高崎のある方に夕方6時に会う約束をしました。せっかく高崎に行くのですから観光も兼ねようと思い、お昼ごはんを食べて午後1時に車で家を出ました。最低でも、高崎観音と達磨寺には行く心積もりにしていました。
高崎観音に着いたのは午後3時です。片道約80キロの旅でした。観音様は、国道17号線からいつも遠くに眺めていて、いつかは訪ねてみたいと思っていました。
近くで見ると、結構大きい観音様でしたね。正式名は「白衣大観音」といい、昭和11年10月に建立された高さ41.8メートル、重さは6000ト
ン、建物にすると9階建ての建造物ようです。近くに、藤の花が満開でした。
盛りは過ぎていましたが、この山は桜とツツジの名所でもあるようです。8月には万灯会のお祭があると案内にはありました。
観音山から車で5分くらいいくと少林山達磨山に着きます。毎年お正月の7日にはだるま市で賑わいます。上毛カルタに“縁起だるまの少林寺”という札があり、福だるま発祥のお寺さんだそうです。江戸の初期に開山した黄檗宗の宗派です。
この達磨寺がブルーノ・タウトと深い関係があることを訪ねて初めて知りました。お寺の一室に「タウト資料室」がありました。少林山のご住職が親切にも案内してくれ、ご説明までかってでてくれましたました。
ブルーノ・タウトというとなじみのない方もいるかもしれませんが、桂離宮を初めて海外に紹介したドイツの建築家です。ヒトラーの弾 圧を逃れ、昭和8年に日本に来て3年半ほど滞在したそうです。そのうちの2年間は、この少林山達磨寺の「洗心亭」に滞在していたようです。タウトは日本文化を大変に愛し、滞在中にいろいろ日本を旅し、多くの著作物を残しています。主な訪問地は、伊勢神宮・白川の古民家・冬の秋田・修学院離宮等です。
少林山の資料室をじっくり見て、「史蹟 洗心亭」を訪ねました。瀟洒なたたずまいで、6畳・4畳半の畳部屋に納戸等があるだけ
でした。この部屋で夫人エリカと2年間過ごしたそうです。洗心亭の庭には記念碑があり、“Ich lieve der Japanische Kultur”(私は日本文化を愛する)とありました。その後、トルコ・イスタンブールに行き、そこで58歳の命を閉じたとのことです。
そういえば、以前いた会社の先輩(昨年4月に亡くなりましたが)
が、高崎にブルーノ・タウトの資料を移すのに尽力していたことを思い出しました。ご住職にそのことをお尋ねすると、その資料は近くの創造学園大学の「ブルーノ・タウト資料館」に保存されているとのことです。
早速、その大学を訪ねてみました。
大学の職員が親切丁寧に資料館を案内してくれました。先輩は、当然会社の承認の下、900点のタウト資料をこの大学に寄託したとのことです。展示しているものはほんのわずかでしたが、大半のものは収蔵庫に大事にしまってあるそうです。
私はタウトの名前はよく知っていましたが、著作を読んだことはありませんでした。思わずその大学で、ブルーノ・タウト『日本美の再発見』(1939年・昭和14年初版)を購入しました。
まさか今日の旅でブルーノ・タウトに出会うとは思いもしませんでした。
さらに高崎の旅は続きます。日本で一番の26万株の芝桜を植え
ている「みさと芝桜公園」を訪ねました。残念ながら盛りは過ぎていましたが、4月末の満開時にはさぞかしや大勢の人が訪れることでしょうね。
公園からの帰りに車を走らせていると、「群馬県立 土屋文明記念文学館」に出くわしました。せっかくですからと訪ねてみましたが、午後5時に閉館とのことです。人の縁とは続くものです。この記念館の館長は、元前橋・煥乎堂の名物店長・岡田さんとのことを夕方お会いした方に伺いました。以前、大変お世話になった方です。それを知っていたら、もっと早い時間に訪ねるべきでした。
本日は高崎の小旅行でしたが、今日一日充分楽しめました。
(写真をクリックすると画像は大きくなります)
最近のコメント