2009年7月 9日 (木)

№538 映画『嗚呼 満蒙開拓団』

001  お昼、Masaoさんと昼食を一緒にしていたら、土曜日に息子さんの結婚式があり、花婿の父として加藤登紀子「満蒙開拓団」の唄を歌ったという。

 そういえば、神保町の岩波ホールで、羽田澄子『嗚呼 満蒙開拓団』が上映されているというので、急遽、観にいった。

 羽田澄子監督がこの映画を撮るキッカケになったのは、彼女の満州体験にあるという。

 羽田は言う。「私は旧満州の一部として見られていた大連に生まれ、小学校も女学校も旅順。そして戦後、引揚げてきました。しかし、同じ満州でも最南端で暮していた私は、戦後、満州の奥地で起きていたことを知りませんでした。」

 それが1981年、「中国残留日本人孤児」の訪日調査で、その無残さを知ったという。さらに『残留孤児』国家賠償裁判で、中国東北地方の方正(ほうまさ)で、「方正地区日本人公墓」造りに力を尽くした女性のことを知ったという。

 彼女は文化大革命の時代、紅衛兵に日本人スパイとして死刑宣告を受けた。それを救ったのが周恩来だった。周恩来は彼女の公墓造りを蔭ながら応援していたという。周恩来は言う。

 「日中戦争を起した日本軍部に戦争責任があるが、日本人民にはこの戦争に対する責任はない。」

 羽田澄子監督自身のナレーター、インタビューで進むこの映画は、冷静に事実を暴いていく迫力があった。

 8月15日の敗戦の報を聞き一番最初に逃げたのが軍の上層部、さらには満鉄幹部、満州国官僚だった。救いを求める人々を振り払って日本に逃げ帰った。最後まで残され、酷い目にあったのが一般大衆だったという。戦争体験を語り継ぐ年老いた人々の話を伺い、権力を持ったものの身勝手さはいつの時代にも変わることはないな、と思った。

 満州開拓団約27万人のうち、8万数千人が亡くなった。山となっているその死体は、戦後しばらく満州の野に、野ざらしにされていたということだ。その遺骨のむごさに耐えられず、お墓造りに精魂を込めた残留孤児・松田ちゑさんという女性が、日本人スパイとして死刑宣告を受けたのだ。

 戦争も酷いが、その蔭で泣いている無辜の大衆のことを思うと泣けて来る映画だった。

 私が今まで羽田澄子作品を観て感銘を受けたのは、『薄墨の桜』(1977年作)、『早池峰の賦』(1982年)、『痴呆性老人の世界』(1986年)などだろうか。なかでも最も印象に残っているのが『早池峰の賦』である。岩手の村で延々と演じられる神楽の踊りが、今でも脳裏に焼きついている。

 羽田澄子監督の映画は、いつもドキュメンタリーの訴えかける力を感じさせる。

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2009年7月 8日 (水)

№537 友だちの輪の輪

 本当に私は気まぐれで、付き合ってくれる人も大変だと思う。朝起きて、今晩は酒を飲みたいなと思いHozumiさんに電話をした。お忙しい人なのに、二つ返事でOKだった。次にEimeiさんにも電話をかけたら、遅くならなければ良いよ、とのことだ。3人集まったので飲み会は成立だ。

 念のためにと思い、6月末で定年になったMichiちゃんに電話をしてみた。そんなに急に言われても先約があるよ、とのことだ。まあ、私の気まぐれだからカンベンしてよね。どう元気と問いかけてみたら、退職後の生活は全く快適、との返事だ。

 土曜日ゴルフで一緒だったMakiちゃんも、矢張り突然の話はダメだった。

 夕方5時30分に、いつもの“神保町やきとり屋”に集まった。相談事は、7月中旬の“ゴルフ合宿”の件だった。その打合せも早々に終わり、そのうちEimeiさんがAnちゃんに電話をした。今、会議が終わったばかりというので、ここに駆けつけるとのことだ。

 Hozumiさんが電話をしたのはToshitugu君だ。彼の会社もこのすぐ近くにある。今、棚卸しの最中なので、終わったら行くとの話だ。結局彼は二人の仲間を一緒に連れてきた。彼らもゴルフ合宿組だ。

 そうこうしているうちにAnちゃんが到着。彼が「下にTakahiro氏がいたよ」との報告した。Takahiro氏は、ナイト倶楽部ゴルフコンペの永久幹事である。おおそうか、と私が彼を呼びに行ったらじきにこの輪に加わってくれた。3人の飲み会が、何と8人にまで膨れ上がってしまった。店の店員たちは、またいつものことと、平然と席を作ってくれていた。

 Takahiroさんは、ほとんどのメンバーと初対面だった。先日のコンペでは彼と同スコアで、ハンディの関係で私が3位、彼は4位にになった。私は、彼を1年に2回タイでゴルフを楽しんでいる人と、参加者に紹介した。皆、羨ましそうな顔をしていた。いつかわれわれ仲間も一緒に行きたいものだ。

 男ばかりの飲み会じゃつまらないな、と私が電話をしたのはMamiちゃん。彼女の会社も、この店から歩いて5分くらいのところにある。彼女の携帯は留守電だったので諦めた。30分後くらいに、Mamiちゃんから折り返しの電話がはいった。

 「私は、今、札幌から電話をしているのよ。今年の5月の人事異動で札幌勤務になった」とのことだった。ここにいる人は誰も知らないことだった。エーーーと驚いた。そうと知っていたら、送別会をやったのにね。突然行くことになったので、誰にも知らせなかったらしい。もともとMamiちゃんは函館の生まれだ。実家の近くに帰りたかったのかもしれないね。

 北海道で高校までを過ごしたEimeiさんは、近いうちに北海道にゴルフに行こうよと提案していた。皆、大賛成だ。

 ということで突然始まった飲み会は、いつの間にやら賑やかな大宴会bottlewinebeerになってしまった。早く帰りたかったEimeiさんも、これじゃ帰れないよね。こうやって“友だちの輪の輪 ”はドンドン広がってゆく。

 皆様、私の気まぐれにお付き合いいただき、どうもご苦労様でした。

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2009年7月 7日 (火)

№536 足袋蔵の街―行田を歩く

 朝、女房が「行田の古代蓮を見に行こう」と声を掛けてきた。そういえば、先日のいきがい大学の授業で、行田の街おこしのお話を伺ったばかりで、一度蔵の街を見学したいと思っていた。

 勘違いをしていたのだが、行田の街といえばJRの駅付近が繁華街と思っていた。ところがJRの駅がある場所は町外れで、何もないところだ。行田というのはつまらない街、と勘違いしていたのだ。

 行田という街は埼玉では川越と二つしかない城下町の一つで、古い建物がたくさん残っているとのことだ。きんきんのうち行こうと思っていたので、良い機会だった。自宅から車で40分くらいで、そんなにも遠くはない。

 行田は、埼玉県の名前の発祥地で、埼玉(さきたま)の古墳群でも有名だ。街を歩いてみたが、ガランとしていて寂れていた。この街を活気のある町にしたいというのが“NPO法人ぎょうだ足袋蔵ネットワーク”の目的のようだ。

 街を歩くと、多くの蔵が目についた。なぜこんなに多くの蔵があるのか、行田の歴史を読んでみた。江戸時代末から昭和30年代前半まで約100年間、この街は“足袋の街”として栄えていたようだ。最盛時には年間8500万足もの足袋の生産があり、全国の80%のシェアを誇っていたとのことだ。現在では足袋をはく人も少なく、年間141万足にまで落ちているとのことだが・・・。

 生産した足袋を収納する倉庫として、蔵造りが盛んだったようだ。しかし、今ではその蔵が邪魔になり、ドンドン壊され始めている。壊される前にその蔵を使って街おこしを、というのがNPOの狙いのようだ。

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 まず目についたのが“足袋蔵ギャラリー 門”だ。不定期にイベントを開催しているとのことだが、女房の友達の展示会が近いうちにあるというお知らせがあった。ただ行った日は、残念ながら休みだった。

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 次に訪ねたのが“忠次郎蔵”だ。昭和初期の足袋原料問屋だったが、今ではNPO法人が手打ちそばの店に改装しているとのことだ。

 この蔵は、国登録の有形文化財になっているとのことだ。

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  さらに訪問したのが“足袋とくらしの博物館”だ。土・日・祝日だけの開館で入館料200円とのことだ。足袋作りの経験は初めてなので、案内を乞うた。

015 013_2  足袋作りには13の工程があり、それぞれが分業でおこなわれ、熟練工の仕事だった。ミシンも8種類ほどがそれぞれの用途で使われており、実際足袋づくりの作業を見せてもらったが、本当に細かい作業だった。

 この博物館の2階には、足袋の歴史や道具を展示してあった。

 今回は代表的な蔵しか見ることが出来なかったが、この街には、今でも70棟ほどの蔵が残っているとのことだ。

023  さて今日の目的は、“古代蓮”の見物だ。町から車で約10分、行田郊外に目的の公園があった。広大な敷地に約8万本の蓮が植えられているとのことだ。

 この古代蓮は、昭和46年に公共工事の際、地中の種子が自然018 に発芽し、開花したものだという。花弁数が13~18枚の一重咲きで、1400~3000年前の原始的な蓮だという。

 ただ蓮の見頃の時間があって、朝早いほうが満開に咲いているとのことだ。またこの公園では、様々なの水生植物も見られた。

 今は蛍の季節で、夜7~8時には蛍の群舞も見られるらしい。堰には蛍の好物・カワニナも見られた。

033 036  行田のもう一つの観光スポットは、“埼玉古墳群”だ。古代蓮公園から車で5分ほどのところにある。いつも脇を通るのだが、しみじみと見物したのは今回が初めてだ。大規模、小規模なな円墳、前方後円墳が10個もある。ここは東日本最大の古墳群だという。紀元後5~6世紀ころに建立されたというが定かなことはわかっていないようだ。

 ここはまた、豊臣軍の忍城攻撃の戦場でもあったとのことだ。その当時作られ040 た水攻めの堰の跡もあった。

 行田は、真に歴史と文化の街であった。一日充分に楽しめた。

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2009年7月 6日 (月)

№535 久々のゴルフコンペ

 「第38回ナイト倶楽部ゴルフコンペ」が、上野原のオリムピック・カントリークラブで開催された。このコンペは、律儀に毎月開催される「オリムピック」メンバーによる会である。関東近辺のオリムピックの姉妹コースを巡回している。

 何やかやの用事があり、私がこのコンペに参加したのは4ヶ月ぶりだ。前回参加して優勝し、そのままになっている。これも4月にはハンディキャップの改正があり、前回の8からハンディ17に変更になっていた。目をつむっても優勝しそうなハンディキャップをいただいている。

 この上野原のコースは人気があり、ここで開催されるときには参加人数が多い。今回は7組28名の参加者だった。ハンディ改正直後ということもあり、私だけではなく誰もが優勝のチャンスはある。

005_2  一緒に回ったのは、好敵手Makiちゃんだ。前には3~4枚のハンディをあげていたが、最近はチャラの握りの間柄だ。密かにチャラだとまだ彼には負けないという自負が自分にはある。しかし、何といってもゴルフの回数はぜんぜん違う。ほぼ毎週、彼はコース上に立っているのではないか。

 コンペの楽しみもあるが、Makiちゃんには負けたくないという決意も持ってい002 た。今回は、フジザクラ・ハナミズキコースだった。

 前夜の雨の音を聞き、不吉な予感があった。雨に降られるゴルフだろうかな。ところが、朝には雨が上がり、お日様が出るほどの天気だった。

 この日は、自分はステディなゴルフができた。Makiちゃんもそれに劣らずに崩れないゴルフだった。午前の明暗を分けたのが最後の9ホール目だ。497ヤー004 ドのロングホール、私は5mの下り坂を残して3オン。そのパットを入れてバーディを取った。Makiちゃんはパーだったものの、午前は彼に3アップ。ネットでも3アンダーだった。(写真は私がバーディをとった、フジザクラ9番ホール

 午後も、6番ホールまでは本当に崩れなかった。体にリキミがないことがわかる。ところが、このホールで10分ほど待つ間に体が硬くなってしまったのだろうか、ショートで突然崩れだした。上がり4ホールは、ダボ・ダボ・トリ・ダボとメタメタになってしまった。それ以上に崩れたのがMakiちゃん。折角私に近づいたのに、最後に10打も叩いて負けが確定してしまった。

 最後はこんなに崩れたのに、ハンディキャップに恵まれた私はネットで1オーバーだった。まあ優勝はないだろうと諦めていた。何と優勝は6アンダーのYanoさんだった。私は、スコアに不満は残るものの3位に滑り込めた。ドラコン賞とともに賞金も獲得し、Makiちゃんからのにぎりも貰い、ニコニコ帰宅した。

 この7月はゴルフ月間で、たくさんのゴルフの予定が入っている。

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2009年7月 5日 (日)

№534 10度の茶会より、一度の飲み会

 サラリーマン時代からのモットーであるが、ある人と友だちになるには「10度お茶を飲んで話し合うよりも、一度お酒を飲むと、肝胆相照らす仲になれる」という意味である。お酒というのは便利な道具だ。

003  「彩の国いきがい大学」の公開講座があった。1年に2度、学校の活動を一般に紹介し、著名な方の講演をいただくという活動のようである。会場は2000人も収容できる「さいたま市文化センター」であった。

 第1部は、いきがい大学の卒業生による校外活動の実例発表会だった。2組の発表があったが、どちらもハワイアン・ウクレレによる老人ホームの訪問活動の報告であった。見ていて、訪問活動も大事だが、楽しい仲間作りが出来009_2ていることを羨ましく思った。

 公会堂の後ろに席を取っていたが、蕨学園のハワイアンを踊っている中に知 っている顔が見えた。Kanehira女史だ。彼女の多彩な活動を見る思いがして、さらに頼もしくなった。

011  第2部は今人気の茂木健一郎の「脳のアンチエイジング」という講演だった。彼は現在NHK「プロフェッショナル」という番組のキャスターをして人気者のようだが、私はその番組は見たことがない。生まれは春日部という。

 私はその講演会場にパソコンを持ち込み、ブラインドタッチの練習をしてみた。講演内容をパソコンに打ち込む作業をした。私は老眼で、しかも近眼だ。画面は、会場が薄くらいせいもあったが、ほとんど見えなかった。まさにブラインドタッチでの練習だ。打ち込んだ文章を読んでみたが、誤字脱字・変換のミス等ひどいものであった。013

 この講演会は全員参加だったので、彩の国いきがい大学の地域創造科のク ラスのメンバーが揃った。これを機会に懇親会をしようじゃないか、ということになった。学園生活をスタートして3ヶ月たって、初めての飲み会である。

006  こういうときに活躍するのが、宴会部長のMasaruさんだ。大宮に宴会場を設営してくれた。参加したのは25名だ。

 夕方の4時30分に始まった宴会だが、3時間飲み放題コースとのことだった。そんなには時間は持たないだろうと当初は考えていた。しかし、あっという間に3時間がたってしまった。なんと元気な“老人たちの集まり”なのであろうか。

 その宴会場でわかったことなのだが、このクラスで自分より年下は二人しかいなかった。ほかは皆先輩である。われわれの周りで、自然と年齢の話になった。特に女性は幾つなのかはわからない。素面で女性に歳を聞くのは失礼だ。今までなんとなく聞きそびれていた。

 宴会部長のMasaruさんは私よりも8歳も年上、万年青年のAoちゃんも3歳も年上だ。私の隣に座っていていくつか気になっている美人のKeikoさんも、お姉さんだとわかった。年下は、みっちぃが2歳下、Yagiちゃんが3歳も歳下だという。

 本当に、この学校は年齢差を超えた付き合いが出来るのが最高だ。それぞれ自己紹介があったが、私が注目したのがToshikazuさんだ。彼は、世界遺産を訪ねて歩くのが趣味だとのことである。彼に、最高の世界遺産はどこか尋ねてみると、今まで行ったなかではマチュピチュが最高だったとのことだった。

 たまたまパソコン持参の私は、パソコンを開き「デジブック」の旅行記を紹介した。そして私が訪ねた世界遺産では、北スペインの「サンチャゴ・デ・コンポステーラ」が何といっても、最高に素晴らしかったと話した。しばらく旅行談義をした。

 みっちぃが、パチパチ写真を撮っていた。何にするんだろうと思っていたら、彼005 女のブログに、見事に懇親会模様のデジブックが立ち上がっていた。あれだけ人の写真を無断でアップして良いものか心配するのは老婆心か。皆ある年齢だから、無断掲載されても支障が少ないからOKだろう。下線をクリックすると彼女のブログを訪問できる。関心のある方はどうぞnote

 そのデジブックで、私の写真が赤目修正なしで載っていたのでみっちぃに文句をつけたら、「シンさんだけが赤目になっているのに気づいて、修正しようと思ったのですが、shockそうだ、茂木さんが“男が鏡の前で髪を直す人には、殺意を感じる”hairsalonと言っていたので、ましてeye修正止めました」だとさ。

015  宴会も私の一本締めで無事終了し帰宅しようとしたら、またあのHatsueさんがカラオケにいこうと私を引っ張り込んだ。明日はゴルフで早いから、と断るのを無理に袖を引っ張り込まれてしまった。まあ嫌いでない私としても、「いやだいやだも好きなうち」とばかりに参加した。何と二次会には14名も参加していた。

 1時間のつもりが、参加者が次々と曲のエントリーをしている。「私は唄わな014 い」といっていたHatsueさんのマイクを握って離さない姿をご覧いただこうか。2時間もカラオケ屋にいただろうか。明日はゴルフだから帰ろうよというと、「自分で勝手に帰れば」という冷たい声も上がった。

 まあそういう声を払いのけ、最後に北島三郎の「」を合唱してお開きになった。この唄は秋の学園祭のわれわれの課題曲になる。一度では足りずに、この唄を二度も唄うのが元気な証拠だ。

 この懇親会で、わがクラスの皆さんがが20年も前から知っているかのような知己をえることとなった。10度のお茶より、一度の飲み会である。本当にご苦労様でした。(写真の多くは上記みっちぃのブログと、松ちゃんのブログに譲るので訪問してみて下さい)

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2009年7月 4日 (土)

№533 昭JIJI先生、初登場

007  毎週のITスキルアップ講座に今までサブ講師を務めていた、ブログ仲間の昭JIJIが講師として初登場した。パソコンの先生を務めるのは初めてとのことだった。人の前で話をするというのは意外と難しいものだ。

 まずは自己紹介とのことで、自分の苗字をどうやってパソコンで表示するのかという講義から始まった。そうか、いままで辞書検索で昭JIJIの苗字を探していたが、「人名検索」で簡単に見つけることが出来るのだ。さらには彼のホームページや二つのブログの紹介もあった。

 講義の導入部としては、なかなか良いアイディアだった。それ以上に、初講義としては堂々としていた。落ち着き払い、話し方も昭JIJIの性格をあらわして丁寧だった。しかも、同じ話を2度づつ繰り返し、非常に分かり易かった。誠実な人格がそのまま現れていた。

 今日の講義は、“VistaのWORD”の便利な機能として、「検索機能」「置換」「文章の校正」「翻訳」「ハイパーリンク」を教えていただいた。さらには、「コメント挿入」と「変更履歴を使っての文章作成」だった。

 講義を聴いていて思ったのだが、生徒は気楽に聞いていてわからなかったら005 手を上げればすむ。ところが講師となると、生徒のどんな質問にも対応しなければならない。教科書を繰り返し何度も読んでくるのはもちろんだが、変化球にも対応できる能力を持たなければならない、という意味で意外と大変そうだ。

 昭JIJIは相当勉強してきた後が講義の端々に見られたが、それでも質問に答えられない部分もあった。その対応にもまた感心した。「再度勉強して、次の回にはご返事をいたします」と答えていた。

 わからないことをごまかして適当に答えるよりも、わからないことはわからないといったほうがどれだけ勇気のいる答えなのだろうか。その返事にも、誠意を感じた。

 Naoko先生のように、わからないことがない、どんな生徒の難題でもたちどころに答が返ってくる、という風になりたいものだ。しかし無理な話だ。スーパーマン、いやスーパーウーマンNaoko先生も蔭ではきっと猛勉強しているのだろうね。

 講師の教え方の上手さも手伝って、今日の講義は非常に分かり易かった。

 昭JIJI、生徒の気楽な感想として聞いて下さい。本当にご苦労様でした。これからも大いに期待いたします。

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2009年7月 3日 (金)

№532 デジカメが壊れた?

001_2  今使っているデジカメは、OLYMPUSのFE210というカメラだ。たしか3年ほど前にネットショッピング買ったもので、710万画素・3倍光学ズームレンズ搭載だ。このブログに写真を載せるのに、ものすごく役に立っている。

 どこに行くにも、このカメラを持参している。ズボンのポケットに入れてみたり、ザックの片隅に投げ入れてみたりしている。しかし、少々使い方が荒いのかもしれない。その付けが回ってきた感じだ。

 昨日、充電式電池の寿命が短くなったので、新たな電池を買ってきた。PanasonicのEVOLTAという電池だ。約1200回の繰り返し充電が出来るというものだった。

 この電池をまずは充電し、カメラに差し込んでみた。スイッチは入るのだが、002 画像が映らない。何度もいろいろ試してみたのだが、うんともすんともいわない。新しい充電式電池のせいなのかな。

 このブログに写真は不可欠だ。さあて、どうしようか?

 インターネットで調べてみると、神田小川町にOLYMPUSのサービスステーションがあるらしい。電話をしてみた。電話の話では「電池の問題ではなく、多分液晶画面に不具合が生じたのだろう。修理の必要がありそうだ」とのことだ。その場合は1万円前後の費用がかかるかもしれない、との応対だった。

 ITスキルアップ講座で先生方に相談してみたら、メモリーカードに記録が残っているかどうか調べてみたら、というアドヴァイスをいただいた。自宅でパソコンに繋いでみたら、シャッターを押した画像は記録として残っていた。ということは、矢張り、液晶画面の不具合なのだろう。

 1万円かけて修理するなら、もしかしたら新たなデジカメを買ったほうがいいのかもしれない。今持っているこのデジカメは、連写ができず、フラッシュを焚くのにも不満を持っている。最近、新たな高性能デジカメか一眼レフカメラを買おうかなと、電気店を回り始めていた矢先である。

 先日Naoko先生のホームページを見ていたら、良いカメラが次々と発売されているようだ。機能も充実しているようだし、買い替えの時期かもしれないかな。

003  机の上には、このカメラの他にデジカメが2台ある。PENTAXの「optio S40」というやつと、最近女房が買った矢張りPENTAXの「optio P70」というやつだ。以前のカメラもまだ充分に使えるので、しばらくはこのカメラで我慢しよう。

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2009年7月 2日 (木)

№531 6月に読んだ本

 早いもので、今年も半年が過ぎてしまった。何か、毎日が跳ぶように過ぎていく感じだ。良いものなのか悪いものなのかは分からないが・・・。

 毎月始めには、前月の「読書生活」を反省して、次月への決意としている。

 6月は12冊、4084ページの読書量だった。今年に入って最低の水準だ。その訳は後で述べるとして、この3~4年の半年間の読書量を見てみたい。1~6月の前半期で見ると、

 現役時代の2005年は57冊・20251ページ2006年は52冊・21211ページ、退職後の2007年は84冊・28139ページ2008年は62冊・23862ページ、そして今年2009年は79冊29167ページだった。読了ページ数で見ると、今年は過去最高である。段々と「読書」がわが生活の一部として定着してきていることがわかって喜ばしい。

 さて、6月はどんな本に感動したのだろうか。

6013  苦労して読んだのが、篠田節子『弥勒』(555ページ)だった。読み終わるのに6日間もかかってしまった。結果として、この本が6月の足を引っ張る結果になった。だが、今だもってこの本は、私の中に印象深く残っている。

 インドとチベットにはさまれた、人口20万人のパスキムという架空の国の話だった。きわめて平和な王国にクーデターが起き、王様がその座を追われた。原始共産主義的な思想の持主が権力を握ることになった。その結果、国が目茶目茶になってゆく過程の話だった。この小説を読みながらカンボジアの運命、北朝鮮の来るべき近未来など、考えさせられることが多かった。

 村上春樹『1Q84』が、ものすごい勢いで売れているようだ。ニュースにならな6009 い日はないほどだ。今日もニュースを見ていると、第1巻は100万部を突破したとのことだ。私はベストセラーを読まない主義を通しているのだが、さすがにこの本だけは読むことにした。

 村上特有のファンタジー本だった。『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』以来の暗喩に富んだ書き下ろしの本だ。村上ワールド独特なのだろうが、1000ページを超えるものにも拘らず、充分に語りつくせていない、一種の物足りなさを感じた。あんなに露骨なSEX描写があっては、中・高校生には薦められないのではないか。過激とまではいかないとしても・・・。

001  6月はさらに、大切な本を読んだ。沢木耕太郎『深夜特急』の3部作だ。17~8年前に読んでいるが、いつか再読しようとは考えていた。それがついに実現した。読んでみてあらためて思ったのだが、この本は旅する若者にとっては旅情をかきたてられるバイブルだ。この本の以前には、小田実『何でも見てやろう』という旅の本があったが、それ以上だ。これを機会に『何でも見てやろう』も読んでみるつもりだ。

 Mochiちゃんの社長就任でいただいた外山滋比古『新エデターシップ』も読ん6008 でみた。申し訳ないが、なんだかよくわからない本だった。何でもかでもエデターシップで片付けられては叶わないな。もっと言葉を限定的に使ったほうが、論理がはっきりしてくるのではないかな、と思った。

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2009年7月 1日 (水)

№530 赤紫蘇を漬ける

 梅を漬けて、早10日になる。開けたいのをじっと我慢していた。そして耐え切れずにとうとう蓋を開けた。この時期に、一番黴が生えやすい。さてどうなっているのだろうか、ドキドキである。

2002  ビニールの蓋を開けてみたら、果たせるかな、昨年に引き続き黴の発生がなかった。さらには、大量の「白梅酢」が上がっていた。この梅酢はいろいろな使い道がある。料理の調味料として使うのが一般的だ。2004が、寿司用の酢にも使えるとのことだ。

 おたまを焼酎で丁寧に消毒し、それで白梅酢を掬った。さすがに20kgも漬けると、2ℓのペットボトル3杯分の白梅酢が取れた。これは、このまま冷蔵庫に保存しておくことにしよう。

001  次の作業は、白梅酢を掬った後に赤紫蘇を漬け込むことだ。先週那須に行っていた女房が、赤紫蘇を買い込んできた。一束98円とのことだった。5束買ってきた。002

 この紫蘇を一枚一枚丁寧に、枝から取った。赤紫蘇は、大きな笊一杯になった。これを水で綺麗に洗った。2度ほど洗い、一昼夜干しておいた。

 NHK「今日の料理ー梅干を漬ける」のビデオを復習のつもりで再度見て勉強した。この赤紫蘇を10%の塩にまぶして灰汁とりをしなさい、とのことだ。

2005 2007  紫蘇に塩をまぶしていたら10%の塩は瞬く間になくなった。テキストとは違うが、さらに5%ほど塩をふやした。そして紫蘇を絞った。灰汁が出てくること。テキストでは2度とあったが、3度の灰汁出しをした。

 灰汁の汁は鍋の底一杯に溜まった。

 さて、いよいよこの赤紫蘇を梅干に漬け込む作業だ。白梅酢を掬った梅の上に赤紫蘇を満遍なく広げた。ちょうど梅が紫蘇に隠れて見えなくなった。その上から、先ほど掬い取った白梅酢を掛けて、10㎏の重石をした。梅を漬けたときには二つの樽が必要だったが、白梅酢が出てみると樽一つで間に合いそうだ。

 蓋をして、梅雨明けまで静かに眠ってもらう。梅雨が開けたら3日干しの作業が待っている。2009 

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2009年6月30日 (火)

№529 夜のお花見

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  6月14日の記事で、「月下美人が咲いた」報告をした。そのとき咲いたのは2輪の花だけだった。

 今年2度目の開花は、7輪の大花をつけて咲いた。長くこの月下美人を見ていたが、一度に7輪も咲いたのは初めてだ。

 今朝蕾を見ていて、2~3日後に咲くのかなといったら、女房に今晩だといわれた。外出先から戻ってみたら、近所の人たちを集めて、今晩の夜はお花見をするのだという。

 夜7時30分くらいに、近所の奥さん方が集まってきた。その時には花はま004だ小 さかった。しかし、見る見るうちに膨らんでくる。30分も見ていたら、だいぶ大きな花になってきた。

009  花が大きく咲き始めると、芳しい匂いも広がってくる。その匂いは、部屋の中に充満した。花にも感激していたが、その匂いも嗅いでも、また感動した。今晩は本当に見事な花が咲いたものだ。

 花の咲き具合も、まるで作ったように上から順々だし、形も整っている。自然の妙味としかいいようがないね。

 ウッドデッキの窓を大きく開けて鑑賞したのだが、虫が一匹も寄り付かない。008 庭には蚊が群生しているのだが、今晩はその姿も見えない。月下美人の匂いは虫除けにもなるのだろうか。

 そのうちに爽やかな風も吹き始め、今宵は素敵なお花見が出来た。そして、近所の奥さん方がお帰りになった夜11時過ぎに、花は最盛期を迎えた。女房はしばらくその花に浸っていた。「今晩は花の観賞で寝ないの?」と聞いたら、いやまもなく寝るとのことだった。この花も明日の朝には萎んでしまう。誠に儚い運命である。

 テーブルの上には、ベルガモットの切花を庭から取ってきて飾った。ベルガモットは、今晩のお花見をもう一つ盛り上げる役を果たしてくれた。

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 果たして、今年は何度「月下美人のお花見」が出来るのだろうか?

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2009年6月29日 (月)

№528 熱海・文学散歩

 熱海の保養所で、朝食後解散した。ほとんどの人はタクシーで帰っていったが、有志何人かで熱海の文学散歩を試みた。

035  保養所のすぐ下に杉本苑子さんの旧宅「彩苑」がある。玄関の写真を撮っていたら、そこの管理者に、ぜひ中を見ていってくれとのお誘いを受けた。この保養所にももう来ることはないと思い、旧宅を覗いてみることにした。

 杉本苑子さんの作品が展示してあった。そういえば、私は杉本さんの作品を039読んだことはないな。中央公論社から全集も出ていて、結構多作な作家だということがわかった。

 パンフレットによると「彩苑」とは、「人々が華やかにあつまるところ」という意味で命名されたとある。床の間には掛け軸が掛けられ、以下の句が収められていた。

037  憂きはひととき

 うれしきも

 思い醒ませば

 夢候よ     (「閑吟集」より)

 彼女は、今、この旧宅から山一つ越えたところに住んでいるとのことだ。ここには彼女との交友のあった文化人、森村誠一・橋田寿賀子・池田万寿夫等の作品も飾られていた。杉本さんは直木賞作家で、文化勲章受章者であることもここで知った。

041  「彩苑」を出て、坪内逍遥の旧宅「双柿舎」を覗いてみようと思ったが、残念ながら日曜日以外は開館していないとの事だった。そして行った先が「起雲閣」だ。

 この「起雲閣」は、非公開の岩崎別荘、今はなき住友別荘とともに熱海の三大別荘と称されているらしい。大正時代に建てられ、昭和の始めまでは別荘として使われていた。昭和22年、旅館として営業を始めた。錚々たる文豪がこの旅館をこよなく愛したようだ。坪内逍遥・尾崎紅葉・志賀直哉・谷崎潤一郎・太宰治・武田泰淳らが訪れたとなっていた。特に、太宰治『人間失格』はこの旅館で書かれたという。そして、その1ヵ月後に入水自殺した。

 入館料は500円だったが、お金を払っても損のない旅館だった。「麒麟の間」044 048 「大鳳の間」等和式の部屋、「金剛」「玉渓」等洋間、中華様式の部屋は装飾も素晴らしく、優美な気品を漂わせていた。「金剛の間」の隣には“ローマ風浴室”もあった。

049  さらにこの「起雲閣」の素晴らしさは、これらの部屋を囲むように緑豊かな庭園が配されている。ボランティアの説明によると、この庭園は旅館になってから相当植え込みがなされたとのことだ。大きな池には鯉も泳いでいた。

 さらに贅沢な別亭「孔雀の間」を見たのだが、別のボランティアの方が説明を050 かってでてくれた。この部屋でぜひ見てもらいたいのは、板の間や天井の梁、すべてが一枚板でできていることだそうだ。さらには床の間の柱・北山杉は何百万円という価値のあるものだそうだ。庭園に続く「上がりがまち」も一枚の石で、巨大なものだった。余談だが、ここは女優・竹下景子が新婚旅行で泊まった部屋としても有名だそうだ。

 喫茶室で「アイス抹茶」をいただいてきた。この「起雲閣」は、今は熱海市が管理運営しているようで、すみずみまで管理が行き届いていた。

051  帰りにここからすぐ近くの、「熱海芸者見番」を覗いてきた。30分ほど芸者の伝統芸を見せてくれるとのことだったが、1300円も出して見る気にはならなかった。

 東京駅に着き、八重洲口の碁会所で高校の同窓会の囲碁クラブが会をやっているというので覗いてみた。何局か対戦をしてみたが、成績は散々だった。

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2009年6月28日 (日)

№527 恒例の熱海旅行

 気の置けない仲間での「熱海旅行」も、今回で4回目になる。この会の主催者でもある横Takeちゃんの会社の保養所に泊まり、普段のストレスを思いきり発散しようという会である。この熱海の保養所も8月一杯で閉鎖ということで、残念ながら最後の旅行になってしまった。

 参加者は16名。横Takeちゃんは急に都合が悪くなったというので不参加、会の最長老Gunzoさんも肺炎を患ったとかでこれも不参加、さらにはOeさんとかMatsumuraさんという常連も参加できず、例年に比べていささか寂しい旅行会となってしまった。

 しかしそこは役者ぞろい、Takeちゃんに代わってここの家主Kazubumiさんが大張り切りである。その不在の寂しさを感じさせないくらいだった。

 風呂から上がったら、まだ明るいのに飲み会が始まった。夕方の5時過ぎである。これで延々と宴会になるのだろうね。

006  夕食がてら、それぞれが近況報告である。この春に社長就任したMochiちゃんの報告には、皆さんが大笑いである。社長就任でなにが大変かといって、膨大な書類に判子をつくことだそうだ。それまではシャチハタで済んでいたものが、実印なので力も要るし、えらく大変と話していた。さらには彼の戸籍の名前が旧字なので、「壽」という字を書くのにエラク難儀しているのだそうだ。

 それをきっかけに「シャチハタ論議」になった。シャチハタを何本も潰したという豪の者まで現れた。

 私は「ブログ生活の日々」の報告をした。Yoshihideさんか010 ら、「あることないことをブログに書かれて、皆えらい迷惑を蒙っている」とのクレームがついた。「なるべく迷惑をかけないようには書いているのだが、あることないこととはひどいじゃないの。少なくとも、ないことやフレームアップは書いていないはず」と私も反論した。本当に皆さん、よく私のブログを読んでくれているようで、有り難いような面映いような感じだった。

011  夕食もそこそこに、大カラオケ大会の始まりだ。カラオケになると独壇場のShimaちゃん。場の取り仕切りやマイク片手に美声を聞かせてくれるのはいつものことだ。この晩は一人で何曲唄ったことだろうか、ヒトノメイワクモカエリミズに・・・。

 この晩は、Mochiちゃんも張り切ってマイクを握っていたね。社長の激務から015 逃れるには、ストレス発散が一番。その割には一方のYoshihideさんは皆の唄を子守唄代わりに眠ってしまっていた。彼の劇太りが、友として少々心配になった。仕事も大変かもしれないが、老婆心ながら、少し運動をしたらどうかしらね。

020  この会の名物「ハダカ躍り」が始まったのは、夜もだいぶ更けてからである。今晩の主役Kazubumiさんは上半身裸でマイクを握っている。Yoshikazuさんが絡み始めたのは、まもなくたってからだ。皆、腹を抱えて大笑いである。

 さしもの、用意した酒はあらかた飲みつくした。夜も更け、皆で肩を組み輪になって、「青春032 時代」と「青い山脈」を声高らかに唄いその晩はお開きとなった。何かその後、夜中2時過ぎまで議論に熱中したという話も聞くが、私は眠ってしまった。夜中2時過ぎに、ドンドン部屋のドアを叩く音がした。Eimeiさんのご帰館だった。

 翌朝は良い天気で少し暑いぐらいだった。朝食後、再会を期して別れた。Takeちゃんが参加できなかったのは残念だったが、皆、晴れ晴れとしていたね。世話人の本郷Takeちゃん、本当にご苦労様でした。

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2009年6月27日 (土)

№526 ゴーヤを植える

 夏に向かい、これからますます暑くなる。中でも西日は強烈だ。1階の西側に当たる窓には、例年、すだれをかける。

 最近ニュースで、学校などの窓にゴーヤを植え、冷気を誘っているというニュースが流れているのを目にした。

003  家でも西窓に初めてゴーヤを植えてみた。ゴーヤは何ら手間をかけなくてもドンドン伸びる強い植物だ。3本ほど苗を植えたのだが、あっという間に窓の付近まで到達した。

 今年の夏は涼しさとともに、ゴーヤのご馳走が食卓を飾ることになるのだろうか。

 さらに庭のプランターに植えたのがトマト3本だ。那須の畑のトマトはまだ実を結ば002 なかったが、こちらのトマトは元気そのものだ。よく見ると、20個ぐらい実をつけている。

 那須のトマトがダメでも、こちらで楽しめそうだ。

004  庭でこの季節になるとドンドン伸びるのは茗荷だ。あまり増えすぎたので、先日大半を那須に持っていって茗荷畑を作った。だが、庭にはまだまだ茗荷がはびこっている。

 この茗荷も強い植物で、黙っていてもドンドン増えてゆく。時々間引いてゆかないと、庭じゅう、茗荷だらけになってしまう。

 茗荷は食べても美味しいのだが・・・。

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2009年6月26日 (金)

№525 第14回 楽しうれし展

14001  今年も恒例の“楽しうれし展”がギャラリー【あら草香しら 】で開かれている。今年で14回目になるのだそう14002だ。

 並べられているのは、古布 の洋服・小物バッグ織りの洋服古材家具つるのバッグ花入れ陶器灯り等々だ。

14008 14009 14012

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 女房の織りの洋服も飾られていた。14010

 このギャラリーを運営しているKayoさんは、那須の仲間Ohno家の奥様である。うちの女房と永年親しくさせていただいている。その関係で私もちょくちょく顔を出すようになった。今では旦那と酒飲み仲間だ。

 このギャラリーにはいろいろな作家が、満を持して、自分の作品を持ち込んでいる。それぞれが自慢の品である。

14005  Yokoさんはいつものつるのバッグウサギの置物も恒例の品だ。さらには古布の洋服も飾られていた。

 さすが熱い夏に向かう折、女房の織りの洋服の出はよくないようだ。ただ、昇り旗で出来たスカートを着ていたのでどうしたのか訊ねたら、このギャラリーで買い求めたとのことだった。

 前日、横浜の姉と旦那、Yokoさんも初めてこのギャラリーを訪れたとのことだった。何か買ったかどうかは聞き漏らしたが・・・。

 昨日はITスキルアップの帰りに、級友を誘ってこのギャラリーに来て見た。ブ14015 ログ仲間の松ちゃんもお付き合いしてくれた。他に二人の女性も一緒だった。さらには前日に、クラスメートのKeikoさんが行ってくるよと挨拶してくれた。私はいきがい大学の広告マンになっている。

 ギャラリーに行ってみたら、結構賑やかだった。最近那須に別荘を購入したAgeちゃんもいた。彼女は2ヶ月ほど前、別荘の下準備をしている最中、足首を骨折したとのことだ。「Ageちゃんて、意外とそそかしいんだよ」と私。

 Ageちゃんはこのギャラリーの名物、一日限定20食の手打ち蕎麦打ち名人でもある。ただ骨折したため、今回はオヤスミとのことだ。

 那須仲間のKuriちゃんもひょっこり顔を出した。元気そうだ。

 この展示会は、7月5日(日)までの開催だ。埼玉県県民活動総合センターから車で4~5分のところにある。午後6時30分まで開催していますので、時間のある方はぜひ立ち寄ってみて下さい。

 さらに、8月8日~23日には、那須のギャラリーでも同じ展示会を開くそうです。東京の暑さを避けるつもりで、一度訪ねてみたらいかがでしょうか。

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2009年6月25日 (木)

№524 茶屋 草木万里野

 朝から大雨で、埼玉県県民活動総合センターには女房に車で送ってもらった。帰りも6時近くに迎えに来てくれた。迎えの車には女房のほかに横浜の姉、そのお友だちのYokoさんも一緒だった。

001  近くのレストランで夕食をご一緒にすることにした。行った先が【茶屋 草木万里野】という多国籍レストランだ。県活から車で5分くらいのところにあるおしゃれな店だ。この店はいつ行っても一杯で、なかなか入れない。たまたま今回は時間が早かったせいか、すんなり入ることができた。

 お店の前に看板がかかっていた。読んでみると“サワディ”とあり、以下の文面が書かれている。

 「今日は皆様にうれしいご報告があります。草木家に1人の小さな命が生まれ002 ました。すくすく育ち冬頃には、その素敵な姿と出会うことができ、今からワクワクドキドキの毎日を過ごしています」とある。赤ちゃんでも生まれたお知らせなのだろうか?

003  ともあれ、お店に入った。入口は左右に開けるおしゃれな格子戸だ。

 まずはと生ビールで乾杯。Yokoさんとは昨年の春、秋田の姉ともども河津桜を見物に伊豆に行ったときに一緒だった。普段は秋田の田舎に暮しているが、2ヶ月に一度くらい上京するとのことだ。横浜に自宅のマンションも持っている。

 頼んだ料理は、ビールのつまみにとタコわさトリ皮の唐揚枝豆の3品。運004 転手の女房は、ホットウーロン茶を頼んでいた。

 メインデッシュは、ウィンナーのピザ・海鮮焼きそばの2品。

 それぞれ量も豊富だったし、味も美味しかった。特にピザは特大で、4人で食べてお腹が一杯になった。

 Yokoさんからは田舎のお話をたくさん伺った。彼女の家は、私の実家から歩いて4~5分のところにある。この7月には久し振りに法事で帰郷する予定だ。田舎はじっちゃん・ばっちゃんばかりの町になり、会合といえば葬式ばかりだと嘆いてた。

 久し振りに田舎のお話に堪能し、食べ物にも満足して家路についた。姉とYokoさんは自宅に一晩泊まって帰った。

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2009年6月24日 (水)

№523 宿題の「凧絵」を描く

 先日、彩の国いきがい大学のホームルームで、宿題として和紙を一枚渡された。9月の授業で「伝統遊びー凧づくり」があり、凧絵を描いてくるのが宿題の内容である。締切が7月上旬となっている。

 何しろ自慢じゃないが、小学校を卒業して以来、絵など描いたことがない。まして凧絵はどういう題材を使って、どう描けば良いのか皆目わからない。

 宿題の要領説明では、「一気に描く、余白際までいっぱいに描く。干支の虎や、歌舞伎絵、アニメのキャラクターなど自由でよい」とある。

 最近では「困ったときのインターネット頼み」で、凧絵とはどういうもので、どのような絵があるのかを検索してみた。

 各地に伝統的な凧絵がある。津軽には武者絵、南に行くに従って複雑な形の凧の絵があった。

 武者絵とか複雑な形の絵は、私の手には余る。一番簡単に出来る方法はないか、いろいろ検索をして見た。活字の「大入」とか「龍」などは簡単にできそうだ。

 しかしここは一丁絵を描いてみようと思い立ち、「達磨の凧絵」に挑戦してみることにする。

 女房に話すと、「私が書いてあげようか」などと余計なことを言ってくる。結構ですと、絵の具と筆を借りることにした。女房はポスターカラーとか、水彩の絵の具等4種類も持っていた。

 和紙に黒の絵の具で縁取りを描き、塗り潰してみた。できた絵を見て、小学2~3年の絵だなと、われながら呆れてしまっている。皆さんも笑って下さい。

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2009年6月23日 (火)

№522 「父の日」のプレゼント

 娘夫婦と孫たちが久し振りにやってきた。前に、梅干しの漬かり具合を見に来るといっていたのでそれかなと思っていたら、手に大きなプレゼントを抱えていた。

001  「母の日」にくることができなかったというので、1ヶ月遅れの「母の日」プレゼントを用意していた。大きな赤いアジサイの鉢だ。見事な花が3個もついていた。

005  「父の日」プレゼントは私に配慮したのか、「久保田 千寿」の一升瓶だった。つつましい生活をしている一家にとって、お酒好きの婿さんでもこんなに高価なお酒を自宅では飲んだことがないという。ありがたく頂戴した。

 夜は自宅で焼肉パーテーにしようと、準備をしていた。そしたら、ひょっこり桶川に住む息子も帰って来た。手ぶらである。今日は何の日かわかっていないようである。

 本当に男の子というのはどうしようもない。しょうがないので、さらにスーパーに走って肉を買い足してきた。

 焼肉に眼がない、3年生になる孫息子は、最初から最後まで箸を手放さなかった。焼肉を大人の2倍は食べたのではないかな。

 折角いただいたお酒なので、婿さんと乾杯をしながら飲んだ。プレゼントのありがたさもあり、美味しかった。

 息子は焼肉を食べ、早々に帰っていった。この配慮の足りなさといったら、嫁さんでも貰わなければ治らないかもしれないな。crying いつのことやらdown

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2009年6月22日 (月)

№521 高校の同窓会出席

001_2  1年に1度の「高校同窓会」に出席してきた。この同窓会にまじめに出席するようになって、3年ほどになるだろうか。Rokuちゃんが副会長をやっていることもあり、前回からは「同窓会ゴルフコンペ」の世話人も勤め始め、人とのつながりもできた。

 ただ、矢張り同期の連中が出席しないと、圧倒的に知り合いが少ない。今回の007_2 同期の出席はReikoさん、Michikoさん、Rokuちゃんと私の4人ほどだった。会場は「霞ヶ関ビル」の35階だ。天気も良く、ビジネス街の中心にあるこのビルの景色は良かった。下には国会議事堂も見える。六本木ヒルズや東京タワーも間近だ。

 出席者は、昨年より多い150人ほどとのことだ。恩師“ユーミン”(あだ名)も参加してくれていた。45年ぶりだろうか。

006_2  この同窓会では、毎年記念講演会があり、関係者の昔話が聞けるのが大きな楽しみである。今回は、昭和33年の全国サッカー大会でわが校が優勝したときの点取り屋、平澤敬作氏の講演だった。平澤氏は講演に熱が入り、40分の予定が大幅に延びた。関係者がやきもきしているのがおかしかった。

 彼は、昨年お亡くなりになったわが校の先輩「太洋ホエールズの完全試合男佐々木吉郎氏」と、小・中・高校を通して同期だったとのことだ。本来は彼がこの講演を引き受けるはずだったと強調していた。

 懇親会では、秋田からわざわざ駆けつけてくれた後輩が、筋子の差し入れを持ってきてくれた。彼女は、昨年の暮れに亡くなった弟と同期だ。弟は3年間、軟式野球部で頑張っていたので、もしかしたら知っている人がいるかと思って尋ねてみた。残念ながら知り合いはいなかった。

 懇親会では、懐かしい応援歌や逍遥歌を紹介するグループもあった。最後に010_2 011  は恒例の校歌で締めくくった。参加者全員で肩を組み、声高らかに歌ってきた。

 同窓会が終わって、Rokuちゃんが同期の飲み会を設定してくれていた。会場は、日本橋の「吉」だ。昨年お亡くなりになった佐々木吉郎さんの奥さんが経営している店だ。

013  午後3時半くらいに到着したら、すでに会ははじまっていた。私の隣に座った奴が「やあ~シンさん、何にも変わっていないね」と声をかけてきた。一体誰だったのだろう、聞き漏らしてしまった。しばらく彼と話していたら、ZakiのYozoじゃないの。本当に45年ぶりの再会だ。

 彼は中学・高校と野球をやり、専修大学に入っても野球部の所属していたとのことだ。残念ながらレギュラーポジションは取れなかったらしい。タマゴ(教頭先生)に可愛がられていたな。

 この席には、2年先輩の方たちも一緒だった。また恩師“ユーミン”も参加してくれた。昔話に花が咲いた。来年は高校の「開校90周年」になるとのことだ。秋には大きな催しを行うとのことなので、皆で参加することを誓い合った。

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 同期会が終わってもまだ明るかった。有志で新宿に出て、さらにもう一度飲み直した。

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2009年6月21日 (日)

№520 今年も梅干を漬ける

 那須の“スーパー池上”で今年の梅の出来具合を聞いてみた。今が最盛期で、今週一杯ぐらいが旬じゃないのかということだった。今を逃すと、今年は梅が漬けられないと思い、梅を買って埼玉で漬けることにした。

 南高梅の大きな4Lの玉を買うことにした。いつもの“スーパー池上”で、10㎏の箱が3800円という。それが別の“スーパーあおき”に行ったら、1箱3500円で売っていた。

 わがブログで過去の「梅干し漬け」のカテゴリー記事を検索してみたら、昨年は6月21日の記事になっている。このブログで梅干の塩漬け記事を書くのは、奇しくも、ちょうど一年ぶりだ。

001  昨年10kgを買って漬けたのだが、あっという間に食べてしまった。孫娘が梅干が大好物で、今年も期待しているとのことである。まあ、2~3年保存食用のつもりで、今年は10㎏の箱を二つ買ってきた。さらに消毒用にと、35度の焼酎を一本買った。

 蓋を開けてみたら、梅は黄色く色づいていた。漬け頃のようだ。

 まづは、買ってきた梅を大きな樽に水を張り、浸した。これは梅の灰汁を抜くた002 めで、1昼夜・12時間ほどかけた。そうだ、昨年視たNHK「今日の料理」の梅干の漬け方のビデオを見て復習しなければと思い、再生した。そしたら、水には2時間ほど浸すだけで良いといっている。インターネットで「美味しい梅干の漬け方」を検索したら、12時間水に浸すとある。それぞれのやり方があるらしい。ビデオをじっくり2度ほど見た。

003  最初にやることは、水からあげた梅のヘタをとる仕事だ。さすが20kgもあると一仕事だ。女房が用事があるといって出かけたので、一人仕事になった。2時間もかけて、丁寧にヘタ取りをした。

 梅干が上手くできるかどうかは、この2~3年の経験からいうと、1にも2にも消毒をきちんとやることと、美味しい塩で漬けることだ。

 塩は近くのスーパーで、「福島いわき 太平洋の海水塩」というのを買ってき006 た。国産にがりを含んで素材の旨みを引きだす、とある。塩加減は、NHKの放送によると少し甘めで、11%位が良いといっている。ただ塩が甘いと、カビが浮き出してくるので、消毒を充分にしよう、とのことだ。

 樽に2重にビニール袋を敷き、ヘタを取った梅を焼酎に潜らせて樽に並べた。007 005 そして1列づつ梅を並べてから、塩を振った。その繰り返しの仕事だ。

 梅と塩もきちんと秤で計り、11%になるように調合した。

 大樽には15㎏の梅を漬けた。残りは6kgほどあったが、これは小さな樽で間に合った。二つの樽に漬け、袋をかけ、カビの入らないように工夫をした。そして重石は漬けた梅の2倍とのことなので、大きな石を庭から持ってきて樽の上に乗せた。

012  これで7月中旬まで漬けておくと、白梅酢が上がる。そうしたら赤紫蘇の出番である。那須の畑には、昨年の赤紫蘇がたくさん芽を出していた。間に合わない分を買うことにして、その畑の紫蘇で間に合わせてみたい。

 夕方には、孫たちが梅干しの漬かり具合を見に来るとのことだ。

 昨年は、漬けた梅干はOgiさんのところまでは回らなかったが、今年は大丈夫そうよ。

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2009年6月20日 (土)

№519 畑の収穫物

 3週間もほっておくと、さすがに畑の作物がどうなっているのか心配になる。酔狂を承知で、わざわざ那須の畑を視察にやって来た。

002  袋をかけたトマトの枝が成長して、袋から大きくはみ出していた。見回してみると、いろいろ畑仕事が多そうだ。

 最初にやったのはキュウリの支柱かけだ。ネットをかけていたが、キュウリの枝はうまくネットに絡まっていなく、枝が地を這っていた。ただ、キュ013 ウリの赤ん坊がたくさん実をつけている。紐でネットに絡ませるようにしてあげた。

 今年も食べきれないほどのキュウリの収穫が見込めそうだ。キュウリは2~3日で大きくなってしまう。近所の人に食べていただくようにお願いしなければ・・・。

015  畑名人Shiratakiさんが畑仕事をしていた。彼から、トマトと茄子の袋を取ってあげないと花が受粉しないよ、との指摘を受けた。さらには無駄な枝を切り落としたほうが良いよ、とのご指導も受けた。彼の指摘通り、袋からトマトと茄子の枝を出し、いらない枝を整えた。

 ジャガイモも成長したのではないかといわれ、試掘してみた。さすがこちらの016 003 ほうままだ小さかった。この7月に“ゴルフ合宿”でくる仲間にジャガイモ堀の体験をしていただくことにしたい。ただ成長の妨げになるジャガイモの花は摘果した。あとは果報は寝て待て、だ。

 トウモロコシも予定通り順調に育っていたし、枝豆も大きくなっていた。シシトウも元気だ。ネギと玉ねぎの畝に土もかけてやった。これから夏にかけて、これらの収穫時期を迎える。

 今日のわが畑の収穫物は、特大のキャベツ2個にブロッコリー2個だ。まだ収穫できるキャベツが2~3個はあるのだが、来週来るお客様にお土産に持って帰ってもらうつもりで、収穫はしなかった。017

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