部屋のドアを叩く音がした。Eimeiさんのご帰館だった。

 翌朝は良い天気で少し暑いぐらいだった。朝食後、再会を期して別れた。Takeちゃんが参加できなかったのは残念だったが、皆、晴れ晴れとしていたね。世話人の本郷Takeちゃん、本当にご苦労様でした。

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2009年6月27日 (土)

№526 ゴーヤを植える

 夏に向かい、これからますます暑くなる。中でも西日は強烈だ。1階の西側に当たる窓には、例年、すだれをかける。

 最近ニュースで、学校などの窓にゴーヤを植え、冷気を誘っているというニュースが流れているのを目にした。

003  家でも西窓に初めてゴーヤを植えてみた。ゴーヤは何ら手間をかけなくてもドンドン伸びる強い植物だ。3本ほど苗を植えたのだが、あっという間に窓の付近まで到達した。

 今年の夏は涼しさとともに、ゴーヤのご馳走が食卓を飾ることになるのだろうか。

 さらに庭のプランターに植えたのがトマト3本だ。那須の畑のトマトはまだ実を結ば002 なかったが、こちらのトマトは元気そのものだ。よく見ると、20個ぐらい実をつけている。

 那須のトマトがダメでも、こちらで楽しめそうだ。

004  庭でこの季節になるとドンドン伸びるのは茗荷だ。あまり増えすぎたので、先日大半を那須に持っていって茗荷畑を作った。だが、庭にはまだまだ茗荷がはびこっている。

 この茗荷も強い植物で、黙っていてもドンドン増えてゆく。時々間引いてゆかないと、庭じゅう、茗荷だらけになってしまう。

 茗荷は食べても美味しいのだが・・・。

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2009年6月26日 (金)

№525 第14回 楽しうれし展

14001  今年も恒例の“楽しうれし展”がギャラリー【あら草香しら 】で開かれている。今年で14回目になるのだそう14002だ。

 並べられているのは、古布 の洋服・小物バッグ織りの洋服古材家具つるのバッグ花入れ陶器灯り等々だ。

14008 14009 14012

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 女房の織りの洋服も飾られていた。14010

 このギャラリーを運営しているKayoさんは、那須の仲間Ohno家の奥様である。うちの女房と永年親しくさせていただいている。その関係で私もちょくちょく顔を出すようになった。今では旦那と酒飲み仲間だ。

 このギャラリーにはいろいろな作家が、満を持して、自分の作品を持ち込んでいる。それぞれが自慢の品である。

14005  Yokoさんはいつものつるのバッグウサギの置物も恒例の品だ。さらには古布の洋服も飾られていた。

 さすが熱い夏に向かう折、女房の織りの洋服の出はよくないようだ。ただ、昇り旗で出来たスカートを着ていたのでどうしたのか訊ねたら、このギャラリーで買い求めたとのことだった。

 前日、横浜の姉と旦那、Yokoさんも初めてこのギャラリーを訪れたとのことだった。何か買ったかどうかは聞き漏らしたが・・・。

 昨日はITスキルアップの帰りに、級友を誘ってこのギャラリーに来て見た。ブ14015 ログ仲間の松ちゃんもお付き合いしてくれた。他に二人の女性も一緒だった。さらには前日に、クラスメートのKeikoさんが行ってくるよと挨拶してくれた。私はいきがい大学の広告マンになっている。

 ギャラリーに行ってみたら、結構賑やかだった。最近那須に別荘を購入したAgeちゃんもいた。彼女は2ヶ月ほど前、別荘の下準備をしている最中、足首を骨折したとのことだ。「Ageちゃんて、意外とそそかしいんだよ」と私。

 Ageちゃんはこのギャラリーの名物、一日限定20食の手打ち蕎麦打ち名人でもある。ただ骨折したため、今回はオヤスミとのことだ。

 那須仲間のKuriちゃんもひょっこり顔を出した。元気そうだ。

 この展示会は、7月5日(日)までの開催だ。埼玉県県民活動総合センターから車で4~5分のところにある。午後6時30分まで開催していますので、時間のある方はぜひ立ち寄ってみて下さい。

 さらに、8月8日~23日には、那須のギャラリーでも同じ展示会を開くそうです。東京の暑さを避けるつもりで、一度訪ねてみたらいかがでしょうか。

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2009年6月25日 (木)

№524 茶屋 草木万里野

 朝から大雨で、埼玉県県民活動総合センターには女房に車で送ってもらった。帰りも6時近くに迎えに来てくれた。迎えの車には女房のほかに横浜の姉、そのお友だちのYokoさんも一緒だった。

001  近くのレストランで夕食をご一緒にすることにした。行った先が【茶屋 草木万里野】という多国籍レストランだ。県活から車で5分くらいのところにあるおしゃれな店だ。この店はいつ行っても一杯で、なかなか入れない。たまたま今回は時間が早かったせいか、すんなり入ることができた。

 お店の前に看板がかかっていた。読んでみると“サワディ”とあり、以下の文面が書かれている。

 「今日は皆様にうれしいご報告があります。草木家に1人の小さな命が生まれ002 ました。すくすく育ち冬頃には、その素敵な姿と出会うことができ、今からワクワクドキドキの毎日を過ごしています」とある。赤ちゃんでも生まれたお知らせなのだろうか?

003  ともあれ、お店に入った。入口は左右に開けるおしゃれな格子戸だ。

 まずはと生ビールで乾杯。Yokoさんとは昨年の春、秋田の姉ともども河津桜を見物に伊豆に行ったときに一緒だった。普段は秋田の田舎に暮しているが、2ヶ月に一度くらい上京するとのことだ。横浜に自宅のマンションも持っている。

 頼んだ料理は、ビールのつまみにとタコわさトリ皮の唐揚枝豆の3品。運004 転手の女房は、ホットウーロン茶を頼んでいた。

 メインデッシュは、ウィンナーのピザ・海鮮焼きそばの2品。

 それぞれ量も豊富だったし、味も美味しかった。特にピザは特大で、4人で食べてお腹が一杯になった。

 Yokoさんからは田舎のお話をたくさん伺った。彼女の家は、私の実家から歩いて4~5分のところにある。この7月には久し振りに法事で帰郷する予定だ。田舎はじっちゃん・ばっちゃんばかりの町になり、会合といえば葬式ばかりだと嘆いてた。

 久し振りに田舎のお話に堪能し、食べ物にも満足して家路についた。姉とYokoさんは自宅に一晩泊まって帰った。

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2009年6月24日 (水)

№523 宿題の「凧絵」を描く

 先日、彩の国いきがい大学のホームルームで、宿題として和紙を一枚渡された。9月の授業で「伝統遊びー凧づくり」があり、凧絵を描いてくるのが宿題の内容である。締切が7月上旬となっている。

 何しろ自慢じゃないが、小学校を卒業して以来、絵など描いたことがない。まして凧絵はどういう題材を使って、どう描けば良いのか皆目わからない。

 宿題の要領説明では、「一気に描く、余白際までいっぱいに描く。干支の虎や、歌舞伎絵、アニメのキャラクターなど自由でよい」とある。

 最近では「困ったときのインターネット頼み」で、凧絵とはどういうもので、どのような絵があるのかを検索してみた。

 各地に伝統的な凧絵がある。津軽には武者絵、南に行くに従って複雑な形の凧の絵があった。

 武者絵とか複雑な形の絵は、私の手には余る。一番簡単に出来る方法はないか、いろいろ検索をして見た。活字の「大入」とか「龍」などは簡単にできそうだ。

 しかしここは一丁絵を描いてみようと思い立ち、「達磨の凧絵」に挑戦してみることにする。

 女房に話すと、「私が書いてあげようか」などと余計なことを言ってくる。結構ですと、絵の具と筆を借りることにした。女房はポスターカラーとか、水彩の絵の具等4種類も持っていた。

 和紙に黒の絵の具で縁取りを描き、塗り潰してみた。できた絵を見て、小学2~3年の絵だなと、われながら呆れてしまっている。皆さんも笑って下さい。

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2009年6月23日 (火)

№522 「父の日」のプレゼント

 娘夫婦と孫たちが久し振りにやってきた。前に、梅干しの漬かり具合を見に来るといっていたのでそれかなと思っていたら、手に大きなプレゼントを抱えていた。

001  「母の日」にくることができなかったというので、1ヶ月遅れの「母の日」プレゼントを用意していた。大きな赤いアジサイの鉢だ。見事な花が3個もついていた。

005  「父の日」プレゼントは私に配慮したのか、「久保田 千寿」の一升瓶だった。つつましい生活をしている一家にとって、お酒好きの婿さんでもこんなに高価なお酒を自宅では飲んだことがないという。ありがたく頂戴した。

 夜は自宅で焼肉パーテーにしようと、準備をしていた。そしたら、ひょっこり桶川に住む息子も帰って来た。手ぶらである。今日は何の日かわかっていないようである。

 本当に男の子というのはどうしようもない。しょうがないので、さらにスーパーに走って肉を買い足してきた。

 焼肉に眼がない、3年生になる孫息子は、最初から最後まで箸を手放さなかった。焼肉を大人の2倍は食べたのではないかな。

 折角いただいたお酒なので、婿さんと乾杯をしながら飲んだ。プレゼントのありがたさもあり、美味しかった。

 息子は焼肉を食べ、早々に帰っていった。この配慮の足りなさといったら、嫁さんでも貰わなければ治らないかもしれないな。crying いつのことやらdown

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2009年6月22日 (月)

№521 高校の同窓会出席

001_2  1年に1度の「高校同窓会」に出席してきた。この同窓会にまじめに出席するようになって、3年ほどになるだろうか。Rokuちゃんが副会長をやっていることもあり、前回からは「同窓会ゴルフコンペ」の世話人も勤め始め、人とのつながりもできた。

 ただ、矢張り同期の連中が出席しないと、圧倒的に知り合いが少ない。今回の007_2 同期の出席はReikoさん、Michikoさん、Rokuちゃんと私の4人ほどだった。会場は「霞ヶ関ビル」の35階だ。天気も良く、ビジネス街の中心にあるこのビルの景色は良かった。下には国会議事堂も見える。六本木ヒルズや東京タワーも間近だ。

 出席者は、昨年より多い150人ほどとのことだ。恩師“ユーミン”(あだ名)も参加してくれていた。45年ぶりだろうか。

006_2  この同窓会では、毎年記念講演会があり、関係者の昔話が聞けるのが大きな楽しみである。今回は、昭和33年の全国サッカー大会でわが校が優勝したときの点取り屋、平澤敬作氏の講演だった。平澤氏は講演に熱が入り、40分の予定が大幅に延びた。関係者がやきもきしているのがおかしかった。

 彼は、昨年お亡くなりになったわが校の先輩「太洋ホエールズの完全試合男佐々木吉郎氏」と、小・中・高校を通して同期だったとのことだ。本来は彼がこの講演を引き受けるはずだったと強調していた。

 懇親会では、秋田からわざわざ駆けつけてくれた後輩が、筋子の差し入れを持ってきてくれた。彼女は、昨年の暮れに亡くなった弟と同期だ。弟は3年間、軟式野球部で頑張っていたので、もしかしたら知っている人がいるかと思って尋ねてみた。残念ながら知り合いはいなかった。

 懇親会では、懐かしい応援歌や逍遥歌を紹介するグループもあった。最後に010_2 011  は恒例の校歌で締めくくった。参加者全員で肩を組み、声高らかに歌ってきた。

 同窓会が終わって、Rokuちゃんが同期の飲み会を設定してくれていた。会場は、日本橋の「吉」だ。昨年お亡くなりになった佐々木吉郎さんの奥さんが経営している店だ。

013  午後3時半くらいに到着したら、すでに会ははじまっていた。私の隣に座った奴が「やあ~シンさん、何にも変わっていないね」と声をかけてきた。一体誰だったのだろう、聞き漏らしてしまった。しばらく彼と話していたら、ZakiのYozoじゃないの。本当に45年ぶりの再会だ。

 彼は中学・高校と野球をやり、専修大学に入っても野球部の所属していたとのことだ。残念ながらレギュラーポジションは取れなかったらしい。タマゴ(教頭先生)に可愛がられていたな。

 この席には、2年先輩の方たちも一緒だった。また恩師“ユーミン”も参加してくれた。昔話に花が咲いた。来年は高校の「開校90周年」になるとのことだ。秋には大きな催しを行うとのことなので、皆で参加することを誓い合った。

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 同期会が終わってもまだ明るかった。有志で新宿に出て、さらにもう一度飲み直した。

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2009年6月21日 (日)

№520 今年も梅干を漬ける

 那須の“スーパー池上”で今年の梅の出来具合を聞いてみた。今が最盛期で、今週一杯ぐらいが旬じゃないのかということだった。今を逃すと、今年は梅が漬けられないと思い、梅を買って埼玉で漬けることにした。

 南高梅の大きな4Lの玉を買うことにした。いつもの“スーパー池上”で、10㎏の箱が3800円という。それが別の“スーパーあおき”に行ったら、1箱3500円で売っていた。

 わがブログで過去の「梅干し漬け」のカテゴリー記事を検索してみたら、昨年は6月21日の記事になっている。このブログで梅干の塩漬け記事を書くのは、奇しくも、ちょうど一年ぶりだ。

001  昨年10kgを買って漬けたのだが、あっという間に食べてしまった。孫娘が梅干が大好物で、今年も期待しているとのことである。まあ、2~3年保存食用のつもりで、今年は10㎏の箱を二つ買ってきた。さらに消毒用にと、35度の焼酎を一本買った。

 蓋を開けてみたら、梅は黄色く色づいていた。漬け頃のようだ。

 まづは、買ってきた梅を大きな樽に水を張り、浸した。これは梅の灰汁を抜くた002 めで、1昼夜・12時間ほどかけた。そうだ、昨年視たNHK「今日の料理」の梅干の漬け方のビデオを見て復習しなければと思い、再生した。そしたら、水には2時間ほど浸すだけで良いといっている。インターネットで「美味しい梅干の漬け方」を検索したら、12時間水に浸すとある。それぞれのやり方があるらしい。ビデオをじっくり2度ほど見た。

003  最初にやることは、水からあげた梅のヘタをとる仕事だ。さすが20kgもあると一仕事だ。女房が用事があるといって出かけたので、一人仕事になった。2時間もかけて、丁寧にヘタ取りをした。

 梅干が上手くできるかどうかは、この2~3年の経験からいうと、1にも2にも消毒をきちんとやることと、美味しい塩で漬けることだ。

 塩は近くのスーパーで、「福島いわき 太平洋の海水塩」というのを買ってき006 た。国産にがりを含んで素材の旨みを引きだす、とある。塩加減は、NHKの放送によると少し甘めで、11%位が良いといっている。ただ塩が甘いと、カビが浮き出してくるので、消毒を充分にしよう、とのことだ。

 樽に2重にビニール袋を敷き、ヘタを取った梅を焼酎に潜らせて樽に並べた。007 005 そして1列づつ梅を並べてから、塩を振った。その繰り返しの仕事だ。

 梅と塩もきちんと秤で計り、11%になるように調合した。

 大樽には15㎏の梅を漬けた。残りは6kgほどあったが、これは小さな樽で間に合った。二つの樽に漬け、袋をかけ、カビの入らないように工夫をした。そして重石は漬けた梅の2倍とのことなので、大きな石を庭から持ってきて樽の上に乗せた。

012  これで7月中旬まで漬けておくと、白梅酢が上がる。そうしたら赤紫蘇の出番である。那須の畑には、昨年の赤紫蘇がたくさん芽を出していた。間に合わない分を買うことにして、その畑の紫蘇で間に合わせてみたい。

 夕方には、孫たちが梅干しの漬かり具合を見に来るとのことだ。

 昨年は、漬けた梅干はOgiさんのところまでは回らなかったが、今年は大丈夫そうよ。

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2009年6月20日 (土)

№519 畑の収穫物

 3週間もほっておくと、さすがに畑の作物がどうなっているのか心配になる。酔狂を承知で、わざわざ那須の畑を視察にやって来た。

002  袋をかけたトマトの枝が成長して、袋から大きくはみ出していた。見回してみると、いろいろ畑仕事が多そうだ。

 最初にやったのはキュウリの支柱かけだ。ネットをかけていたが、キュウリの枝はうまくネットに絡まっていなく、枝が地を這っていた。ただ、キュ013 ウリの赤ん坊がたくさん実をつけている。紐でネットに絡ませるようにしてあげた。

 今年も食べきれないほどのキュウリの収穫が見込めそうだ。キュウリは2~3日で大きくなってしまう。近所の人に食べていただくようにお願いしなければ・・・。

015  畑名人Shiratakiさんが畑仕事をしていた。彼から、トマトと茄子の袋を取ってあげないと花が受粉しないよ、との指摘を受けた。さらには無駄な枝を切り落としたほうが良いよ、とのご指導も受けた。彼の指摘通り、袋からトマトと茄子の枝を出し、いらない枝を整えた。

 ジャガイモも成長したのではないかといわれ、試掘してみた。さすがこちらの016 003 ほうままだ小さかった。この7月に“ゴルフ合宿”でくる仲間にジャガイモ堀の体験をしていただくことにしたい。ただ成長の妨げになるジャガイモの花は摘果した。あとは果報は寝て待て、だ。

 トウモロコシも予定通り順調に育っていたし、枝豆も大きくなっていた。シシトウも元気だ。ネギと玉ねぎの畝に土もかけてやった。これから夏にかけて、これらの収穫時期を迎える。

 今日のわが畑の収穫物は、特大のキャベツ2個にブロッコリー2個だ。まだ収穫できるキャベツが2~3個はあるのだが、来週来るお客様にお土産に持って帰ってもらうつもりで、収穫はしなかった。017

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2009年6月19日 (金)

№518 セーターにストーブ

 今日は午後から「ITスキルアップ講座」を受講後、那須に来た。

 パソコンのソフトには、得意な分野と不得意な分野ができるのはやむをえない。いつも使いこなしているソフトはスラスラゆくし、当然、普段あまり使わないソフトはなかなか難しい。

 私にとって書式関係のソフトは問題ないが、描画ソフトはあまりうまくゆかない。多分、慣れの問題だと思う。今回の講義は、Excelデータの「差し込み文書」と「住所録ラベルの作成」だった。

 目がひらかれる部分がないでもなかったが、全然問題なくいった。午前中に自宅で、Aoちゃんに頼まれた名札作りをしていたので、その応用の範囲内で出来た。“Vista”で出来るこのスキルが、はたして“XP”で出来るものなのだろうか。

 自宅では“XP”、講座で“Vista”ではいつまでたっても上達しないよね。しかし、“Vista”がなかなか使い勝手が良いソフトであることもだんだんわかってきた。

 講座が終わると同時に自宅に飛んで帰った。今日は、夕方那須に行く予定だ。6月はなかなか忙しくて那須に行く時間がない。畑がどうなっているのか心配で、少しの時間を見て那須に行くことにした。

 夕方遅く那須についてみると、那須は寒かった。半そで姿では鳥肌が立つ。急いで箪笥を開けたらセーターが入っていたのでそれを着た。部屋もひんやりしている。女房はストーブを取り出して火を入れた。

 ストーブに火をつけて温度計を見たら、部屋の温度はようやく20度だった。

 早めに床についたのだが、足が冷たくてしばらくは寝付けなかった。6月というのに、下界とはずいぶん違うね。

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2009年6月18日 (木)

№517 「太極拳」クラブ懇親会

 いきがい大学の「太極拳クラブ」が発足して、すでに1ヶ月になる。われわれが習っているのは“24式太極拳”というものだ。

 Shimizu先生を迎え、今のところは太極拳の基礎を習っている段階だ。基礎には、“入門太極拳”と“初級太極拳”があり、今のところは入門太極拳の動作の仕方の、ごくごく初歩だ。

 このクラブは、わが学校のクラブ活動最大の21名を擁することになった。ただ私をはじめ、皆さん太極拳は初めてのようで、動きがぎこちない。太極拳は優美な身のこなしのはずが、ギクシャクしている。先生も呆れているのではないだろうか?

 また太極拳には独自の用語があり、“開合”とか“チーシー(起勢)”などといわれて戸惑っている。インターネットで調べてみると、“入門太極拳”には8つの動作があり、今は第3段階の“斜め開合”までいった。

 まだまだヒヨッコなのにも拘らず、志だけは大きい。まずは形から入るべき、と早速ユニフォームを新調することになった。これだけ集まると専門家がいるもので、Masaruさんが「俺に任しておけ」とばかり、早速斬新なアイデアを持ってきた。誰にも否応なく、黒のTシャツに意匠を凝らしたものを発注した。

002_2  さらには結部1ヶ月なのにも関らず、部員の結束を固める懇親会をおこなった。宴会部副部長の私が、いきがい大学の御用達の大宮西口「庄屋」を予約した。参加者は先生を含めて18名だった。

 司会を買ってでたのは宴会部長のMasaruさんだ。女性の参加も6名ほどいた。矢張り、女性のいる宴会は華やかで良い。

 クラブ部長Aoちゃんの挨拶に続き、宴会副部長の私の乾杯の音頭で飲み会001 が始まった。18名の一人ひとりが自己紹介だ。先日このブログで“異能の人”と紹介させていただいたNoboruさんが、今埼玉県県民活動総合センターに展示されている書道のPRをしていた。

 女性の中では旦那を亡くしたという方が2名もいた。春日部のMasakoさんは、別の方式の太極拳を習っているが、この“24式太極拳”は初めてとのことだった。

005  皆さんの夢はどんどん広がっていって、将来は中国の現地に行って西湖のほとりで朝5時に起き太極拳をしよう、などと勝手に語り合っていた。夏合宿の部長をMasakoさんがやるとのことだ。私は、那須のウチを提供しようと提案した。さて、どうなるものだろうか?

 Hatsueさんとも、酒の上で随分盛り上がったが、今考えると、一体なんで盛り上がったのだろうか、忘れてしまった類のことだ。

 最後は、矢張りMasaruさんの337拍子の締めで大いに盛り上がった懇親会は006 お開きとなった。

007  有志でカラオケに行くという。私は断って帰ろうとしたら、件のHatsueさんが「アラ、逃げるのね」とのたまう。まあしょうがないから付き合った。そのカラオケも大盛り上がりだった。

 宴会部長のMasaruさんのコブシは効き過ぎで、もう少し素直に唄ったほうが良いのではないのかな。Hatsueさんは「決して唄わない」といいながらもしっかりマイクを握っていた。その場に行ったら、矢張りマイクを離さないシンさんもいたのはいうまでもない。

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2009年6月17日 (水)

№516 清龍酒造

 わが町には、“神亀”酒造と“清龍”酒造の二つの造り酒屋がある。私がもっぱら利用しているのは、小さな酒蔵“神亀”酒造である。ある人に言わせると、ここの酒は日本一おいしいという。

002  “清龍”酒造は安い酒が有名で、一升720円ほどである。今までは「安かろう、不味かろう」と敬遠していたが、ここのレストランが安くて美味しいという話を聞きつけ、訪ねてみた。

 瀟洒な庭園があり、「龍神」の水が出ていた。この水を酒造りに使っているのかなsign02 さらには入口の植え込みには、「馬でお越しのお客様 ここにお繋ぎ下さ001 006い」の標識がある。一種のパロディなのだろうか。

004  この庭園の一角にレストラン「清水亭」(せいすいてい)があった。お邪魔したのがお昼時であったせいか、「今日の用意した食事は、すでに一杯です」と断られてしまった。何でも、予約をすると確実に入れる、とのことだった。セットのお膳を見ると、1000円にもかかわらずおいしそうだった。まあ、他日を期することにしよう。

007  この敷地には、蔵が建っている。そこが酒の直売場となっているようだ。折角お邪魔したので酒を買っていくことにしよう。

 覗いてみたら、お酒とともにお土産用の小物も売っていた。私が買ったのは、純米大辛口「伝」という銘柄の酒だ。辛口にも指数があって、+10ということだ。女房が買ったのは、5本指の付いた靴下だった。

 一升ビンを買ってきて飲んでみたら、ちょっとコクは足りない感じがするもののまずまずだった。

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2009年6月16日 (火)

№515 山菜採り本番

 いよいよ今日は、今回の目的の山菜採りの日だ。Akioさんは一体どこに連れて行ってくれるのだろうか?

 出発したのは8時30分ころだ。朝ご飯を食べグズグズしていたら、結構遅くなった。ここの主人は、この日のために素人が一番楽しめそうな山菜採りの場所を前もって検討つけていたようだ。

 あいにくの曇り空で、妙高の山に入って行ったら深い霧に覆われた。天気が良いと雨飾山焼山火打山等の“日本100名山”が望めて抜群の景色らしいが、残念ながら視界はゼロだった。道沿いには、山菜採りと思しき車が狭い道路を埋めている。先行を走る観光バスがその車を避けて通るのに難儀して、時間が倍もかかってしまった。

 “笹ヶ峰”高原を通るころにはだんだんガスも薄くなってきた。と同時に、新潟県ナンバーの車が目立つようになった。何と、山菜取りに新潟県まで来てしまったのだ。2時間近くも走っただろうか。長野県側でガスっていた天気も、新潟県側に入ったらすっかり回復していた。

019  私は長靴を用意してきたが、Mochiちゃんはハイキングシューズに毛が生えたようなものを履いていた。山菜名人Akioさんがそれじゃ無理だよというのを押して、山に入ることになった。Akira君はさすが用意周到というか、雨合羽を着始めた。

 いきなり谷筋に入って行った。谷川を何度も横切る。私は長靴で平気で水に入れたが、すぐにMochiちゃんは靴とズボンを濡らし始めた。だから言わないこっちゃないのにネ。

 谷川筋に生えている蕗や山ウドを採集した。それ以上に、ヤブ漕ぎに苦労し024_2 020_2 た。こんな筈じゃなかったのに、とブツブツ言い始めるAkira君。道沿いを少し入ると山菜がどっさり採れるものと勘違いしていたようだ。そんな不満も知らぬげに、山男はどんどん谷筋を極めてゆく。

 お二人さん、段々離されていくようよ。そして山親父は急坂を登り始めた。ヒーヒー泣きながらついてきた二人だった。私にはそんなに急には思えなかったのだが・・・。

025  ここからが山菜採りの本番のヤブ漕ぎだ。このヤブには“根曲がり筍”があるという。先生がその筍の見つけ方を実践してくれた。われわれ素人眼には見えない筍が、指摘されるとたしかに竹薮の根本に生えている。なるほど、こうやって見つけるものなのか、と段々目が慣らされてくる。そのうちMochiちゃんも大きな筍を発見した。もう疲れもなんのその、筍狩りに夢中である。「まだちょっと早かったかな」と独り言をいう名人。

 Akiraさんから大きな声がかかった。「キノコの群生があるぞ~!」行ってみた027 ら、ナラ茸の群生である。山菜名人のAkio君には、春の茸はおいしいがもろいのでそっと採るように、と注意を受けた。

 山菜採りも面白かったが、茸狩りも昨年の秋よりも収穫があったのではないかな。茸は群生地を見つけると、夢中になる。どうもこの茸は枯れたナラの木に生えるもののようだ。

028  “根曲がり筍”も一杯採れたが、“ナラ茸”もビニール袋一杯の収穫だった。わずか2時間ばかりの入門コースだったが、袋一杯採れて満足しているシンさん。程よい汗もかいた。

 いや~~ぁきつかったという感想に、「今日のコースは小学生コ030 ースだよ」とのたまう名人だった。収穫の後に食べたおにぎりの美味しかったことといったらなかったね~。

 帰りに3家族に平等に分けて、お土産にに持たしてくれたAkio君、最後まで優しかったね。ありがとうございました。

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2009年6月15日 (月)

№514 信州へ山菜採りに

 昨年の10月に信州須坂のAkioさんの家に茸狩りに行った。その際に、来年の春には山菜採りにおいでよ、とのお誘いに乗って、またまたノコノコ出かけてきた。一緒に行ったメンバーは、昨年の秋と同じAkira君、Mochiちゃん、それに女房と私だ。女房は1週間ほど前から腰を痛めグズグズしていたが、結局は一緒に行くことになった。

 昨年は節約のため、なるべく遠くまで一般道を行き、ぎりぎりに高速道に乗った。だが今年は事情が違って、東松山から高速に乗った。なんといっても長距離走は、ETCの効果が抜群だ。正規料金4150円が1000円で行けたのは強みだ。

008  9時過ぎに出発し、須坂に着いたのはお昼前だった。220kmの距離を3時間弱で走った。矢張り土曜日の高速道は、渋滞ということはないが混んでいた。Akio君も、あまりにも早い到着にびっくりしていた。車の中で「信州そばを食べたい」と騒いでいたMochiちゃん。Akio君にその旨を話したら、戸隠の宝光社にある蕎麦屋の支店が近くにある、と戸隠蕎麦のお店に案内してくれた。

 このお蕎麦屋さんは普段は満員で、なかなか入れないらしい。たまたま席が空いていたので座ることができた。

 大盛蕎麦と蕎麦団子を頼んだ。車を運転しないAkira君とMochiちゃんは昼から蕎麦割り焼酎だ。どうもそれだけでは足りないらしく、“八海山”を飲もうということのようだった。「私はいらない!」と固辞していたMochiちゃんも、結局はペロッと飲んでいた。さらにダイエットしているから食べないと遠慮しながらも、蕎麦団子を4個も平らげていた。私など2個で腹いっぱいなのに・・・。

 同行者は信州蕎麦を食べてを久し振りに満足したのだが、Akio・Akiko夫婦の辛口コメントは、「今日の蕎麦は茹でがたりないな~」だった。

 Akio家について一服するまもなく、温泉に行くことにした。彼の自宅から30分009 圏内にはたくさんの温泉がある。今回訪問した温泉は、“信州子安温泉”という湯治場だ。赤褐色で鉄分の茶色い湯で、体がポカポカ温まるとのことだ。

 30分も入っていたら、額から汗が吹き出てくる。半身浴でしばらく鉄分の茶色い湯に浸かった。柄杓があったので温泉を飲んでみたが、金臭かった。なんでも地元の人に話を聞いたら、週に2~3度は入浴に来るとのことだ。何に効くのか聞いてみた。足腰の痛みに抜群に効くとのことだった。今回、腰の痛みで参加できなかったYasuyuki君も、この温泉に入湯したらよかったのにな。ザンネン。

010  温泉から上がったら、地元でも有名なジェラート屋さんがあると案内してくれた。何だこれは、アイスクリーム屋さんに長蛇の列だ。試しにと食べた牛乳入りソフトクリームが、牛乳の味をそのまま残して本当に美味しかった。行列の理由に納得がいった。

 Akioさんちに帰った男どもは、夕方から飲み会に入った。何かダラダラ夜まで033 飲んでいたような気がする。ただ、ソフトクリームの後のアルコールは口になじまない。

 Akioさんは“自己流山菜レシピ・男の家庭料理レシピ”ブログ(クリックで彼のページに行きます)を運営するほど、山菜にかけてはプロの腕前だ。

016  今晩も、彼の腕によりをかけた料理をご馳走になる。ワラビの醤油漬こしあぶらのから揚げサラダ根曲がり筍の焼き物等々テーブルに乗り切れないぐらいだった。最後は山菜入りのご飯を食べてしめた。

 友だちから岩魚の炭火焼の差し入れがあった。これも皆美味し015 くいただいた。

 まだ現役のAkira君は普段の疲れが溜まっているらしく、午後9時半くらいには床についた。それをキッカケに明日の山菜採りを控え、早々にお開きにした。

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2009年6月14日 (日)

№513 今年の月下美人

013  今年も“月下美人”の咲く季節になった。この花は、7~8年前に近所のおばさんから株分けしてもらったものという。

 2年ほど前に大きな植木鉢に移植した。それが功を奏したのか、今年はものすごく花の蕾を持っている。

 月下美人の蕾は、葉に突010 起となって付く。いくつあるか数えてみたが、20数個も付いている。

 その第1弾の花が咲き始めた。夕方6時ころに花が開き始めたと思ったら、午後10時ころには満開になった。それが朝になるとクタッとしている。今年は何度もこの開花を楽しめそうだ。

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2009年6月13日 (土)

№512 前向きに生きる異能な方

 連日の“彩の国いきがい大学”ネタで申し訳ないが、こういう方もいるというので紹介したい。

 Noboruさんという方だが、今年喜寿(77歳)を迎えるという。富山の生まれで、伊奈に住み始めてもう40年になるという。ここは、その当時はまだ“伊奈村”だったらしい。

 このNoboruさんとは2年前に「シニアのためのパソコンステップアップ」の講座で隣同士だった。そのときはこれという話にはならなかった。

 今年、“彩の国いきがい大学”に入学した新入生として、またご一緒にさせていただくことになった。彼は同じ「太極拳クラブ」のメンバーでもある。彼の話を聞いて魂消てしまったので紹介したい。

 埼玉県県民活動総合センターには常設のギャラリーがあり、たえず何かの展示会をしている。先日、Noboruさんが「私の書が飾られているので、時間があったら覗いてみて欲しい」と言っていた。「伊奈町書道人連盟会員展」だ。

002  Noboruさんは「良寛詩」を出品していた。素晴らしく流麗な字だった。なんでも書道歴は50年になるという。

 それだけではない。今回の展示会は「フォトクラブ 彩友会展」だ。そこにも彼の写真が2枚展示してあった。「試食中」と「願望」というタイトルの写真だった。

 彼は、フィルムやデジタルのカメラを4~5台持ち、時間を見ては三脚を担いで写真を撮り歩いていると004 いう。かれこれ写真歴は10年にもなるかな、と話していた。

 その展示会を見て歩いたのだが、今日は、先生が一枚一枚講評して歩き、生徒が熱心にその講評を聴いていた。松ちゃんもやってきて、その講評を熱心に聴いていた。

 Noboruさんはそれだけではない。「実は私は茶道の先生をしている」というのだ。さらには襖張りや障子張りはちょっとした腕前、と語っていた。

 そして喜寿を迎えた今、“いきがい大学”に入学して、勉強をしている。さらには「ITスキルアップ講座」の中級の授業を一緒に受けている。この授業が始まってもう4~5回にもなるが、中級といっても相当なレベルだ。授業についていくだけでも相当シンドイ。

 Noboruさんの話では、ようやく付いていっている、とおっしゃっていたが、付いていけるだけでも立派なものだ。

 いくつになっても、前向きに生きている人の姿は光っていて美しい。その生き方が素晴らしいと、あらためて大先輩を尊敬した。私も彼のように生きたいものだ、と思った。

 この学校には、人生で功なり名を遂げた人が一杯いるに違いない。その一人ひとりと知り合いになれるのが、これからも楽しみだ。

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2009年6月12日 (金)

№511 「同好会」への呼びかけの効果

 「彩の国いきがい大学」の全員が集まる朝のホームルームで、「ゴルフ同好会」への参加呼びかけをした。なんとその呼びかけをわがクラスメートでもあり、ブログ仲間のみっちぃが写真に撮り、彼女のブログの記事にアップしていた。ドウモアリガトウcoldsweats01。お暇な方は訪問してみて下さいnote

 当日のホームルームは、矢張りブログ仲間の松ちゃんが総合司会だった。その会の終わりに手を上げて、「ゴルフ同好会へのお誘い」の訴えをさせていただいた。世話人のKeikoさんとHiroshiさんにも前に出ていただいた。

 美人のKeikoさんの訴えが絶大な効果を発揮し、なんと16名もの参加者が集まった。女性の参加者もあり、訴えかけの目論見は大成功だった。ただ参加者のクラスに偏りがあり、わがクラスは8名の参加だ。福祉環境科の参加者が少ないので、今後さらに呼びかけをしてみたい。

 「名簿」や「同好会の会則」を作成し、僅々のうちに会を立ち上げたいと思っている。Keikoさんからは「早くコンペをやりましょう」というコメントもいただいている。ゼヒ、ヤロウネgolf

 また、このホームルームでは哀しいお知らせもあった。

 前々回の授業の前に、ある事件があった。教室の前で、隣の組の女性が頭が割れるように痛いという。たまたま傍にいた私は、これは脳に障害が起きたと思い、学校事務局に頼んで、至急救急車を呼んでいただいた。時間との勝負である。

 救急車に乗り込んだときは意識があったらしいが、搬送途中に意識を失ったというのだ。それでも早い発見だったから、大丈夫じゃないかなと思っていた。その方が5日後に亡くなったという知らせが今日のホームルームであった。

 全員でご冥福をお祈りし、3分間の黙祷をした。

 “くも膜下出血”が原因だったという。同級生の話だと、その女性は65歳で、今まで病気らしい病気をしたことがない、とっても元気な方だったという。

 うちの姉も3年ほど前に、矢張り、同じ病気で倒れた。幸い発見が早く、今ではピンピンしていて誰よりも元気だ。

 ここの大学生は、皆さんが60歳以上で、いつ何が起きても不思議のない年齢だ。お互い気をつけて生活しなければ、という教訓だった。

 この学校が開校して20年になるが、こういう事件は初めてだったらしい。

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2009年6月11日 (木)

№510 伊奈ジョッギングロードを走る

 「伊奈ジョッギングロード」は、埼玉県県民活動総合センターへの通学路である。6.35㎞の道とあるが、端から端までは走ったことがない。今日は時間があったので、県活の帰りにそのスタート地点まで行ってみた。

005  県活を過ぎると、このジョッギングロードは急に寂しくなり、草ぼうぼうである。道も細くなり、ジョッギングロードの脇を流れる綾瀬川も、川幅2メートルぐらいと、小川に毛が生えた程度に心細い。

 このジョッギングロードは上(カミ)から行くと、左側に綾瀬川が流れ、右013側は広々とした田んぼが続く。ようやく田植えも終わり、残っている田もわずかだ。最近は田植え作業も機械化が進んだせいか、女性二人だけでの田植え作業を二組も見かけた。

007_2  スタート時点から1kmも進むと、「埼玉県県民活動総合センター」の偉容な姿が見えてくる。この地点から見ると、かなり大きな建物だ。県活の教室から見ても、この広々とした田んぼを望むことができる。

 さらに進むと、「伊奈クリーンセンター」がある。ここには那須のお008 友だち、Kuriちゃんが働いている。彼女とは、この工場の前で何度か鉢合わせをした。。「俺はゴミ屋だ」と自分を卑下するのが、彼女の口癖である。

 また彼女は、このクリーンセンターの敷地内に自主的に畑を耕し、できた作物を皆に分けてあげるのが楽しみなのだそうだ。畑作りの名人でもある。

009 010  この工場の前に、伊奈総合学園のグランドがある。硬式野球の練習場だ。野球場には「行くぞ甲子園、己のすべてを出せ」の垂れ幕が下がっていた。

 写真を撮ろうと中を覗いたら、部員に大きな声で「コンニチハ~~」と声をかけられてしまった。もちろん、私も挨拶は返したが、その礼儀正しさにびっくりした。その先には、ハンドボール場、ソフトボール場と伊奈学園の運動場は続く。

 この先まで行くと、このジョッギングロードを散歩したり走っている人、犬の散016 歩をさせている人などが目につく。さらに進むと、東北新幹線をくぐる。ここまで来ると、綾瀬川は川幅が10メートルとかなり広くなる。川には悠々と鯉が泳いでいるのを眺めることができる。

 このまわりには伊奈特産の梨畑も散在する。そういえば、農家の人が高齢になり、なかなか梨畑の経営も難しくなってきているという。「いきがい大学」のクラスメートの一人は、何人かでこの畑を借り受けて自主的に梨栽培をやっていると話していた。良い話だ。

 田んぼだけかとよく見ると、麦畑も多い。この季節を麦秋というが、まもなく麦の借り入れも始まるのではないだろうか。

017  そうして、終点に到着だ。ここまでの道のりは6.35㎞という。自転車で走ってみると25分くらいとなんという事もない距離だ。しかし、四季の花々や自然に囲まれてとっても気に入っているサイクリングロードだ。

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2009年6月10日 (水)

№509 旧友との再会

 先日神保町の裏通りを歩いていたら、懐かしい面々にお会いした。サラリーマン時代に親しく付き合っていたお得意先の人たちだ。事務所にお邪魔してしばらくおしゃべりをしていたのだが、たまには飲もうかということになった。

003_2  私が指定したのは、いつもの“やきとり屋beerだ。彼らの勤務先からモノの2~3分のところだった。来てくれたのはTetsuちゃん、Akiraさん、Yamaちゃんの3人だ。こんなに近くに美味しいやきとりを食べさせてくれる店がある、と感激していた。彼らには試みに、韓国のお酒マッコリを飲んでもらった。これも美味しいと満足してくれた。さらに定番のベーコンにも舌鼓を打ってもらった。

 彼ら3人とはそれぞれに強烈な思い出があるが、一番長いのがAkiraさんだ。もうかれこれ30年にもなるだろうか。私が営業促進部隊で東北を回っていたころ、Akiraさんは得意先の係長だった。彼らから情報をいただくために、随分と彼らの会社に通った。

 それ以上に、そこの東北係の連中と随分飲み歩いた。Akiraさんが青森担当、Ohashi君が秋田、Osawa君が岩手、Abikkoちゃんが山形、Umeちゃんが福島担当だ。皆、若かったので、良く飲んだね。自宅に帰れなくなって、サウナに泊まることもしょっちゅうだった。30歳台の前半だったろうか。

 そのなかでも特に親しかったOsawa君が鼻のガンで亡くなって、もう8年にもなる。本当に良い人は早く亡くなる、とはよくいったものだ。彼も元気だったら、今頃役員まで上り詰めていただろう、というのがもっぱらの話だった。

 そういえばこういうこともあった。

 夜中の3時頃まで飲んでいただろうか。帰れないというので、上野のサウナにOhashi君と泊まったことがある。サウナは“鯖のごろ寝”状態で、とても寝れるようなところではない。

 朝の6時ころ、酔い冷ましのために風呂に入っていた。そしたら、その風呂に八戸の知り合いが入ってくるではないか。「シンさん、なぜこんなところにいるの?」と問いかけられて、しどろもどろ返事を返した。

 彼らは夜行列車で東京出張に来、サウナで汗を流し、髭を剃り、さっぱりしたところで得意先周りを始めるという話だった。きまりの悪いったらなかった。Umeちゃんとも随分飲み歩き、サウナ泊まりの連続だった。

 Tetsuちゃんは矢張り東北支店長などをやり、結構苦労した。晩年は他社出向で苦労したと話していた。

 私とほぼ同世代の3人だが、もう退職して3年にもなるという。今では関連会社であるバイトのような仕事をしているようだ。

 お酒も良いが、一度那須でゴルフをしようと話し、再会を誓って別れた。

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2009年6月 9日 (火)

№508 雲表のメルヘン街道

 蓼科での2日目のディナーは、山盛り一杯の鍋料理だった。夜は大きなストーブを焚いて、鍋料理でようやく寒さをしのげるほどの温度だ。食事が終わり、夜のサッカー見物のために、私は早々に床についた。

019  翌朝は気持ちの良い晴れの天気だった。別荘の掃除を急いでやり、それぞれ別れの道についた。

 Mitsukoさんとわたしは、急いで帰る必要もないので、ドライブがてらユックリ帰ることにした。

 北八ヶ岳に“メルヘン街道”という道がある。長野県茅野市から埼玉県入間市にいたる東西に伸びた国道299号線をいうらしい。

022  高原の真ん中を通る爽やかな道だ。この日は日曜日で、ドライブやバイクを楽028 しむ人が多かった。道はどんどん登ってゆく。どこまで登るのかと思ったら、“麦草峠”に行き着いた。なんと標高2127mという。

 北八ヶ岳の縞枯山や茶臼山が良く見えた。またこの麦草峠は高山植物の宝庫でもあるようだ。

 先日那須の山ではもう終わりを迎えていた「ミネザクラ」が満開に咲き誇っていた。さらには高山植物を大切に育てている場所を散歩した。

 「ショウジョバカマ」、「エゾマルバヤナギ」、「日高草」、「チングルマ」、「白花タカネビランジ」等の表示も見られたが、2000mを超える標高では咲くにはまだ早いようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さらに進むと“白駒の池”の表示があった。

 ここを通りながら思い出したのだが、学生時代に、大学の先生とその息子、うちの夫婦でこの池の側のロッジに泊まったことがある。もう40年も前だろうか。それ以来の訪問で、いや~~、懐かしかった。

 このメルヘン街道は信州佐久の方へ行くらしい。途中このメルヘン街道と別れ、武州街道を十国峠へと向かった。表示には、5トン以上の車は通れないとあったが、大変な道だった。乗用車同士でもすれ違えないほど細かった。さらにくねくね曲がっていて、よくMitsukoさんは車酔いをしなかったものだ。

048  ほうほうの体でついた十国峠は、山ツツジが満開に咲いている。さらには、展望台がある。高さが15メートルもあっただろうか。登ってみると、奥秩父の山々、妙義山系、赤城連山などが望め045 た。

 久し振りにドライブを満喫して帰って来た。着いたら午後4時を回っていた。程よい疲れであった。

 本当に皆さん、お疲れ様でした。

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2009年6月 8日 (月)

№507 蓼科でゴルフ

 今日はゴルフ組と観光組の2組に分かれて行動した。

011  Hozumiさん、Michiっちゃん、私の3人がゴルフ組だ。今日のゴルフ会場は、この別荘地内にある“チェルトの森 鹿島南蓼科ゴルフコース”だ。Michiちゃんの別荘から車で3分くらいのところにある。ここで標高が約1000mとのことだ。

 ここのゴルフ場の売りは、「八ヶ岳の雄大な眺め、四季折々に表情を変える爽やかな高原コース」だそうだ。

 前夜の天気予報では、午前中少し雨が残るということだったので、濡れることを覚悟していた。しかし朝起きてみると、雨は上がっていた。少々肌寒さは残るが、風もなく絶好のゴルフコンデションだった。

 普通、このようなリゾート地に作られたゴルフ場は距離も甘く、やさしく設計されている。しかしなんのなんの、このゴルフ場は本格設計だった。レギュラーティで6,384ヤードというのは、通常のコースに比べても遜色はない。

 さらに、グリーンが八ヶ岳に向かい傾斜が急で、ショットをグリーンの上につけ013 たら3パットは覚悟しなければならないという。このゴルフ場は緑も濃く、5~60年も経つ赤松と落葉松で綺麗にセパレートされていた。

 深呼吸をしてみると、本当に都会のスモッグとアルコールで汚れた肺の中のどす黒い空気が、隅々まで洗われる思いだ。

 Hozumiさんは、最近、ようやく本来の調子を取り戻したとのことで、先日は74で回ったそうだ。Michiちゃんは前日もゴルフで、ゴルフ場から直接蓼科に駆けつけた。私のゴルフは半月振りだ。

 いやはや毎回嘆いているのだが、前半の私のパットは目も当てられなかった。前半9ホールで、なんと3パットが6回もあった。このグリーンは上につけたら難しいといわれていたのに、ショットはことごとく上についた。ハーフでパット数が23回と近来にない不出来だ。ようやく50を切る成績だ。

 後半はこれではならじと、ショットを短めに打つことにした。結果は15パットだった。これくらいのパット数でないとゴルフにならないよね、と苦笑いである。

014  上がってみると、私は今年の平均スコア数と同じくらいの出来だった。前半のパットが良ければ80台中盤も望めたのに、と反省をしてみても後の祭りである。Hozumiさんが初めてのコースにしては70台で上がったのはさすがに立派だ。

 再チャレンジを約束して、Hozumiさんは帰宅した。Michiちゃんと私は、観光組015 が帰る前に別荘に着いた。2人でウッデデッキでお酒を酌み交わし、しみじみと話ができた。

 彼はこの6月末に、無事定年退職を迎えるとのことだ。会社からはもう3年間続けるように慰留されたようだが、きっぱり断ったとのことだ。これからは自分の好きなことをして大いに人生を謳歌したいとのことである。

 私の退職後の経験をちょっぴり伝授した。彼にとっても、やりたいことが沢山あるのだそうだ。まあ、そう欲張らずにすこしづつやることだねとサゼッションをしておいた。

006  ウッドデッキの上を爽やかな高原の風が通り抜けていった。ノンビリ酒を飲みながら人生を語り合うのも、またいいものだ。少し肌寒いぐらいで、長袖の着物を羽織った。

 彼とは職を辞めても末永く、良い友達でいたいね。いずれ二人でユックリイスタンブールを旅しようと誓い合った。

 *案の定、黒のテンプレートは評判が良くなかった。初めてメールをいただいたOさんからも「読みにくい」というクレームがついた。女房からも、矢張り評判が悪い。

 “チャイナ・ブルー”というテンプレートに変えましたよ。Naoko先生、黒は矢張り評判が悪いようですね。それでも一週間ほど続けましたが、ギョッとする気分転換の効果はありましたかね。

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2009年6月 7日 (日)

№506 蓼科旅行

008  Mitsukoさんのお誘いで、2泊3日で蓼科のMichiちゃんの別荘に泊り込み旅行をしてきた。お誘いに応じたのはOgiさん、Yuka夫婦と一人息子のGenki君、Hozumiさんと私の6人だ。もちろん家主のMichiちゃんは当然のごとく参加した。

 Michiちゃんからは蓼科に別荘があり招待したい、と前々から誘われてはいた。ようやくそれが実現する運びになった。Hozumiさんをお誘いしたのは、蓼科でゴルフをやりたい、とのことがあった。

 自宅を午前11時に車で出発した先発組は、途中昼食を摂り、圏央道経由で中央高速道諏訪インターチェンジで降りたのが午後3時近かった。別荘に向かう途中スーパーに立ち寄り、滞在中の食料を調達した。メインシェフは、いつもの通りMitsukoさんだ。彼女の指示に従い、これもいつものように、少し多いかなと思えるぐらいの食糧を買った。

 初めての土地でも、今ではカー・ナビがあるので、そんなに困難なく到着する。ただ別荘地は入り組んでいて少々の地図ではたどり着けない。矢張り、彼の別荘へは管理事務所のご厄介になった。

 この別荘地は“チェルトの森”といい、鹿島建設が開発した土地のようだ。その開発地の最も上に彼の別荘はあった。何でも1400mの標高があるとのことだ。夏は涼しいが冬は寒そうだ。冬は30cmぐらいの積雪があるとのことである。ただ標高がこれだけ高いので、湿気は少ないのが取り得とのことだ。

 その別荘に到着して、中を拝見したが堂々とした造りであった。430坪の土地に50坪ほどの建坪だ。しかも柱や梁は250年前の農家のものを移築したのだそうだ。壁は白い漆喰壁で、居間の真ん中には大きな暖炉が鎮座している。

009  Michiちゃんにお話を伺うと、もう建てて20数年にもなるのだそうだ。友達が持っていた土地を彼の意思で譲り受けたとのことだ。蓼科は那須とは違って、落葉松の林がメインだった。それに赤松が良いコントラストをなし、鬱蒼とした林を形作っている。晴れたらすぐ裏に八ヶ岳が望めるそうだが、この日はあいにくの小雨だ。

 最近は家庭の事情もあり、残念ながらなかなかここには来れないでいると話していた。心なしか黴臭さと、虫の死骸があった。さらに、ウッドデッキは落葉松の落葉がうず高く積もっていた。

 Mitsukoさんは晩ご飯の支度、Ogiさんは掃除にと大童だった。そのうちにHozumiさんも到着した。一段落して、別荘地の下の集落にある“河鹿の湯”という温泉に浸かってきた。温泉に行く途中、別荘の途中の草原に6頭の鹿の家族がいた。車が来ても逃げるそぶりはみせない。

 家主のMichiちゃんとYuka夫婦が到着したのは夜の7時30分を回っていた。

 今晩のディナーは、鉄板焼きだ。2台のホットプレートに山のように野菜と肉、001 魚が温められていく。飲み物はHozumiさん差し入れの赤ワインと、Mitsukoさん差し入れの球磨焼酎一升瓶だ。

004  お腹を空かしていたせいか、鉄板の上の食べ物はあれよという間に一掃された。お酒もたらふくいただき、明日は早いので早々にベットについた。

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2009年6月 6日 (土)

№505 「付け焼刃」でなんとなるものかね~

 久し振りにゴルフの練習にいってきた。練習場の記録を見ると、昨年の3月以来だそうだ。カードには「最終利用日から1年間当ゴルフ場を利用しなかった場合、ポイントは失効します」とある。ポイントが消えていたのはやむをえない。

 あまりにもショ-トアイアンが不正確なので、その修正が練習の目的だ。

6001  平日の昼は、2時間30分打ちっぱなしで2400円となっている。普段は135球で2000円なのでかなりお得だ。ただ平日の午後にもかかわらず、ゴルフ練習場は相当混んでいる。

 まずピッチングアイアンを取り出して、98ヤードの擬似グリーンに乗せる練習をした。練習ではそんなに悪い打球ではない。ピンに向かって真っ直ぐの球が出ている。どうして本番では、あんなにフックボールが出るのだろうか、わからない。ピッチングを50球位打っただろうか。

 その後は、アプローチショットで50ヤードのピンを目指した。ショートアプローチ6003 は、どうしてもスイングに力が入り早くて、ホームランになることがしばしばだ。自分に掛け声をかけて、“イチニーノサン”のタイミングで打ってみた。そしたら、やわらかいアプローチショットが打てた。私は頭が悪いので、すぐにこのタイミングを忘れてしまう。何とか体に覚えこませなければ、と何度も何度も打った。100球も打っただろうか。

 次は85ヤードのアプローチショットを、52度のウェッジで練習だ。これも比較的にうまくいった。さらに20ヤードのアプローチと、徹底的にショートアイアンの練習をした。

 久し振りに練習に行った報いか、手に水ぶくれができてしまった。以前、頻繁に練習に通っていたころは、こんなことはなかったのにな。300球ほど打って、練習を切り上げてきた。

 毎週とは言わないが、せめて月2度くらいは練習に来ることにしよう。

 前々から課題になっていたのだが、この練習場の工房でドライバーのグリップを新しくしてもらってきた。

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2009年6月 5日 (金)

№504 5月に読んだ本

 本を読むことは、今の私の生活の柱の一つになっている。さらには毎月はじめに、前月に読んだ本を振り返り、反省の糧としている。

 5月は14冊、4,959ページ読了した。まあ、これぐらい読めていれば平均点だったかな。

001 002_2  この月で一番印象に残ったのは、なかにし礼『兄弟』だった。彼の苦労した生い立ち、兄との桎梏が良く書かれていた。なかにしというと、歌謡曲の作詞家というイメージが強く、読む前には敬遠していた。『長崎ぶらぶら節』『戦場のミーナ』も良かった。なかなかどうして、読ませてくれる作家だ。

 結構、本を読むときは作家へのあるイメージが最初にあり、読む前にダメと決め付けて読むのを避けてしまう傾向にある。本の良し悪しは読んでみなければわからない、あまり前もって決め付けてしまうのは良くないと反省した。

 村上春樹『辺境・近境』のエセーも、私の関心事に近いことが書かれていれ、面003 白く読めた。あるテレビ番組の取材でノモンハンを訪ねた話は面白かった。メキシコ旅行、アメリカのドライブ旅行を読むにつけても、旅情を誘う話だった。

 村上春樹『1Q84』が、今話題になっている。今朝の新聞報道でも、上下あわせて96万部までいったという。すごい勢いである。ベストセラーは読まない主義の私ではあるが、近いうちに読んでみようと思う。

002_3  佐々木譲『冒険者 カストロ』も、物語作家の佐々木には珍しい評論だ。小説だけではなく、このような作品でも佐々木譲は力を発揮したと思う。ますます彼に対する信頼感が高まった。

 がっかりしたのは、初めて読む作家だったが、三木卓『錬金術師の帽子』だ。物語がなかなか始まっていかないのにはイライラしてしまった。まあ、読む本すべてが満足というわけにはいかないだろうが・・・。

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2009年6月 4日 (木)

№503 「川口SKIPシティ」見学

Skip001  「彩の国いきがい大学」の社会見学授業で、川口にある「SKIPシティ」に行ってきた。一体、「SKIPシティ」とは何か。SKIPとは“Saitama Kawaguchi Intelligent Park”の略で、さいたま新産業拠点として、昔のNHKの高い電波塔があった場所に設置されたという。

 NHKの放送で、川口に「NHKアーカイブス」ができたというアナウンスを知ってSkip010 いる人は多いと思う。それも含め、「彩の国くらしプラザ」、「川口市立科学館サイエンスワールド」、「彩の国ビジュアルプラザ」などの建物が林立する場所だった。西川口駅からバスで10分ほどだ。

 「彩の国いきがい大学」の授業は結構行動的で、学校の外での授業が多いようだ。7月には社会見学会として、富岡製糸工場跡地見学の遠足もある。

 私も前々から、このNHKアーカイブスには関心を持っていた。ここに来ると、見そびれていた番組を見ることができるのではないか、と考えていた。いろいろ本を読んでいると、重要な番組が放映されているこたを後で知る。再度視たいと思っても、その手立てがなかった。

 今回の社会見学授業の最初は、そのNHKアーカイブスの「公開ライブラリー」を見ることから始まった。このライブラリーには約6,300本のNHK番組が無料で公開されているとのことだ。1960年代の初め、ビデオが普及し始めた頃からの番組があるという。ただこれも放映されたもののほんの一部で、権利関係のクリアができないので、公開が難しいものが多いと係員は言っていた。

 私は司馬遼太郎の「街道を行く」の番組を視た。その中の「本郷を歩く」と、「愛蘭土紀行」の一部を視たが、この番組も見逃した大きなものの一つだ。ただ同行の人に聞くと、この番組はレンタルビデオ店で借りられるとのことだった。

Skip008  さらに、「彩の国くらしプラザ」で小実験をした。いろいろな食べ物、飲み物の糖度を計る実験だ。実験のなかで一番高かったのがネーブルで15%、健康飲料のリアルゴールドが13%、コーラが10%、アクエリアスが4%ほどだった。水も計ってみたが、さすが糖度は0%だった。

 昼食後、「川口市立科学館」で遊びながら様々な実験する装置を見て回った。津波や竜巻を起こす装置などもあった。Skip013 また、「映像ミュージアム」では映画のできるまで、テレビ番組の作り方の実際を懇切丁寧に教えていただいた。ここは小中学生の遠足コースにとっても良いのではないかと思った。

 帰りも、バスを西川口駅で降りた。夕方4時頃だったがクラスの有志で懇親会をしようということが急遽決まった。近くのレストランでお茶をということだったが、おチャケの人も多かった。

Skip020  社会科見学会では、この会が一番盛り上がったかな。レストランの従業員に「少し静かにしてくれませんか」と注意を受ける場面もあった。2時間もいたのかな。

 ここで那須に泊り込みで行こうということが決まった。早々と実行委員長も決まったので、実現するのではないか。女性も何人か参加したいという。ただし、雑魚寝だよとは言っておいたが・・・。

  ところで500号を記念に、今までとガラッと変わったテンプレートにしてみた。どうだろうか?われらがNaoko先生が時々黒いテンプレートを使っている。読みにくいと、私もクレームをつけてみたことがある。しかし、一度気分転換にガラッと変えてみるのも悪くはないかな?しばらくは使ってみる。

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2009年6月 3日 (水)

№502 ブログの行方 (500号記念 その3)

 今日は“500号記念”の最後として、私のブログは一体どこを目標にしているのかを書いてみたい。

 ブログ仲間の松ちゃんとも話しているのだが、当面の目標は「ブログ記事1000号、アクセス数100,000」である。500号になるまで1年4ヶ月ほどかかっているので、1000号になるのは来年の10月頃か。さらに100,000アクセス数を達成するのは、今の勢いで行くと300日以内か。すると、来年の3月には達成するのではないかな。

 Naoko先生からは10,000号を目指せとのエールがあったが、まさかそんなに長生きしたいとは思わないし、その頃は世の中がどうなっているのだろうか?

  1000号とはいうが、そんなにロングスパンで書くことがあるのかどうか、心配なさってくださる方もいるかもしれない。

 ところが、この500号に到達するまで、書くことが無くて困ったという事はなかった。このように記事を書いていると、いくらでも、それこそ山のように書くことがある。この500号記念記事を書いたために犠牲になった話題が3日分はある。

 あまりにも古い話を書くと、新鮮さがなくなる恐れがあるので、時機を逸した話題は載せていない。

 この6月のスケジュールをみていても、何を書くのかアウトラインが見えている。例えば今週末は蓼科旅行、来週末は長野の友だちを訪ねる旅、再来週は高校の同窓会、次の週は熱海旅行とブログネタがごろごろ転がっている。

 他のブログ仲間が「ブログ記事に書くことがない」というのは信じられな~~~い。ただいえることは、ジーッと待っていても、向こうから記事はやってくることはない。自分で動かないと記事にはならないことはたしかだ。

 記事を書くということは、今までの自分の生きてきた全存在を賭けることだ、と大げさに考えている。60数年生きてきた私にとっては、過去の記憶を振り返ってみると、それこそブログ記事に困ることはない。そういう意味で、ブログはシニア世代にこそ、うってつけの情報発信ツールだと思う。

 その意味でも、マイブログを運営するということは、結構「生きることに前向きで、積極的に」ならざるをえない。ブログの効用の最大点はこのことなのかな。

 会社を定年で辞めて、もう2年6ヶ月にもなる。在職時代も仕事や仲間づきあいは楽しかったが、会社を辞めることがこんなに楽しいことだとは信じられなかった。会社を辞めるときには、周囲から何か別の仕事を探すように、やいのやいの言われた。

 案ずるより生むがやすしとはよくいったものだ。何よりも、時間がたくさんある。やりたいこともまたたくさんある。さらには、従来の友達に加えて、サラリーマン時代には考えられなかった仲間がたくさんできた。

 毎日齷齪働く昔の同僚を見ていて、同情することがあっても、羨ましいと思うことはサラサラない。現職の仲間には怒られるかもしれないが、本当にご苦労さまなこった、ということだ。

 皆さんも環境が整ったらさっと辞めて、一緒に遊びましょう。

 今の心境をいろいろ述べてきた。ということで、今後とも「シンさんちの《繭の里通信》」のご訪問をよろしくお願いいたします。

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2009年6月 2日 (火)

№501 誰が読んでいるの?(500号記念 その2)

 一体、私のブログは誰が読んでいるのだろうか。私が一番知りたいところだが、実はそれがわからない。

 今日は、私のブログに対する心構えを語りたい。

 この記事を書いている時点で、累計アクセス数が63,391であり、一日あたりの平均アクセス数が127.29になる。3月1日からの4ヶ月でみると、一日平均のアクセス数が135、一日あたりの平均訪問者数が55となっている。

 じょじょにではあるが、数字が上がっているというのは、訪問者の裾野が広がっているということではないだろうか。ブログ記事がマンネリになっていないことをこの数字は示しているようで、率直にいってうれしい。

 訪問者の大半が、多分私のブログを毎日読みに来てくれているか、定期的に訪問してくださっているリピーターではないか。訪問時間でみると、朝の9時~10時に多い。これは会社に到着すると、まず私のブログ訪問をしてくれているという数字だと思う。さらにお昼の12時~1時がまた高い。昼休み、食事が終わってから読んでくれているのだろう。

 そして一番のピークが夜9時~10時だ。自宅に帰り、食事を終わってお休み前に訪問してくれているのだろう。

 夜10時台がピークになるのは分かる。私のブログの基本は、「毎日1記事・夜の10時に発信する」ように設定している。午後10時になると新たな記事をアップするので、今晩は何を書いているのか訪問してくださっているのだと思う。

 曜日別にみると、ひところは土曜日の訪問が極端に落ちていた。矢張り勤めに出ている人がみてくれているのだろうと思っていた。しかし、最近は様子が変わってきた。土曜日のアクセス数が、5月1ヶ月でみても、83・132・218・95・110と落ちていない。ある友が言っていたが、会社でじっくり読めないので、週末にまとめて読むようにしているのだそうだ。そのような人が増えてきたのだろうか。

 私のブログを訪問していただいている人の顔はいろいろ浮かぶ。ただ、その顔を思い浮かべながら記事を書いていると、どこかに遠慮が出てしまう。基本的には、「自分の思うがまま、自分の心に忠実に書こう」と思っている。

 結果として、登場人物にご迷惑をお掛けしていることも多々あると思うが、昨日も言ったように悪意を持って書いているつもりは全然ない。ただ、本人にご迷惑がかかっていると思ったら、ぜひ申し出ていただきたい。ただちに記事の修正することにはやぶさかではない。

 しかも記事の内容も、なるべく明るく楽しい話題にしようと思っている。深刻な話は載せないようにしている。したがって、例えは悪いが女房との夫婦喧嘩などは決して話題にしない。

 私にとって、今、このブログ記事を書いている時間が最高に楽しいのだ。多い時には、一日に1200字くらいの原稿を3本ほど書くこともある。毎日アップするということは、2~3日先まで予定稿を入れているか、何の記事を書くのか、たえず頭の中に入っていないと続かない。

 私の夢に時々出てくる悪夢は、ブログ記事が途切れて焦っている姿だ。それほど、このブログに賭ける情熱は高い。

 このブログをご訪問いただく人には迷惑な話かもしれないが、これからも気を長くしてお付き合いいただくとありがたい。できるなら、時々コメントをいただくと、ものすごい励みになる。どうぞよろしく(つづく

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2009年6月 1日 (月)

№500 500号目の記事投稿(その1)

 2008年1月22日に立ち上がった「シンさんちの《繭の里通信》」が、今日で500号目となった。1~2日の欠号はあるかも知れないが、ほとんど毎日記事投稿をしてきた。われながら良く続いたものと、“自分にご褒美をあげたいpresent気分である。

 これを機会に、この1年4ヶ月あまりの奮闘記を2~3回の記事にしてみたい。

 この500号までこれたのは、もちろんこのブログを読んでくれた大勢の読者の皆様の賜物であることはいうまでもない。このブログに写真入で登場していただいた方には、もしかしたら多大なご迷惑をお掛けしているかもしれない。悪気があって書いた記事は一本もない、ということでご了解願いたい。

 さらには、大勢のブログ仲間が支えとなってくれた。特に、ブログ講座の講師Naoko先生(クリックで当該ブログに行く)には感謝しても、感謝しきれないぐらいだ。また、一緒にブログ講座を受講した仲間の松ちゃん昭jiji青ちゃんくまちゃん♪たびちゃん等私に情報を提供してくれた仲間にも感謝したい。特に私の人生の大先輩・松ちゃんのひたむきさには教えられることが多かった。いろいろなテクニックも教わった。

381  思うに、このブログをやろうと志したのは、サラリーマン現役時代だった。定年間近に、【シンさんを業界から追い出す大コンペ】ゴルフ大会が行われた。54名も参加してくれたその会で、定年になったら何をやるの、参加者の前で聞かれた。私は実態もわからないまま、「自分のブログを立ち上げたい」と表明したことを記憶している。EimeiさんもHozumiさんも記憶にあるだろうか。

 しかし、まさか本当に立ち上がるものとは本人も信じていなかった。そうだ、そのコンペ会場に一本の電報が届いた。電報を打ってくれたのは昨年暮れに亡くなったIchiちゃんだ。この機会だから、その電報を紹介したい。

 年末を控えたお忙しいなか、また早朝よりお集まりいただきまして厚く御礼申し上げます。こんなにも多くの方々が私を追い出したがっていたとは想定外であり、ご参加者以外にもまだいる様子で、複雑な気持ちであります。

 入社以来、曜日、昼夜を問わず、社内では当然、社外、郊外では東西南北奔走し、精一杯がんばったつもりです。これからは女房に感謝しながら、しばらくはかたわらで静かに過ごすのも良いものかなと思っています(そうだ、少しそうして欲しいね)。

 あれから10年が経ちました。立ち上げ時、はじめ本当にお世話になりました。前途を祝します。

 Ichiちゃんは、私の4年先輩だ。彼のご逝去に、あらためてご冥福をお祈りしたい。

 ところでブログの話に戻るが、約500日間にはいろいろなことがあった。そのことをすべて記事にしているわけではない。では一体どのような記事を書いたのか、ジャンルごとに振り返ってみるのも悪いことではない。

①別荘ライフ~「あるるのいえ」での生活記事が86本、さらには那須ので農業記事が27本あった。ブログタイトルにふさわしい記事数だ。

②学習~埼玉県県民活動総合センターでのパソコン講座受講の記事が16本。シニア情報生活アドバイザー関連が6本。さらには今年入学した「彩の国いきがい大学」の記事が9本。今後はこの記事が増えてくるだろう。

③読書~読書日誌が31本、さらには書籍・雑誌が2本。番外編で、「ドクタビ」ブログに書評記事が64本載っている。この欄も、私のブログの主要は要素だ。

④飲み会~飲み会の記事が42本、会合(中身は飲み会)の記事が6本だ。私のブログを読む人が異口同音に言うのは、毎日飲み会じゃないのという感想だ。

⑤スポーツ~ゴルフの記事も34本と多い。さらに他のスポーツが4本。ひところに比べてゴルフ記事は減った。

⑥旅行~旅行・地域の記事が35本、海外旅行記事が6本だ。さらには「ドクタビ」ブログで6本の記事だ。最近、随分旅行回数が減ったとつくづく感じている。

⑦パソコン~ウェブ・ココログ記事が12本。パソコン・インターネット記事が20本。私のブログの記録がこのジャンルで書かれている。

⑧散歩~街歩きの楽しみとして19本、歩くで17本、サイクリングで4本の記事がある。ネタに困ったときは散歩に限る。

⑨日常生活~日記・コラム・つぶやきが53本、日曜大工で3本、梅干漬けが8本、自分の健康関連で4本。なるべくジャンルわけをはっきりして、このジャンルはふやしたくないと思っているが、この欄にしか入れられない記事が多いこともたしかだ。

⑩自分史への序章~若い頃の回顧録を13本ほど書いているが、この半年ぐらい止まっている。どのように再開しようか考えているところだ。

 さらには女房の展示会、その時々の政治・経済・文化への感想などが書かれている。時事ネタは、それぞれの利害が対立するところでもあり、私のブログには適していないと考えて避けている。

 一度Naoko先生に、あまりにもジャンルが多すぎて、散漫になっていないかとの感想を受けたこともある。しかし、それが私のブログの一大特徴、と開き直っている。(つづく

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